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身を清め、装いを新たにしたお嬢様は、執事を呼び出す。
「おもてを上げい」
「もとより、下げてはおりませんが」
お嬢様は憤りを隠そうともせず、執事に突き刺さるような視線を向けて、彼女にはまだ不釣合いな拵えの椅子に腰掛けていた。
執事はなぜ呼び出されたのか心当たりもなく、さらにはお嬢様の機嫌が傾いているのを感じて、戸惑いを感じ得なかった。
しかし、彼にとっては突拍子もない思いつきや、根拠のない思い込みで叱責を受けることは、珍しいことではないので、もはや諦めの境地である。
「私の見立ては間違っていなかったぞ。この目腐れ」
「何のことやらわかりかねますが、申し訳ありませんでした。この青瓢箪」
「まあ、責めているわけではない。そうかしこまらずともよい」
「順序立てておっしゃっていただくとありがたいのですが」
口では責めているわけではないとは言うが、瞳がそうは言っていないと執事は思った。
なんにせよ、彼女の意に沿うように働きかけねば会話が進展しなさそうだ。
何かしら、勿体ぶっているようにも見受けられるが、そのあたりが鍵となるのだろうか?
「他でもない、あのメイドの事だ」
「何かお嬢様に無礼を働いたので御座いますか?」
「割れ鍋と自負するのでなければ、話の流れを汲んで欲しいものだな」
「僭越ながら、テメエに言われる筋合いはシラミの胃袋ほどもございません。お嬢様」
他でもないと言われても、要点の候補すら絞れていなかったので、漸く開始位置に付いただけである。
今回は、どうやらメイドのことで何か思うところがあったらしい。
「結論から言えば、あのメイドは人間であったぞ」
「如何にして確認なされたのですか?」
「直接、問いただした」
「左様で御座いましたか」
これは困ったことになったと執事は思う。
メイドの求人をした筈なのに、やって来たのは人間だったというのだ。
それも、彼女が直接問い質したというのであれば、疑う余地もないだろう。
なるほど、それならば叱責を受けるのも止む終えまいが、それにしては、彼女の表情は朗らかなものに感じられる。
おそらくは、自分が思ったとおりに話が進んでおり、気分が高揚してきたのだろう。
「しかし、お前の見立てもまた間違ってはいなかったようだ」
「つまり、メイドであると?」
「そうだ」
「如何にして確認なされたのですか?」
「直接、問いただした」
「左様で御座いましたか」
どうやら、メイドであることもまた確かなようだ。
こちらも直接問い質したということで、疑う余地はない。
執事は自らの仕事に、何ら恥じ入る点がなかったことに安堵するも、やはり現状を整理することができず混乱してしまう。
「しかし面妖な……斯様なことが……」
「フフ、戸惑っておるな。だが、私は瞬時にある真理を見出したのだ」
「では、その戯れ言をお聞かせ願えますか?」
「その前に問う」
「なんで御座いますか?」
「私は何だ?」
そして始まる哲学の時間。
お嬢様が置きたかったのは、この布石だったのであろう。
執事は、面倒なことになってきたと感じながら、直感に従って答える。
「お嬢様にて御座います」
「そうではない。私は何かと訊いている」
「恐れながら、時間が惜しゅう御座います。慣れぬことはなさらぬが賢明かと」
「ほう」
理知的に能書きを垂れ流したい様子ではあるが、正鵠を得ないままの説法が続くのも不毛である。
どのような相づちが欲しいのかもわからないのでは、やり取りの組み立てをサポートすることができず、お嬢様が述べたいことを述べるための筋道をつけることも、また困難であるからだ。
「私はヴァンパイアでもあり、人間でもある」
「あぁ、つまりはかの者も、メイドと人間の混血なのですね」
結論は単純なものであった。
発想がなかったとはいえ、聞いてしまえば様々のことに合点がいく。
