第8話 NPCと生身の人間
ーー気付かれてはいけない。
ーー今気付かれては全てが台無しになる。
息をすまして、足の裏に神経を集中させ、鎧が鳴らないように細心の注意を払いながら、和成の背後に潜む黒い影は一歩を踏み出す。
ーーー抜き足。
一歩近づく。
ーーー差し足。
もう一歩近づく。
ーーー忍び足。
さらにもう一歩。
ここからあと一歩を踏み出せば、首筋へ簡単に手が届く。
背中は文字通り影の目と鼻の先だ。
ーーー焦るな。
ーーー焦って失敗すれば、何のために近づいたのかわからなくなる。
ーーーチャンスは1度きり。
ーーー最初で最後。一、二の・・・
心の中でカウントを始めながら、影は音を立てないよう静かに息を吸い込んだ。
そして肺が空気で満たされた時、影は一旦口を閉じ背筋を僅かに仰け反らせる。
三!
そうして声を出そうとした瞬間、振り向いた和成と影の目と目が合うのだった。
「ふぁーーーーーッッ!!!!!!」
☆☆☆☆☆
「あーびっくりした。あーびっくりした。」
背後から驚かそうとした瞬間に振り向かれ、逆に驚かされてしまった姫宮未来は腰を抜かしながらそう呻く。
動悸が未だ治まらないのだろう。上下する胸に手を当て続けながら、息を整えようも深呼吸している。
そしてそんな姫宮を、和成は呆れ混じりに見つめていた。
「さては姫宮さん、今までこういうことしたことがないだろ。息を潜めようとして、却って荒い息の音がしてた。割とバレバレだった」
「あ、そうなんだ。気づいてたのかー」
和成自身人を驚かせるのが好きなため、和成は他者が自分を脅ろかそうとする気配に敏感だ。
おばけ屋敷でキャーキャー怯える人を見てほくそ笑むのが好きな人は、彼と同類である。
幼児に怖い話を聞かせて夜中にトイレに行きたがらなくさせる意地悪な人も、彼の同類である。
「ふぅ、やっと落ち着いた。」
鎧が当てられた胸を撫で下ろしながら、姫宮は立ち上がりお尻を払う。
「そもそも、なんだってこんなところに?歓迎パーティーはどうしたんだ」
「トイレーって言って抜け出してきた。王様の話が終わって見渡してみたら、平賀屋くん、いなかったからさ。他のみんなは気付いてなかったのかな?」
「いや、少なくとも慈さんにはこっそり抜け出すことを伝えておいた。オダ・・・・・・親切とは付き合いが長いから、俺がどう行動するかは見抜かれてると思う。そう考えると化野さんにも知られているだろうね」
「成る程ーーーーそういや、親切くんと化野ちゃんって、付き合ってるの?」
「付き合ってるよ」
「そっかー、全然気が付かなかったー」
「・・・・・・」
(結構露骨というか、周知の事実みたいなところがあったと思うんだが・・・・・・)
東北町第一南西高等学校の校則は、基本的に緩い。
真面目な連中が集まる進学校であると同時に、元々の校風が生徒の自主性を重んじているからだ。
勉学と部活動を両立し公序良俗に反さない形であれば、男女交際をしようがしまいが生徒の自己責任。
ドライな校風であるとも言える。
(そういや風の噂で、姫宮さんはかなりの朴念仁だって聞いたことがあったような・・・・・・)
「それにしても災難だねー、平賀屋君。私たちの召喚に巻き込まれるなんて」
「アハハ、まったくもってその通りだよ。ハァァ・・・・・嫌だ嫌だ」
から笑いしたはいいものの、がくりと頭を垂れて溜息を吐くその顔は、沈痛かつ忌々しそうな趣きだ。
「たとえどんな理由があろうと戦争はダメだよ・・・絶対に人が死ぬ」
陰鬱、憂鬱といった言葉がそのまま形になったかのような暗い顔で、再び和成はハァァ・・・と聞くだけで気が滅入りそうな溜息を吐いた。
「アハハハ、ここはゲームの世界で現実じゃないんだからさ、そんな気にすることないよー」
そんな和成に対して、姫宮は陽のオーラを全開にして快活に答える。
ポスターにそのまま使えそうな太陽のような笑みだったが、しかしそれで和成の顔は晴れない。
その脳裏には、極端に低い和成のステータスを知って多種多様なリアクションを見せた官僚たちや、和成が巻き込まれて召喚されたことを知った貴族たちの複雑な顔が浮かんでいた。
失望、戸惑い、侮蔑、申し訳なさ、同情、疑問、嘲笑、無関心、気遣い、打算。
利己的なものからそうでないものまで、十人十色な感情を和成はあの場にいたこの世界の人族たちから感じ取った。
それらは決してプラスの思いではない。
察したことで気分が落ち込むような、灰色の混じった感情ばかりだ。
すごく人間臭い。
「俺にはここが、どうにもゲームの世界だとは思えないんだよなぁ・・・・・人の心の在り様というか態度というか・・・・・まるでNPCとじゃなく、生身の人と話している気分だ」
「うーん・・・・・けどそれは女神さまも言ってたことじゃないの?女神さまがSOSを出して、それがゲームを作る人に影響を与えて生まれたのがFMSなわけでしょ。スマホの画面を飛び越えてゲームの中に入り込んだんじゃなくて、スマホのゲームアプリを扉にしてゲームの下になった世界にやってきたんだから、この世界の人たちが人間臭いのは当たり前じゃない?」
「だとするなら、ますます心配しておくべきなんだと思うんだよな・・・・・それはつまり戦争という言葉が持つ意味が、この世界と地球とでそう大きく変わらない可能性が高いことを示唆してるんだから・・・・・」
そこまで言って、再び和成は大きく肩を落としサンドイッチを一口かじった。
(これは話題を変えた方が良さげかな・・・・?)
