第79話 (間話)姫宮の朝帰り
申し訳ありません。昨日の投稿が所用により12時になってしまいました。
剣藤道花の朝は早い。いつも日付が変わる前には就寝しているためだ。
ひとつは彼女が真面目であるから。両親、祖父母と過ごすうちに、自然と身についたその生活習慣を彼女が愚直に守っているからだ。
もうひとつは単純に、剣藤は夜更かしが嫌いだからである。
損をしているような気分になるのだ。
毎年、除夜の鐘を聞く祖父母にならい元旦は徹夜し初日の出を見ることにしているが、その日付が変わってから夜が明けるまでの数時間は脳が全く働かない。そして初日の出を見終わってからは、昼過ぎまでだらしなく糸が切れたように寝続けてしまう。
実に無駄だと思う。
働かない頭では勉強しても定着しない。
読書をしても途中で寝てしまう。
運動をするには近所迷惑な時間だ。
0時以降の時間帯では何もできない。何をやっても身につかない。それならば、朝の冷たい空気でも吸ってしゃきりとしながら活動する方がよほど有意義に感じて仕方がない。
実のところ、それは彼女が完全朝型の人間で、夜は眠くて眠くて仕方がないというだけであるが。
更に言うなら、朝の光りを浴びた瞬間から活発に活動できるという彼女の体質も大きい。朝が苦手な低血圧の真逆。彼女は朝から元気なのではなく、朝が最も元気という体質なのだ。
だというのに、世間では5時6時はまだ活動の時間ではない。
そのことにほのかな不満を持ちつつ、剣藤は日課の走り込みをしに着替えて外へ出た。
王国から派遣された執事である青年も後に続く。
ただその彼と彼女の間には明確な距離と溝があった。
剣藤が口説きながらスキンシップを取った彼を――露骨に手に手を重ねようとした彼を――強めに払いのけたからだ。緊急事態を除き、手を繋いでいいのは正式に付き合ってからだと彼女は考える。吐息がかかるほど近くに顔を近づけるなど持ってのほか。
(いかんな。邪念を持ったままとは)
現在のエルドランド王国の気候は、日本で言うところの春である。日が昇りかける前は、頭を活性化させる冷気が満ちている点も同じだ。
とはいえ、その昇る日が太陽であるかは疑問だと、『哲学者』が言っていたなと思い返す。
曰く、空に輝く太陽は世界を股にかける巨大蝶々であるとか。
同時に、水面に揺れる月は発光する巨大な蛾であるとか。
ここが地球とは違う惑星である以上、そんなことがあっても不思議ではないのだろう。ドラゴンがいて魔法があり、人は己の肉体だけでそれらと渡り合えるのがこの世界だ。
ならば、太陽が生物であっても何の不思議もない。
不思議と言うならどんな理屈をつけようと全てが不思議だ。
そんなことを考えながらそれはそれとして。
朝の運動を終え、また早く起きすぎたという思いも抱きつつ、剣藤は廊下を歩いていく。
朝食の時間にはまだまだ時間がある。走り込みを切り上げるのが、少し早かったようだった。
ステータス画面の時計で時刻を確認しておけばよかったと思う。
仕方がないのでぶらぶらと王城内を散歩しながら、剣藤はこの世界に来てからのことを思い返す。
その際に大きく割合を占めていたのが『哲学者』平賀屋和成だ。
(良くも悪くも目立つというか、色々とやらかしている男だからな)
巻き込まれ手違いで召喚された。だからかステータスが雑魚そのもので、経験値稼ぎも出来ないというバッドステータスまでついていた。
それだけでも十分誰よりも目立つというのに、初日で平賀屋は王女と天城に真っ向から言い返した。
国の中心人物とクラスの中心人物にそういうことが出来るあたり、中々に図太いというか胆力があるというか。
(まぁあれは、不安を抱える平賀屋から慈らを引き離そうとした天城たちの方が悪い)
さて他には何をやらかしていたか。
彼女は基本、噂を小耳にはさむ程度の情報収集しか行っていないため、非常に情報に疎い。クラスのみんなと同じような距離感のためだ。嫌われているわけではないが、特別親しい友人がクラスにいない。他のクラスにはいるが、その友人らは召喚されていない。
(そう、確か私を簡単に倒した『麒麟』とやらを撃退できたのが、彼の知識によるものだとか)
慈と裁がそう熱心に主張していたことを覚えている。
