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第53話 認識と深層

 

「ルルルは見え過ぎるから眼帯をしているんだよな。確認するが、それは厳密にはどういうことだ?どういう風に見えている?」

「えっと・・・・私は瞼を閉じても、開いている時と見える景色が変わりません。瞼を透かして周りのが見えてしまうのです」

「成る程」

「ですから幼少期には、瞼を閉じると何も見えなくなるということが理解できませんでした」


(ーーーー今だってそこまで大人という訳じゃあないと思うが・・・・・・)

 周りと異なる自分に苦痛を感じていそうな態度で語るルルルに、和成はそんな感想を抱いた。しかしそれを口にしてもしょうがないので、まずは話を聞くことに専念する。


「ふむ・・・・じゃあ、人が物を見る過程プロセスは分かっているのか?」

「物体に光が当たって、その光が跳ね返って目に入る。その光が目の奥で像を結ぶことで景色を認識する・・・・と、賢者様に教えられました」

「成る程。ーーーーなら、その「目の奥で結んだ像」という情報を処理するのが頭であることは知っているか?」

「ーーーえ?」

「俺たちは目の前に映る景色をそのまま見ているわけではないということだ。頭の中に詰まった脳みそという器官によって整理された視覚情報のみを、俺たちは認識して生きている」

「そんな話は生まれて初めて聞きました」

「何故か知られてないんだよな。この世界の文明は俺たちの世界とは別のベクトルに進歩しているのに。まぁ、『回復薬ポーション』とか『治癒魔法』とかで原因が分からずとも治せてしまうから、あまり人体の神秘に関する研究が進んでないんだろうけど。二人とも、こういうのは知っているか?」


 そう言って和成は、おもむろにポケットから万年筆を取り出した。厳密に表現するなら構造が異なるため万年筆という呼称は不適切だが、外見と使い勝手は殆ど変わらないので万年筆と記す。

 そしてそのまま、指で水平につまんだ万年筆をゆらゆらと微細に揺らし始めた。


「なんというかは忘れてしまったがーーーーこれが脳が処理した情報しか見えないということの証明だ」


「ーーーーな、なんで、ぐにゃぐにゃに曲がってるんですか!?」

「一定の速度を超えると一部始終の判断がつかなくなり、連続して動いているように見えるからだ。その証拠に、『観察』のスキルの動体視力と『思考』のスキルで引き伸ばした体感時間でこれを見てみると普通に動いているだけなのが分かる。『敏捷』のステータスが高い二人なら、集中すればそう見えるんじゃないか?」

