第83話 新たなる研究開始、前
本日の作業はサファイアの研究の手伝いである。ナインが所用で一週間ほど席を外すため、魔法習得の修行は行えないからだ。
ここが学術都市エウレカである以上、魔導書の類は大量にある。
そのため和成は、本日の研究の準備をサファイアが行っている間、エウレカの魔導書を読み込んでいるのだが――。
「無理だな。内容が理解できん」
それで魔法を習得できるかどうかは別問題。
独学での勉強は出来そうにない。なにせ内容が理解できないのだから。
「分かりませんか」
独り言を呟き天を仰ぐ和成の後ろから、メルが和成の持つ魔導書を覗き込む。
「『意思疎通』のスキルがあるなら読めるのではと思ったのですが・・・・」
メルから見れば、そこにあるのは古びたページと読めない魔術文字だ。茶色く変色したぼろぼろの紙に、所々かすれた黒い線が太く短く組み合わせられているだけにすぎない。
「いえ、読む分には問題ないんですよ」
しかし和成から見れば、そこにはステータス画面が張り付き、翻訳された文字が並んでいた。パソコンの画面の様な下地に、キーボードを叩いて入力される電子文字が羅列されている。
「ただ、読んでも内容が理解できません。あくまで『意思疎通』のスキルは、翻訳するだけのスキル――みたいなところがありますからね。頭が良くなるわけではない。だから俺の頭で分からないレベルのことが書かれてると、もうどうしようもないんですよね」
仮に翻訳されたものがあったとして、一体どれだけの人間が、アインシュタインの相対性理論の論文を理解できるだろうか。
専門的な魔導書を読むとは、そういうことである。
中には所有するだけで記された魔法を自在に扱える魔導書も存在するが、そういったものは大半の国で所有に許可が必要となる。
「『意思疎通』は翻訳のスキル。コミュニケーションに込められた意味を伝達するスキル。身振り手振りが別の意味を持っていてもそれが伝わり、起こる諍いをある程度予防することは出来る。文字や話し言葉を同時通訳し、コミュニケーションが取れる状況を生み出すことは出来る。しかしそれ以上のことは出来ない」
改めて効果の定義を口に出し、再確認してみる。
尤も、仮定でしかないのも事実である。
それがまた和成が学術都市エウレカに滞在する理由なのだから。
(あくまで仮説の段階だが、)魔法とは言語である。
意思を魔法陣や詠唱などによって伝えることで、現象を発現させる。
なら『ミームワード』があればどうなるか。
その『哲学者』の固有能力は、言葉に情報を込め伝達することができる。
ならさらに『意思疎通』のスキルがあればどうなるか。
ボディランゲージが仮にその文化圏では別の意味を持っていたとしても、これがあればスキル所持者の意思に基づいた意味を伝達できる。
この二つがあれば、魔法陣や詠唱関係なく、意思を伝えられるのではないか。
つまりは、魔法を自在に発動できるのではないか。
超賢者スペルが立てた仮説ではあるが、和成はそこに希望を見出した。
だからこそ、彼は今この学術都市エウレカにいるのだ。
自分に何ができるのか。
その問いに新たな可能性と答えを見出すことも和成がこの場所ですごす目的だ。
この世界でも上位に入る識者たちの見識に触れることが出来れば、自分では思いつかないような可能性を発見できるかもしれない――という期待が和成にはある。
そしてそれはエウレカ側も同じだった。
この世界の外側より来訪した和成の知識と発想に価値を見出したからこそ、特例として和成は研究機関での寝泊まりを許され、研究に協力するだけで固定の日給まで支給されているのだ。
そんなことを考えていると、やって来たサファイアが話に割って入ってくる。
「吾輩から言わせてもらうなら、和成氏の『ミームワード』があれば『意思疎通』との相乗効果によって魔法発動の際に何らかの補正が入るのでは、という爺様の推測は当たっていると思うがね」
