太田資正、犬を放つ
俺たちは太田の軍勢を誘い込み、前もって撒いておいたガソリンに点火した。
ぐゎああああ!と燃え盛り逃げ惑う太田の兵たち。流石に陣が乱れた所に法螺貝の音が響いた。氏治様だ!
「ぐははは。さすがは炎衆よ!後はこの氏治が槍の錆にしてくれるわ!」
と伏せていた小田勢は一斉に起き上がり、炎に包まれた太田勢に襲いかかる。
「火攻めとは!」
と梶原政景は地団駄を踏みながらも炎の中から燃やされていない兵を退かせると小田の降らせる矢の中から陣を立て直している様子だ。
…うん。鉄砲と火攻めで40−50人ぐらいは戦闘不能に追い込んだんじゃないかな。これなら。
「行けるぞ!」
と吶喊する氏治様。追いかけて付き従う小田の軍勢。しかし残念ながら資正の素早い指揮で炎の中から抜け出した太田の生き残り(と言うほどは残念ながら減ってない)は見事に横列を組むと、小田に相対して槍を振るい、弓兵が後方から矢を射かけてくる。
こちらが倍はいるから一気に押し切れるか、と期待していたのだが、太田勢は予想以上に頑強で戦いは五分五分の様だ。
双眼鏡で三村城の方を見ると菅谷様の方は大掾の部隊を破り、大掾の軍勢は三村城に入って立てこもった様子である。一日中戦いは続いたが、決着をつけるには至らなかった。鉄砲もあるのが分かってしまってからは相手もうまく竹束などを使って防いでしまうようになったし。
夕方になった。今日のところはここまで、という雰囲気が漂い両者睨み合ったまま翌日以降に戦いは持ち越されそうである。
このまま陣をしまってまた翌日合戦か、と思ったその時、太田の本陣と思しきところから多数の犬が駆け出していくのが見えた。
「犬…犬!まずい!角兵衛さん!急ぎあの犬を追ってすべて殺して!」
と忍者軍団の角兵衛さんに命ずる。
「旦那どうしたんで?」
「太田資正と言えば犬を使うんだ!岩槻城と松山城の間で犬に伝令をさせたことがある!あの犬になにか書をもたせて片野へ向かわせているはず!」
「ガッテンで!」
太田資正が犬に書をもたせて伝令をさせたのは、戦闘用でない軍用犬の運用としては世界初とも言われている。
角兵衛さんは素早く太田勢に補足されないように部下を引き連れて犬の群れに向かっていった。
しばらくして角兵衛さんと配下のニンジャが戻ってきた。肩で息をついている。
「旦那、確かに犬どもは片野の方へ向かって行きましたんであらかた捕らえましたぜ。この通り書も持っていました。」
その書には『策はなった。』とだけあった。俺はさらに不安になり聞いた。
「角兵衛さん。逃した犬はいなかった?」
「それが明後日の方向の山の中へ向かっていったやつが2−3匹いてそっちは。迷ったんだと思いやすが。」
…なんか悪い予感がする。そうするうちに本日の戦いはしまいだ、という雰囲気を出して向かい合う両陣の中で、太田勢の中から一人の堂々たる武者が馬に乗ったまま前に出てきた。
「そちらにおられるのは小田讃岐守様の軍勢か。」
讃岐守、というのは氏治様の自称官途だ。
「その通りだ!太田美濃守(資正)殿とお見受け致す!」
と俺が答えた。なんか雰囲気で声を出してしまった。
「思ったとおり、そしてその装束(警備員用ボディーアーマーと防弾チョッキな出で立ち)、相馬典薬どのであろう!」
相馬典薬、というのは俺が本名の翔太郎を名乗っていたら氏治様が
「通称だと…いつまでも通称の翔太郎呼びでは、なんというか安っぽいな。氏胤(俺の諱)は医官でもあるから典薬頭でも名乗るがよい。」
と仰せになり、自称官途名相馬典薬と名乗るようになっていたのだ。実は。
「そのとおりだが!」
「ふっはっは。やはりな。となれば天羽源鉄とその愛弟子、織部留守太院もおろう。ぬしらには先年関東管領様も手痛くやられたからな!」
織部留守太院、は織部君もなにか名乗れ、と言われて本名の織部留守太、をもじって織部留守太院と言い出したのでついた。留守太院、ってどういう院だよ。
「諸君が今、ここに居るからには我が策はなった!ではごきげんよう小田の諸君!」
と言い残すと太田資正は自陣の陣中へ踵を返して戻っていく。そしてそのまま陣を崩さず翌日に備える構えを見せている。
「我らがここにいるから…不味い!お館様、ここは急いで小田に引くべきです。」
織部くんが氏治様に進言をする。
「なんだと?やつの戯言ではないのか?」
とほぼ勝ちを収めていたと思っている氏治様は鼻白む。それに天羽源鉄先生が言った。
「つまり我らをここにおびき出すのが太田資正の狙いだったのです。別働隊が小田を突こうとしているのやもしれません。」
「別働隊?」
「真壁とか。」
真壁だけなら小田城で向かい撃てるだろうよ、と渋る氏治様であった。小田城からの無線で不穏な動きが、と言いくるめ、小田勢は撤退を決した。
しかし太田勢が襲いかかってくる構えを崩さない以上、こちらが転進するのは退却戦になってしまい、極めて危険なのである。撤退戦こそ多くの戦いで最大の被害が出る状況なのだ。
俺たちは太田勢と三村城の大掾勢を警戒しつつジリジリと後退を始めることになった。殿は木田余城主の信太範宗殿が勤めることになった。
幸い太田と大掾はジリジリと追尾をして来たものの、積極的に攻撃を仕掛けてくることはなく、小田の軍勢は夜を徹して移動したため疲労困憊ではあったものの、どうにか木田余城に退くことが出来たのである。
その夜、俺は無線を使って小田城に連絡を入れた。
「こちら氏治様の本陣、太田資正がなにか決定的な策を打った模様。オーダー66を執行せよ、繰り返す、オーダー66を執行せよ。」




