プロローグ 問五「この世界にどれだけの知識を与えるべきか」
今章で起承転結の「起」の部分が終わり、本作は一つの区切りを迎えます。
異世界召喚から、およそ二カ月。出発の時が来た。
和成はまとめておいた荷物を背負い、瞬間移動の魔法陣へ乗り、学術都市エウレカへ向かう。他の重鎮たちが、別の魔方陣で帰還するのと同時に出発するのだ。
といっても、その荷物は大した量でない。親しくなった人たちから貰ったアイテムは『道具袋』に収納し、その『道具袋』で『収納』のスキルの中に入れて仕舞えば安心安全である。
故にエルドランド王国から支給された着替え以外の荷物はない。
その傍に立つメルも、大した荷物は持っていない。彼女の能力による別空間に納められているためだ。
瞬間移動の魔法は体積に依存するため、荷物はなるべく小さく纏めることが奨励されている。手のひらサイズの重い鉄球と人が入れる巨大ゴム風船では、消費魔力は後者の方が多量になる。
「じゃあ行ってくる」
瞬間移動の魔法陣は、王城の中庭の地面に描かれていた。
見送りに来てくれたのはクラスメイトたち。
ライオンハルトは彼らに譲り、離れた場所から見守っている。
ルルルは既にホーリー神国へ帰還しているため、この場にはいない。魔法を発動する役目がある学術都市の魔法使いたちは、必然的に帰還が最後になるのだ。彼らと共にエウレカへ向かう和成もまた、出発は最後になる。
ハピネスもいない。彼女は王族として、やらなければならない仕事が被っている。既に久留米のレシピは渡せているので、彼女の機嫌が悪くなることはなかったが。
ハクもいない。天龍連合王国の象徴、『白龍天帝』の位は伊達ではない。また、内陸国のエルドランド王国から島国のドラゴン列島へ帰るには、距離の関係もあって早めに王都を発たなければならない。そして当然、和成たちが直接お見送りすることなど出来ない。巨大な飛行竜に設置された船へ、遠目に手を振ることが関の山だ。
ジェニーは既に、地をかける疾風の竜車でエウレカへ移動している。学術都市は中心に多くの研究者が住まう研究機関が位置し、その外側に研究機関へ勤める人々へ物を売る商人たちの街、民間街がある。ジェニーは手続きの関係上民間街にしか入れないため、研究機関へ移動するこの魔法陣で移動することは出来ないのだ。そのため、数日前にとっとと出発してしまった。
そして、和成にもまた出発の時が来た。一人一人と握手をする時間はないので、パンパンパンと小気味よく、友人たちと別れのハイタッチをして魔法陣に乗る。
極彩色の視認可能に変換させられた魔力が『魔法使い』たちの詠唱と共に大気へ溢れ、ヴェールのように薄く和成とメルを円柱状に覆っていく。
景色が歪み、エレベータが停止する直前の浮遊感を味わった時にはもう、そこは学術都市エウレカであった。
「――素晴らしい」
魔力によって動く魔導通路は、乗るだけで目的地まで送ってくれる。
魔力を糧として生成される培養食料により、研究機関の食堂では安価で好きな料理を食べることができる。
都市中に魔力が電線のように張り巡らされ、そにより多くの魔導製品を使用できる。
立ち並ぶ建物にはその建築資材が分からないものから、鉄筋コンクリート造のものまであった。
ここは、この世界で最も現代日本と類似した場所。
学術都市エウレカ。
またの名を、魔法都市エウレカである。
☆☆☆☆☆
「ようこそ、魔法都市エウレカへ」
待ち合わせ場所にて現れたのは、和成とメルの先導役を勤めるひとりの研究者。エウレカの中央機関から支給される、足首までも覆う白いローブがその証だ。
隅々に魔導回路の印が記されたそれは、耐火、防刃、防水、対魔法性能に優れた一級の品。
「ワタシは主に、素質のない者の魔法習得に関する研究を行っております、ナイン・デル・ワードマンです。どうぞ」
そう言って彼から渡されたのは、研究機関で使うカードキーである。これは写真と名前が書かれており、身分証明書も兼ねている。
たしかに、記された名前と写真と目の前の彼とに相違はない。
マッシュルームのような黄緑色の髪型。冷静そうな印象を与える濃緑色の瞳。
そして、これは顔写真からは分からないことであるが、身長170cmの和成を優に超えるかなりの高身長でもある。
