2-5 マモノと魔物
「魔王様! ゴブリンの長がおりました」
煙が晴れると、そこにいたのはゴブリン軍団を束ねているであろう他より幾分か大きく、賢こそうなゴブリンだった。追い詰められたゴブリンはこちらに叫んでいた。
「くそっ! 人間め! この先には進ませぬぞ! もう無駄だ! 魔王様は、もうすぐ100万の大軍を率いて、この世の人間を絶滅させるのだ! 」
魔王国にそんな大軍はいない。そう思いながらも一応黒に聞く。
「そうなのか? 黒」
俺の問いかけに、黒は姿をスライムに戻す。
「ここはお任せを、おい、ゴブリン、その人間を滅ぼすというのは、何の話だ」
「は⁉︎ お前は、なんだ! スライムか⁉ 」
驚いたろうな。通常スライムは下級の魔物。序列で言えばゴブリンより下になる。喋れるだけでも珍しいのに、物申されては面を食らうの当たり前だ。そして黒は追い討ちをかける。
「我は、序列第5位、ブラックスライム族、ルース公爵である」
ゴブリンは目を見開いて驚いた。黒の体に、魔族の中でも貴族にのみ与えられる“刻印”を見たからだろう。これは魔王から与えられる位を示すものだ。
「スライムが公爵だと! 馬鹿を言うな! 人間と行動しているスライムが……」
「黙まれ下郎。このお方は、魔王様その人である! 」
黒が冷たく言い放つと、ゴブリンはすべてを察したようで、平伏しながらもこちらを睨みながら言った。
「あなた様が魔王でしたか。……では、なぜ人間を滅ぼしてくださらぬのですか! なぜ人間の恰好なんぞ」
「魔王様は人間を滅ぼすつもりなどない」
「え? 」
黒の言葉にゴブリンは不意を突かれたようだ。構わず黒が問い詰める。
「ここを死守しろという命令はいつ出たものだ。そんな計画は無いはず」
「嘘だ! いつか魔王軍本体が人間の国を攻めてくる。その時我がゴブリン一族はこの城から人間どもを挟み撃ちにすると先祖から言い伝えられている! そうしたら俺たちは魔物から魔族になることができると! 」
俺はそんな命令は出していない。ということは先代の魔王の時の命令をまだ守っているということか? ずいぶんな忠義者だな。
いや、なんで確認をしないのだ。
黒は諭すようにゴブリンに言った。
「ゴブリンよ、もう魔族は人間と戦ってないのだ。70年前に魔王は一度負けた」
「え……、なん……で……」
黒の言葉にゴブリンは膝から崩れ落ちた。
俺からも言わねばなるまい。
「必要があれば人間は滅ぼす、しかし、そんな余力は我魔王国にはないのだ、理解せよ」
「滅ぼす必要? いや、魔王というのは、人間を滅ぼすものでしょう! 現に人間と戦っていたではありませんか! 」
「あれは人間が魔族を滅ぼそうとしていたから応戦しただけだ。理由もなく種族を滅ぼそうとするほど、魔族は暇ではない。それとも貴様、魔族は理由もなく人間を襲うという“人間の考え”を信じているのか? お前も目的があって人間を襲っていたのだろう」
ぐうの音も出なくなったようで、ゴブリンはついにうなだれた。
「それじゃあ、俺たちの戦いは何だったんだ……。必死でここを守っていたのに、魔族になるのが、わが一族の悲願だったのに……」
魔族になる……か。
魔王国は完全実力主義だ。能力さえあれば魔族になることができる。
極めて少ないが、人間が魔族になった例もあるらしい。つまり、魔物や魔獣は我々魔族と同列ではない。
ほとんどの魔物が魔族の支配下ではあるが、基本的には別の存在。魔獣に至ってはその辺の犬猫と同じだ。
いつからか、人間や魔物自身も、魔族と魔物、魔獣を全て“マモノ”として同一視する様になった。
人間はマモノを見ただけで排除をする。そこに理由はない。初代勇者が魔王討伐を行ったのも、民の支持を得るためという以外に理由などないだろう。
このゴブリンは自らの存在意義をマモノに求めた。
