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 お嬢様は、字を書くことを覚えてからというもの、無闇矢鱈にメモや付箋を活用するようになり、執事はその対応に苦慮していた。

 顔を合わせたときに一言告げておけば済むようなことでも、その場では黙っておいて、メモを介して伝えようとするため、どうしても伝達にタイムラグが生じてしまう。

 所詮は一過性のものと割り切って、そのうち飽きてくれることを願う他なかった。

 時差を埋めるためのフォローで多忙を極める執事を他所に、お嬢様は今日もメイドの私室を訪れる。


「おいメイド、入るぞ」


「あら? 嬢ちゃんまた来たんですかい?」


「うむ。お前の部屋にはいろいろと面白いものがあるからな」


 暇つぶしの指南を受けてからというもの、お嬢様はたびたびメイドの部屋にやってきては、暇つぶしの手伝いをしていた。

 メイドにとっては、不毛に時間を浪費する行為でしかなかったが、お嬢様にとっては、そのどれもが新鮮で、驚きと発見に満ちていた。

 メイドとしても、一人なら不毛でしかなかったものでも、二人で臨むとなれば意味も心持ちも違ってくるもので、彼女の楽しみにもなっている。

 彼女は新たにクッションを購入し、お嬢様の指定席まで用意していた。


「じゃ、お茶でも出しましょうかね」


「そう気を遣わずともよい。第一、今は時間外なのであろう?」


「そうなんだけど、私も一服しようと思ってたし」


「そうか。迷惑でないのならいただくとしよう」


「迷惑とか、そういうこと気にしなくてもいいですよ」


「ほう」


 メイドがお茶を献じようと準備に取り掛かると、お嬢様は時間を理由に遠慮の素振りを見せた。

 自分でも飲もうと思っていたタイミングであったし、近頃は自分の用意したものを、お嬢様が口にすることに、えもいわれぬ快感を覚えるようにもなっている。

 この状況においては、用意しないという選択肢などない。

 メイドの淹れたダージリンを、角砂糖7つで召し上がったお嬢様は、今日は何が起きるのかと興味津々の様子だった。


「またゲームでもしますか?」


「ギコギコことか?」


「そこはピコピコじゃないんだね」


「そのような常識は持ち合わせておらん」


 世代的な違いもあるかもしれないが、メイドにとって電子遊戯を表す擬音語はピコピコであった。

 とはいえ、メイド自身もピコピコと電子音丸出しのSEが鳴るゲームというのは知らない。

 効果音であればギュオーンなり、シュイーンなり、ドカーンなり、状況に即したものが殆どだ。

 ジングルですらテレレンやらチャラランと表現できるものの方が馴染み深い。

 自分よりも上の世代であれば、ピコピコ呼びがふさわしいゲームに触れることもあったのだろうかと推察するが、結局は通じればそれでいいのだと結論付けた。


「そっすね。じゃあ、ギコギコやりますか?」


「うむ。苦しゅうないぞ」


「でも、程々にしとかないとまた執事さんに怒られますよ」


「その時は例の呪いをかけてやるさ」


「ひでえな」


 ゲームは一日一時間という標語はメイドも知っている。

 それが至言だとは思わないが、ゲームにばかり傾倒して、他が蔑ろになってしまうことは、彼女も望むところではない。

 ゲームにのめりこみすぎないよう、釘を刺すつもりで執事の名前を出したのだが、その意図は伝わらず、少々気の毒なことになってしまった。


「執事さんとは付き合い長いの?」


 メイドは、ゲームが起動するまでの待ち時間で、執事のことを訊いてみた。


「かれこれ十数年。私が生まれた時から、世話になっているぞ」


「そうなんだ」


「正式に執事として仕えるようになったのは私が頭首になってからだが」


「そういえば先代が死んだからとかなんとか」


