表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/420

第84話 敏捷値の差と実際の速度に関する研究

 

「本日の研究は、敏捷と速度の記録なのだよ」

 そう語るサファイアに、和成とメルは空間の開けた体育館のような研究室へ案内された。普段は何もないことが予想できるその場所には、同種の三匹のモンスターが用意されている。

 巨大な亀のような魔獣モンスターだ。

 その姿で何より目につくのが、岩を山型に積み上げているかのような分厚い甲羅であった。背後に立てば人ひとりが簡単に身を隠せるだけの体積がある。どっしりと構える四足歩行のままでこれだ。人が甲羅の上に乗ったところでその四足が崩れるとは到底思えない。その甲羅は和成十人分よりも絶対に重いと確信させられる。

 ただ鈍重そうで襲い掛かってくる気配はない。

 その容姿は、一切の俊敏さを持っていないのだろうと思わされる。


「『砦亀トリデガメ』というモンスターである。見ての通り大人しく鈍感な奴らなのだよ。吾輩ら三人が上に乗ったところで気にも留めない」

 確かに温厚というよりは、鈍感と称した方が適切そうな表情である。

 一度モンスターは和成と目が合ったが、特に何の反応も示さなかった。


「そしてそもそもこの三匹は吾輩の能力下にある。襲われる心配は無用なのだよ」

 ペンや紙以上の重さの物を数年は持ち上げていなさそうなサファイアの手が、一匹の砦亀の口元に伸ばされる。しかし砦亀はそれを甘噛みしただけで終わる。その顎から感じる力強さがあれば人の手を簡単に嚙み潰せると思うのだが、一向にそういった行動をとる気配がない。


「成る程。……しかし能力下にあるということは、貴方の『職業』は――」

「うむ。お察しの通り、吾輩の『職業』は『魔獣使い(モンスターテイマー)』である。ま、ステータス上の『職業ジョブ』と実際に就いている職が異なるなど、珍しくもないのだがね」


 そのこと自体は、和成も収集していた情報から話には聞いていた。しかしクラスメイト以外で実際にそういった人物を目の当たりにしたのは、今回が初めてであった。

 尤も、和成が人の『職業』にそこまで興味がなく、単に『職業』を把握している知り合い自体が少ないというのがあるのだが。

 聞いたところで何ができるわけでもない。相手が何処の誰でどの『職業』を持っていたとしても、一定以上のステータスがあれば和成はイチころだ。

 だからこそ、自衛の手段を探している訳で。


「そうですか」

 つまるところ、和成はサファイアの『職業』が何であろうが割とどうでもよかった。

 より興味があるのはステータスに関する研究の方である。


「…ふぅん、そうなのかね。そういう態度を取るのかね」

「何がです?」

「いやいや、こっちの話なのだよ。独り言だ。気にしないでくれたまえ」

「はぁ……」

 そう言われては、察したところで踏み込みづらいものがある。

 だから和成は話を進めることにした。

「それで、俺は何をすればいいんでしょうか?」

「これを砦亀に向けて撃ってほしい」


 そして和成にサファイアからポイと手渡されたのは、使用に熟達した技術を必要としない兵器――十字弓クロスボウであった。

 魔獣モンスターの脅威が身近にあるこの世界では、日本と違い武器の類は簡単に手に入る。


「人に当たったら怖いですね…」

 だから自然と、木製の持ち手の部分に力が入ってしまう。


「いや、和成氏のステータスなら当たっても大したことにはならないから」

 しかし対照的にサファイアは楽観的で、護衛のメルも一切その研究が危険だとは判断していない。

 それがこの世界におけるステータスという現象の一部であることを、初めて使用する武器に緊張する和成が知るのは、実験が始まってすぐのことであった。


 そしてその際、和成はビビっていた。生まれて初めてクロスボウという、人を殺傷しうる飛び道具を使うことにビビっていた。

 知識としてなら、少しだけクロスボウというものを知ってはいた。仕組み自体は原始的であり、そのため昔から使われていた兵器であることも、その原始的な時代の代物であっても時速100キロを超える速度で矢が飛ぶことも知っている。そして今手にしているそれは、こちらの世界の魔法技術で作られた精巧かつ強力な品。


