第96話 超『賢者』
「ステータス画面に記された文字と、魔法発動に関与する文字であるところの魔法陣が全く別の言語であることから考えると、その裏に潜む存在―あくまで儂らから見て裏というだけじゃが―は、複数人いるのかもしんのぅ。まぁその世界中に干渉する存在が、人であるとはとても思えんが。十中八九、超常の存在じゃろうて」
そう考察を述べながら、和成からしてみれば懐かしい老爺の口調で少年の姿のスペルはお茶を啜った。その湯飲みに注がれている高級茶は、竜人族の名産品「龍仙薬茶」だ。
ハピネスよりも年下な、小学校低学年程度の容姿の彼はその外見とは全く似合わない、ホぅという爺むさい息を吐いた。湯飲みを覗き込む瞳は緑黄色で、そこに龍仙薬茶が映っているのかは判別が難しい。
その髪は坊ちゃん刈りな浅葱色の髪。淡い緑系統で統一された丈の短いローブと、産毛しか生えていないひざ小僧を露出させた半ズボン。
そしてその横で浮遊する一本の杖は、緑の水晶が先端につけられた魔法使いの杖である。
懐かしい、和成からしてみれば初対面ぶりに見るスペルの格好である。
和成とサファイアは、対面しながら彼の含蓄ある情報に聞き入っていた。
その側にはいつも通りメルもいるが、彼女は口を挟まず気配を薄くしているのでいないも同然である。
「儂が初めてその存在と直面したのは十代前半の頃。当時魔法を習得しようと師の下で修業を積み瞑想しておると、突如その存在のイメージが浮かんできた。とにかく大きい、全容をとても把握できぬ存在であったのじゃ。首を動かして――そう、瞑想し目を閉じていたはずなのに、儂は首を動かしその存在を見ようとすることが出来たのじゃな。その全容を視界に納めようとしても出来なんだ。それほどまでに大きかった。そこで声が聞こえてきた。どのような会話をしたのか覚えてはおらぬが、誰かと何かを話したことだけは覚えておる。儂が瞬間移動の魔法陣を発見したのはその直後であったよ」
「じい様ほどの記憶力を持つ人が忘れた、ねぇ」
「ああ。この世の外の情報じゃったから、持ったまま帰ることが出来んかったのかもしれん」
「その認識の埒外の存在に、この世界の外から来た俺を挟めば、触れられるかもしれない……ということですか?」
「そうなるの。少なくとも君の即興魔法は、儂の提唱する理論に則る形で現象が起きとる。君が協力してくれれば、この世の真理、その一端へ触れることが出来るかもしれん」
「何言ってるんですか先生。俺が貴方に協力を惜しむ訳がないでしょう。できる範囲のことしか出来ませんが、できる限りの協力はさせてくださいよ水臭い」
「ふぉっふぉっふぉ。そう言ってくれるか。なら――いくつかやってもらいたいことがある」
そう言ってスペルは和成へ紙の束を手渡した。その紙の全ての中央に、カメラのレンズのような円が記されている。
「その紙は一枚一枚が『記録』と『伝達』の魔道具での。このメモにやってもらいたい研究内容が書かれておるから、孫たちやその伝手を使ってそれを実践しておくれ。それに魔道具の使い方も書いておるから」
更に一枚、びっしりと文字が書き込まれたメモ用紙も渡される。読み進めていくと、確かにスペルが言う通りのことが書かれていた。
「あとついでに、何か欲しいものはないかね和成殿。我々三人の研究へ大きく協力してくれた君に、儂が送れるものなら超賢者スペルの名のもとに何でも送ろう。文字通り何でも、じゃぞ」
「衣食住の保障と毎日のお給金、そして何より即興魔法があります。既に対価を貰っている以上、他に何かを要求するのは……」
「給金は研究への協力に君の時間を消費している以上、当然の報酬を支払っているまで。即興魔法の習得も、君が真面目に訓練に励んだからこその結果じゃ。そして儂が言っておるのは、人族の1人スペルとして、何かお礼をしたいということ。この2つは別物じゃよ。儂に恥をかかせるきかのぅ?」
そう少年らしからぬ笑みで気迫を出されると、要りませんとは言いづらい。
そして和成は貧乏性だ。貰える物は貰っておこうと考える。
「分かりました。何か欲しいものが思いついたら、報告させてもらいます」
そう明朗に返答し、早速和成は退室した。
書かれている内容を実行すると共に、サファイアとスペル、孫娘と祖父の会う機会が限られる家族へ語り合う時間を譲るためだ。
「――別に気を使わなくといいと思うのだがね……」
多少強引に立ち去ろうとする和成の背中を、背もたれに体を預けながら首だけを動かし、サファイアは覗き見る。
☆☆☆☆☆
「ああじい様、実は今やってる研究でゴーレムを使いたいのだよ!研究データを見せてくれまいか?」
ただそれはそれとして切り替えて、彼女は超賢者スペルへ要求する。今の彼女は乗りに乗っている状態だ。迷走しかけていた研究もうまくいっている。少なくとも当座の目標を見据えることは出来ていた。
感情とテンションの起伏が激しい彼女は、ある種の調子に乗っている状態であった。
かなり図々しい態度ではあるが、彼女と彼が家族であることを思えば無礼ではないだろう。そもそもサファイアは空気があまり読めない。人と人との距離感も簡単に間違える。
和成のように言外に意図を込めて伝えてくれるような、その上で多少の無礼を受け入れ流せるような、そんな性格の人物でなければ彼女と接するにはストレスが常に付きまとうだろう。
そういう意味では和成とサファイアは上手くかみ合っている。
