鬼小島弥太郎爆誕
上杉輝虎にタイマンを挑むも囚われてしまったヤンキー軍団小島団長。その運命やいかに。
その晩、上杉輝虎は捕らえた小島団長を引き出した。
「御実城様、この者の首を討ち、小田の奴らの前に掲げますか?」
「うーん。それもいいけど物騒だね。それより君、名はなんという?」
と小島団長に尋ねる。
「…小島弥太郎…」
「小島君、僕は君の勇猛さに感じ入ったんだ。どうだろう?僕に仕えないか?」
「…大将にはタイマンで負けた。俺はタイマンで負けた相手には従う。だから大将が俺に従えと言うなら。」
「たいまん、とかわからないけどいいか。僕に仕えると元の君の仲間とも戦うかもしれないけどいいかい?」
「それは…困るが俺は大将に負けたから大将に従う。」
「うん。ますます気に入った。なら君が元の仲間と直接戦うことが避けられるように、君は僕の護衛となるが良い。」
「御実城様!それでいいので?」
と柿崎景家が思わず声をかける。
「彼の目は信じられると思う。」
…それでしょっちゅう謀反起こされているんだよな、とそこに居並ぶ諸将は思った。口には出せないけど。
「俺もこうなったからには大将のために働く。」
「そうだね…その鬼神の様な武勇から君は『鬼小島弥太郎』と名乗るが良い。よく僕を守ってくれ。」
こうしてヤンキー軍団小島団長は上杉謙信(輝虎)の護衛、鬼小島弥太郎となったのであった。鬼小島弥太郎はそのまま越後へついていき、その武勇と男気で数々の活躍をするのだが、それはまた別の物語である。
鬼小島弥太郎の処遇を決め、前日の戦いの報奨を一通り終えた翌日、上杉家の前の小田の塹壕陣地からは人が消え失せていた。輝虎はその陣跡を視察すると
「これを作ったものは『天下の奇才』だな。」
と三国志で司馬懿が諸葛亮を評したセリフを引用していった。
そうこうして陣を整えているうちにようやく佐竹義昭や真壁久幹など地元の諸将が散陣してきた。
「まさか管領様が小田を叩きのめしていないとは。」
という佐竹義昭に上杉輝虎は
「君たちが遅れてきたから兵が足りなくてね。」
「しかし所詮は小田では?」
とはぁ、という顔をする義昭に、隣から年若い武士が声をかけた。
「父上、小田の奴ら、いつものようにむやみに突撃するのではなく、陣を築いて立てこもったようですぞ。」
「何だ義重?」
声をかけたのは佐竹の嫡男、佐竹義重であった。
「この様に強固な陣を築かれては城攻めと変わりませぬ。管領様でも即座に落とせないのはしかたないかと。」
「嫡男殿はするどいですね…」
と感心している上杉輝虎。
「そうは言っても佐竹様が来てくれたおかげで兵も整いました。ここは小田城を落としに行きましょう。」
と号令した上杉輝虎であった。
佐竹勢と合流し、2万を超える兵力となった上杉軍は一路筑波山麓を南下し、途中さしたる抵抗もなく北条などの城を接収しながら小田城を包囲した。
「…小田城ってこういう造りだったっけ?」
上杉・佐竹連合軍の前に現れたのは以前と姿を変えた小田城であった。
小田城は平城である。防御に優れているとは言えず、史実では後に佐竹家が支配した際に外郭を複雑に整備して防御力を高めていたが、元々は鎌倉期から続く館であった。しかし眼前にあるのは幾重にも折れ曲がった土塁と堀で取り囲まれ、所々に馬出、虎口を設けられた城であった。
ドローンで上から撮影しないでも、この時代でも背後の宝篋山に登れば完全ではないが星型の稜堡をなしているのが見えただろう。堀には畝状の凹凸が十字に作られており、折り曲がった土塁から突き出した門にあたる部位は丸馬出になっていた。
「…見るだけでも嫌悪感が出てくる城だね、これは。」
上杉輝虎はぼやいた。
「あの堀底の凹凸は小田原北条が得意とする障子堀だね。馬出しの形状は武田が好む形だ。僕の敵の得意とする様式をこれでもか、と入れている。」
「あんなややこしい城に小田城がなっているとは。」
真壁久幹は呆れた様に言った。
「といってもこちらの兵は4−5倍はおり、相手には後詰めは望めますまい。ここは包囲してじっくりと。」
と正攻法を勧めた佐竹義昭の言を入れ、上杉・佐竹連合軍は小田城の包囲を始めたのであった。
もちろん、力攻めであっさり落とせればそれで良い、と何度か攻めかかってみたのだが、
「やはりあの障子堀と折れ曲がった土塁は厄介ですな。こちらは動きにくいのにあちらはどこからでも横矢が飛んでくる。」
と攻めあぐねていて数日がたち、どこか弱点がないか軒猿(忍び)に探らせよう、いやそれはすでにやったがどうもこちらの忍びの動きはどうもうまく行かない(上杉家にも仕えていた飛加藤が抑え込んでいた。)などと次の一手を上杉輝虎が諸将と相談していると、
そこに使いが現れた。
