第92話 サファイア・ワードマン
彼女は魔法を使えない。
改めてその情報が確定した状態で見てみると、サファイアの装いにはそれに関わるコンプレックスが、強く示唆されているように思える。衣服そのものがひとつの自己主張であるかのようだ。
頭にかぶる魔女の三角帽子。腰まで届く長い深緑色の髪と黄緑色の瞳。
胸元が大胆に開けられた、黒を基調としたホルターネックのワンピース。
それらを合わせて着こなすサファイアは、その長身とスタイルも相まって大魔女のような印象を相手に与える。これで魔法使用のための杖でもあれば完璧だ。
だが彼女は魔法が使えない。それも一切。
それが何故かはわからないそうだ。
そもそもその謎を解き明かす事が、ナインの研究の出発点であったらしい。
だからこそ彼の研究は、「魔法の才能がない者」の魔法習得方法を確立する事なのだ。
誰でも魔法が習得できるような教育方法を見つけ出し、システム化することなのだ。
魔法が使えない妹でも魔法を使えるように。
「サファイアさん、お酒飲みませんか?」
和成はそう言って、酒瓶を手にしたまま話しかける。
サファイアの足元には、鉛色の暗雲が溜まっていた。
「・・・・君は、そういうのを飲まないと記憶しているのだが?」
「飲みません。だからジェニーさんから貰ったんですけど、処理に困ってるので」
「ならば兄上にあげればいいだろう。確か義姉の1人に飲兵衛がいたはずである」
「既に何本も渡してるので、これ以上押し付けるのは心苦しいんですよ。酒に弱い人でも飲みやすいのを持ってきたので、どうぞ。夜に良く寝られるようになるやつですよ」
「・・・・ふむ」
悩みながらも彼女は、最終的に酒瓶を受け取った。ぎらついた眼を堅く瞑るその態度から察するに、相当寝不足が体調に変調をきたしているのだろう。
頭痛とドライアイでも抱えていそうだ。目の下のクマが痛々しい。
「では、いただこうか」
なお、その酒はジェニーから渡された――押し付けられた――ものである以外は全て、彼女に酒を飲ますための方便である。
実際のところ、サファイアの兄ナインへ和成は酒を渡していない。サファイアを少し酔わせて、ジェニーの愚痴に付き合うのと同じように鬱憤を吐き出させようとする算段だ。ナインとも口裏は合わせている。
そしてその作戦は成功した。
「・・・・」
飲みやすいジュースのような酒を、彼女は一瓶くぴくぴと飲み干した。
酒精により体が火照っているのか、ほおがほんのりと赤く上気し始め、体温の上昇による発汗が起き鎖骨の辺りに汗が伝ってきている。
冷房の効いた研究室に引きこもる、不健康な生活によって青ざめ悪かった顔色は血行が良くなったことで改善され、新陳代謝による汗をかき始めたことで健康的に見え始める。顔色と汗。その些細な二点だけで見違えるようだ。
何より精神的な開放が大きいように思える。彼女からしてみれば実に数か月――いや、数年ぶりの嗜好品を口にしたのではないだろうか。
上質な酒の美味なる甘味を口にしてほころぶ表情を見ると、より一層その懸念が頭をよぎる。あくまで和成の想像に過ぎないのだが。
「どこを見ているのかね、和成氏」
「表情を少々。酒は百薬の長という言葉を思い出しましてね。少量だけなら確かに、健康に良さそうだ」
「ふん、しかし君は飲まないではないか」
「俺の場合は飲むことがストレスの発散に繋がりませんから。どっちかというと、飲むめばルールを破っている罪悪感でストレスが溜まりそうです」
「真面目なのだよ君は。堅いのだよ。カッチカチだ」
酒の効果か、少しずつ彼女の思考力は落ちてきている。
もごもごと口ごもるが、最終的には普段ならプライドが邪魔して言い出しそうにない言葉を口にするほどには、リラックスしている様子だ。
「――君は、普段から愚痴に付き合っているのだよな」
「ええ、そうですね。ジェニーさんの愚痴に週二回ぐらいで」
「何故であるか?何故そんなことが出来る?赤の他人のどろどろした心の内なんてものを聞いて、そんなもの楽しくもなんともないではないか。それをして君に何の得がある?」
「個人的な趣味ですよ。俺はね、サファイアさん。他人の人生に触れるのが好きなんです。だから人の話を聞くことが根本的に好きなんですよ。他に読書が好きなのも、他人の人生を覗くのが好きだからです。悩みや葛藤は、人生を厚く重ねる上で必要不可欠ですからね。愚痴という形で発散されるそれらを収集するのが好きなんですよ。
