20 妖艶な美女襲来
現在聞こえてくるのは松明の燃える音だけ。
こんな緊張感は味わったことがない。
俺とツキは魔力感知に引っかかっている方へと移動する。
暗闇の森は視界がただでさえ悪い——かと思ったけど、平気だった。
松明の光って訳じゃなさそうだし。
しかし、敵の姿が見えない。
サーッと何か地面を這い滑るような音が、徐々に近づいてくる。
物見櫓から鐘——人間から剥ぎ取った金属製の壊れた装備——の甲高い音が鳴り響く。
そして次の瞬間、目視する余裕も瞬きをする間もなく何かが俺を襲った。
絡みつくように締め上げられているが、痛くはない。
むしろ、何とも言えない柔らかいものが俺の顔を覆っている。
ふわふわでモチモチで、少し温い何かが。
それでいて、締め上げられているところは少しヒンヤリする。
俺には自分の身に何が起こっているのか皆目見当もつかないが、ツキが騒いでいることだけは分かった。
「何、この子!? 可愛すぎーっ! もしかして献上品? 貰ってもいいの? もう、欲しいー!」
は? 今なんて?
俺を襲った何かは、俺の肩を掴み体から引き離した。
そして今、どういう状況なのか理解した。
まるで炎を連想させるような、腰まで伸びた真っ赤な髪。
肌は褐色で野性味のあるバランスの取れた筋肉美。
長細い舌で唇を舐め、艶かしく照らされるそこには鋭く飛び出る2本の牙。
切れ長の目に、大人っぽい色気あふれる口元のホクロ。
その美しい体から伸びる、細い腕は俺を抱き寄せ身動きを奪うくらいの筋力を有す。
布面積が極端に少ない、黒の水着のような衣装。
そして、目を引く巨大なおっぱい。
O・P・P・A・I ☆
これがさっきまで俺の顔を覆っていたのか。
下乳がエロスだ。
初めてチビでよかったと思うよ、うん。
だが、それだけじゃない。
目の前にいる美女の下半身、それは人間のソレではない。
鱗に覆われる下半身は、黄土色の斑模様の蛇の体。
俺を襲った彼女の正体は蛇女だったのだ。
「ル、ル、ルルルルキ様から離れてください!」
ツキが声を荒げるが、蛇女は聞く耳を持たない。
俺の顔が熱を帯びる。
異性に、しかもこんな絶世の妖艶美女に抱きつかれたことなんて、初めてなのだから仕方ない。
ツキがいたじゃんって?
あれは、どちらかというと妹とかそのポジじゃない?
ツキとはジャンルが違うっていうか。
とにかく、この状況はすごくいい気分なのだ。
世のカップルはハグの度にこんなにも幸せな体験をしていたのだろうか。
今後は無差別にリア充爆破テロをするのは控えてあげなくもないな。
いや、それとこれとでは話が別か。
はぁ。
「我が人生に、一片の悔い無し」
「ルキ様!?」
蛇女は俺を再び強く抱きしめ、顔がおっぱいに埋もる。
俺が異世界転生した理由はここにあった。
世界征服? その発案者アホだろ。
これが俺の望んでいた夢だろうが!
