○○二升:俺とガラス工房
昨日は色々な事が起きすぎて混乱してしまったが、夜半過ぎ頃になって元の世界に戻った……
亜理紗ちゃんは暴走するしお客も来ないしで、珍しく酒を呑まず、人の姿から戻ったスズランとじゃれて眠りについた。
今朝は猫の姿に戻ったスズランが布団の上で丸くなって寝ていた。
いつものように自分とスズランの食事を用意し、今日は亜理紗ちゃん以外にもバイトが来るので、午前中はグラスの制作に工房に篭るべく熔解炉に火を入れておく。
「颯磨さん、おはようございまっス」
「駒さん、おはようございます。スズランちゃんもおはよぉ」
「二人ともおはよう」
亜理紗ちゃんを見つけるとスズランは逃げてしまった。
もう一人の彼は勝野 郁弥。
亜理紗ちゃんより二つ下、俺からすると六つ下の大学生だ。
「今日は午前中工房に篭るから品出しと店番お願いね」
「了解っス」
「レジ開けちゃいまぁす」
二人とも手慣れたもので、とくに何もなく仕事に取り掛かってくれる。
俺は任せて奥の工房に入った。
普通のガラスは、石灰石、ソーダ石、珪砂の原料を千四百度前後の溶解窯で溶かして作るが、クリスタルガラスは石灰石、ソーダ石、珪砂に加え、酸化鉛を含有率二十四パーセント以上、約三十パーセントに追加する。
これを加える事で、柔らかくなる温度が少し下がり成型しやすく、透明度、光の屈折率、反射率の高さ、音色も澄み具合がより美しいクリスタルガラスに仕上がる。
俺が作っているグラスは吹きガラスで宙吹き成型と呼ばれるやり方で、熔解炉で熔けたガラスを吹き竿の先に巻きとって、空中で息を吹き込んで成形する技法。
まずは、溶解炉の中でドロドロに溶けた高温のガラスを吹き竿の先に少しだけ巻きつける。
ガラスがまだ柔らかいうちに息を吹き込んで膨らましていき、出来上がった小さなガラス玉にもう一度ガラスを巻きつけて大きくしていく。
二度目のガラス巻きの際は、下玉に新聞紙を重ねて折り水を十分に浸透させた紙リンをかけ少し外を冷やした後、すぐ吹かずに焼く事で全体の温度を落ち着かせる。
形を決めるホットワーキングの工程は、六百五十度以下になると加工できなくなるので、六百五十度から九百五十度を維持するように焼戻し窯で焼戻し、紙リンをあてながら形を整えていく。
器の底を平にし断熱材の上で切り離し……竿の先にガラスを付け器の底にくっ付け……器の先端を広げ等……
最後は小さな衝撃で砕けないように徐冷炉に入れ、一晩かけてゆっくりと冷まし状態を安定させる行程だ。
そして、作る時に心掛けているのが機械的にならず、唇に触れる部分は薄く感触を滑らかに、全体的なフォルムはガラス独特の雰囲気と言うか柔らかさや、溶けて流れ垂れる感じを残しつつ、中に入った物が引き立つように色も足さないようにしている。
あっと言う間に時間が過ぎ昼になったので、グラス製作は終わりにして二人に交代で休憩してもらう。
「亜理紗さんから先に休憩しちゃって下さい。」
「勝ちゃんありがとう、それじゃ先に休憩頂きますね」
「勝野くん、午後休憩終わったら配達頼めるかな?」
「押忍。問題ないっス」
「あぁそうだ、遅くても日が暮れ前には戻って来るようにして」
「日が暮れ前ですか?了解っス」
今のうちに配達のリストをまとめておこう。
ウチは小さな酒屋で来るお客さんはそこまで多く無いが、親父の代からのお得意さんや近所の飲食店からそれなりに配達で注文が入ってくる。
なので亜理紗ちゃんしかいない時は俺が行くが、バイトの男手がある時はとても助かっている。
ちなみに亜理紗ちゃんは絵心があるので新酒などのポップもお願いしてるのだが、絵だけでなく文章もなかなか好評だ。
俺より若いはずなのだが『愛だろうぅ、愛っ。』とか、『美味いんだな、これがっ。』とか、俺が物心ついてない懐かしいキャッチコピーをねじ込んできたりで、それがオジサン世代などに響くのかな?
そうこうしていると、今日も日が暮れる時間が近づいて来る。