姫宮未来は気遣いのできる女。だからモテる。
「それはそうと、平賀屋君はさっきまで落ち込んではいたけど、結構落ち着いているよね。異世界召喚なんて不思議なものに何の説明もなく巻き込まれたのに、戦争に巻き込まれるのが不満そうなだけで、召喚そのものには特に戸惑ってない感じがする」
「まぁそれは俺もそう思うが・・・・・しかし姫宮さん。
それを言うなら、そもそもこの世には不思議なことしかない」
(ーーあ、くいついた)
そう思った次の瞬間、和成は途端に饒舌に語り出した。
「世は全て不思議なり。この世には起こることしか起きないし、起きないことは絶対に起こらない。起こらないと思っていたことが起きたのなら、それは俺たちの常識の埒外と偶々出くわしたってだけだよ」
「・・・・・つまり、不思議なことがあるのは当たり前のことで、自分たちの知らない世界があるのも当たり前のこと。だからーーー」
「そうそうそういうこと。不思議なことに遭遇するなんて不思議でも何でもない。なら、殊更に驚くようなことではないし、慌てたところでなんにもならないーーーと、いうことだ。俺が知らない世界も、認識の外にある存在も、きっと山より高く海より深くあるんだろうさ」
「ああ・・・・・だから妙に落ち着いてたんだ。召喚された私たちと同じで全然騒いだりしなかったから、何かおかしいと思ってたんだよね」
「空気を読んでいたってのもあるんだけどね。騒ぎ出す奴が誰もいなかったから、口を挟むタイミングをのがしちまった」
「それにしても一周回ってると言うか・・・・・捻くれた考え方だね。つまり、不思議だからこそ不思議でも何でもない。不思議なことしかないって言葉が、不思議なことは何もないっていう真逆の言葉と同じ意味を持つんだから」
「絡まってつながって、ひっくり返って裏返る。それが言葉の面白さ、文章に触れる醍醐味ってヤツだと思うけどね」
「・・・・・ほへー」
おもしろいなー。
そんなことを思いながら、姫宮の口から感嘆の息が漏れた。
ペラペラと活舌よく語られた和成の言葉を、姫宮は面白いと受け取っていた。
好みに合っていたのだ。
姫宮未来は、自分がしない発想をする人間が好きなのだ。
自分が持っていない視点で物事を見る人の、その価値観を知ることが好きなのだ。
新たな一面の発見こそ、人間関係を構築する醍醐味というもの。
「あはは、今こういうことを言うのは失礼かもしんないけど、平賀屋くんってなんか意外と『哲学者』っぽいよね」
「まぁ、否定はしないよ。ステータスが貧弱でさえなかったら、天職が『哲学者』ってこと自体は納得してたし」
「慈さんが『聖女』なのは、なんか意外だったけどねー。大人しい慈さんには合ってない気がする」
「そうか?俺はピッタリだと思ったけどねぇ」
一拍の間がおかれた際のその表情は、姫宮が学校では見たことのない表情だった。
「慈さんは強いよーーーーまぁ、見える景色が人によって違うなんて当たり前でしかないが」
その言葉が、再び姫宮の琴線に触れた。
「ーーフフッ」
だからそういう人間と会うと、むくむくと好奇心が湧いてきて積極的に関わろうとする。
だから姫宮がクラスで親しい友達は、自分の筋肉を鍛えるのが大好きなボーイッシュスポーツガールだったり、重度の動物マニアだったりする。
実に多様だ。
姫宮未来は、他人の個性を否定することなく受け入れる傾向の強い少女なのだ。
だからモテる。だから人脈が広い。
そしてそのことに気づいてない。
「ねぇ、もっと和成くんらしい、哲学的なお話が聞きたいんだけど」
この瞬間、姫宮は和成を友達と認定した。
「けど姫宮さん。トイレに行くって言って抜け出たのなら、そろそろ帰らないとあらぬ誤解をうけるんじゃないか?」
「このタイミングでそれを言うかね!」
無論、最後の余計な一言は和成の照れ隠しである。