だから悩みなんて何もありません、て感じの人は割とどうでもいいというか、あんまり興味がわかないんですよね。友達にはなれても親友にはなれないというか」
「――中々、趣味の悪いことを言う」
「自覚はあります」
しれっと和成はそう答える。
それに対してサファイアは、くぴりとグラスに注がれた透明の酒を含んだ。
「――なら、吾輩の人生も収集してみないかね」
「それはありがたい。実に――興味がありますね」
☆☆☆☆☆
「既に気付いているとは思うが、吾輩は魔法が使えない。それが何故なのかは未だに謎のままだ。超賢者のじい様にも解き明かせていない。和成氏のおかげで生まれた着想のように、魔法発動の際に脳で生成される成分の微妙な違いが、現象へ何かしらの変調を齎しているのかもしれない。しかしその辺りは謎だ。
……どうしてもコンプレックスにもなるさ。兄上やじい様にとってのが当たり前が、吾輩にとっては当たり前ではないのだから。『賢者』の『職業』になれないのは、仕方のないことではあるのだよ。親と子が有することの出来る『職業』が違うなんてことは、当たり前にあり得ることなのだから。亡くなった両親は『賢者』ではなく『魔法使い』であった。
そう――モンスターの大量発生から街を守るために両親は亡くなったのだよ。その後、超『賢者』スペルに引き取られここエウレカで特別に住まわせてもらうことが出来たのである。じい様は忙しいから会話は少なかったけど……よくしてもらった。色んなものを貰った。
一番心の支えになったのは、モンスターに対する憎悪と恐怖を取っ払ってくれたことである。じい様がモンスターは所詮単なる生物でしかないことを客観的な証明と研究結果から教えてくれたから、吾輩は復讐を考えずに済んだのである。おかげでモンスター全体を憎悪することはなくなった。街を襲った大量発生したモンスターは大嫌いであるが、それを絶滅させる不毛さを教えてくれた。
だからその姿に憧れた。じい様のような『賢者』に――研究者になりたかった。適性がいまいちであったのに、『賢者』のスキルを持てないと分かって、その次に『魔物使い』を選んだのはそれが理由だ。
そしてそれは兄上も同じであった。そして兄上は『賢者』の『職業』を得ることができ、研究の成果が認められデルの称号を名乗ることを許された。その兄上の研究もまた、吾輩のためであった訳なのだが……。
―――本当に、本当に2人には色々なことをしてもらったのである。この何時も着ているワンピースも、2人が吾輩に送ってくれた特注の品だ。魔法の能力を上昇させるものだから、吾輩が来ても効果はないがね。
だからかな。ただそう――怖い、のだよ。
あれだけ援助をしてもらいながら、成果が出せないかもしれないことが怖い。
成果が出せても、それが吾輩の実力によるものではないと言われるのが怖い。
研究に行き詰まり、迷走している今が不安でならない。
2人の期待と吾輩にかけてくれた労力を裏切るのが怖い。
『賢者』の『職業』を得る才能がなく、魔法の才能もない自分のせいで2人の評価が下がると思うと――自己嫌悪でどうにかなりそうなのである。
そして、吾輩の研究には限界が見え始めている。
☆☆☆☆☆
「限界、ですか」
「そうである。吾輩の最終目標は、ステータス差による現象を計算値によって導き出せるようになること。だが調べれば調べるほど――その計算の複雑さに頭が痛くなる。メタルドラゴンとグランドドラゴンでは、例え敏捷の値が同じでも走る速さは違う。発揮される怪力も違う。つまり、モンスターの種類1つ1つによって、ステータスの反映され方は異なるのだよ。肉体の仕組みも異なるしね。
そして――全てのモンスターのステータス値を調べ、それらが現象に与える影響を計算式にまとめられるほどの情報を集めるには、人の一生では全く足りない。何百年では足りない年月がかかる。そしてその頃には、環境の適応や突然変異によって別のモンスターに進化するモンスターも多いだろう。
――つまり、どうやっても無理だ。吾輩の理想は手が届かない」
「……どうして、サファイアさんはそこまでするんです? サファイアさんはその理想を実現させて、いったい何をしたいんですか? あなたの物言いはまるで、自分に時間がありモンスターが進化することさえなければ、何百年かけてでも世界中の全種類のモンスターのデータを集めて見せると――そう言っているみたいじゃないですか」