「御実城様、小田勢から使者が。」
「誰だい?降伏に来たのかな?」
「…それが随風と名乗るえらく恰幅のいい僧でして。」
「随風様か。通して。」
「お目にかかれて感謝しております。お久しゅうございます。」
と通された随風は頭を下げた。
「あの川中島の後以来か。随風様、お元気でしたか?」
「おお、輝虎殿。あの時はお世話になりました。」
「いや戦いの後に越後へ帰る途上、いきなり本陣に乗り込んできて戦いについてあれはどうだった、これはどうだ、と熱心に話すものですから驚きました。あれは楽しかったなぁ。」
「拙僧も見事な戦いを当事者から学べて楽しかったですぞ。はっはっは。」
と豪快に笑う。
「で、随風様、ご用件は?」
と尋ねる輝虎。
「此度は停戦の使者として参りました。」
「停戦?降伏ではなくて?」
「大途(関東管領)様は先の筑波山麓の戦いで小田の攻めあぐねたと聞いております。」
「恥ずかしながら。」
「この小田城にはあの数倍の兵器や仕掛けの数々が施されているのです。」
「そう聞くとますます腕がなりますね。」
「しかしお言葉ながらそのお時間はないのでは?」
「といいますと?」
すると先程呼ばれて席を外していた直江実綱が本陣に駆け込んできた。
「御実城様お耳に入れたいことが。」
「なんだ。」
「武田でございます。」
「武田ならほら、先の戦で来たのは武田ではなくそこにいる鬼小島弥太郎の隊だったではないか。」
「いえ、その鬼小島の事ではなく、本国春日山城の留守居をしている斎藤下野守(朝信)から急使が。」
「なに?朝信がなんと?」
「我らのすきを突いて武田晴信が兵を発し、海津城から春日山を伺おうと出陣した、とのことです。」
「あの糞晴信めがぁ!こそこそと僕の留守を狙って!もういい。気晴らしに目の前の小田を皆殺しにしよう!総掛かりだ!」
と言った輝虎の頬を直江実綱は平手で打った。
「ぶったね!僕をぶったね!!親父にもぶたれたことないのに!!!」
「そんな目の前の事ばかり囚われているからいつまで発っても御実城様は関東を平定できないのです!修正してやる!」
と殴り倒した。
「…すまない。落ち着いた。」
と倒れた輝虎は冷静な面持ちになり、立ち上がってきた。
「…随風様、ということは小田はこの武田の動きを知っていた、ということだね。」
「ご明察であります。」
輝虎は床几にバタン、と座り込むと手を振って言った。
「あはははは。これは僕の負けだ。実綱、景家、兵を引くぞ。晴信の奴に越後を荒らされるのは我慢がならない。それにどうも我らの評判が悪くて兵站もキツイ。なんか『部洲田村の鬼』とかあらぬ悪評が立ってて今までのように『義の軍』と見られていないのからなぁ。」
「それでは我らはどうすれば。」
とともに参陣していた佐竹義昭。
「先に僕たちが戦ったのだから後は君たちがなんとかしてくれ、随風様、佐竹勢のことまでは僕は責任は負えないよ?」
「上杉家が引いてくださるのならそれで十分であります、とのことです。」
「まぁ鬼小島を手に入れただけでもよしとするか!」
と輝虎は号令を発して上杉勢は越後に向けて撤退してしまったのであった。
残された佐竹勢であったが、このまま何もしないでは面目が立たない、と小田城の大手に向かって攻めかかった。しかしそこで待ち受けていたのは小田の鉄砲隊であった。ドローンなどで動きを見張っていたホムセン衆の指示で、佐竹の攻勢を察知して待ち構えていたのだ。しかもそこにいたのは火縄銃ではなく…真田店長であった。
ダッダッダッと火縄銃ではない軽快な銃声が響き、攻めかかろうとした佐竹の兵が倒れる。
「いかん!奴ら銃を持っているぞ。虚仮威しの爆弾とは違う!」
その爆音の大きさと倒れていく兵に佐竹勢は混乱した。
「引けっ!上杉が去った今、無理押しは無意味!一旦引いて体制を立て直す!」
佐竹義昭は号令し、佐竹は退却を始めた。退き始めた佐竹勢であったが、その時、小田城の城門が開かれた!
「…なんか最近戦い足りない気がしてな!帝王の道に後退はない!」
と変なものを読んだのかタンクトップっぽい胴丸を着けた自称帝王で実際問題武勇は結構大したものな小田氏治が現れた。
「者どもかかれい!」
と自ら兵を率いて突進してくる。上杉勢の評判の悪さもあって厭戦気分が漂っていた佐竹勢はこうなっては真面目に戦うつもりはなく、散々に追い散らされて筑波山の彼方に帰っていったのであった。
それを見た小田城の城兵からは大きな歓声があがり、皆が大きく手を上げた。関八州古戦録などの史書にはその時の様子がこう記されていると言う。
『…上杉らは小田城を攻め立て、小田は鉄砲を盛んに用いてこれらを退けた。『不抜』。』
と。
随風様の活躍で上杉軍を退けた小田家。はたして武田が動いたわけは?




