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戦国ホームセンター  作者: 白苺
VS上杉輝虎編
26/68

小田軍、決戦の地に向かう

今日はもう1話投稿予定です。

 上杉家の軍勢が辺洲田べすた村を焼き払った(とされる)所業の後も今までとはどこか違う空気を感じて手間取りつつも小田領を目指していたその頃。小田氏治率いる軍勢6000は筑波山の西側山王堂の地を目指していた。山王堂は今の桜川市、元の明野町の辺りで、これまで度々合戦を繰り返してきた海老ヶ島城の少し南側にある開けた地だ。


 ひさびさに登場した俺、ホムセン衆の相馬翔太郎氏胤はその山王堂よりも少し南側にある上大島の一乗院で小田氏治様を出迎えた。氏治様には天羽源鉄先生と織部おべくんが付き従っている。そうやってお館様に近侍していると天羽源鉄先生はまさに軍師!と言った風情だがどうも顔が青い。


 小田氏治様を中心に菅谷政貞様、信太範宗様などの重臣が居並ぶ中、俺はお館様に挨拶をしてから聞いた。


「お館様。先にお知らせしたとおり上杉の軍勢はこの両日にもここへ到達する見込みです。お館様は上杉をどこで迎え撃つお積もりでしょうか?」

「うむ。この北側で桜川(本来はこの時代大川だが、次にまた大川が出てくるので便宜上桜川に統一する)と大川が合流しているところがあるが、ここはあえて大川を渡河して背水の陣で迎え撃つ!」


 わざわざ難しい手をとって格好つけなくても、と言った様子で重臣たちの顔は渋くなる。

いつも難しい手を強引にやろうとしては失敗しているのだ。


「おお、背水の陣、とは楚漢戦争の名将、韓信が取った作戦。さすがはお館様であります。」


 褒めるのか?という目をしてくる菅谷様の視線が痛い。


「うむ。俺を韓信になぞらえるとはお主分かっておるな!」

「はっ!しかしお館様、韓信が背水の陣で勝利した重耳は悪くはありませんが、凡将の類。しかし上杉輝虎はいわば項羽のようなもの。」

「ぬ。俺では勝てんというのか。」

「兵の質ならば小田の皆様は上杉以上。」

「それに我らは今、気の毒な辺洲田べすた村の復讐に燃えているのだ!」


 そうだそうだ!という声が諸将からも上がる。なんか燃えているぜ。小田家。

辺洲田村がなんのことなのかは俺はさっぱり分からず、なんか天羽源鉄先生はガクガク震えている一方で織部くんがこちらにサムズアップしているのを見ると彼がなんらかの計略で小田家の皆さんの心を燃え上がらせたのでしょう。


「いえ、私は小田が勝利できない、とはいいません。しかし山王堂のその地に布陣するとしますと…」


 というと俺は壁に白布を掲げてプロジェクターでこのあたりの地図を映し出した。用意しておいてよかった(したのは俺じゃなくて真田店長だが)ダウンロード版の地図アプリ。

 ちなみに川の位置とかこの時代とずれているがそれは許せ。


 とにかく壁に映し出された地図をみて諸将は『何ということだ…』などと言って口をあんぐり開けている。そりゃこんなの20世紀末でもぎりぎりできるかどうかだったものなぁ。


「えー。説明します。小田は精兵ですが、5千強(後で聞いたら6000だった。)上杉は斥候送って確認しましたが、8000どころか1万2千いました。」


 と密かに忍びの者に持たせたデジカメで撮影させた上杉勢の写真を投写する。


「な、なんだこの絵図は。上杉の軍勢がまるで目の前にいるようだ!」


 お館様がびっくりするのも仕方はない。こんな使い方第二次世界大戦どころかベトナム戦争でもやってないんじゃないだろうか?