「できるならしてやりたいのである。それが成されれば、相手モンスターにどれだけのことを出来るのか、どれだけのことをしてくるのかが分かれば――両親のように力量を見誤って亡くなる者を減らせるではないか」
その物言いをみて和成は、彼女とナインが兄妹であることを強く実感した。
「――サファイアさん、巨人の肩の上に乗る小人の話を知っていますか?」
「知らんが……何か吾輩と関係あるのか」
「ええ、おそらく全ての学問に関わる人が、忘れてはいけないことだと思います。巨人の肩の上に乗る小人が、自分は遠くまで物を見えるから偉いといった。しかし小人が遠くまでものを見えるのは巨人の肩の上に乗っているからです。
巨人は先人や先人が残したものの比喩。小人は俺たち自身の比喩。
俺たちが遠くまで見通せるのは巨人がいてくれるからで、小人が巨人より広く物事を知ることが出来ても、それは小人が巨人より偉大であることにはならない――という話です」
「…………」
「そして俺はその話を聞いて思いました。なら俺たちは――小人は、いずれその偉大な巨人の一部になって、俺たちもまた巨人になっていくんだろうなーって」
「…………」
「サファイアさんが全部やる必要はないと思うんですよ。スペル先生の助けを借りても、道半ばで倒れてやり残したことがあって後世の人に研究を託すことになっても、あなたの功績に変わりはないと思うんですよ。偉大な巨人の一部になる時に恥ずかしくない積み重ねを、小人に渡せればそれでいいような気がするんですよ。学問ってのは、そういう人と時間の積み重ねで出来てるものだと思います」
「…………」
サファイアから返って来たのは、くぴりと、酒で喉を潤す音だけだった。
「それにサファイアさんの場合、目的と手段が入れ替わっているような気がするんですよね。あくまでサファイアさんがやりたいことは、“相手モンスターと自分のステータス差から客観的な現象を導き出すことで、力量を見誤って亡くなる者を減らす事”で、“ステータスから現象を計算式で求める研究”はその方法を確立するための手段でしょうに。
全てのモンスターのステータスを知ることが出来ないのなら、初心に帰って「相手モンスターと自分のステータス差から客観的な力量を導き出す」目的のために、別の手段へ集中してみたらいかがでしょう」
「―――――はぁ、」
酒精が大いに混じった息を吐きながら、おもむろに彼女は酒瓶――和成が用意しておいた予備のもう一本――を一気に飲み干した。
「あ」
「――――――ふぅぅぅぅぅ……」
そしてその口からは再び熱い息が漏れ、一気飲みにより足元がおぼつかなくなる。
「何やってんですか、もう……!」
ずっと無言で佇み見守っていたメルと共に、和成はサファイアの体を支えた。触れる肌は熱燗のように熱く、その顔は呑兵衛の赤ら顔に変わっている。警戒と共に急性アルコール中毒の文字が脳裏に浮かんだが、泥酔しているだけで意識はあったので解毒薬は必要ないかと安心する。
そして彼女が意識を手放す前にか細く呟いた。
「――――――ありがとう」
何時の間にか、称号が目的になっていたようだ。
酒に飲まれたのはおそらく、照れ隠しだったのだろう。
☆☆☆☆☆
和成の日常はまた少し変化した。
サファイアの研究が大幅に路線を変更したことにより、行う実験の内容も大きく変わったためである。
しかし当たり前だが、その根本の部分までは変わっていない。
相対するモンスターと自分のステータス差から起こり得る現象を導き出すこと。
それにより、自分と相手の力量を見誤り亡くなる者を減らすこと。
その二点と、そのための研究であることは揺るがない。
「和成氏は、吾輩が全部やる必要はないと言ったな」
「言いましたね」
「なら改めて、吾輩の研究を手伝ってくれ。助言とアイデアの提供を求めるのである。どうやら吾輩は自分が思っている以上に頭が固いらしい」
飲酒がいい方向にはたらいたのか、はたまた和成が愚痴を聞いたことでストレスを発散で来たのか、和成へそう快活に持ち掛けたサファイアの血色はかなり良くなっている。目のクマも、だいぶ薄くなっていた。
「――俺はいつか、故郷へ帰るつもりでいることは変わりません。その前提条件のもと、出来る範囲でいいのなら」