(そしてその直後、熊谷のモンスターに噛まれて『瀕死』状態になっていたな。あとは・・・・何時の間にか山井と和解していたな)
曰く、山井が国境なき医師団(仮称)を設立できたのは彼のおかげだとか。
曰く、取り憑かれた男から言葉だけで亡霊を祓ってしまったとか。
曰く、家出していた王女を連れ帰る際に大きく貢献したとか。
彼にまつわる真偽不明の噂は多い。
直接聞けばわかるかもしれない――と思って聞いてみたが、結局平賀屋は大したことはしていないの一点張りであった。情報を開示してくれない。
(私は元々、あまり接点がなかったからな……)
初日に剣藤が平賀屋の味方をしたのは、単に天城らより平賀屋側の言い分が筋が通っていると判断したからだ。その後にパーティを組むことを決めたのも成り行きでしかない。
(――ただまぁ、成り行きとは言えパーティを組んでいることは間違いない。共に戦闘を行ったことはないが、平賀屋がエウレカとやらで魔法を習得すればそれその内、実現するかもしれない。
なら、少しずつコミュニケーションをとるべきではあるだろう)
そんな剣藤の内なる目標は、実のところ将棋の再戦を申し込むための方便なところがあるのだが、彼女はそのことに気づいていない。単に負けっぱなしが悔しいのだということに気づいていない。
彼女は基本的に一匹狼気質の個人主義者だ。可能な限り自分で何とかし、人を頼るのは最終手段であると位置づけている。
自立しており、人をあまり当てにしない。
「――ふむ、一度帰るか」
ぶらぶらと当てもなく王城内を歩くことにも飽きてきた。そもそも世界会議も終わりが近いとはいえまだ行われている。立ち入れる範囲は普段以上に制限されて、警備も多い。
探索可能範囲を全て見てしまえばやることはない。
なので剣藤は自室に帰ることを決めた。
そしてその自室がある王城の一角にて。
剣藤はこっそり自室に入ろうとする姫宮と鉢合わせた。
「うぇっ」
「――おい姫宮、何故こんな時間に自室へ帰ろうとしている」
目が合った瞬間に逸らされた。そして改めて合わせようとしても目を逸らされる。
更に彼女の眼は泳ぎまくっていた。
「何かやましいことでもあるのか?」
どうか疑ってくれとでも言わんとする態度である。
「べ、別に?トイレに行ってて、今帰って来ただけだよ?」
――嘘だ。
彼女の態度の不自然さがあれば、そう直感するには十分であった。
姫宮は嘘が下手だ。罪悪感がすぐ顔に出る。そのため、彼女がやましい嘘をついていると見抜くことは誰でも簡単である。
ジィィィィィィ・・・・・
そして“見つめる”という圧力をかけられた姫宮は、それからすぐ自白することになったのであった。
☆☆☆☆☆
結局、姫宮が朝帰りをした理由はとてもくだらなく、同時に剣藤にも心当たりがあるものであった。そしてその原因は矢張りというかなんというか、定期的に何かしらをやらかすあの男である。
「平賀屋・・・・」
ジト目で呆れながら、剣藤は視線を和成へ向ける。
しかし当の和成は素知らぬ風で欠伸をしていた。徹夜なため眠いのだとか。
「何をやってるんだ、お前は本当に」
そして、そう呟く剣藤の視線に入ったのはチェス盤である。
つまり姫宮は一晩中和成とチェスを打ち続けていたのだ。
その結果の朝帰りだったわけだ。
「どうしてもカッコよくチェックメイトって言いたかった」
とは姫宮の弁である。
その言葉からも推測できる通り、姫宮は和成に一度も勝てていない。そして何度勝負を繰り返しても勝てないことに意地を張り、その結果が一晩ぶっ通しの熱戦であったのだとか。
その所為か目の下にクマが出来ている。
気持ちは分からないでもない。と言うか分かる。自分も将棋で和成に勝てたことが無いので、それが悔しいことも、とにかく勝ちたいという気持ちを抱く気持ちも分かる。
だがそれはそれだ。
「誤解を招く行動をとるんじゃない!」
「「ごめんなさい」」
その剣藤の説教は結果的に、朝食の時間を過ぎるまでかかったとか。
「というか、平賀屋は『思考』のスキルを持っていたはずだ。長期戦になればなるほど有利だったと思うんだが」
「…………はぅあ―っ!!」
「常勝無敗達成のコツは、やっぱ勝てる勝負しかしないことだと思う」
その後、してやられたという顔の姫宮へ、和成はしたり顔でそういった。




