第80話 少女たちの旅立ち
和成が王都を発つまで、残り一週間を切った。
しかしそんな彼よりも一足早く王都から出る者たちがいる。
そして今日は、そんな王城から旅立つ三人の少女のお見送りを行う日。
空は快晴であった。
「じゃあ、行ってきます……って言えばいいのかしら」
ひとりめは慣れない別れの言葉を口にしてしっくりこないでいる、『医者』山井療子。今回の決断における中心人物である。
彼女の目的は、自分のコンプレックスに答えを出せたあの日の、和成の言葉を果たすこと。
――赤十字とか、国境なき医師団みたいなのを作るのはどうだ?
そう言われて山井は、やってみたいと思ったのだ。
原因も過程も無視してあらゆる怪我を治せるのが、『聖女』や『神官』。だからこそ治療法を確立することは出来ず、目の前の人間しか救えないと和成は言った。
『医者』が一つの病の治療法を確立できれば、それによって救われる者は今だけでなく未来にまで現れると和成は言った。
どちらもいることが重要であると、和成は言った。
故に山井は、それらを実行に移したくなった。
そうして自らのコンプレックスに決着をつけた。
しかし、行動に移さなければ紙に描いた餅と同じ。
だから山井は、国境なき医師団を設立することを決めた。
その際に大きく貢献したのが和成の人脈である。エルドランド王国における『医者』の権威シュドルツが、山井のアイデアに興味を示したのだ。
この世界における国境は地球における国境とはまるで意味が異なる。
どんな場所にもモンスターが蔓延り、人を襲う。
側にダンジョンがあれば、周囲を侵食して特殊な現象を有する『フィールド』が生まれることもある。
さらにはそれとは別に、数は少ないが歩くダンジョンとも呼ばれる災害の如き怪獣も歩き回っている。
比喩抜きで、山一つ越えればそこは異界である。全く異なる文化が隣村で構築されていることも珍しくない。過酷な地域と安全な地域の差が酷い上に、その安全な地域がいつまで安全かは誰にも分からない。
だからこそエルドランド王国にも、そんな国の目が届かない、女神の宗教も布教できていないデッドスペースが多く存在すると言われている。
そのため国境を越えてまで幅広く活動する国際機関はない。唯一の例外が世界会議だ。
各国に散らばる冒険者ギルドが、有事の際に協力することはあるにはある。しかし、冒険者ギルドは国によって制度も管轄もまるで異なる機関だ。利害の一致により手を取り合うことはあるが、エルドランド王国の冒険者ギルドとホーリー神国の冒険者ギルドは根本的に別物である。
しかし民間まで範疇に入れればその限りではない。その代表が、ドラゴンを護衛兼運搬の足として使える竜人族の貿易商である。ドラゴンに船や龍車を引かせるという、数百人規模で長距離を移動できるほぼ唯一の移動手段を持つためだ。
しかしこの方法は費用という難点がある。ドラゴンが引く竜車も、ドラゴン自体の食費と維持費も相応にかかる。竜種に詳しい竜人がいなければ採算は基本的に取れない。
そのため大人数の長距離移動のほとんどは、瞬間移動の魔法で行われているのが現状である。そのインフラを整えた学術都市エウレカが、都市にして国と肩を並べるだけの権力があるのだ。
そしてそれが発明者である超賢者スペルの偉大過ぎる功績として残り、その重要さから、情報が集まる中心部―和成が引っ越す予定の研究区画―には移住する際に厳しい条件と煩雑な手続きが存在する。
なので、ここでもジェニーと縁を持った和成が貢献した。シュドルツが“全ての人に医療を受ける権利がある”と熱弁した山井の言葉に感銘を受け、保証人となることにより、モウカリマッカ商会の運送竜とその管理人を雇うことが出来たのだ。ドラゴンがいればそれだけでドラゴンよりレベルの低いモンスターは近寄らなくなる。
またジェニーも、エルドランド王国における『医者』の権威と太いパイプができたため喜んでいた。これで薬の買い付けに他の商人より優位に立てる。
そして和成に手助けされながらも国境なき医師団(仮称)の準備を整えていくうちに、山井の覚悟も決まっていった。これから圧し掛かるであろう苦労が、面倒な書類仕事以上であることは簡単に予想できる。自分が想像もしていない苦難にぶつかることも分かっている。
それでも辞める気が失せていた。
この世界で経験を積み上げることが。
それを日本へ持ち帰り生かすことが。
楽しみで楽しみで仕方ない。
既に何時の間にか、彼女の腹は決まっていた。
体の底の底から湧き上がる興奮が、背中をずっと押し続けている。
だからその行ってきますには、抑えきれない熱い息が籠っていた。
「いってらっしゃい」
見送ってくれる和成。しばらくは会えない。
