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第73話 ジェンダーボーダーライン

 明日からゴールデンウィークなので、終了まで久しぶりに毎日投稿を行います!

 また、読み直してみると今までの展開が少々冗長ではと感じたので、これからは少し展開を早めにしてみようかと思います。


 よくよく見れば、和成がその恋愛小説を取り出した本棚には、それとは別に一冊ほど本が入りそうなスペースがあった。

 そして閲覧できた四谷の貸し出し履歴には、返却されていない本が一冊あった。

 その二つから想像の翼を広げれば、この結果は予想できたのかもしれない。

 今となってはもう遅いが。


「えっと、……キララちゃん?いったいどこから聞いて――」

「ッ!」

 姫宮がそう丁寧に切り出した途端、跳ねるように四谷は来た道を帰っていく。

 無理もない。姫宮のその態度が、言葉のかけ方が、腫れものに触るようなものそのものであったのだから。ただその状況に置かれた姫宮が咄嗟にその悪手を打ってしまったことも、同様に無理のないことであった。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「そこ!?」

 この場合は寧ろ、その場でそのような発言を速攻で行えた和成がおかしい。それも和成は姫宮と対照的に、一切の腫れ物に触るような態度を取っていない。

 今それを気にするのかと思わず思うような大声を、ただ器用に小声で発しただけであった。

 しかし姫宮の言葉で逃げ出したのとはこれまた対照的に、四谷は迷いながらも走るのをやめた。『ミームワード』によって、言葉から和成が四谷に対して抱く感情が伝わったことによるものだ。


 彼女が逃げ出したのは、滑稽であると突き付けられたように感じたからだ。


 しかし和成は、ただ彼女と向き合おうとしていただけだった。


 誠意だとか真心だとか。

 そんな風に表される情報が伝達される。


「一応言っておくが四谷さん!俺は姫宮さんにこの世界独自の本が読みたいって頼まれたから、今この時に渡そうとしただけだぞ!()()()()()()()()()()()()!」

 図書館ということで、和成は小声で大声を発した。間違いなく大声と言えるような声量ではないが、良く通る小声とも言い難い声だ。


 しかしそんな中途半端な声でも四谷に届き、彼女の足を縫い止めた。

 超賢者スペルより教わった、『ミームワード』の真価の一端である。言葉に情報を託し伝える、コミュニケーションのための能力。四谷にはそれにより、言葉に込められた“和成がその恋愛小説をどれだけ面白く感じたのか”の情報が伝わる。

 今まで感じたことのない感覚に戸惑い、彼女の足は動かない。

 何が起きているのかを理解しようとして硬直してしまっている。


 人脈が広く『哲学者』の天職を有する友人を持つスペルから教わった、『ミームワード』の使い方。

 その本質は言葉が嘘でないことを伝えられる能力であり、敵意や悪意がないことを伝えるコミュニケーションのための能力であった。

 少なくとも、和成はそう認識していた。


「―――なら、ぶ、部長はど、どのシーンで感動した……?」


()()()()()()()()()()()()


 同時に、ただそれだけの言葉で、自分の感情が動かされた記憶を、情報を、そっくりそのまま伝えることすら出来る能力であった。


 若干上ずった声で問いかけた四谷がその言葉を認識した直後、和成が言葉に込めた情報が彼女の脳内を駆け巡る。和成がページを開き文を読み進める高揚も、和成が想像の羽を羽ばたかせて思い描く物語のワンシーンも、全てが強い実感と共に想起される。


 和成の視点で感じたその本を読書した感覚を、四谷は疑似的に追体験したのだ。

 自分が感じたものとは異なる形の感動を、いまだかつて体感したことのない方法で味わった彼女はしばし呆然としてしまう。


 その衝撃は先ほどまで自分が抱いていた誤解や、それに対する自己嫌悪やみじめさが纏めて吹き飛んでしまうほどのものだった。


 想像して欲しい。ある小説の熱心な読者の、それこそ時間があれば何回も何回も読み直すほどにその本に感動した読者の、抱いた全ての感想や感動を一気に情報として叩き込まれたらどうなるか。

 今の彼女の状況はそれに近い。


「――――ぇ、あ?」

 和成が伝えた情報により一時的に思考が飛び、一瞬だけだが空白の瞬間が脳内に訪れる。『ミームワード』で伝えた情報は長続きしない。が、それは和成の演説が滑り込む余地にはなった。


「やっぱり、恋ってのは互いが互いを高め合うものがいい。破滅的な恋を恋とは呼びたくない。所謂ヤンデレだとか心中だとか、自分も他人も一緒に堕落するのは嫌いだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。愛し合う二人だけで世界が完結する究極の相互理解。国境も身分差も性別も年齢も乗り越えるような、覚悟をもって挑む恋愛が一番好きだ」