しかしその体は相手に全く威圧感を与えない。
筋肉の付いていない細身の体であり、和成でもステータスを考えなければ腕力で勝てそうな印象を受けるのと、それ以上に浮かべる表情が温容であるためだ。
人の良さが伝わってくる、そんな笑みを浮かべた青年である。
「ワードマンということは・・・・」
「はい、祖父から話は聞いてますよ。骨のある奴が見つかった、と。祖父が倒れるまで語り合ったとか」
「あははははは」
その話をすると、エウレカ出身の者たちからは一目置かれることがよくある。世界会議中に夕食を摂るにはパーティーに参加するしかないため、止むを得ず最低限話したその場で何度か驚かれたことがある。
そこで和成の頭脳が優れていると判断する者が何人もいたが、もう慣れた。
「スペル先生が俺にもわかる話題をふってくれただけなんですけどね」
「ハハハ。そりゃあ祖父も熱心になりますよ。この世界の外側の視点は、こんなことでもなければ手に入るものではありませんからね。倒れるまでやるのはやり過ぎだとは思いますが。若い頃は三日三晩は平気で議論できていたそうですが――今は90も近いんだから、年寄りの冷や水も大概にして欲しいんですよ。しかし聞く耳を持たなくて」
談笑をしながら、案内されるままに和成は歩みを進める。自動で動く魔導通路に乗っているため、その足を動かす必要はないが。
「向こうに見えるのがエウレカの図書館になります。内容の貴賎を無視して書物を収集するという理念に基づき、世界中の文字が集められている所です。別名、この世の叡智の全てが集められる場所、と呼ばれています」
「ほほぅ」
流石は都市でありながら大国と肩を並べられる場所だ。見るべき場所には事欠かない。観光業の目玉となりそうなものがゴロゴロある。
「尤も、この世の叡智の全てが集められているなんて有り得ませんけどね。都市に収まるほど・・・・いえ、国に収まるほどこの世界は狭くない。それは和成クンも分かるんじゃないですか?」
「――そうですね。自分が何も知らないことを自覚しないと、知る喜びは半減してしまいますしね。それに学び続けるには、自分は何も知らないことを自覚してないとやる気が出ない。識ることそのものが、幸福の一つの完成形な気はします」
そこから次第に話は観念的かつ抽象的なものへ変わっていき、和成の後ろに立つメルにはついていけないものへと変わっていく。
(――頭の良い人の会話は違いますね)
礼はあれど学はなく、頭は良いがものを知らない。
優秀な能力を持つとは言え、彼女は義務教育のある現代日本の日本人とは違う。
そんなこんなで、一行は都市から和成に与えられた居住地へ辿り着いた。
王都から飛んできた魔方陣から、かなり歩いた―八割がた魔導通路を利用したが―端の位置にある。
「一応建前上は学問に貴賎はない、がこの場所の理念ではあるんだけどね。実際問題そうもいかない。有益な研究は研究機関街の中心部に集中して、そうでないとみなされた研究は端の方に行っちゃうんだよね」
「まぁ、“ステータスを計算式で求められるようにする研究”と言えば聞こえは良いですけど、実際のところは今までとっかかりがなくて遅々として進んでいない研究ですからね」
「だからこそ君という存在は、妹にとって朗報な訳だ」
「妹?」
「ワタシの担当が君の魔法の習得。ステータスについて研究し、ステータスの存在しない世界の住人の知識が必要なのは、私の妹の方だ」
「なるほど。つまり、兄妹揃って研究者、という―――」
「おー!君がそうかね!」
「訳ですか」
そして、話に割って入る女性が一人。
「・・・・聞く必要はないような気もしますが、一応聞きますね。この人がサファイアさんですか?」
「うん、そう。ワタシの妹、研究者のサファイアだ」
廊下の向こうからやって来た彼女を脇にやって、ある種の予定調和のようなやり取りを、和成と研究者ナインは行う。
その独特の空気を、彼女は一切読まなかった。
「ではではでは!早速だが吾輩の研究室に!」
頭にかぶる魔女の三角帽子を落としそうな勢いで、彼女はその顔を和成へ近づけた。胸元が大胆に開けられた、ホルターネックの大魔女のような印象を相手に与える衣服が異様に良く似合う、腰まで届く長い深緑色の髪と黄緑色の瞳を持つ妙齢の女性である。