その顔色は悪い。
「……協力者として一応言っておきますが、睡眠は頭を動かす基本だと思います」
和成はサファイアのその様子に苦言を呈した。
いつも通りの疲れた目。姿勢の悪い猫背。覇気のない顔色。
そして頭は重そうに項垂れている。
どちらかと言えば美人に属する顔立ちも、徹夜明けに見える不健康そうな表情をしていれば台無しである。
「仕方ないだろう。時間がないのだよ。和成氏が魔法を習得するまでの間にどれほどのデータを集められるか、全く見通しが立たないのだからね。なんせ習得にどれだけかかるのか全く分かっていない。つまり、それほどまでに君と吾輩の世界の差異は大きいということなのだよ」
洗濯を怠られていそうな、所々に汚れが目立つ魔女のようなワンピースを、彼女は普段着に使用している。色が暗色系統で、一部を注視しなければ汚れが目立たないことが救いか。
彼女の大きく回された首は、ごきんと疲れが籠る音を立てた。
それに合わせて彼女の爆乳が揺れる。
「和成氏がずっとこの世界にいてくれるのなら、多少は焦らずに済むのだがね」
「・・・・・・」
和成はその言葉に無言で眼を逸らした。
「しかし、何故スペル先生は『ミームワード』と『意思疎通』を組み合わせることを思いついたんでしょうか」
そして露骨に話題を変える。
「吾輩からしてみれば、魔法が言語であることと言語に関わる2つのスキルがあることを知っていれば、別に思いついてもおかしくないと思うのだよ」
「そこがまず分からないんですよね。実を言うと、俺には魔法が言語であるってことがいまいちよくわかってない。いったい何をもって魔法が言語であると考えられているのか」
「ふむ――」
彼女は興味深そうに手を顎に当て、研究結果――和成から得た異界の者の着眼点――が纏められたメモ帳を、どこからともなく取り出した。
結局サファイアは、和成の雑談に付き合うことにしたようだ。
ペンを走らせながら彼女は答える。
「魔法陣が言語であるとされる根拠は他にもあるのだよ。詠唱なんかがその代表である。あとは呪歌なんかもそうであるからして。魔力が込められた特別な発音、特別な呼吸。それらを用いて全く異なる言語を唱える。それが詠唱であり、魔法を発動する際に必要になるものなのだよ」
「全く異なる言語、ですか?俺には詠唱と普段の言葉の違いはつきません・・・・いや確かに、言葉の響きは違う気はする・・・・かな?」
数少ない魔法の詠唱と発動に立ち会った場面を思い返してみれば、和成は確かに、詠唱には独特の響きというか、こだまのような反響があった気がした。微かなものではあるが、アレがそうなのだろうか。
「それが、爺様が『意思疎通』と『ミームワード』らの相乗効果が期待できると判断した理由であると考えられるのだよ。魔法陣も詠唱も、自分の意思を世界に伝えるためのものであることに違いはない。絵や文字で伝えるか、言葉で伝えるかの違いでしかない。詠唱とは魔法陣を省略するためのものであり、魔法陣とは詠唱を省略するためのものである。世界に己の意思を伝える際、文字や図を使うか、声や歌を使うかでしかない」
「それなら身振り手振りでも伝えられそうな気もしますけどね」
「伝えられるさ。『踊り子』のダンス、『巫女』の舞、『祈祷師』の魔術的踏切。それら身振り手振りによる魔法もれっきと存在している」
「――なるほど。つまりこの世界では、『踊り子』は魔法使いの亜種である、ということですか?」
「そこまで遠くはない。亜種ではなく一種と表現するのが適切なのだよ。アプローチの仕方が違うというだけで、ダンサーは魔法使いの仲間であるからして。尤も、魔法を使えない芸に携わる者としての踊り子はいるがね」
「その辺りは、『巫女』も『祈祷師』も――宗教的な属性を持つ『職業』でも同じこと、ですか。特別な日には特別な何かが必要である、と。どうやら、俺のイメージしてた魔法とこの世界の魔法には、少しばかり齟齬があるみたいですね」
