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プロローグ

 とある屋敷の薄暗い部屋で、執事とその雇い主と思われる少女が会話をしている。

 他には誰も見当たらないが、二人にとってはこの風景が日常であるようだ。


「お呼びでございますか?」


 執事の名はギルバートといい、長年仕えてきたであろうその佇まいは機械か彫像かと思えるほどに整っていた。

 ただし、二人で過ごすこの日常においては名前による識別が必要になることはほぼなく、(もっぱ)ら執事やら貴様、お前などと呼ばれている。

 そう、この屋敷にはこの二人以外に言葉を交える者は居ないのだ。


「うむ」


 鷹揚な様子で答えた少女は名をキャサリンといい、白い肌と整った顔立ちは絵画か人形かと見紛うほどに美しかった。

 彼女もまた、目の前の執事と同様に名前を呼ばれることはなく、お嬢様と呼ばれている。


「ご用件を承りましょう」


「うむ、着替えを頼む」


 執事の促しに間髪いれずお嬢様が応えると、彼は少し表情を曇らせる。


「また……で、御座いますか?」


「当然だ、何日も同じ服を着続けるのは不衛生であろう?」


「存じております」


 お嬢様は執事の躊躇いなどまったく気にかけず、自らの主張を曲げるつもりも一切見られない。


「だから着替えるのだ。当然のことであろう?」


「左様で御座いますね」


「ならば早くいたせ」


 そのままお嬢様に押し切られるわけにもいかず、執事は自らの言い分を主張することにした。


「恐れながら申し上げます」


「今度は何だ?」


「わたくしめも男で御座います」


「それがどうした?」


 執事の逡巡に対し、何の問題もないと、むしろどこに問題があるのかわからないといった様子でお嬢様が問い返す。


「もっと恥じらいというものを持たれてはいかがですか? このビッチ」


「何が言いたい? この朴念仁」


 お互いに毒突いているのだが、二人にとってはこれも日常であり、殺気も怒気もまったく漂わせてはいない。


「お召し変えくらいはご自分でできるようになっていただきたい」


「ほう」


「お嬢様ももうお年頃です。気安く異性に肌を晒したり、触れさせたりは慎まれますよう……」


 執事は(ようや)く自らの論を結べると安堵し、お嬢様を諭すように語調を柔らかく変えながら――


「私は構わん」


――彼女から爆雷の投下を許してしまった。


「私は構います」


「何を構うというのだ?」


 お嬢様は、未だ自らの疑問は解消されていないのだと責めるような視線を投げかけ、執事に説明を求める。


「恐れながら……」


 しかし、彼にとってその先は言葉にし辛いようで、恥じ入るように言い淀んでしまう。


「構わん、申せ」


「最近、(しも)の方も濃くなりましたし、胸も膨らんできました。正直、直視に耐えません」


「見苦しいと?」


 お嬢様は、直視に耐えないという表現を視覚的暴力による不快(ゆえ)と解釈し、それほどまでに自分は醜いのかと不安を抱えながら確認を試みる。


「そうではありませんが、せめて下着くらいは自分で替えてください。わかったかアバズレ」


「うーむ」


 お嬢様は、執事からの否定を含んだ返しに安堵しつつも最後の誹謗に対しては何らかの反攻を試みねばなるまいと自身の知り得る暴言を頭の中で模索するが……


「時として血塗れのパンツを交換することもあるわたくしめの気持ちを考えたことがありますか?」


「ない」


 対する執事は勝手に打ちのめされている様子。

 更に「ない」と応えた途端に彼の顔に差す(かげ)が濃くなった。

 意外にも意趣返しに成功してしまったようで、彼女は少し気分が良くなるのだが、それも一時的なもの。

 彼女の要求は着替えであるが、未だ取り掛かる様子もなく、執事からは何の歩み寄りもない。

 ならばと、話を進めようと思っても、執事はまるで石にでもなったかのように反応がなく、その表情は凍り付いている。

 彼女には相手の機嫌を取るという発想など無いので、固まった執事を前にどうしたものかと観察することしかできなかった。

 過去の経験に照らし合わせてみれば、どうやら執事は困っている様子。ならばその観点から提案をすれば再起動するのではないかと思いつく。


「不都合なことがあるのなら、自力で解決せよといつも言っているではないか」


「仰せのとおり。従いまして、メイドを雇おうと考えております」


「ふむ」


「館内の執務は今までどおりわたくしめが、お嬢様の身の回りのことはメイドにあたらせます」


「許可する」


 彼女は、執事が反応するようになった事に安堵したが、それを表に出すことなく慇懃な態度で応えた。

 しかし、新たな疑問が浮かび上がったので、今度はその疑問をぶつけることにする。


「まて、このやり取りはなんだか既視感があるぞ?」


「流石はお嬢様、覚えておいででしたか」


「先月雇ったメイドが居たではないか、あれはどこへ行った?」


 既にメイドは雇った筈、それなのにまたメイドを雇い入れるのだという。

 ますます訳がわからなくなったので、素直にそのことを尋ねた。


「冥土へと旅立ちました。メイドなだけに」


 執事は何か達成感と満足感に満ち溢れたような顔で言ってのけたが、お嬢様はなんの反応も示さない。

 気付いても居ない。

 それからすぐに雇った筈のメイドの末路を思い出した。


「そういえば、お前が食ってしまったのだったな。まつ毛一本残さずに」


「左様で御座いますね。あの、冥土……」


 執事は何かに気付いて欲しい様子だが、お嬢様は気にせず畳み掛ける。


「まったく、元を辿れば自業自得ではないか。この唐変木」


「恐れながら申し上げます」


「申し開きがあるのなら、申してみよ」


 主導権は自分にあるのだ、恐れるものは何もないのだと、お嬢様は捲し立てた。


「先に、お嬢様に致死量に相当する血を吸われ絶命しておりました。食べたのはその隠滅のため」


「あぁ……」


 かくして攻守は入れ替わり、執事からの聴取が開始される。


「つきましては、何故あのようなことをなさったのか、再発防止のためにも理由をお聞かせください」


「その、なんだ……処女の生き血はこの上なく美味だという話を確かめたかった」


「美味しゅう御座いましたか?」


「うむ。甘露であった。今ならマッハ5で飛べそうなくらい力がみなぎっているぞ」


「左様で御座いましたか」


「うむ。左様だ」


 お嬢様はメイドを害したのには正当な理由があり、必要なことであったと、結果も最善だったのだと全力で主張したのだが……


「資料によりますと、あのメイドは堕胎歴がありました。おそらくはただの思い込みですね」


「左様か」


「左様で御座います」


 執事は非常な現実を事務的に伝え、お嬢様の主張を跳ね除けるのみであった。


「……着替えだ」


「かしこまりましてございます」

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