 かといって、日本にいた頃にそれを触る機会があった訳ではない。

 ましてや、撃った経験というものがあるはずもない。

 和成が持っているのは、あくまで知識だけだ。


 だからこそ和成は、引き金を引けば飛ぶその兵器――つまりは暴力を――過大に恐れていた。


「いや、ビビり過ぎではないかね。さっき吾輩が試しに撃ってみたではないか。いったい何がそんなに怖いのか」

「……強いて言うなら反動が怖いです。このクロスボウなら矢はかなりの勢いで飛んでいくでしょう。つまりはそれだけ俺の手にも反作用が来るということで、その反動の所為で手元が狂ってあらぬ方向へ矢が飛んでいくのが怖くて……」

「――誤解を幾つか訂正しておこう。まず、和成氏のステータスでは仮にあらぬ方向へ矢が飛んだとしても、吾輩の計算によれば大した被害は出ない。そもそも被害が出ない可能性の方が高い。次に、先程吾輩(わがはい)自身が試し撃ちをした際に、ちゃんと構えてさえいれば、反動でそこまで手がブレることもないことは実証済みである。吾輩の細腕を見たまえ。和成氏より細いだろう。筋力量も少ないはずだ」

 魔女のような三角帽子に、研究者には見えない魔女が着ていそうな胸元が大きく開いたワンピース。その袖の裾から見える彼女の手は、確かに細い女性の手だ。


「しかし腕相撲をすれば、ステータスの関係上負けるのは俺の方でしょう?」


「それが最後の誤解なのだよ。たしかに力比べを行えば吾輩でも君には勝てるだろう。しかし、吾輩が持ち上げられない荷物を和成氏が持ち上げることは出来る。力比べをする場合と、ただの物体に力を加えて仕事をさせる場合では、ステータスの反映のされ方が異なるのだね。

 力比べは相対的なものだから、吾輩と和成氏、双方のステータスによって現象が決まる。

 対して物体に力を加え動かす際は、物体に力を加える存在――この場合なら和成氏のステータスのみが反映される。

 他にも例えばこの砦亀たちは和成氏より敏捷のステータスは全員高いが、しかしかけっこをすれば和成氏の方がきっと速い。体のつくりの所為だね。

 まぁ確かに物質にもステータス値があり、それによって起きる現象が相対的になるケースもある。同時に、それを調べるのが吾輩の研究である。そして今回和成氏が使うクロスボウでは、そういった現象は起こらないことを、既に確認済みなのである」


「そうですか。――ふぅ」


 クロスボウに設置された矢。

 その先端の鏃に和成の目は引き寄せられる。おそらく鉄だ。

 地球なら、人に向けて撃てば突き刺さる凶器である。

 それを今和成は、念のためにその胸元が開いたワンピースの上から簡素な鎧を着ているとはいえ、非戦闘員である研究者サファイアに向けていた。

 とっととそれを吾輩に撃てとは、彼女の言葉である。そう言われても、人の形をして話もできる相手に向けるのに抵抗があることは変わらない。


「――平賀屋様、万が一の時は私が動きますから」

「しかしメルさん、飛ぶ矢をどうやって防ぐんです?何時ものメイド服のままでしょ」

「このメイド服は良質な『防具』です。ステータスの防御値を上昇させる効果もありますので問題ありません。それにこれがなくとも、クロスボウの矢程度なら掴めます」

「……そういえばここはそういう世界でしたね」


 冷静な表情を崩さないメルの淡々としたフォローがあってようやく、和成はクロスボウの引き金を引く覚悟を決めた。


 ボッ。

 バネの反動を利用して、矢が放たれる。

 和成の手元にも相応の振動が伝わるが、覚悟を決めて撃ち来ると分かっていたために、サファイアが言った通り大きく手元が狂うことはなかった。

 しかしそのクロスボウから放たれた矢は、和成が手元に感じた衝撃とは全く釣り合わない速度で飛んでいる。

 和成は時速200キロぐらいはでるのではないかと思っていた。しかし、和成は時速200キロが目視でどれほどの速度なのかは知らないが、少なくとも今空を飛んでいる矢の速度ではないことは分かる。


