第71話 姫宮の恋愛相談
姫宮未来という少女にとって、平賀屋和成という少年は独特の立ち位置にいる。姫宮の心の一部に住まう彼は特殊な場所にいて、姫宮から見た和成と自分の関係性は、彼女が今まで築いて来た人間関係の中でもかなり特別であると言える。
その関係性は、一言で表すなら友達である。
ただ、それは姫宮が仲良しの四人と築いた友情とは何かが違う。向ける感情は親愛であり友愛であるが、それだけとも言い難い。
家族や友達に相談できない相談も、彼なら相談できるように思えていた。
姫宮には平賀屋和成という少年が、誇り高く自分の何倍もの人生を積み重ねているように思えるからだ。
自分以上に大きな器を持っているように感じるからだ。
善良にして優秀。そして誇り高い。
和成自身をそう褒めても、彼は卑下して一切それらの褒め言葉を受け取らないだろうが、姫宮は少なくとも和成がそういう人間であると考える。
多様性の許容。互いの価値観の許容。
何度も言葉を交わせば、目の前の少年が自分の価値観を絶対視していないことが分かる。ただどちらかと言えば、絶対視しないように気をつけていると表現した方が適切かもしれない。
彼は自分の認識を、そもそも正しいと思っていない。そんな風に思う。
自分のことを、もしかして間違っているのでは?と、常に疑いながら生きているように思う。
真似できないと思った。とても面倒な上に、自分のことを常に疑いながら生きるなんてしんど過ぎる。不安定な足場で人生を過ごすなんて耐えられない。
何故そんなことができるのか。
それは、彼が強烈なアイデンティティを確立しているからだろう。
自分の土台と根っこ、そして自我を貫く柱と自分の世界。それらが全て強固かつ堅固だから、他人との価値観の違いを許容できるし、自分の認識を疑っても揺るがない。
自分を疑うなんて、その程度では彼の足場は微動だにしない。
姫宮はそんな風に思った。
それが何時のことだったのか姫宮は覚えていないが、例えば二人きりの時にこのようなことを言われた。
「一冊の本を作るのに、人は人生の一部を消費する。本を一冊埋め尽くす文字を執筆するには、数年数十年かかる人もいるだろう。もっと多いかもしれないし少ないかもしれないが、それだけの時間を、自分の内なる世界を文字で表すために白い紙と向き合う訳だ。
一冊の本には費やされた言葉の量だけ、その人の人生が書いてあるんだよ。読書とはその人生の一端に触れる行為だ。経験したことのない体験でも、ページを開けば体験できる。知らないことを知ることができる。他人の人生を追体験し、自分の人生に加えることもできる。本に書かれた他人の価値観――自分では思いつかないような発想を吸収できる。
本物の人生ではない。けど嘘の人生でもない。本を読んで動かされた感情や芽生えた思想は、間違いなく読者の人生の一部だ。俺の人生に厚みがあるように姫宮さんが感じてるのなら、それはそういう行為を俺が繰り返してきたからだろ」
そう自然体で言える人間になりたいと、姫宮は本を片手にページをめくりながら語る和成を見て思った。
対して自分はどうだろうか。
本なんて教科書以外何年も禄に読んでいない。
小説と言えば現文の教科書に書かれてあるものしか思いつかない。
自分の人生が、酷く薄っぺらいものであるように思えた。
「姫宮さんの場合、単に部活動と勉強の両立を、文武両道をまじめに邁進していたからこそだと思うけどね。恥じることはないんじゃない?毎日毎日ヘトヘトになるまで練習して、テニスの全国大会でいいとこまで行ったんでしょ?」
和成くんが羨ましい。
自分が持っていないものを沢山持っている。
ほんの雑談から、そんなコンプレックスから悩みまで、いつのまにか引き出されていた。
「何かをするってことは他の何もかもをしないってことだ。そんなことを言うなら、姫宮さんだって俺が持ってないものを沢山持ってるだろ。俺がやったことのないことをやったことがあるだろ。
全部は手に入らない。時間は有限だ。選べる選択肢も有限だ。そして一度に取れる行動はそう多くない。人生は長いけど、何もかもをやるには短か過ぎる。人間の脳は大きいけど、この世の全ては入らない。世界を丸ごと入れるには小さ過ぎる。――まぁ、自分が持ってない人が持ってるものを欲しがる気持ちは、俺にも分かるけどね」
誰にも言ったことのない不安。
このままでいいのか。もっと他に、やるべきことがあるのではないか。
そういつの間にか口に出していた。
「そんなのきっと誰だって思ってると思うがね。人生の責任は自分にしかとれない以上、みんな悩んでるはずだ。自分以外の誰も、責任はとってくれない。だから悩む。悩まない方が、後々しんどいと俺は思うぜ」
きっと彼は私の数歩先を歩んでいるのだと、姫宮は思う。人生という階段を数段先に上っているのだ。