 四谷は嫌でも分からされる。

 彼が自分のことを、単なる同士として見ていることが。

 彼はただ一人の読書家として、自分の嗜好に関する美学を文芸部員である自分に語っているだけなのだ。


「……女の子同士の恋愛小説とか、気持ち悪いと思わないの……?」

 しかし、それでもそんなことを聞いてしまう。確かに、四谷は『ミームワード』の存在を知らないため、今の自分が経験している現象が何かは分からない

 ただそれでも、彼がそんなことを微塵も思っていないことは伝わっているのに。

 そういうことを聞かずにはいられない自分が嫌になる。気持ち悪いと言われれば傷ついて、気持ち悪くないと言われても、その言葉を信じられないのに尋ね返してしまう自分が嫌いだ。

「何を言っている」

 そして、四谷の人生観を一変させる言葉が伝わった。


()()()()()()()()()()()()()()()()()境界線ボーダーライン()()()()()()()()()無意味ナンセンス()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


☆☆☆☆☆


「この世に純度100%の男はいない。純度100%の女もいない。全ての男は女としての側面を持ち、全ての女は男としての側面を持つ。すべての人類は女性性と男性性を持ち合わせているもの。

 何故ならこの世の全ての人間が父親と母親から産まれるからだ。

 だから俺は母親から受け継いだ女性としての一面を持っているし、四谷さんも姫宮さんも父親から受け継いだ男性としての一面を持っている。みんなみんな、男の要素と女の要素を併せ持っている。それが当たり前だ」


「それは……そうかもしれないけど」


「そして父母両方に父母、つまり母方父方の祖父母がいて、その祖父母にも父親母親は必ずいる。でなければ人間は生まれてこない。父から受け継ぐのは男性性だけではない。その遺伝子情報には女性性の遺伝子も含まれている。巨乳の女の子がいたとして、その子の母親が巨乳だとは限らないだろう。父親が巨乳の遺伝子を持っていれば母親が貧乳でも娘が巨乳に育つこともある。それが個性というものだ。それが何世代も重ねられて、何百人規模を優に超えるご先祖様たちの、ごちゃごちゃに入り混じった男と女双方の因子を持って、俺たちは誕生するんだ。

 その時点で男女の境界なんて既にぐちゃまぜの混沌だ。

 胡乱で曖昧模糊としたものだ。

 だから第二次性徴には個人差があるし、胸や男根の大きさにも差があるんだ。稀に精巣もおっぱいもある、男でも女でもある人が生まれるんだ。ホルモンバランスが崩れてひげを生やす女の人がいるんだ。肉体の性と心の性が違う人もいるんだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 人間の体がそういう風にして生まれるんだから、不思議なことなど何もない。おかしなことなど何もない。当たり前に起こり得ることが当たり前に起きているだけじゃないか。

 だいたい産まれる前の人間はみんな女の子だぞ。産婦人科医の母が言っていた。受精卵からヒトの形に形成されてまもない胎児は、みんなみんな女の子なんだと。そこにホルモンが入っていくことで男の体になっていくんだと。それに人間の男女を決めるのは、染色体がXとXかXとYかの違いだしな。肉体的な性差は所詮、細胞よりも小さいDNAの中にあるその程度の違いによるんだ。多様な性の全ては誤差の範囲内みたいなもんだ」


「…………」


「性別も恋愛対象も、所詮は個人の一部である属性にすぎない。つまり属性が個性の上位にくることはない。四谷さんが女性が好きな嗜好だからと言って、それが四谷さんの全てを決めるわけじゃない。君がいわゆるレズビアンだとして、それよりも四谷綺羅々という少女がどのような人生を歩み、何をもって女性に惹かれるのかが重要なんだ。

 というか俺は、女性同性愛者Lesbian(レズビアン)、男性同性愛者Gay(ゲイ)、両性愛者Bisexual(バイセクシュアル)、そしてTransgenderトランスジェンダーといった言葉自体が嫌いだ。さっきも言った通り男女の境界なんて胡乱なもの。恋に性別の線引きは必要ない。単にこういった枠組みがあった方が議論しやすいし話も通りやすいから使ってるってだけだ。それ自体は別にいい。けど、あくまでLGBTは枠組みでしかない。個人の属性であり、個性の一部でしかない。四谷綺羅々という少女をレズビアンの一言で表すことは不可能だ。属性が個性より上位に位置することは、俺にとってはありえない。

 繰り返す。俺にとって重要なのは、四谷綺羅々本人であって四谷さんのレズビアンという要素ではない。個性より性別や属性が大事だと、俺にはとても思えない」



「――――な、なんで………」


「ん?」


「なんで部長は、そんなことを言ってくれるんですか………?」


「―――――――」


 四谷の言葉にいったん口をつぐんだ和成は、二人の会話の傍観者に徹していた姫宮へ目を向ける。

 姫宮は流れ出る和成の流儀と言葉に、ただ黙って耳を傾けていた。


「―――もういいか、カミングアウトしても。二人ともそこそこ縁があるし、両方口は堅いだろうし」


 だからその小さな声で発せられた独り言も、はっきりと聞き取れた。


「俺はね、無性愛者エイセクシャルなんだよ。肉体は既に成長しているのに、精神の一部が幼稚園児のままだ。恋が分からない。欲情が分からない。性的興奮というものが分からない。俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「――――え?」

 じゃあなんでそんなに、性のことに詳しいの?