そして目前に迫る目の下の暗いクマと、対照的にギラギラと嫌に輝いている瞳を見るに、おそらく徹夜明けなのだろう。精神的な不安定さを感じる。
そんな、合わせ続けてていると不安になる目つきをしていた。
そしてナインと同じように、妹である彼女もまた結構な長身であった。だからサファイアが和成に迫ることで、そんな衣装の胸部をパッツンパッツンにしている彼女の爆乳が密着する。
それが彼女を大魔導士のように見せている最大の要因だ。爆乳な女性が魔女のような格好でいると、途轍もない魔法を使えそうに見えるから不思議である。
ただ和成が意識したのは胸の触感よりも、鼻をくすぐる2つの匂いであった。
近づけられた髪からふわりと、シャンプーの香りがする。
ちゃんと風呂には入っているようだ。
近づけられた口からはぷぅんと、口臭が臭った。
歯はちゃんと磨いていないようだ。
シャンプーと口臭。二つの臭いが混じった空気を吸った和成の顔が真顔になる。
「こらサファイア!まだ彼はエウレカに来たばかりで、部屋に荷物も置いていないんだぞ!それに、まだこれから彼が暮らす上で案内しておかなければならない場所があるんだ!」
そんな和成と気の毒そうな視線を交差させてから、ナインがサファイアの襟をつかんで引きはがす。
「ちえー」
それに対して彼女は不満げだ。しパしパと目を瞬かせた後で目やにを拭い、かと思えばひとり壁の隅へよって項垂れる。
「ふんだ」
明らかに拗ねている。
「すまないね。妹は躁鬱のケがあってね。ズボラだけど神経質で、おまけに子供っぽい」
「そのようですね」
「仲良くしてやってくれ」
「まぁ、この程度で済むのなら許容は出来ますが・・・・」
「では、ここに荷物を置いたら、食堂やシャワールームへ案内しよう」
「分かりました」
そうして渡されたカードキーを入り口にかざすと、ピピっという音と共に扉が開いた。
部屋の広さは和成視点でざっくり四畳半。
そのうち凡そ一畳を二段ベッドが占めている。
窓は小さいものが一つ。日当たりは悪くない。
あと他にあるものと言えば、机と、精々が電灯―魔力で点灯するので魔灯と言うべきか―ぐらいしかない。壁一面から床から天井まで白一色であることもあって、かなりシンプルな飾り気のない部屋である。
ただ、暮らす分には何の問題も感じない。
「ふーん。ホントにこことは違う世界から来たんだね。カードキーを初見で使いこなした人は初めてだ」
「ああ、そういうものですか」
「そういう手馴れてない人を見て揶揄うのがここの案内の醍醐味なんだけど―――まぁいいか。トイレ、シャワールームは共同。何時でも使っていい。食堂は好きなだけ食べても無料だけど、開いている時間は決まっているから注意ね。あと、今渡したカードキーは研究地区と民間地区を行き来するのにも使うから失くさないように。再発行は簡単にできるけど手数料はかかるし、あまり何度も繰り返すと総務部から叱られるから。ちなみにその常習犯がワタシの妹。あいつ直ぐに失くす」
「分かりました。メルさんは二段ベッドの上と下、どちらがいいですか?」
「どちらでも構いません」
「なら、俺が上を使わせてもらいましょうか」
そう言って和成は背負っていた、着替えの衣類で膨れたリュックサックを上のベッドへ放り込んだ。
「洗濯物がある程度堪ってきたら言ってね。『洗浄』の魔法を使ってあげる。実際に使うのは魔導機械だけどね」
「便利ですねー」
「はははは。便利じゃないと魔法じゃないしね。そして、エウレカの魔法はこれだけではない」
細められたナインのその眼は、何時ぞや少年形態のスペルが姫宮に見せた、人をからかう悪戯っ子の笑みによく似ていた。
「この都市とこの世界の広さを、君に見せて上げよう」
つまりは先を行く者が見せる余裕の笑みである。
先達として人を導こうとする者の表情である。
だからか和成はその顔から、嫌な印象は受けなかった。
ただ、その後は結局、研究区域の案内は半日以上かかり、へとへとになった和成は二段ベッドの上に上がるのも少々億劫であった。
食堂の無料魔力培養食品によって重たくなった腹も、その一因である。調子に乗って食べ過ぎてしまった。つまり半分以上は自業自得である。
そしていよいよ明日から、修行の開始である。
この世界で生き残るための。
日本へ帰るための。