 メイドは、執事から得ていた情報を思い出し、確認も兼ねて会話に混ぜてみる。


「うむ。父上は外道であった」


「娘にそんな言われ方するのも凄いな」


 先代のことは、執事も外道と呼んでいた。

 メイドは、育児放棄や幼児虐待などの社会問題も知っているので、どんなときでも家族仲良くなどと綺麗事(ざれごと)を説くつもりはない。

 肉親を悪く言わないよう説得するなど馬鹿なことだと思うし、そもそも先代が何をしたのか知りもしないで、その肩を持つようなことは短慮にすぎるだろう。

 当事者の片方は故人となっているので、相互に裏を取るようなことは出来ないはずだ。

 まあ、先代がどんな人物であろうとも、メイドはお嬢様の側に立つつもりでいたのだが。


「気まぐれで母上をかどわかし、たわむれで身籠らせた。

 生まれたばかりの私を地下に幽閉し、あやつに世話を任せていたそうな」


「ああ、ちっちゃいころの事は覚えてないのね」


「そしてハンターに深手を負わされ、私の血で傷を癒そうとしたのだ」


 伝聞調なのは、お嬢様自身の記憶があやふやだったからだろう。

 メイドは心の中で有罪判決を下す。

 ハンターというのは、おそらく魔物退治が専門の聖職者とか賞金稼ぎとかだろう。

 彼女には縁のないことだったが、彼女が過ごしていた日常の裏側で、人知れず奮闘する者達も存在したのかもしれない。

 陰陽師とか、幽玄道士とか、丸眼鏡の神父様とか、肉体改造されそうな女忍者とか、たぶんそういうのだ。


「血、吸われたの?」


「いや、私に噛みつくより早く、あやつに心の臓を貫かれてな。死んだ」


 特に顔色を変えるでもなく、滔々と家督簒奪の経緯を語ったお嬢様に対し、その血生臭い話に少なからず恐縮してしまうメイド。

 流れからして、あやつというのは執事のことに違いない。

 お嬢様を害しようとしたことは、もちろん許されざることであるが、首謀者が身内というのは存外に重い。

 先代がそういう能力だったのか、お嬢様の血にそういう効能があるのかはわからない。


「なんか、サラっとすげえこと言ってるけど、あたしが聞いてよかったのかコレ?」


「話しても良いと思ったから話したまでだが?」


「信頼されてんのか、無邪気なだけなのか……」


「両方だな」


「あ、そう」


 メイドはこのままこの話を聞いて大丈夫なのだろうかとしり込みしていたが、お嬢様は大して気にしていない様子で、起動したゲームのモニタを見つめている。

 彼女は既にコントローラを手にしており、メイドが(しつら)えた指定席に腰掛けていた。

 メイドもコントローラを手に取ると、お嬢様の隣に座ってモニタに集中する。

 気付かれないように、その馥郁とした香りを堪能しながら操作を開始すると、お嬢様もそれに続いた。

 そして始まる仁義なき戦い。

 何度か対戦を繰り返すが、やはりメイドのほうに一日の長があるので、勝敗は一方的なものであった。


「うあ! またやられた。もう少しで勝てそうなのに」


「基本操作をおぼえたくらいじゃあたしの相手はまだ無理だよ」


「ほう、大きく出たな」


「そりゃまあ、年季が違いますからねえ」


 気付かれない程度に手加減をし、接戦を演出するが、勝利だけはキッチリもぎ取っていくメイド。


「大した自信だな。では、次私が勝ったら血を吸わせてもらおうか」


「いやいや、それ死んじゃうし」


 根が素直なため、あと少しで勝てると思い込んでいるお嬢様は、その少しを埋めるためにメイドに心理戦を仕掛ける。


「なに、死ぬほどではない。ほんの少しだ」


「じゃあ、テンパチ縛りは解禁させてもらうわ」


 お嬢様の駆け引きは抜群の効果を発揮し、焦ったメイドは本気で勝利を掴みに行く。

 期待していた効果とは正反対に作用しているのは皮肉なものである。


「…………」


「いやー、やっぱ空中ダッシュとバーティカルターン使えると捗るわー♪」