 クロスボウより放たれた矢は、精々が手動で飛ばした紙飛行機ほどの速度であった。そしてサファイアの簡素な鎧に命中し、鏃が刺さることなくポスンと弾かれ、そのまま地に落ちた。


「――これが、敏捷のステータス差からくる『攻撃』速度の違いですか」

「そうなるね。当たり前のことだが、速度とは本来、絶対的なものではなく相対的なものだ。和成氏の世界では当たり前ではないのだろうがね。ただこの相対的な速度に絶対的な計算式を求めるのが吾輩の研究である。集めなければならないデータはまだまだあるのだよ」


 その後、和成は何度かシチュエーションを変えてクロスボウを撃った。速度計と似た機能の魔法陣を使い、複数のパターンでの矢の速度を調査するためである。

 つまりは対照実験だ。


 サファイアが使役するモンスターである、三体の『砦亀』へ向けて撃った場合。尚、三体の『砦亀』はそれぞれステータス値が異なっている。

 砦亀の後ろに立つサファイアを狙って撃った場合。

 サファイアの後ろにいる砦亀を狙って撃った場合。


 その結果、クロスボウから放たれた矢の速度は変化し、その変化には傾向があることが分かった。


 まずサファイアへ撃つ場合、反映されるのはサファイアのステータスと和成のステータスになる。彼女の敏捷の値は和成のそれを上回っているため、速度はのろく飛んでいく。

 次に砦亀たちへ撃った場合、三匹はそれぞれ敏捷値が異なるため、値が最も高いものとでは遅く、最も低いものとでは速くなった。ただしその際サファイアと同じ敏捷の個体がいたが、速度はサファイアの場合と異なっていた。これは計測の魔法でもそう結果が出たため間違いない。同じ値であっても、生物種によって反映のされ方が異なるとサファイアは呟いていた。つまり、モンスターの種類によっても微妙に異なるらしい。

 その理由について彼女は、体の構造や構成物質が異なるからだと説明する。実際にデータを見比べたところ、人の形から大きく外れるドラゴンや四足獣、構成物質が異なるゴーレムやゴーストのステータスは人族とは全く異なるらしい。値も、それに伴う現象も、人の形から外れるほどに違いは大きくなる。


 そして砦亀の後ろに立つサファイアを狙って撃った場合、その速度はサファイアを狙って撃つ場合と同じであった。

 そしてサファイアの後ろにいる砦亀を狙って撃った場合、その速度は砦亀を狙って撃つ場合と同じであった。


「なるほど。行動主体の意思に基づいて現象は作用される、と。人の意志というものが物理現象に平気で作用するのがこの世界……。変な感覚です」

「我々からしてみればその辺りは常識なのだが――、吾輩はそこからもう一歩踏み込んだ研究を行っているのだよ。

 今後の予定としては、まず今回のような攻撃や運動能力に関する和成氏の行動を客観的なデータとしてまとめる。次に他のステータス値が異なる面々からも同様の条件で同じ運動をしてもらい、それもデータとしてまとめる。最終的にそれらの結果を総合して、ステータス値が1の者と、10の者と、100の者が起こせる現象の違いを、物理現象のように計算式でもとめられるようになるまでが目標だ。

 実際に冒険者や騎士といった戦闘者の間では、自分のステータスとそれによってもたらされる結果から相対するモンスターの大体のステータス、レベルを予測するという技術があるそうだ。ステータス画面の『スキル』ではなく経験によって裏打ちされた技術だね。

 自分の攻撃速度からは相手の行動速度が分かるし、自分の攻撃でどれだけのダメージを負ったかが分かれば相手の防御力も大まかに予想できるという寸法だ」


 その後、和成はデータの収集のために、日が暮れるまで何百本とクロスボウを打たされた。

 明日は和成の運動能力を調べる研究である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