執事は、考えを纏めるべく、状況の確認を始める。
お嬢様は、結論に至った経緯を主観で語り出す。
「私はその時、閃いたのだ。メイドと人間の合いの子もまた、存在し得るのではないか? と」
「混血ということならば、双方の知見にも矛盾は出ませんね」
「そして、その存在は形而上のものではなく、我々の近くに存在していると仮説を立てた」
「それで得心いたしました」
「然る後に、私はあのメイドはメイドと人間の混血だという考えに至ったのだ」
「ご用件は以上で御座いますね?」
執事は、確認は済んだとばかりに退室の確認をする。
「どうだ? 我ながら完璧な推論であろう?」
お嬢様は、腕を組んだ状態で右手の人差し指を立て、目を閉じたまま、得意げな顔で解説を続行する。
「では、わたくしめはこれで」
「フフ、もっと褒めちぎっても構わ――」
そして、執事の退室を告げるように、執務室のドアの閉まる音がした。
「ほう」
執務室を出た執事は、呼び出されたおかげで、仕懸かりのままに放置してしまっている業務に戻ろうと、廊下を歩いているとメイドとすれ違う。
会釈をして通り過ぎようとするが、メイドの方から声を掛けられた。
「あ、お疲れ様です。執事さん」
「はい」
「嬢ちゃんに言われてさ、働く時間を夜にしたいんだけど?」
「左様で御座いますか」
「手続きとかって、どうすればいいの?」
メイドの用件は、勤務時間の変更であった。
お嬢様と行動した際に、何らかの働きかけがあったのだろうと執事は察した。
彼女らの接点が増えるのは、願ってもないことなので、彼にも反対する理由はない。
「特に手続きなどは設けておりません」
「じゃあ、勝手に夜に起きて働けばいいの?」
「左様で御座いますね」
業務規定に関しては、特に厳格な要件を儲けているわけでもなく、彼女が希望し、こちらが承諾すればそれで終わりである。
メイドは、他にも確認したいことがあるようで、立ち去ることなく、話を続ける。
「この館って、他には誰か居ないの?」
「居るとも居ないとも言えます。それがどうかなさいましたか?」
「うん、あたしは他に人が働いてるの見たこと無くてさ」
「左様で」
別に隠しているわけでもないのだが、彼女の主な作業場所を考えれば、誰も見掛けたことがないという話は不自然ではない。
「でも、この広い館の手入れなんて三人で間に合うとは思えないし」
「その勘定ですと、お嬢様の手を煩わせるわけにはまいりませんので、実質は二人ですね」
「そういやそうか。まあ、でも不都合無さそうだから不思議だなと」
「では、明日の夜にでもご説明いたします」
「明日の夜?」
「はい。今宵は新月で御座いますれば」
くどくどと説明するよりは、実際に見てもらったほうが早い。
しかし、今は見せることができないので、執事は明日の夜に説明することを確約した。
メイドは不思議そうな顔をしたが、執事に他意がないないことを感じ取ると、次の確認へと移る。
「ところで、お嬢ちゃんの親御さんってどこに居るの?」
「先代と、その奥方様で御座いますか?」
「先代? てことは今は嬢ちゃんが館の主なの?」
「左様で御座います。先代へのお目通りをご所望ですか?」
「うん、そう。挨拶もしてないし。このままでいいのかなって」
そういえば、そのあたりのことは説明していなかったと、執事は内観した。
外部から来た者にしてみれば、年端もいかぬ小娘が頭目を務めていることは、不自然に感じられても仕方のないことだと言える。
あまり喧伝することではないが、不信や不安を払拭するための一助になればと、彼女に事情を説明する。
執「お二人とも鬼籍に入っておられますれば……」
女「あー、なんか悪い事聞いちゃった?」
執「いえ、むしろわたくしめには喜ばしい事でして。」
女「そうなの?」
執「あの外道がくたばりあそばしたおかげで、お嬢様へのお仕えが叶っておりますれば。」
かくして新月は終わり、メイドの勤務は夜間へと変わり、月齢は繊月へと移る。