 続く姫宮の問いを予想していたのか、その問いが出る前に和成は答えた。


「性について実感してないからこそ、余計なトラブルを避けるために知識を身に着けたんだよ。幸い両親が医者だったからな。しかもそのうちの一人が性関連の医者だ。“女の子になりたいのなら早めに言いなさい。手術代は出してあげるから”とか、“あなたが男の恋人を連れてきても気にしないから”とか、幼少の頃から言い含められる環境で育ってきた。オダ―親切のやつ―に言われて、小学生の時、同級生にアンケートをとるまでそれが当たり前だと思っていた。それに人体に関する資料は書斎に多くあったし、知識の収集にはそこまで苦労しなかった。

 ただ、俺は自分を無性愛者エイセクシャルであると言い切ることは実はできない。無性愛者エイセクシャルというのはあくまで便宜上、それが最も伝わりやすく表現として適しているから使っているだけだ。そもそも無性愛者に関する研究はLGBT以上に進んでいないし、俺はまだ17歳だ。たまたま性の目覚めが少し遅めだというだけかもしれない。時間が経てば周りと同様に自然に芽生えてくるのかもしれない。それが明日なのか、一カ月後なのか、一年後なのかは分からないけどな」


 そこまで口にして、再び四谷の方へ向き直る。


「微妙なんだよ、俺の場合。けど、性ってものはそもそも微妙なものなんだ。性的嗜好もそう。俺がもし精神的な性が芽生え、男に対して初恋を抱いたとしよう。けどそれだけで俺が同性愛者だと決めつけるのは早計だろう。生まれて初めて好きになった対象が、たまたま男だっただけの可能性もある。逆もまたしかりだ。男が好きな男がいて、しかしその男が好きになったやつが、偶々女である可能性だってある。だから俺はレズビアンだとかいう枠組みに人を押し込むような真似が嫌いだ。

 それじゃあまるで、恋愛の形を決めつけるのと同じじゃないか。そんなのは可笑しい。レズビアンだって男を好きになるかもしれない。ゲイが女を好きになることもあるかもしれない。個人に着目すれば例外なんていくらでもいる。

 LGBTはあくまで枠組みであり、個人の性的嗜好を分かりやすく言葉で表しているだけにすぎない。属性が個性の上位にあってはならない。

 見つめなければならないのは個人の人生だ」


 何時の間にか、そう語る和成と四谷の目が合っていた。

 二人は自然と見つめ合っていた。


 和成が真っすぐに四谷へと向き合って居たからだ。

 四谷がうつむいていた顔を上げたからだ。


「―――部長は、別に私のことが好き、とかじゃないんだよね」

 だから四谷も真っすぐに、自分の思ったことを口に出来た。

 誰かに対して“私のことが好きなの?”だなんて、まさか自分が口にするとは思わなかった。そんな自意識過剰な事、違うと言われたら恥ずかしすぎるからとても言えなかったのに。


「じゃない。俺は恋愛なんて分からん。四谷さんじゃなくて、他のクラスメイトの誰が同じ問題で悩んでいたとしても、俺は似たような行動をとっていただろうな。費やす言葉は変えてたかもしれないし、自分が無性愛者であることまでカミングアウトしたかどうかは分からんが」


「……部長は、色んな人たちから愛をもらってるんだね」

 黒いローブの奥で四谷は。

「でないと、恋を知らないのにそんなに人に優しくできないよ」 

 何時の間にか笑っていた。


 そしてその率直な褒め言葉は、実に和成好みの褒め言葉だった。

 そのはかなげな微笑みは、姫宮から見ても実に魅力的な笑顔だった。


「――いま、部長の話を聞いて、思うところができました。・・・私はもしかすると、姫宮さんに恋をしていた訳じゃないかもしれない。――相談に、乗ってくれませんか……?」


 そしてそうお願いした時にはもう、四谷には和成が自分を拒絶する未来が想像できなかった。

 和成は結構ロマンチストです。論理を重視しながらも、最終的には感情で結論を出すことが多いです。

 自分の感情を納得させられる論理を探している、とも言います。

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