 圧倒的なワンサイドゲームに呆然とするお嬢様。

 メイドは安堵の表情を浮かべて、声出し確認の如く自らの勝因を謳い上げる。


「一体何をした? ワケもわからぬうちに撲殺されたぞ」


「嬢ちゃんが前ビ食い過ぎなだけです」


「さっきまでは勝てそうな勝負だったのに……」


「ムーミンや八つ橋はともかく、漕ぎ保存くらいはマスターしてなきゃ」


 メイドは当初手加減していたことも忘れ、対戦時の薀蓄を語り始めた。

 お嬢様は、メイドの言っていることを理解できていなかったが、彼女に勝利するためには、身に着けねばならないものが無数にあることを察する。


「意味はわからんが……勝てる要素が無さそうなことはわかった」


「あたしはもう寝るから、一人用で練習してていいよ。あ、音は小さくしてね」


 敗れて尚、闘志衰えぬお嬢様に、メイドは特訓を奨励する。

 一部だけ照明を落とし、音量を絞って自分だけベッドに入った。

 お嬢様の操作音は止む気配がないが、神経質になるほどではない。

 熱意を持って練習に励むお嬢様を、昔の自分に重ねて目を閉じ、同衾してきてくれないかな?などと妄想していると、いつの間にか眠りに落ちていた。


「ふぁ……おはようございまふ」


「む? 起きたのか?」


「昼夜逆転にも慣れたつもりだけど、なんか微妙な振動で目が覚めました」


「微妙な振動?」


 等間隔で持続する謎の振動に揺さぶられ、メイドは目を覚ます。

 現状の確認として周囲を見回すが、妄想はやはり妄想にすぎず、お嬢様は寝る前と同じくゲームに没頭していた。

 置時計を手繰り寄せ、寝ぼけ(まなこ)のピントを合わせると、短針は11のあたりを指していた。


「それより、まだ昼ですけど? なんで嬢ちゃん起きてんの?」


「早起きしたわけではない。寝ていないだけだ」


 どうやらお嬢様は、夜が明けても眠ることなく特訓に没頭していたようだ。


「ずっと起きてたってわけ? つか、震源は嬢ちゃんの両脚だね」


「たまには昼更かし?くらいよかろう。それより、もの凄い発見をしたぞ」


「センターのハーフキャンセルかなんかですか?」


 謎の振動はお嬢様の貧乏ゆすりによるものだった。

 座る位置は変わっていないが、片膝を立てており、その踵がリズミカルに床を叩いている。

 そして、自分が寝ている間に、なにやら新しいファクターを開眼できたようだ。


「尿意をこらえつつ操作すると、実力以上の力が出せるようだぞ!」


「まさかずっと我慢して……」


「今ならお前にも勝てる気がする。さあ、相手になれ!」


 そして、叩きつけられる再戦の挑戦状。

 メイドとしても、自分と戦うために頑張ったと言われれば、嬉しくもあり、その心意気は汲んであげたいところではある。

 だた、お嬢様はかなり余裕がなさそうに見える。


「その足踏みはかなりヤバい兆候だと思いますが……」


「今がピークなのだ。この機を逃すことはできん。いざ!いざ!」


「いざ! じゃないって!」


 とりあえずトイレに行かせたほうがいい。

 そう判断したメイドは、トイレまでの最短経路を頭に思い浮かべる。

 勿論、自分も付き添うつもりだ。


「はやくしろっ! 間に合わなくなってもしらんぞー!」


「こっちの台詞だよ!それ!」


「ここまで来たら席を立つ方がヤバ――あ……」


「あ?」


 お嬢様が硬直し、瞳から光が消えた。

 瞳孔が大きく開いているのか、黒目の部分がまったく光を反射していない。

 メイドへと顔を向けてはいるが、焦点はどこにも合わせていないようで、その表情は虚ろであった。


「…………」


「……まず、お風呂入ろうね。」


 そして二人は風呂場へ向かい、一緒に汗やら何やらを流すのだった。

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