第94話 発展する研究と変化するジェニーとの付き合い
遅れて申し訳ありません!!
結局、サファイアと和成、2人の研究の方針を決めるのに一週間かかった。
その後、和成は同時進行で、
・自身の修行
・それに付属するナインの研究への協力
に加え、
・サファイアの研究へのサポート
を行うこととなる。
そして和成の内在魔力量が二桁に達し、魔力操作によって魔法陣を構築する第五段階以降へ進んだのは、それからおよそ二週間後のことであった。ルーティーンである朝の滝行は、魔力量は少しでも増やした方がいいため継続されたが、それ以上に本格的な魔法習得のための技術特訓が始まった。
例えるなら、部活動において基礎となる体力や筋肉を積み上げてから、技術の特訓が始まったようなものである。
つまり和成が魔法を習得できる日は早いということ。
いつしか和成が移住してから、二カ月が経とうとしていた。
☆☆☆☆☆
「働き過ぎやろ」
「一週間に二回が、一回に減っただけじゃないですか」
すっかり商談―という名の飲み会―の頻度が少なくなったことに不満を抱いていそうな表情で、名うての商人ジェニー・モウカリマッカは酒を一瓶飲み干した。
彼女の不満を分かった上で、和成はいけしゃあしゃあと言ってのける。
ある程度親しくなると和成は、ばっさり切り捨てる容赦のなさが表に現れる。これでは、親しくなればなるほど図々しくなる姫宮のことをとやかく言えないが、彼に自覚はない。
和成は自分を客観視するということが、中途半端に苦手である。
ただそれはつまり、同時にこの2人もまたこの数カ月ですっかり打ち解け始めているということでもあった。
さもありなん。週二回のペースで愚痴を一晩交わすほどの仲なのだから、距離も次第に近づこうというものだ。今では、和成がお酌できる位置から始まるのが基本となっている。
尤も、一方的に和成が彼女の愚痴と人生を収集しているだけなので、交わすと表現することは厳密には不適切ではある。だが、当事者である2人とジェニーの部下、そしてその護衛を行うメルを除けば、周りにそのような何とも一言では言い表せない関係性を知る者はいない。
故に、対外的に和成は、愚痴を言い合っていると表現していた。
そちらの方が通じが良いためだ。
「いーや、あんたは働き過ぎやとワテは思うで。かずやんが今やっとることて、そのステータスの研究、自分の魔法習得、もう一個の魔法を分かりやすく教える研究の協力に加えて、ワテとの商談と折り紙の納品、白龍仙との文通、あとは友達に送る手紙書いたりもしよるんやろ。他には――」
「スペル先生から任された古文書の解読の仕事もしてますね。流石に量を減らしてもらってますけど」
「それに加えて、ワテはあんたに研究員と伝手を作るんを協力して貰っとる」
「お二人の研究に必要そうなもの、を提供してもらう代わりに、手に入り辛い素材を持ってこれる人・商品開発の出資者としてジェニーさんを紹介しただけですよ。それに紹介料だって貰ってるんですから、俺は貴方と正当な取引をしているだけです」
この数カ月で和成は結構な大金をため込んでいた。情報や人脈を繋げることで、双方から見返りと利益を享受できるケースが多かったためである。そしてその金を何に使っているのかというと、現在和成が食しているものにである。
「まぁ、その利益をこれに使うのは、無駄が多い気もしまがね。半分結果を度外視して、興味本位で食べてるところもありますから――別にいいと言えば、いいんですが」
もしゃもしゃと、ここ数日食べなれた味の肉を食べながら彼は愚痴を吐く。
摂取するだけで経験値を稼げる竜の肉だ。その付け合わせの食材も、少ないが経験値が入るものばかりである。
ただし高い。その代償としてこれらの食材は極めて高い。竜の肉は商人としての付き合いもあるため、ジェニーでも積極的にお得意様に回す必要があり絶対数が少ない。そして商会の代表として、莫大な利益を生み出せるそれをタダで譲ることは出来ない。そのため正規の値段で買えばべらぼうな値段になるそれを、和成は個人の財布からお金を出して買っている。