「・・・・確かに、そのように見えますね」

 ハピネスが興奮しながら身を乗り出し、ルルルも真剣に揺れる万年筆(仮)を見つめている。


「ーーーーちなみに、こういう目の錯覚なら色々と知っている。描いてみようか」

 キュポン、と。

 二人の目の前でキャップが万年筆(仮)から抜かれる音が響いた。

 流れるようにメルから紙が渡される。

 その手には一緒に、何時の間にか定規が握られていた。

 この辺りの段取りの良さがあるから、和成のアドリブはアドリブな気がしない。

 まるで予め用意していたかのような準備の良さだ。


~~~~~~~


「ーーーーと、大体こんなところだな。思い出せるアンド俺の画力で表現できるだけのものは取り敢えず描き終わったぞ」


 机に広がる紙。それらに書かれた錯覚図。

 その全てを、ハピネスとルルルが熱心に見つめていた。


「うーん、不思議です。曲がって見えるのに定規を当てるとちゃんとまっすぐな線なのです。不思議です・・・・・・」

「ハピネス、この世に不思議なことなんてない。起こり得ることしか起きないんだ。起こらない現象は絶対に起こらない。起こらないと思っていた現象が起きたのなら、それは前提が間違っていただけのこと」

「うーん・・・・・・」

 そう言われても、ハピネスには納得がいかない。それぞれの線分の両端に内向きの矢羽と外向きの矢羽がついた、ミュラー・リラー錯視という図とにらめっこを続けている。


「・・・・・・・・」

 ルルルもまた、眼帯で半分ほど隠れているとはいえ神妙な顔で見つめていた。


「和成様は、何故このようなことを知っているのですか」

「個人的な趣味だな。人間の知覚の違いが何によってもたらされるのかに興味がある。環境、性差、肉体的な能力差、遺伝子の違い、文化の違い。それらが人間の意識に与える影響について独学で調べている。尤もそれ以外にも、生きる上では何の役にも立たなそうな知識を集めるのが趣味、というのもあるがな」

「知覚の違い、ですか・・・・・・・」

「俺たちは決して目の前にあるものをあるがままに見たり聞いたりしている訳ではない。脳や意思が恣意的に解釈し選別した情報しか認識できないんだ。例を挙げるならそうだな・・・・例えば、雑踏の中で個々の声なんて紛れて聞こえないのに、自分の名前を呼ばれた時は妙にハッキリ聞き取れる。本を読んでいると、新しく知ったり意識していたりする単語がやたらと目につく。時間経過で悪臭の中でも鼻が慣れる。どれかは体験したことがあるんじゃないか」

「それは・・・・確かにあります」

「これらは皆、脳が感覚器官から伝えられた情報を選別することによって起こる現象だ。そこにあるものをそのまま認識している訳ではないし、個人によって差もある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 見えている世界が人によって違うなんて当たり前のことだ。

 その言葉を受けてルルルは、喜色が滲みながらも不安が勝る表情を浮かべた。

「ーーーーし、しかしこれでは森が見えることの説明ができないではありませんか。見えるだけでなく、あまつさえ聴覚や触覚にまで影響を与えるなんて」

「それは共感覚なんじゃないかと俺は思っている」

「ーーーーーーーーー!」

 しかしその吐露した懸念は即座に叩き潰される。そうされてしまえば、いったい何と言えばよいのか。

 そしてその、二人の()を埋めたのはハピネスだ。


「共感覚、とは何なんですか?」

「特定の刺激に対して、通常の感覚以外の感覚が同時に生じる特殊な知覚現象のことをいう。例えば文字を読む時に色を感じたり、音を聞く時に色を感じたり、形を認識する時に味を感じたりする。そういう現象があるんだよ」


「ーーーーしかし、それでは森が見えることの説明にはなっていません!」

「そこは集合的無意識というやつで説明できるんじゃないかと思ってる。人間は見たことのないものを理解することはできない。だからそういうものに直面すると理解できる形で無理やり認識しようとする。さっき色々見せた錯覚を引き起こす要因の一つだな。そしてその際に自分の知識や経験と照らし合わせ、似たようなものに置き換えて感じ取る。この時、心だとか意識だとか呼ばれるものの底の底にある無意識という領域の、全ての人が持つ個人の経験を越えた先天的な共通意識が働くことがある。

 時代も国も違うのに、同じような考え方、文化、物語が残っている。その原因がこれだと言われている」


「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 すらすらと流れ出る論理的な言葉に、ルルルはただ押し流された。

 疑問を口にしようとする前に和成の言葉が紡がれたからだ。


「あと、ルルルが今つけている眼帯。そのいかにも遮光性の高そうな黒革の眼帯をつけたままでも普通に見えるというのが気になった。もしかするとその目は普通の人には見えない光まで見えてるんじゃないかと思うんだよ。生物の中には人に認識できない音を聞いたり色を見たりできる奴がいる。そういう特殊な作りにその眼はなっているのではないかと思う。だから目が良過ぎる。

 その結果、人と接したときに目が常人以上に大量の情報を仕入れる。それを脳が無意識のうちに処理する過程において、これまた生まれ持った共感覚によって五感にまで視覚情報が溢れてーー影響を及ぼしているのではないかと思う。視覚からの刺激のみならず、視覚によって引き起こされる諸々の体感や情報も感じてしまうわけだ。それを理解できる形で処理しようと脳が無意識のうちに働いた結果ーー」