「サファイア、お前を和成殿が好いとるのか? 夫婦になりたいと思っておるのか?」
「なんだね急に!?」
「いや、ナインからの報告にそう書かれておったのでな」
「何をやってるのだ兄上は!? 余計なことを!」
「別に儂は彼が義理の孫になるのは構わんぞ。ナインも和成殿が義弟になることに好意的だ。――お前が前向きになったのも、儂の手助けを借りることに抵抗感を持たなくなったのも、自分のために研究ができるようになったのも、全て彼のおかげなんじゃろう?」
「……分かってた、と言うのであるか?吾輩が成果が出せないかもしれないことを怖がっていたことを」
「まぁな。お前が儂らのために研究しておったのは分かっていた。分かっていても、どう対応すればよかったのかは分からんかったがな。複雑な感情を向けている儂らが説得しても、効果が薄そうじゃ――ということは最低限、何となく分かっておったが」
「…………」
「じゃがなサファイア、儂がお前に多くの援助した理由はな、お前にお前の研究をしてほしかったからよ。儂が若い頃はそんなことは出来なかった。そんな余裕はなかった。お前たちには自分の研究を、自分がやりたいようにやれるようさせてやりたかった。それを見たかった。つまり単なる私利私欲じゃ。成果が出ないことで儂らに引け目を感じる必要はなかったんじゃよ」
なら始めからそう言ってくれれば――とサファイアは思ったが、しかしそれを言われたからと言って、当時の自分が素直にその言葉を受け入れられた気がしない。
きっと、表面上は素直に受け取ったふりをして、裏では罪悪感を抱えたままだっただろう。
自分とは違い人付き合いの得意な祖父と兄のことだ。
それぐらいのことは分かっていたのだ。
自分たち身内の言葉では届かない、と。
「じい様は、だから和成氏を雇ったのか?」
「――そうじゃな。お前の悩みに、お前なりの答えを見つけさせそうな少年だと思ったから――紹介したのは間違いない。期待は確かにあった。そして彼は、その期待に見事答えた」
「そうか……」
「それに、儂の研究にも彼の協力は必要だったしの」
「ひょっとしてそれが本音であるか?」
尋ねるサファイアの言葉に、スペルはふぉっふぉっふぉと老獪な笑い方を返すだけだった。全くもって少年の姿には似合わない。その笑いが場を和ませる冗句なのか、はたまた本気なのか、人の感情を読み解くのが苦手な彼女には分からない。
「それで、お前は和成殿は嫌なのか? 女神の加護があれば五十路を過ぎても子は産めるし嫁ぎ先もあるじゃろうが――とっとと結婚しといた方が後々楽じゃぞ。主に精神的に」
「実感が込められているのである」
エウレカを作るのに時間をかけすぎて、スペルの結婚は標準と比べて相当遅くなっていた。既に90を過ぎているが、その孫がまだ二十代であることからもそれが伺えるだろう。
「――けど、和成氏は故郷に帰りたがっているのである。確かに少なからず思ってはいるが――彼の望みを邪魔するような真似はしたくない。兄上にとっての吾輩が、和成氏には故郷にいるようであるしな」
「――そうか」
それ以上、その事についてスペルは何も言わなかった。
話の内容が変わったことから、サファイアは説得に成功したのだと判断する。
「それはそれとして、和成殿と行っている研究の進み具合はどうなんじゃ?」
「うむ、それがだねッ!! 和成氏のアイデアで敵のステータス値を大まかに算出してそのデータを大本に送る、ステータス計測用魔法人形Mr.サンドバック(商品名)を開発する方向で研究がまとまっていてね! 今年の発表会ではそれを提出しようと思うのだよ! 更に和成氏の友人の異界の者たちの知恵も借りて、異界の進んだ革新的で先鋭的な発表方法を享受してもらうことになったのだよ! ぷれ何とかと言ってたと思うのだがね!」
そして彼女の口から、怒涛の勢いで言葉があふれ出た。
☆☆☆☆☆
「ふーむ、成程のぅ」
――(和成殿に貰ってもらうのが一番まとまりそうなんじゃがのぅ)
話したいことが止まらない。
そんな様子で興奮しながら、しかし心底楽しそうに語るサファイアを見て、スペルはそう思わずにはいられなかった。
そして同時に、これで上手く説得できたと考えている孫娘が心配でならなった。
そしてそしてそれはそれとして、彼女が言う異界の革新的な発表方法というものがとても気になった。
☆☆☆☆☆
スペルが和成たちを訪れたその晩。スペルから頼まれた研究内容の実行は、日が暮れかけていたため後日へ回すことにした。
だから和成は、定期的に行われるジェニーとの商談――という名の飲み会――に訪れていた。
ただそれは、何時もの飲み会とは少し趣きが変わっていた。
「なぁかずやん。ワテはここにわざわざ新しい家を買って、戸籍やら住民票やらも整えておるってことは知っとるよな?」
「はい、知ってます」
「ほなけんど、あんたは一回もワテの家へ来たことがない」
「そうですね。ありませんね」
「という訳で今日の商談はワテの家でやることにした。招待状はないけど招待したる」
既に竜車が用意されており、その扉も開かれている。
「……ねぇ、メルさん。女性が自宅へ飲みに誘うというのは、この世界ではどういう意味合いを持っているのでしょうか。そして、その際の心境はどういったものなのでしょうか」
「私には分かりかねます」
その時の和成の心情としては、ただ一言。
ジェニーから発せられている有無を言わさない圧力が怖かったとだけ記しておこう。