奮発して経験値300p分は食べたものの、まだまだレベルを上げるには遠い。残り経験値数百万p分を食べなくては、和成のレベルは上がらない。
それで上がったとしても、レベルがひとつ上がるだけであるが。
だから和成の目的はそれが主軸ではない。
折角異世界に来たのだから、地球では味わえない食材を食べてみたい。
その欲求があったから、試しに買ってみたのだ。
そんな行動原理がなければ出せないような値段であった。
だからせっかくなのでと、エウレカへ向かっている手紙を送ってくれた友人らや、国境なき医師団(仮称)にいる友人らへ買った肉の一部を送ったりもした。
「竜の肉を送るんは最上の友好の証で、そんなお歳暮みたいにするもんやないんやけどな」
「あははは」
この世界にもお歳暮はあるのか。
或いは、そう訳されるに足る要素を持つ文化があるのか。
和成はそんなことを思いながら、今日納品するための折り紙を手渡した。
「まぁ、かずやんが稼いだ金を何に使おうがそれは自分の自由やけど――な」
ふうぅぅぅ……と、それを部下に受け取らせたジェニーの厚めの唇から、煙管の紫煙が吐き出された。辺りに漢方薬のような匂いが充満していく。並みの鎧よりも防御力に優れ、並みの武器より殺傷能力の高そうな刺々しい爪と鱗で装飾されたドラゴンの手。その手に握られる煙管は特注の品だ。ミスリルと竜骨で作られ、簡単には剥がれない特殊な魔法金で鍍金加工が成されている。
その煙を吐くために吸い口からとゅぱと離れた口が、すぼまって―とんがって―いるのは煙を吐き出すためか、はたまた拗ねた子供の意思表示か。
少なくとも、その表情から読み取れる彼女の心情は、プラスのものではないだろう。
しかし同時に親しみを感じる表情でもあった。
それは、ある程度親しくなければ相手に見せない類の表情であった。
「――ああ、あと追加で思いついたアイデア商品を持ってきました」
「ほう」
ただ不機嫌であっても、そう言われると反応してしまうのは商人としての性だ。そもそも彼女の根が好奇心旺盛で、新しいもの好きということもある。
で。
和成が『収納』の魔法陣から取り出したのは、金属光沢を放つ折り紙だった。
そしてそれをよく見ると、それは植物の繊維によって構成される紙ではなく、針金より細い金属が編みこまれている正方形の金網であった。
「折り紙ならぬ、折り網です。友人の『職人』に手紙を送って、試しに作ってもらいました。これならジェニーさんの爪でも折れるかもしれません」
ぶわっ。
ジェニーの眼から酒があふれ出した。彼女は意外と泣き上戸である。
「欠点はコストですね。ちょっと手間暇がかかっている」
そのことを知っているので、その予想通りの反応に淡々と和成は言葉を重ねるだけだった。
「強度があれば強さを欲する竜人族にもウケると思ったんですけど、俺の技術だと紙と同じようにこれでドラゴンクラスのを折るのはまだ無理ですね。あとこれなら一度作れば半永久的――といっても人族にとっての半永久的ですけど――に保存できます。それでも壊れる時は壊れますけど」
採算がとれるかはジェニーさん次第――と言おうとしたところで、和成は彼女に抱き込まれた。
感激されるとは思っていたが、そこまでされるとは思ってなかったので、躱すことが出来なかった。
「いじらしやっちゃで。つまり、ワテに気ぃ使ってわざわざ用意してくれたってことやろ」
まるでちょこんと大人の膝の上に乗せられた小学生の様だ。人族と土竜人族の体格差は二回り違う。なお、予め膝の上に座布団を乗せておいて、足の膝下から生え揃う鱗には触れないよう準備済みであった。
そしてジェニーはこつんと顎を頭の上に乗せて、密着しながら和成にせがんだ。
「ほな、かずやん。せっかくやしワテでも折れるやつを教えてもらおか」
☆☆☆☆☆
そして夜明けごろ。何時ものように和成は、泥酔し胸元の着物がはだけ大事なところに引っ掛かっているだけなジェニーに抱き締められているため、身動きが取れないでいた。