同じだと思いたい一心で、人間と同じ尺度で考え、魔王国に確かめもせず、大昔の命令を守っていたのだ。
そして俺は一計を案じ、ゴブリンに命じる。
「ゴブリンよ、名を名乗れ」
「……ウッドゴブリン族、族長、ゴバでございます」
俺はゴブリンの手をとり、宣言した。
「魔王の名において、ゴバ以下、ウッドゴブリン族を魔族とする。我に忠誠を」
ゴバはなにが起きたのかわからないという顔でこちらを見つめ、事を理解した後、涙を流しながら答えた。
「一族一同、魔王様に忠誠をお誓い申し上げます」
「ゴバよ。これより、この“城“の防衛命令を解く、速やかに撤退し、魔王国に帰投後、本体と合流せよ」
「は! 仰せのままに」
これでこの周辺からゴブリンが消える。これ以上戦闘をする必要もない、目的は達成した。こちらも早く帰ろう。と思った刹那。
「陛下! 」
声の後、飛んできた矢がゴブリンの体を貫いた。
倒れゆく最中、ゴブリンは小さく“魔王万歳“と呟いたのが聞こえた。
「ご無事ですか! 陛下! 」
雪崩れ込んできたのは、はぐれた兵士達だ。俺は返事をする。
「大丈夫だ。問題ない」
「ディートリヒ様が魔法使いを派遣してくださったので、兵を回復することができました。この洞窟はすでに制圧しております」
ディートリヒか、さすがの働きだ。俺は自分で驚くほど素っ気なく兵士に答える。
「そうか、逃げたゴブリンの追い討ちはしなくて良い。ほっとけば野垂れ死ぬだろう。それよりも兵士の手当てと、この奥の部屋の調査を」
俺は兵士に指示を出してから、この洞窟を出ることにした。
外に出ると着々と後処理行われていた。
ゴブリンの骸が積まれている。哀れなものだ。と思っていると突然後ろから声がした。
「陛下! 見てください! この石は魔力を増幅します! これは大発見です! 」
フリッツが嬉しそうに報告してきた。やはりあの石は魔力が関係しているものだったのか。石に魔力を注ぐと中の魔力が暴走して爆発するといったところだろうか。
「この洞窟の最深部に沢山ありました! これはまだ仮説ですが、古代の竜が白骨化したもののようです。長い時間をかけて骨が変質した物だと考えられます! すごい! 大発見だ! これを魔石と名付けましょう! 」
嬉しそうに語るフリッツに生返事をしたまま、俺はこの洞窟の魔石の利用価値を考え始めた。しかし、どうも駄目だ。考えがまとまらん。この思考を阻害する“何か”の正体がわからないことにまた俺は苛立った。
——そして俺は魔弓を取り出し、目についた大きい岩に魔力を撃ち込んだ。
爆音のあと、半分に割れた岩は巣の入り口の近くに崩れ落ちた。それを見届けて、兵に命じる。
「明るいうちに村に戻るぞ! 急げ! 」
国王による突然の奇行に兵士たちは唖然としていたが、俺の語気に気圧されたのか帰り支度を急ぎ始める。
(魔王様、らしくありませんね。墓石のおつもりですか……)
黒の問いかけにしばらく考えたが、その通りだとも、違うとも答えられなかった。自分でもわからないからだ。ゴブリン如き下級の魔物が死んだだけだ。黒は俺のこの正体不明の苛立ちに気づいたのか、慰めるように言う。
(目的は達成されました。これで良いのです)
黒の言う通りだ。ゴブリンはいなくなり、目的は達成された。兵の消耗も出ていない。しかも偶然、魔力を増幅する石まで発見した。それでいいのだ。
しかし、あのゴブリンどもが“魔族“として死ねたのがせめても救いだったのか、と考えてしまう。
俺は何と言った? この俺が“救い”だと……? 魔王ともあろう者がどうかしている。俺は疲れているようだ。黒の言う通り、“らしく”ない考えだ。この体に入ってから、どうも調子が狂ってしまう。
そんなことより、絶対に1発以上撃つなとサファイアに念を押されていた魔弓が、どう見ても壊れているのをどう言い訳するか考えるとしよう。
そう自分に言い聞かせて、馬にまたがり“ゴブリンの城”を背に馬を歩かせた。