「旗印を見ると・五十公野治長(新発田重家)・柿崎景家・山本寺定長・色部勝長・中条藤資・竹俣清綱・北条高広・河田長親…」

「上杉の主力ではないか!」


 メンツの豪華さに思わず漏れる声。武将の顔まで映されている様子に嘆息の声すら漏れる。

デジカメは当然ホムセンの売り物だ!キヤノンPowerShot SX530HS 50倍ズームとニコンB600 60倍ズームである。ニコンP1000とかもっとすんごいのがあると更に楽しそうだが、残念ながらホムセンであってカメラ屋ではないので。でも正直機能的には十二分以上だ。

 

「ここまでは一応想定内だったんですが…」


 と言って俺は続きを写す。


「えー。それらの将に加えて本庄繁長、甘粕景持、長尾政景、直江実綱、水原親憲の陣も確認されておりまして…川中島の時以上の布陣でほとんど上杉の全軍と言っていい顔ぶれかと。」


 そうなのだ。どうみても本来山王堂に来るはずだったメンバーよりも豪華すぎる。このデータをホムセンに送ったら真田店長が


「そうか!そうならば…」


 と言って奥の部屋にかけていった、と言うからなんか考えがあったらしい。


それはさておき、常陸に現れた上杉輝虎の軍勢はとにかく上杉家の持てる力全てを叩きつけてやろう、という布陣だった。


「当家の皆様は一騎当千といえる剛の者、とはいえ上杉家も天下に名が轟く武門の家、そのまま半数の兵であたるのは勝てないとは言えませんがとても辛いとは思いませんか。」

「そこを何とかするのが我らの武威というものであろう。」


 …だからお館様気楽に勝てると変な見通しで言わないでくれ。菅谷様も信太様も顔が名探偵ピカチュウみたいにしょぼくれてしまったではないか。


「勝てましょう、しかし備えをせずにただ当たるのは愚者の行為。」

「なに、俺を愚かだと言うか。」


 言いたい。ぜひ言いたい。しかし今回はそれを言うのが目的ではない。


「孫子に『己を知り敵を知れば百戦危うからず』と言います。ただ平野でドーン!と当たれば単にそれは数が多い上杉の有利となります。また大川を渡河するとなりますとこちらは2つ川を渡らなければなりません。」


 『うーむ。』『左様であるな。』という声が諸将からも漏れる。すると織部おべくんが言い出した。


「…ここまでお館様が喫した51回の敗戦は布石となりえます。常陸で密かに上杉輝虎に不満を持つ諸将を糾合し、正面攻撃と同時に背後から敵を強襲するのです。さすればお館様は筑波郡を支配する名将として歴史に名を成すことになりましょう。」


 うん。織部くん。それはまんま第四次川中島の戦いだね。しかしこの場合は、と思ったら今回随伴してくれていた随風様が声を上げた。


「おお、それはまさに3年前の川中島の戦いの武田軍が取った『啄木鳥』ですな。同時攻撃だとたしかに面白そうですが、分割した軍の攻撃が遅れて武田信繁様が討ち死にしましたな。」


 随風様ナイス。ましては武田は上杉の倍の20000−25000いたけど、こちらは上杉の半分だものな。


「いえ、その時の春日弾正ほどの兵はお貸しいただかなくとも大丈夫です。そう…ホムセン組のほうが望ましいのです。小島団長が率いる100ほどお借りできれば。」


 …『どういうことよ?』と俺は諸将の前を辞して隣の部屋で織部くんに訪ね…納得した。うまく行けば楽になるかもしれない。俺たちは部屋に戻ると


「第四次川中島の戦いでは武田に多大な損害が出ました。よって川中島ではなく、我々がおすすめしたいのは『長篠の戦い』です。」

「ながしの?それはどこじゃ?」


 そりゃそうだ。長篠の戦いまだ10年ぐらい先だもの。戦いの説明をしても?が山盛りになるだけだろう。


「こちらが渡河して川を背に背負い、水に濡れて疲れた上に多勢を相手にするのではなく、川の手前に陣を引き、そこで待ち受けるのです!場所は。」


 と言って再び地図を表示してバン、と叩く。


「この椎尾山薬王院の麓、酒寄!すでに炎衆がこの地に陣を築いております。」

「そんな築いた陣に上杉はわざわざ突っ込んでくるかのう?」


 さすがは菅谷様、冷静な疑問だ。


「そこは上杉輝虎なれば自らの武威を嵩にかかってその程度の軍勢なら、と押しつぶしに突っ込んでくるでしょう。それに、この作戦ではお館様に存分に突撃していただく機会も用意してあります!」

「おお、そうなのか!」

「お館さま、すでに陣も築かれているとなれば彼らの言うとおりにしては?」


 と信太範宗様も進言し、俺達の言うとおりに小田軍は山王堂よりも東でさらに桜川をわたった筑波山の麓、酒寄に布陣したのだった。そこにはすでに俺たちが塹壕、鉄条網、馬防柵を構築してあるのだ。鉄砲足りないけど。計画通り(ニヤリ)


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