「・・・・集合的無意識によって、森という形で解釈される。そしてそれを認識しているーーーということですか・・・・」

「俺の予想をまとめるとそうなる。例えば気配というものがあるだろう。あれは実際に気配というものがあるんじゃなくて、音だとか残り香だとか空気の揺らぎだとか、そういうのを五感から無意識に感じ取ってるだけだと聞いたことがある。或いは、経験からくる職人の言葉に出来ない感覚だとか技術もそうだな。意識してないところでも体は勝手に感じるもんだ。はっきりとは自覚できない微細な感覚を無意識のうちに感じ取っている、という話なら例の列挙に苦労はないと思うぞ。王城の図書館にもそういうことが書かれた本はある。漠然としていて本来なら像になることのないそれを、ルルルの場合は良過ぎる目と共感覚が明確な感覚として知覚するのではないか、と考えた」

 淡々と口にされるそれらの言葉は、なぜか不思議と受け入れられた。

 初めて聞く解釈なのに、妙に腑に落ちる印象がある。


「ーーー私は、有りもしないものを見ている訳ではないのでしょうか・・・!」

 そして、和成の仮説に応えるように漏れたその切実な声は、その懸念こそが彼女の胸に疵を生み出している楔であることを直感させるには充分であった。


「確かに、実際に存在しないものを見ているという点ではそう言えなくもない。ただ、原因があって過程がある以上、当たり前のことが当たり前に起きているだけだろう。俺の仮定が正しいとするなら、ルルルの体の構造からはそれが当たり前の反応なんだ。単にルルルの見える範囲レンジが少し広くて、感じ取り方が少し違うだけ。有りもしないものを見ているという表現は不適切だ。

 俺たちでは認識できないものであるから有りもしないということになるだけ。それがルルルには認識できるから、ルルルの感覚器にとってそれは有るものになる。

 それだけの違いだ。どっちが間違っているとか正しいとか、そういう話じゃない。そんな区別を作ることに意味はない」


 だから和成は否定し、肯定する。


「そもそも、俺たちが見ている世界は全て、感覚器官から受け取った情報を俺たちの脳が感知してるだけの世界でしかない。脳の感知なくしては世界を認識できない以上、そもそも外側に何があるのかどうか主観を排して客観的に判断する術がないんだ。有りもしないものを見ているのがルルルだけだと断言する方法なんてない。俺が今見ている景色が、脳が勝手に認識した世界の可能性は常に残り続ける。

 脳の認識が全て。

 仮に有りもしないものが見えようが不思議でも異常でもない。ただ当たり前に起こり得ることでしかない。

 そして脳が()()と認識していれば現実がどうだろうが関係ない。結局のところ人は主観でしか判断できないんだ。物質世界がどうであろうが内在世界がそう認識していればそれが全てだよ。正解だの間違いだのと言われてもどうにもならん。

 この世は当たり前でできている。起こりうる事しか起こらない。起こらない事は絶対に起こらない。

 異常は日常の一部でしかない。日常と異常の間に差なんてない。

 誰かが勝手に境界線ラインを引いているだけだ」


 いっそ過剰と言えるほどにまくし立てる。

 そういうことを断言し、四六時中考えているような人間だから、彼は『哲学者』の『職業』が『天職』だったのだろう。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そして、その激励の言葉を受けてルルルは。


「ーーーありがとう、ございましたッ・・・・!」

 何時の間にか泣いていた。

 その認識が異常でも何でもないと断言してもらえたことで、やっと彼女は自分の気持ちに決着をつけられたのだった。


☆☆☆☆☆


「ーーーーそう言えば話の流れで深くは聞かなかったが、俺と目が合った時はどんな森が見えたんだ?」

 正直なことを言えば、適切ではないと思うながらも、この時和成は少しワクワクしていた。彼女の神秘的と言えなくもない認識において、自分がいったいどう映ったのか強い興味があったからだ。

 しかし、それに対するルルルの答えは和成からしてみれば肩透かしもいいところだった。


「ーーーーそれが・・・・覚えていません」

「覚えてない?」

「はい、夢から覚めたばかりなのに何故か内容を覚えてないような。そんな感覚が残るばかりで」

「そうか・・・・まぁ、俺も極まれにそういうことがあるから分からんでもないがーーー少し残念だな」

「し、しかし、とても楽しかったかことだけは覚えてるんです!現実に戻ってからもまだ胸がドキドキしていて、まるで見たこともない世界にふれる直前のような、期待が高まる鼓動がずっとなり続けていたんです!!」

「別にそこまでフォローしてもらわなくても。少し残念だってだけだぞ」

「嘘ではありません!本当にそうだったのです!」

「ーーーーふむ」

 ルルルの必死な態度を見る限り、確かに嘘は言っていないようだ。


(となると、俺がこの世界の住人でないことがルルルの無意識に影響を与えたのか?見たこともない世界にふれる直前、と言っているし・・・・)


「それに、先ほどのように見たはずの森を忘れてしまったことは、今回以外では()()()()()()()()()()()()なんです!!」


☆☆☆☆☆


 和成がそのくだんの「超賢者」と呼ばれる『学術都市エウレカ』の最高責任者と顔を合わすのは、それからわずかに数時間後。

 ちょうど世界会議の真っ只中のことであった。


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