もしかしたら何かが起きて、もう二度と会えなくなるかもしれない。
しかし彼女にはもう、行かないという選択肢はなかった。
「貴方のおかげよ。私がこんな決断をできるのも、こんなものを用意できたのも」
仮の象徴である赤十字のマークが記された白旗。それが掲げられた場所は、巨大なグランドドラゴンが引く城のような龍車の頂上だ。
和成が『職人』城造に頼んで作ってもらった餞別である。その材料は、姫宮や親切といった親しい者たちからの、素材の寄付で賄った。普段はあまり話さないクラスメイトの中からも、素材を譲ってくれる者がかなりいたため、とても豪華な作りになっている。
『剣聖』御剣と『槍神』綿貫は、素材を手渡すと同時に和成へ召喚二日目におけるトラブルへの、謝罪を行った。
『ヒーロー』雄山のパーティは、話を聞きつけてわざわざ王城に帰ってまで素材を渡してくれた。
『勇者』天城たちは、最も惜しみなく大量の素材をくれた。
豪快にどんと渡す者がいた。
そんな奴らに引っ張られて、迷いながらも素材をくれた者がいた。
自分たちの痛手にならない程度に、しかし山井の決断を気に入って、少しではあるが素材をくれた者がいた。
城造は口には出さなかったが、和成の言葉に抵抗せずに作り始めたところから考えるに、何かしたかったが照れ臭いので、ちょうどいい理由ができるのをまっていたのだろう。
もちろんくれなかった者もいた。
そもそも初めから王都を離れていて、連絡が行き届いていない奴もいた。
しかし和成は、悪い気分ではなかった。
これだけ立派なものができるほどに送られると、思っていなかったからだ。
「ありがとう」
それは山井も同じである。
そして中には、素材を渡すだけで終わらない者もいた。
「私も行ってくるねー」
『料理人』、久留米料理子である。
山井が慈善活動を行うことを聞いて、協力を申し出たのだ。
確かに彼女の能力は有用だ。調味料を創造する能力で、何故かは分からないが生理食塩水やスポーツドリンクまで生み出せるのだから。一応、調味料に使えないこともないかもしれないが。
それに彼女がいればモンスターの肉を調理することで食費を浮かせられる。
またグルメ共和国の王族とも親しくなっており、食料品を安く仕入れる契約を何時の間にか結んでいたりもした。
「やっぱり、ごはんはお腹が空いている人に食べて欲しいよね。私が食べる分までは減らせないけど」
「俺もだ。それに、人を助けていいのは自分を助けられる人間だけだとも思う」
「けど、パーティーで毎日毎日大量にごはんが作られて、捨てられていくのを見てると、やっぱりもったいないって思うんだよね。あれをどこかにいるお腹が空いてる人に持ってけないかなーって」
「わかるわかる。残すのはもったいないよな。だから俺も毎日可能な限り食べれるだけ食べて、その所為で少し体重が増えた」
言葉を発するだけで口から食べ物が溢れ出そうになるほどに食べて、口を押さえて苦しんでいる和成を、パーティーに参加していたクラスメイトのほぼ全員が何度も見かけたことだろう。
懲りずに毎日たらふく食べるその姿に誰もが呆れていた。要所要所でこういった行動をとるため、和成は一部の者たちからは親しみを持たれ、一部の者たちからは嫌われる。
「平賀屋くん、目の前に料理があるとあるだけ食べようとするもんね」
「根本的に食い意地が張ってるのよ、貴方は」
女子たちからも苦言を呈された。
「ああ、忘れてた。あとこれもハピネスちゃんに渡しといて」
そして出発の時間が近づく中で、久留米が和成に紙の束を渡した。
「これは?」
「私が作れる料理の、レシピをまとめたやつ」
「――分かった。必ず渡しておく」
覚悟と共に、和成は返答を返す。
そして少し嫌な予感がしたので、ぱらぱらとめくり内容を確認した。
予感は的中した。
「・・・・あとで可能な限り清書してから渡しておこう」
「わー。ありがとうー」
久留米の書く字は汚い。悪筆で読みづらい上に、表現が曖昧で抽象的だ。
『意思疎通』のスキルが上手く翻訳してくれる可能性も一応あるが、もしもハピネスが読めないことがあっては意味が無いので、時間的余裕はあまりないが何とかしておくことにした。
(――さて、あとやり残したことは・・・・)
最後の1人との、挨拶である。
姫宮たちのパーティと別れの挨拶をしていた少女が、ローブの裾をはためかせながらこちらにやって来た。前は室内であっても目深に被っていたローブを、今日は屋外であるが外している。
あの日から彼女は、何時もそうしていた。
「――部長」
『死霊術師』、四谷綺羅々。
彼女もまた、山井たちと共に世界に飛び立つことを決めた。
つまり彼女は結局、姫宮のパーティからは抜けることになる。