自分が抱える悩みは全て、既に彼が悩み終わった後で、答えを出した後なんだと思えてしかたがない。
「そんなことあるわけがない。これから俺が辿る人生と姫宮さんが辿る人生は全くの別物だ。俺の答えを参考にするのはいいけど、丸パクリはするなよ。自分の悩みの答えは自分で出さないとつまらないぞ」
おそらく彼にとっては、私のコンプレックスと向き合うことすら勉強なんだ。
教えてあげようだなんて考えていない。
ただ向き合い、その経験を自分の人生の糧にしようとしている。
おそらく彼は、人の人生を収集するのが好きなんだ。人の人生から教訓を得て、自分の人生に組み込もうとしている。
何故そこまでするのだろうか。
「人生をより良くするため。魂をより良いものにするため。俺という個人を高みに導くため」
コップの水を飲むようかのにそう言った彼を見て、素直に羨ましいと思った。
ああなりたいと思った。
だから私は和成くんの話を聞くのが好きなんだと理解できた。
私は、彼を、尊敬しているのだ。
彼なら私がどんな告白をしても、それを自分の人生の一部にしてしまいそうな、そんな安心感がある。
どんな相談も飲み込んで、丸ごと受け止めてくれるんじゃないかと思った。
☆☆☆☆☆
だから、和成に対しそんな感想を持つ姫宮がその相談を真っ先に和成の元へ持ってきたのは、至極当然の流れであった。
「どうしよう和成くん!クラスの女子に告白されちゃった!」
「ふーん」
メルに退室して貰った王城の和成の自室にて。姫宮の予想通り、和成はその相談をいとも簡単に受け入れた。だからこそその反応は、ラブレターに戸惑う友人を励ますでも茶化すでもない実に素っ気ないものであった。
「もっとないの!?私としては大ニュースなんだけど!」
「――言っておくが、恋愛についてなら俺はアドバイス出来ないぞ。恋なんてしたことがないんだ。恋愛相談には乗れない。下手に口を挟みたくない。人様の恋路を邪魔する馬鹿は、馬に蹴られて御陀仏よ」
もしもこれが女子からではなく男子からの告白であっても、和成が取る態度は全く変わらなかっただろうと思わせられる口振りだ。
一線を引き、その境界を越えないように心がけていることが伝わる態度。
あるいはそれが簡単に伝わるということが、言葉に情報を乗せて伝える『ミームワード』の効果なのかもしれない。
そして姫宮にとって、その態度が変わらなかったであろうということが安心に繋がる。それこそが、姫宮が和成に相談を持ちかけた理由であるから。
「この世に不思議なことなどない。起こらないことは起こらない。起こることしか起こらない。40人も集まれば、1人ぐらい異性より同性に惹かれやすい奴がいてもおかしくない。不思議不思議というのなら、人が誰かを好きになること自体が不思議だ」
「――うん、和成くんならそんな感じのことを言う気がしてた」
姫宮はとにかく、この話を大事にしたくなかった。
話が拗れて誰も幸せにならないのは嫌だった。
だからこそ和成を最初の相談相手に選んだのだ。
彼の母親は産婦人科医。
つまりは性別の専門家。
男女平等というものに自分なりの考察を見せた彼なら、きっと広い視点からゆとりを持って相談に応じてくれる。
そう信じていた。
彼ならきっと、安易に否定することはないと思えたからこそ、姫宮は和成を相談相手の第一号に選んだのだ。
「なるべく穏便に済ませたいんだよ、私は。できるなら周りに広がる前に。クラスの皆が全員、そういうことに寛容かは限らないしさ・・・・」
「その告白を姫宮さんが受けて、お付き合いするつもりだからか?」
「違うよ!」
そう言う和成の目は実に澄んでいる。姫宮が男子と付き合おうが女子と付き合おうが、彼の態度が変わることはないと思わされる目だ。
きっとどうでもいいのだろう。
姫宮が誰と付き合おうが、自分と彼女の友情が壊れると思っていない。
「私は断るつもり。だって、そういう目で見えないから。私にとって、あの子は恋愛対象じゃない。付き合う光景が想像できない」
「なるほど」
「けど、別に嫌いな訳じゃないんだよ!あくまで恋愛対象じゃないってだけで!だけど、このこと知ったら、相手の子を傷つける人が出てくるかもしれないじゃん。付き合うつもりはないけど――相手の子を頭がおかしいとかキモいとか、そういう人格否定する人はぶん殴ってやりたいと思うし」
姫宮のスタンスは、自分以外の人と行うのなら祝福も応援もするが、自分を対象にされた想いに応えることはできないというもの。
要は何処にでもいる多様性を是とする善良な一般人と同じだ。