何時もと同じ、酔っぱらっている彼女の抱き枕にされている状態である。
だからサバイバルナイフの刃のような鱗に覆われた腕で抱き締められた和成は、その片乳が自分の頭部よりも大きい胸部に顔の半分を埋められている。ただし本日胸部に埋められているのは後頭部である。
「抜け出す手伝いを致しましょうか」
「お願します。今日は魔法習得も大詰めですしね」
幸い今日の抱きしめ方は外しやすいものであったため、和成が解放されるのに時間はかからなかった。
「それにしても、何故この方は毎回衣服をはだけさせるのでしょうか・・・・」
「ああ、それは多分息苦しいからだと思いますよ」
「?」
その疑問に答えが帰ってくると思っていなかったのか、メルは虚を突かれたような表情を見せる。ただそれは、『哲学者』の『観察』のスキルを活用した上で最近になって分かり始めた事柄なのだが。和成からしてみれば、それだけの付き合いがあってようやく分かり始めた段階である。
ただそれはそれとして、マイペースに淡々とメルへ答えを返していく。
「どうやらジェニーさん、肺に何かしらの病気を患っているみたいなんですよね。抱かれて胸に耳を押し付けた時に分かりましたけど、呼吸音にノイズが混じっている。呼吸器に関する病気――例えば喘息でしょうか。だからこの何時も吸ってる煙管も、中身は多分タバコじゃなくて薬ですよ」
その煙管から漂う紫煙から香る匂いはまるで漢方のような匂いで。
そして同時に、薬効を有する龍仙薬茶と似た匂い成分を感じさせた。
試しにメルは煙管の側へ寄りかいでみると、確かにその一部には龍仙薬茶で嗅ぎ覚えのある香りがした。ジェニーの胸に耳を当ててみると、これまた確かに、呼気と吸気が喉の肉と擦れ合うような低音がぜろぜろぜろと聞こえてきた。一定の感覚でそれが続くことからも病気であることを予想させられる。
「竜人の割に酒に弱いのも、それが理由かもしれませんね」
「――なるほど」
半裸の妙齢の女性に抱かれても平然としている――和成がそれに反応しない性質であることは知っているが――和成へ、メルは少し苦言でも呈し誤解を招かないよう注意でもと考えていたが、その気勢が大きくそがれた気分であった。
出かける前に「他の女と飲みに行くのかね」とつい言ってしまったサファイアへ向けて、「他の女も何も俺は貴方の男じゃないでしょうに。あくまで同士であり共同研究者なんですから」と言ってのけ、その後「誤解を解く努力をしないのは嘘をついているのと同じ」と口にしていたことを思い出したので、皮肉のひとつでも言おうかという気分になっていたが、結局メルは口にしなかった。
男女の仲に関して彼女に分かることなどないだからだ。
彼女がしたことは結局、疑問を1つ尋ねるだけであった。
「―誤解を解く努力をしないことが嘘を吐くのと同じであるのなら、何故ジェニー様に抱き締められても拒絶しないのですか」
「ジェニーさんが俺に対して向けるは好意は、俺を一人の男として認識し向ける好意じゃないからですよ。俺はそう考えています。メルさんが以前言ったのと同じで、俺のステータスが圧倒的に低いのに態度が自然体のままだから。絶対的にステータスで劣る、言うならば絶対に負けない相手である弱者が圧倒的に優位な状況にいる自分に対して、それでも信頼し接してくれていることに対する愛おしさですよ。生まれたばかりの赤子やステータスが上昇していない幼児が、無警戒に体を預けてくれることへの愛しさに近い。
男女間の好意が対等なものであると考えるなら、その対等とは言い難い好意は、やっぱり恋愛感情とは別物ですよ」
そして自分が口にしたことから論理を展開されれば、それが正しいのか間違っているのかはもう分からない。
特にメルの目から見ても、昨晩のジェニーの様子は子供に接する態度に見えなくもない。
何も分からなかった。
「まぁ全く同じってことはないでしょうが――竜人と人では体の仕組み自体が違う以上、言葉では表せないような捉え方の違いはあると思うんですよね。俺がジェニーさんを信頼し、いい関係を築けているのは間違いないでしょうけど」