あくまで魔法といっても、『意思疎通』のスキルが翻訳した結果の、“この世界における”「魔法」という言葉だ。微妙なニュアンスの違いはどうしても残る。
たとえ国として全く異なるシステムで動いていようとも、キングスの役職が王とだけ訳されているように。
「ただ、言語と言っても言語単体で作用するわけではない、という点には注釈がいる気はしますね」
「まぁそれはそうであるな。魔法発動には魔法陣―文字、詠唱―言葉、舞―ボディランゲージのいずれか、或いは全てを組み合わせたものが必要である。そしてそれらに加えて意思の存在も必要不可欠なのだよ。意思がなくしては魔法は発動しない。魔法陣には、その魔法陣に対応した意識がなければならない。でなければ魔法は発動しない」
だからこそ魔法の研究がなかなか進まず、魔法陣が人の意思を伝えるための文字であると考えられているのだ。
何せ魔力を通しただけでは魔法陣は発動しないのだから。
対応する魔法を使用するという意思と共に魔力を通さなければ、現象が伴わない。
「ややこしい話ですけど、魔法陣と魔導回路は違うんですよね。フィールドでエンカウントするモンスターと、ダンジョンでエンカウントするモンスターが別物なみたいに。意外ではありました。てっきり同じものと思ってたので」
「まぁそれは意外と知られていない事柄である。それに魔法回路が組み込まれたアイテムも魔法も、仕組みを知ろうが知るまいが使おうという意思さえあれば、使えることに変わりはない。それらの違いを意識しているのは、精々研究者か製造職人ぐらいのものだよ。
それはモンスターに関することでも同じこと。モンスターの討伐を生業にしていない者には、その違いに関する知識は必要ない。だから分かっていない者も多いのだよ。ダンジョンのモンスターはダンジョンに取り込まれたものでない限り、倒せばエネルギーに溶けてダンジョンへ還る存在。自意識を奪われてダンジョンを守るだけの彼の存在を、生きていると称したくないね。命の理の中で生きるモンスターとは違うのだよ」
「生態系の外にいるのがダンジョンのモンスター。そして生態系の中にいるのがそれ以外のモンスター、ということですね」
この世界のモンスターは、ダンジョンという例外を除けば地球における動物に当たる存在である。収集した情報から和成はそう判断した。
火を噴き雷を吐く魔獣を動物と捉えるかは人によって分かれるだろうが、この世界にはこの世界なりの食物連鎖があり、独自の生態系が存在していることは間違いない。
「――まぁ、そういったことは日々の営みの上では必要のない知識であるからして、仕方がないのだよ。だいたい、知識をそもそも得られない場所にいる者は少なくないのだしね」
この世界において情報のインフラは、精々国同士と国の中枢周辺でしか確立されていない。情報の制度と伝達速度には、地域による差が著しいままだ。
「なるほど・・・・そういえば今思ったんですけど、それだけ詳しいならサファイアさんでも、俺に魔法を教えられるんじゃないですか?」
その問いを和成が持ちかけた時、彼女はわざとらしく後ろを向いた。
「――いや、吾輩は人にものを教えるのが苦手であるからして」
「そうですか・・・・」
サファイアが触れて欲しくなさそうだったため、和成はそれ以上聞くことをしなかった。
ふたりの関係は研究者と研究対象であり、あくまで単なる協力者同士だ。
和成がエウレカを訪れてまだ数日。
取り敢えず今はまだ、友達でもなければ仲間でもないのだ。
2人の会話の基本形は研究の域を出ていない。和成が疑問を呈しサファイアが記録。また質問にも答える。そして時折その立場が入れ替わり、そのやり取りも記録される。
つまり両者のコミュニケーションは、どこか事務的な印象のある雑談の繰り返しであった。
「・・・・なら、そろそろ研究の実施に入りましょうか」
和成はそれ以上のことを言わなかった。