「分かる分かる。その懸念は分かるよ。物事を狭量かつ悪意的に解釈する奴は、多かれ少なかれ必ず何処かにいるからな。自分の世界が全てで、自分が大嫌いなものが大好きな人がいることも、自分が大好きなものが大嫌いな人もいるってことも受け付けないタイプ。告白が周知されると、その女子に攻撃的になる人は確かに出てきそうだ」
「だよねぇ!別に嫌いじゃないんだよ!けどあの子はあくまで友達で、私にとって恋愛対象じゃないんだよ!」
「ふむ――ならしかしどうする。とれる手段は多くない。というか、明確にお断りするしないんじゃないか?付き合う気はないんだろう」
「だよねー」
和成の言葉に対する返答の軽さとは裏腹に、姫宮の表情は鉛のように重い。
憂鬱と顔に書かれてある。
そしてそこから、流れるように愚痴と不満と不安が溢れ出した。
「しんどいよー。あんっっっなに真剣に告白してきた人を断るの、しんどいよー」
「分かる分かる」
「今まで告白してきた人はみんな、チャラいというかテキトーというか、付き合っちゃわない?って感じだったからさー。断りにくいんだよぉぉぉぉ」
「分かる分かる」
「けど恋愛対象に見れないんだよぉぉぉぉぉぉ」
「分かる分かる」
姫宮の愚痴と不安に付き合いながら、和成はハクから貰った龍仙薬茶を入れ始めた。高級茶であり高い抗鬱作用や鎮静効果を持つ健康食品だ。飲むだけで心が落ち着き、冷静で澄んだ気持ちになれる。
その龍仙薬茶を、姫宮はカップ一杯分ひと息に飲み干した。
「何が怖いって関係が壊れるのがだよ!嫌なんだよ折角の友情が崩れるのが!断るにしろ受けるしろ、どっちにしろ関係が変わっちゃうじゃん!しんどいんだよ!!めんどーなんだよ!!」
「分かる分かる。はい飲んで飲んで」
真剣な表情で相槌を打ちながら、しれっとカップに追加の龍仙薬茶を注ぐ和成。
そのまま姫宮は飲む。
「本気で告白されたんだから、私だって真剣に向き合うべきだとは思うよー。けどさー、それで相手を傷つけるかもしれないと思うとさー・・・・自分がまるで、差別的で非寛容な人間に思えてくるんだよ・・・・。ぶん殴りたいぐらいに嫌いな人たちと同じに扱われる気分になる。嫌だよー、憂鬱だよー」
「分かる分かる。難しいよな」
話に付き合い愚痴に付き合いながら、どんどん和成は情報を引き出していく。そのまま気分が良くなったのか、ペラペラと姫宮の舌が回り始める。
そのまま暫く話を聞いていると、やがて姫宮の深い部分の心情が表に現れた。
「分かる分かる。告白に応えるのは面倒くさい。なんで自分がこんなに悩まされないといけないんだーって思う所もある。…けど、断るしかないんだけど、けど、悪い気分じゃないんだろ」
「そうなんだよ!いやねいやね、私ね今回ね、本ッ気で真剣な心情が書かれたラブレター貰っちゃったんだよ!私のどういう所がどういう風に魅力的なのか、詳細に書かれててさぁ!相手が男子だったらそのまま付き合ってもいいかなと思えるぐらい情熱的なんだよ!けど女の子は恋愛対象じゃないんだよ!好意を向けられるのは嬉しいけど、それに応えられないから罪悪感が募るんだよ!嬉しいのは嬉しいけどさ、それはそれとして付き合う気にはなれないんだよ!!
けど真っ直ぐで情熱的なんだよ!純粋でキラキラした思いがラブレターから伝わるんだよ!それを気持ち悪いとか思いたくないし言いたくない!けど、断るとそう言ってるみたいになって嫌になる!」
「つまり、人の真っ直ぐな感情とがっぷり組み合ってる証拠だろ」
とぽとぽとぽ。再び追加で龍仙薬茶が注がれた。
「・・・・そうでもないよ。だって私、めんどくさいって思ってるもん」
「しかし、“向き合わない”って選択肢がないから悩んでるんだろ。既に答えは出てて、それを実行するのが不安で、だから今相談している」
「・・・・・・・」
そう言われて姫宮は、黙って龍仙薬茶を飲み干した。
和成は、その時その時に一番欲しい言葉を言ってくれる。
さらに『ミームワード』で誠意だとか真心だとか、形のないものまで込めて伝えてくれる。
ハクやジェニー、ルルルやハピネス、ライオンハルトやシュドルツが、定期的に和成と話をしたがる理由が、その時に姫宮は分かった。なぜ自分が積極的に和成と話したがっているのかも理解した。
彼と話しているだけで、ストレスが和らいでいるからだ。
「はぁ、全く・・・・どうして急に告白してきたんだろう」
しかしそのストレスが和らぎ落ち着いた心境は、続く和成の話題で乱された。
「そりゃーこの世界の影響を受けたからだろう」
「どういうこと?」
「だってこの国、女同士の恋愛に寛容だからな。そして男同士の恋愛に厳しい」
「――え?」
「で、そのことに関連して聞きたいんだけど――」
どういうこと!?と反応する前に、和成の口から言葉が紡がれ終わる。
「姫宮さんに告白したのは○○さんじゃないか?」
そしてその名前は、正しく姫宮に告白した少女の名前だった。