その理由は姫宮と和成しか知らない――なんてことはない。
「その決断は、悪くないと思うぞ」
単に諸々の事情から判断し、四谷のレベル上げに限界が見えてきたというだけだ。
そもそも四谷は根本的に戦闘に向いていない。精神的にも肉体的にも。
その性格は臆病で優しく、すぐに慌てて頭が真っ白になってしまう。生まれてこの方、喧嘩をしたこともなければ人を殴ったこともない。『死霊術師』は極めて強力な『職業』であるが、彼女なら和成でも上手くやれば勝てそうな雰囲気がある。少なくとも舌戦に持ち込めば完封して上で完勝できるだろう。
そして、戦闘のセンスが圧倒的に足りない上、病弱で虚弱。
運動神経は味噌っかすもいいところで、持病の喘息もあって体力は乏しく直ぐ息が切れる。
更に今は和成たちが召喚されて二カ月が経とうとしており、既に季節は春から、炎と水の属性の精霊たちが騒ぎ始める日本で言うところの梅雨を迎えようとしていた。その先には暑い夏が待っている。気候の変化で体調が悪化する彼女の体は、レベル上げの長時間の活動に向いていない。
気圧が少し変わる中で運動すれば、彼女の喉はかひゅうかひゅうと喘息を起こす。
気温が上がれば体力を消耗し微熱が出て、気温が下がれば体を冷やし腹を下す。
汗をかけば蒸れてかぶれて肌が荒れ、何の処置も出来なければ皮膚が破け赤い身が大気へ露出してしまう。そうなればそこからは膿がぐずぐずと漏れ出すだろう。
それが四谷の全身だ。
いずれ必ず薬が手放せなくなり、戦闘への参加は現実的でなくなる。
ゲームの世界に召喚されたものの、良くも悪くも彼女の体は日本にいたころと何の違いもない。ステータスのパラメータによる補正はあるが、健康な体を手に入れた訳ではない。
ただ、確かに彼女は健康面に制約が多く苦労も多いが、大人しくしていれば日常生活を送る分には問題ない。
しかし、かといって王城に閉じこもれば、和成と同じように白い目で見られるだろう。戦ってもらうために召喚し厚遇しているのだ。和成以上に白い目で見られる可能性もある。
「――まぁ、『医者』山井の側にいればたぶん安心だ。シュドルツさんもいるし」
「変な呼び方をするな」
だがそれらの問題も、山井たちと共に行動すればあらかた片付く。
薬なら山井から貰えばいいし、国境なき医師団(仮称)には医者の権威シュドルツも同行する。未熟な山井が見落とす点はシュドルツが、この世界のシュドルツが見落とすアレルギーなどは山井が、それぞれ補い合える理想的な布陣だ。
四谷の食物アレルギーも久留米と相談していけばなんとかなる。そしてその相談が自力でできるようになるためにも、四谷は一歩踏み出して赤十字が掲げられた龍車に乗り込んだのだ。
彼女自身が、決断したのだ。
「四谷から声をかけられて、その上頭を下げられたときは驚いたわ。何があったのかと思ったわよ。平賀屋の仕業なんでしょうね、とも思ったけど」
「いや、俺は何もしていない。四谷さんが勝手に前を向いただけだ」
「そう言う時の貴方の自己申告は当てにならない」
少なくとも、何もしていないとは思えない。
きっかけは必ず和成にあると、山井も久留米も察しがついている。
「本当に、ありがとうございます。こんなにもお膳立てをしてもらって・・・・」
頭を下げる四谷を見れば、分からいでか。
「偶然だ。俺もここまで凸と凹がかみ合うとは思わなかった」
ただ、和成の言葉も嘘ではない。
ここまで上手くいくとは思っていなかった。想像もしていなかった。
それもまた事実。
人が巡り合いや縁と呼ぶものがあったからだろうか。
「頑張ります、私なりに。自分の心が決まった時に、その隣に立てるように」
「おう。取り敢えず、敬語を辞めるとこから頑張ってみたらどうだ?」
和成はその言葉が、姫宮を指していると解釈した。
四谷には自分の言葉が、和成と姫宮のどちらを示しているのか、まだ分からなかった。
「数カ月後だかに俺が魔法を習得して、また会った時に」
「その時には、少しは自分に自信が持てるように、なりたいと思います」
「私も少しは、貴方に自慢できる実績を作っておくことにする」
「ふーん。なら私は、どっかの郷土料理でも習得しとこうかなー」
それぞれに目標を決めながら、少年少女の門出が祝われる。
三人の少女は龍車に乗って王都を出た。
一人の少年は、他に見送りを行っていたクラスメイトたちと共に、巨大な龍車の全貌が見えなくなるまで手を振っていた。
そして数日後。
『哲学者』平賀屋和成が出立するときが来た。
☆☆☆☆☆
問い四「男とは何か。女とは何か」
和成に、その答えはまだない。
第四章 クラスメイト編part1終了。
第五章 学術都市エウレカ編へ続く。
 




