そして時は永禄7年を迎える
その年は永禄7年(1564年)だった。
海老ヶ島で結城勢を退けた俺達は、しばらく内政に専念するように、とお館様(小田氏治)のお言葉をいただいた。
それから俺たちは手子生城と穂羣城のさらなる修築と小田城の改築を行い(堀や兵装など)そのためにホムセンから手子生城、そこから若森、金田などの諸城を経由しつつ小田の本城にいたり、小田城からは藤沢城を通り土浦城に至る道を整備した。
整備した、と言っても広い車道というわけではなく、物を運ぶのに便利なような程度だが、それで小田城まで向かわせたショベルカーなどを見て、当地の人々は目を丸くしていた。
道路の拡張は城の整備が目的だったが、そのことで動力を持つ例えばオフロードバイクとかも通過できるようになったり、もちろんマウンテンバイクやリアカー、猫車などの移動も容易になったのだ。
後この辺りは霞ヶ浦や小貝川、鬼怒川、桜川などの河川(現代呼称ゆるせ)が入り組んでいて、川による交通や輸送が重要であったが、そちらも船着き場などの整備とそれを結ぶ道路の拡張で流通がしやすくなったのである。
交通網(と城郭)の整備とともに、農業の方も手子生領だけではなく、小田領全体に改革が広まった。飯泉のおっちゃん単身で指導して回るのには限界があるのでマニュアルを作り、基本ホムセンのメンバーがマニュアルを元に指導して、不味そうな所は飯泉のおっちゃんに見てもらったり指導してもらったりすることで、多くの場所で農機具の使用や苗まで育てて正条植え等など技法的なところと、冷害や病気に強い新しい(しかも美味しいよね)品種の米が広がり、またじゃがいもやさつまいもの生産も広がったことで少なくともカロリーベースでは小田領は非常に多くの余剰を抱えるほどに豊かになったのである。
農業の生産拡大と交通網の整備によって余剰作物を他領に売れることになり、商業都市として利便性の高い土浦の街はかつてないほどの活況を呈することになった。そこには米や新奇な、しかし扱いやすく栄養価の高い芋類などを買い付けるために多くの商人たちが訪れるようになったのである。
俺たちは小田領が豊かになったことで小田のお館様が落ち着いて、他の領地を奪い去るよりも領内の発展に集中してくれる、と期待していたのだ。そして実際小田氏治様は俺達から見ると領内の発展に心を砕き、俺達の提案をよく取り入れてくださっていた。
元々小田家は鎌倉時代に源頼朝公に任じられて以来、400年以上にわたってこの地を支配してきた。近隣で結城合戦などの戦はあったものの、大きな支配者の入れ替わりもなく、安定して支配してきたため、領民との結びつきは極めて強かったのだ。そもそも小貝川や鬼怒川の氾濫こそあるが、比較的落ち着いた気候なこともあり領民から苛烈な収奪を行うようなことがなく、かなりゆるい統治だったこともあって小田家はこの地での『おらが殿様』的な色彩が非常に強かった。まずは歴史の流れとして小田家は住民に、なんと言うか懐かれていたのである。
それに加えて小田家は寺社との関係も良好だった。寺社と武士は往々にして縄張り争いを行い、一向一揆のように激しくなくても領地争いなどで対立していることが多かった。しかし小田家は…おそらくこれが家柄なのだろうが…寺社と仲が良かった。多分外側に向かって全盛期の領土を実現する欲はあっても寺領内の寺社の権益を侵す考えがなかったのであろう。
そうして俺たちが戦国時代にやってきてから2年ほどたったのが今の状況なのである。
その日は2月の初旬だった。俺は手子生城下の屋敷でいつもどおりさくらさんと一つの布団で寝ていた。すると天井の梁から声が聞こえてくる。
「相馬の旦那、小田のお館様がお呼びですぜ。」
…だから飛加藤さん、お願いだから俺の家に不法侵入はやめてくれ。家や屋根にテグスの糸を張り巡らせて鳴子を着けたり監視カメラもソーラーバッテリー駆動で持ち込んだりしているんだけどなぁ。
時々飛加藤配下の文左衛門(元盗賊)が飛加藤に命じられて侵入を図り、引っかかっては
「ぐはぁ。」
とか言って補足されているからシステム自体が駄目なわけではなさそうなのだが。
「え?この間新年のご挨拶は差し上げたばかりじゃない。」
「それがお館様が重要な要件ゆえ天羽や相馬は呼べ、と。」
俺は身なりを整えると『急ぎだ』というのでオフロードバイクに乗って小田城に向かった。
ちなみにこれまでの工事や装備その他諸々でホムセンに貯蓄されていた燃料は3分の2ほど消費されていて後タンク一本分ぐらいだ。気軽に使ってはいけないのである。
バババババ、と爆音を上げて俺は小田城に到着した。天羽源鉄先生は先に呼ばれてもう着いているという。門を入ろうとすると飛加藤さんも付いてきた。今回は俺の従士、という風体である。
「なんか気になることがあるんで…」
「加藤さんがそう言うならぜひ。」
と俺も認めて一緒に小田城の御殿に入った。
「お館さまのお成り。」
との声に平伏して待つと、人が入ってきた。…お館様と太刀持ちだけではないな?
「面を上げい。」
との声に頭を上げてみると、お館様の隣にもうひとり、青い直垂を来た、位の高そうな、それでいて眼光鋭い武将が座っていた。そしてその武将の脇にはラオウか!とつぶやいてしまった程の見るからに背が高く筋骨隆々の漢が立っていた。その隣のサウザー氏治様と並ぶとまさに世紀末な雰囲気で生きて帰れなさそう。
ラオウの様な漢の反対側には今度は背丈もやや低い、とても柔和な顔をした青年がニコニコした顔で控えている。そのにこやかな顔がちょっと怖い…と思うと前を見た飛加藤さんが細かくガタガタ震えている。俺は小声で
「どうされた?」
「い、今は言えませんが…勘弁してください。」
と震えがなかなか止まらない様子である。そうするうちに氏治様から声がかかった。
「先の年、我らが府中の大掾貞国を攻めたことは覚えていよう。」
「ええ、大掾を散々に打ち破り大勝だった戦ですね。我らはお声がかかりませんでしたが。」
「うむ。炎衆の手を煩わせるまでもないと思ってな!そして我らは勝った!」
と氏治様は誇っているが、この戦、天羽源鉄様は何度もやめるように進言したんだよねー。そのせいで俺たちに声がかからなかったのだけど。




