小田氏治、舌の根も乾かぬうちに佐竹家に反攻する
小田家が上杉に降伏した2年後。相変わらず小田城の本丸は丸裸だった。
歴オタ豊島くんと天羽源鉄先生によると今は永禄12年(1568年)にあたり、今までの経過からすると俺たちの動きで史実だと小田家が小田城を3回落とされて取り返しているのが1回にまとまった形になったらしい。
ある日、俺が小田城で氏治様や諸将といる時、目の前に突然北条の忍び、風間小太郎が天井から現れた(対外用の体格の大きい影武者の小太郎の方だが。)
「あの状況での降伏は同情しますが、このまま引き下がっていてよいのですか?」
飛加藤氏といい、どうしてこの時代の忍びは仁王立ちをするのだ。小太郎の方はどことなくジョジョ立ちっぽいが。
「北条は小田の独立を支援しております!佐竹を領国から追い出し真の独立を取り戻すのです!」
と煽る。
「いや、北条上杉が来た時に援軍出してくれなかったじゃん。」
と俺が思わず言うと
「それは上杉の別働隊が岩槻を突く構えを見せ、それと連動して里見が三浦半島に上陸して荒らしていたからなのです!」
「…筋は通ってますな。」
「今こそ小田の真の力を周囲の木っ端大名に見せつけるのです!」
と手をすっくと伸ばす小太郎。いやお前ニンジャであってゲッベルスではないだろ。
…しかし、氏治様の方をみるとうるうると目を潤ませて感動している。やばい。
「小太郎殿!よく言ってくださった!今こそ我らの心は北条とともにある!」
「おお、お館様よく言ってくださった。これで南方も落ち着くというもの。我らも北へ兵を出せまする!」
と応じたのは谷田部城主岡見治弘様だ。いや、今まで結構スルーされてきたからなぁ、岡見様。
「となれば善は急げ、でございます。」
と小太郎は地図を広げる。
「今ならば北条城、といっても我らの方ではなく、筑波山の麓のこの城ですが…」
と言って指差す。
「我らの監視に置かれていた梶原政景が岳父、真壁久幹に呼ばれて水戸の江戸氏と府中大掾氏のいさかいの調停に出向いております。」
「これはチャーンス。」
また漫画を読んでそんな言葉を覚えたのか、氏治様。
「今こそ北条を攻め、独立を取り戻すぞ!北条と言っても小田原の北条殿ではないからな、小太郎殿!」
「おう!」
と小田の皆さんは激しく盛り上がり、準備もそこそこに4000の兵を調達して北条城に殺到した。
梶原政景は小田城の丸裸ぶりに油断したのか、主だった将兵を連れて出陣していたため、北条城はまたたく間に小田の手に落ちたのである。
こうして小田氏治は筑波山の南側の地域を手に入れ、再び佐竹や結城と相まみえる道に進んだのであった。
ちなみに天羽源鉄先生は
「ここは動かず20年耐えれば全てはお館様のものであります!」
と進言したが
「20年も引きこもらないといけないのか、それは武士の道にあらず。」
とスルーされてしまったのだった。
北条城を落としたことが宣戦布告となり、小田家はまた佐竹や結城と敵対することになった。当然佐竹義重はそれに激怒した。佐竹義重はまた上杉輝虎を頼り、連合軍を組織して小田を討とうとした。しかし今回はそうは行かなかったのである。
というのも北条城を小田家が取り返した翌永禄12年(1569年)、上杉輝虎は小田原の北条氏康と同盟を結んでしまったのである(越相同盟)。その内容には実は太田資正の岩槻帰還も含まれていたのだが、資正は北条と組んだ上杉を信用せず、佐竹にとどまってしまったのだ。帰ってくれたら良かったのに。
上杉を盟主とした同盟軍を組織できなかった佐竹義重は、今度は上杉の宿敵、武田信玄との同盟を模索する。その同盟は成立したが、武田が常陸に出てくるには中途上杉や北条の領国を通り抜けなければならず、現実的には不可能であった。
とはいえ、外交上は例えば美濃を統一し上洛し将軍足利義昭を支えるようになった織田信長に好を通じるなど意味がなかったわけではないが、積極的に軍を出してもらうわけには行かなかったのである。
そのため、この頃から佐竹義重は上杉の傘下であるよりも、自らが北関東の盟主であるべく行動を始めるようになっていった。いちいち上杉の裁可を受けなくても周囲の勢力に対して積極的に自らが主導権を握ろうとしていたのである。
それに対して一度は降伏したもののまた独立の動きを見せた小田家は目の上のたんこぶのような状況であった。しかも南方に進むにあたってはじゃまになる大国、北条に媚を売っているのである。
佐竹の小田攻めは時間の問題のように思われた…。
俺たちは来る佐竹との戦いに備えて、小田城の再建や無線連絡体制の整備などを行った。無線ならソーラーバッテリーで駆動できるから時間が立っても使える(壊れてもまだ手持ちのパーツでなんとかしやすい)からである。出力の必要な武器などはガソリンの残りや品質の劣化などを考えると使いづらくなってきていた。
これからは電気的なものはまだ頼れそうだけど、工業的なところは手持ちが厳しくなりつつあったのだ。
その一方で流石に流れ着いてから7年もたつと、最初から真田店長が仕込んでいた硝石丘はついに実用的に取れるようになってきたのもあって…ついにパーカッションロック式のマスケット銃を完成させたのである。
「相馬くん!見たまえ!」
と真田店長が取り出してきた銃は、いわゆる日本伝来の火縄銃の形をしたものではなく、現代のボルトアクションライフルが原始的になったような形をしていた。
「こちらの銃床の方が我々には扱いやすいだろう。銃身は在庫のクロームモリブデン鋼を工具コーナーで削り出しだ!予備も必要だろうから10丁だけだけどね。これなら火薬もここで製造できるし…雷管は作るのが大変だけど、『我々が使う分』には足りるのではないかね?」
試射をしてみてもやはり狙いは付けやすいしクロモリ削り出しの銃身は精度もよく射程も伸びていた…うーんすっかり軍人だなぁ、俺たち。