これが幸せ、幸福。
もしかして、ゴーの不幸の反転が俺に来ちゃっていたりして。
「ルキ様! そこのビッチが魔王軍の幹部ですよ! 何、他の女にデレデレしているんですか! 役目を思い出してください!」
ツキが怒っている。すごく怒っている。
他の女ってなんだ、と思考がよぎるけど仕方ない。
これ以上怒られたくはない。それに、後が怖いし。
激昂するツキに臆した俺は、とりあえず蛇女の束縛から脱出した。
「あ、あのぉ、初めまして。俺はルキ・ガリエルという者です」
俺は目の前の美女に頭を下げる。
相手は魔王軍幹部、今更かもしれないけど無礼がないように、目をつけられないように丁寧にお辞儀をする。
目上の敵には遜ってもいいのです。
「……そ、そっか。ルキちゃんって言うのね、よろしく! 私はサー・ペルト・レヴィーラよ」
何か言葉に詰まった気もするけど、意外とフレンドリーだな。
俺は交渉を持ち出す。
「単刀直入でお願いします。ここにはなんのご用件でしょうか?」
ま、目的なんて知っているんだけど。
「ん? ゴブリン達を徴兵しに来たのよ」
ですよね。
ここから、俺の話術が火を吹く——
「ルキちゃんもどう?」
「えっ」
俺の思考が吹っ飛んだ。
レヴィーラさんは人差し指を唇に当て、俺にウィンクを飛ばしてきたのだ。
あ、ダメだ。抗えない。
「お姉さんがつきっきりで面倒見てあげるわよ?」
「ダメです! あなたみたいな貞操が緩そうな不埒者に、クソビッチにわたしのルキ様は渡しません!」
ツキにはあまりにも似つかわしくない言葉で俺は目を覚ました。
誰が、いつ、そんな汚い言葉を教えたんだ!
クソビッチなんて言葉、使っちゃ——あれ?
俺って、ツキの所有物なん?
「うーん、そっかぁ。それは残念。まぁいいわ。行くわよゴブリン達」
レヴィーラさんはツキの睨みを軽く去なし、俺たちの後方に控えるゴブリン達に声をかける。
なんていうか、本当に残念だと思う。
もしも俺が一人なら、もしも俺が依頼を受けていなかったら確実にレヴィーラさんについて行っていた。
だって美人だし。優しそうだし。
夢のハーレムではない。
けどこんな美女に面倒を見てもらいながらファタジー世界を堪能するってのも、一つの選択肢だっただろう。
でも、残念ながらそれはできないのだ。
本当に残念だが先約ができてしまった。
本当の本当に残念だけど、グリノーン達にはやってもらいたいこともあるし。
本当に——…
俺はこの時、隣で俺を冷めた目で見るツキの顔が視界に入った。
「残念、とか思ってませんよね?」
「お、思ってない! ちょっと待って、レヴィーラさん!」
俺は話も聞かずにゴブリン達を連れて行こうとしていたレヴィーラさんを呼び止めた。
俺の声に反応し、嬉々とした顔で振り向くレヴィーラさん。
「なーに? 一緒に来たくなっちゃった?」
ツキが鬼気迫る表情で俺を凝視している。
要らぬ誤解を生むから、本当にやめてほしい。
それに、睨むなら俺じゃなくてレヴィーラさんじゃない?
「その、ね。ここのゴブ達は、全員俺と、ね……」
あれ、思ったように言葉が出ない。
首をかしげるレヴィーラさんの揺れる胸部が視界に入り、顔が紅潮する。
「ぜ、全員。俺と旅に出るから、連れて行かれると困るんだよね!」
何言ってんだ俺は。
嘘つくのヘタか。
しかし、レヴィーラさんの行動は端的だった。
嘘を見抜く見抜かない関係なく、目的を淡々と遂行する。
「じゃ、ルキちゃんが私の部下になれば万事解決だね」
そう来たか。
「……断ったら?」
「そんなの決まってんじゃん」
「え?」
レヴィーラさんが纏う空気が変わった。
「殺さない程度に殺すわよ?」
背筋に突き刺さるような冷たい声音。
笑みを浮かべているけど、目が笑っていない。
超怖いっ。
逃げたい、隠れたい、ドロンしたい。
俺は逃げ腰で振り返ると、ゴブリン達と視線が交わる。
退路は断たれた。
「……じゃ、じゃあ俺が勝ったら諦めてくれたり?」
あ、今俺余計な事を口走ったな。
「ふーん、戦うつもりなんだ。万に一つも負けはないけど、いいわよ?」
レヴィーラさんはさらに圧力的な笑顔を見せた。




