第82話 研究の開始
ステータス学という学問が存在する。和成の学術都市エウレカ移住には、その研究への協力が条件として組み込まれていた。
何故ならそれが和成にしか出来ないからだ。古文書の翻訳は『意思疎通』のスキルをもつ他のクラスメイトでも出来る。しかし、ステータス学に関する研究に有効なデータを提供できるのは和成しかいない。
何故なら彼が、ステータス的には殆どまっさらな状態でいるためだ。身体能力に関係するステータス値が全て1で、その上で“(把握している範囲では)日本にいたころと身体能力に変化がない”という条件を持っている。それはつまり、和成の身体能力こそ、ステータスの補正を受けていない身体能力の基準とみなせるということである。
小柄で体重が軽い者であっても、ステータスによっては体格に優れた者に純粋な力で拮抗することができる。それがこの世界の法則だ。
ならば逆に、体格に優れている者が体重の軽いものを投げ飛ばしたとしよう。
順当な結果ではある。しかしその現象がステータスの補正によって起きたものなのか、単なる筋力の結果起きたものなのか、どうやって判断すればよいだろうか?仮に両方の現象が同時に起きているとすると、どれぐらいの割合で起きているかをどう判断すればよいだろうか?
それを求めるための基準が、ステータスの補正がないため、“日本にいた頃と身体能力に変化がない”平賀屋和成だ。
例えば和成の筋肉のデータから、どれだけの筋肉量でどれだけの運動を起こせるのかといった、筋肉が起こせる現象の限界値を導き出す。
そして他者のデータも収集し、その人物がどれだけの筋肉量を有しているのかも導き出す。年齢や性別や体格が違っても、体格や骨格といった様々なデータも統合し綿密な研究を行えば、和成の身体情報から計算でそれらを導き出すことは不可能ではない。
そして、筋肉では起こせない現象が起きれば、その余剰分がステータスによる補正であると分かる。さらに言えば、より多くのデータとサンプルを集めることが出来れば、ステータス値が1の者と、10の者と、100の者が起こせる現象の違いを、物理現象のように計算式で求めることすら可能かもしれない。
異界からの召喚が世界で一度しか行われていない以上、これは現在、唯一のチャンスであると言っても過言ではない。しかも偶々起きたチャンスだ。本来なら和成は、この世界に召喚される予定ではなかったのだから。
そのため超賢者スペルは和成に対して破格の条件を提示した。
衣食住の補償に加え、研究への協力と被実験対象となることを条件に毎日の給金すらも貰えるように手続きを整えてくれたのだ。当然、日常生活に不備をもたらすような実験を拒否する権利付きだ。
無料で『賢者』から魔法を教えてもらえる上にお金までもらえる。
その幸運を噛み締めながら和成は、尊敬できる大人であり先生と呼ぶスペルへの大恩へ報いるため、孫娘の研究への協力を惜しまないことを心に決めていた。
☆☆☆☆☆
そして昼食を終え魔力の完全消耗によるエネルギーの枯渇状態から脱出した和成は、スペルの孫サファイア研究員の研究室を訪れた。
午後からはサファイアのステータス学に関する研究対象の仕事が待っている。
本日のアプローチは、サファイアの考察とこの世界の現象を聞き、和成なりの感想と着眼点を記録するというものだ。これから一週間は、ほぼこの作業に終始することになる。
大がかりな研究を行う際には場所が必要で、その場所の使用権が回ってくるのを待っているためである。研究機関の設備は、共同のものであれば要予約制だ。
「兄上殿は優れた『賢者』であるが、そのために中々多忙なのだよ。今は何とか時間を作ろうとしている。一週間も修行に間が開くのは、その間に全てのスケジュール調整を終わらせるためなのだよ。元々は和成氏が来る前に終わらせる予定だったのだけどね、少々難儀なのがいくつかあったようなのである」
サファイア曰くそういった理由があるようだ。
なら和成も自分がなすべきことを成すだけである。サファイアの研究のため、地球で得た日常から雑学に至るまでのありとあらゆる知識と経験を提供する。
それだけで研究になり、新たなる発見が見つかる可能性が高い。研究や改革というものはそもそも思いつきがなければ存在しない。全ての発明は1%のヒラメキなくしては在り得ない。
「思いつかなければどんなアイデアも存在しないのと同じ。異世界の頭のいい人が、なぜ俺が知っているようなことも思いつかないのか。――その理由は、思いつかなかったからだけで十二分。偶々であり、巡りあわせとか呼ばれるものがあるだけのこと。つまりは人の手の範疇外の事象。天才が思いつかないことを凡人が思いつくことは、普通にあり得ること。不思議でも何でもない。どんな天才の頭脳にも、世界の全てが収まることはない」
そんな感じのことを、和成はスペルに言ったことがある。
「例えば炎の魔法を使ったとする。それが人に当たれば、当然ダメージを受けるのである。しかしそのダメージは魔法使いと被弾者のステータスによって決まるのだよ。炎の温度は関係ない。ステータスが1の者と10の者と100の者の魔法なら、たとえ炎の温度が同じでも受ける傷の深さはまるで違う。また、魔力で作られた炎は例外だが、通常温度が高いのは赤い炎より青白い炎だ。『技』で生み出される炎もだいたいそうなのだよ。しかし減少するHPや負傷の大きさは赤い炎の方が上、というのはよくあることなのである。それに伴う負傷も然り。なぜならステータスにそう記されているから――なのだよ。赤い炎の『威力』が、白い炎の『威力』よりも高いことが多いのである。尤も色々ある以上、どんな白い炎よりも赤い炎の方が絶対に強い、という訳ではないのだがね」
そしてそれだけ、地球とこの世界の当たり前はまるで異なる。
それは研究中に、ナインが使用した魔法よりサファイアが選んだ話題からもうかがえる。
HPと肉体の損傷に、あまり密接な関係はない。それは麒麟の攻撃の余波を受けた和成が、無傷にもかかわらず『瀕死』――次に一撃を食らえば即死する――状態になったことからも伺える。
「さて、和成氏は何か疑問点はないのかね?お祖父様と一晩徹夜で話した程度で疑問が尽きるとは思えないのである」
「そうですね・・・・物質の創造とかが疑問ではあります。等価交換の法則といって、俺たちの世界では無から有が生まれることはありませんので」
「それなら答えは簡単だ。この世界においても無から有は生まれない。全ての物質創造魔法は、物質属性のエネルギーを魔力によって物質へ変換し生み出している。それが外部のエネルギーか内在するエネルギーかはものによるがね」
その際に使用するエネルギーが、『鉱物』『毒物』『金属』『植物』の物質属性と呼ばれる四つのエネルギーだ。魔力とは異なる、世界を巡る力の一端。
『鉱物』のエネルギーが溜まる山でなければ鉱石は取れず、『植物』のエネルギーが宿る大地でなければ植物は育たない。
『毒物』のエネルギーを持たない毒が人体に害を与えることはなく、『金属』のエネルギーが希薄な剣は脆く壊れやすい。
それが現段階で解き明かされている、この世界の法則である。
「有機物と無機物、原子に干渉する力なのか、それとも原子そのものなのか」
「む。今の言葉、もう一度言ってくれ給え。メモを取るのである」
和成のふとした呟きを、サファイアは忘れないうちに記した。
このようにして2人は、新たな発見をまとめていく。ある程度溜まった段階で、そのひとつひとつを検証していく予定だ。
「なら、知り合いの『料理人』の物質創造スキル、『調味料を生み出す能力』の場合は?」
「SPとMPのどちらかか、或いは両方を使用の度に消費しているはずである。エネルギーを消費した分だけ物質を生み出せるのだよ」
「ふーむ・・・・しかしそれなら、逆に物質をエネルギーに変換することも出来るのでは?」
「当たり前である。だから土に物を埋めれば土に還るのではないか」
「―――ああ、そういう風になるのか。俺の世界には土に還らない物質もあるので・・・・」
「なるほど。それについて詳しく」
かりかりかりと、サファイアが持つペンが走る。スペルと一晩以上使い語り合ったものの、この世界の地球と異なる点は未だ湯水のように湧いてくる。
疑問は尽きることがない。
それが実際に異なる点なのか、単に表現や捉え方が違うだけなのかも含めて。
和成はこの世界に来てから本を読んで、たらふく抱いた疑問を全て覚えているわけではない。読書の最中に疑問に思い、読み終えてから調べようと考えていると読み終える頃には別の疑問がいくつも浮かんでおり、最初の疑問を忘れていたりもするのだ。
かといってメモを途中でとろうとしても、頭に疑問がわく速度と書く速度が全く釣り合っていないために、浮上した謎を途中で忘れてしまうことも多かった。
彼の記憶力はそこまで良くない。自分の好みの内容でなければ、反復による積み重ねが無ければ、和成の頭に知識は定着しない。
和成の頭脳は凡人の域を出ることはない。和成が思いつくことは、地球かこの世界か、どちらにせよ世界のどこかにいる他の誰かも思いつけることでしかないのだ。
「――てことは、エネルギー保存の法則はどうなっているのか。エネルギーが物質に変わり、その物質が再びエネルギーに変わり、さらにエネルギーを物質に変えれば質量は変わるのか・・・・」
「それが変わるのだよ。何故だろうね」
「なら、エネルギー保存の法則はあるのかな?」
「ん?」
「え?」
その後、和成はサファイアに物理学を教科書と個人的に知っていた雑学の分だけ伝えた。
ニュートンの運動方程式と微分積分が特に喜ばれた。
初日の成果。
魔法習得。「まだ始まったばかり」。
ステータス学。「かなり喜ばれた」。




