第52話 王女と『姫巫女』と『哲学者』
ルルル・ホーリー・ヴェルベット。
その名前を聞いた瞬間に、『意思疎通』のスキルよってルルルという名前が鐘の音色から来ているという情報が流れてくる。
鳴り響く白銀の鐘の音・神聖なる・閃光の布。
それが、目の前の少女の名前。
白絹が編み込まれた、窓から差し込む陽の光を淡く反射する貫頭衣。
同じく陽の光を反射する、透明感の強いガラスのような銀髪。
右手に握られた錫杖も、五指にはめられた指輪も、頭頂部を彩るティアラも、その全てが美しい銀色だ。ハピネス曰く、あれらは全てが真銀製の魔聖具であるという。魔と聖は反する概念であるように思うかもしれないが、魔法が当たり前のこの世界ではそんなことはない。
ただ、彼女の最も特異な点はその美しい容姿や服装ではなく、装飾品の数々と一切の調和が取れていない目を覆う黒革である。
てかる黒革は分厚く、あれでは一切の視界を封じているも同然だ。光を通しているとは思えない。
しかしそんな和成の感想に反して『姫巫女』ルルルはすたすた歩き、真っ直ぐに迷いなく和成のもとへ握手を求めた。
「ハピネス様よりお噂はかねがね。ここには今、信頼する私の側近以外はおりませんので、どうかハピネス様と接するのと同じように、くだけた口調でお喋りくださいませ。ルルルと呼び捨てにして頂いても構いません」
「ああ、分かりまし・・・・・了解した」
少し砕けた口調を意識しすぎて、普段使わない口調になってしまった。
いくら自分がある種の特権階級にいて相手もそれを認めてくれているとは言え、一国の重大な立場にいる人物に、砕けた態度で接するのは難易度が高い。一応は相手が明確に自分よりも年下なので出来なくはないが、これが年上の人物であったならおそらく無理だっただろう。
(これ、ひょっとするとこの子より立場が低い大人に対して敬語を使っちゃダメなパターンか?)
ただ、ルルルはそんな和成の態度に対して柔和な笑みを浮かべているだけだ。
「ーーーーうふふ。ご心配なさらず」
くすくすと笑うその表情は年相応の少女のように、顔に巻かれた黒革のために見えなかった。
☆☆☆☆☆
席に着き、まずはたわいもない雑談から始まる。
「その革の眼帯は・・・・・」
「ちゃーんと見えてますよーぅ」
「盲目だからではなく、見え過ぎるから、でいいのか?」
「ーー正解です。驚きました。ハピネス様から答えを聞いていたのですか?」
「いや単なる予想ですーーだ。視覚以外の五感を駆使しているのかとも思ったが、態度を見てそうではない印象を受けた。握手する前に一度、革ごしに俺と目が合ったよな。盲目なら、そういうことは起きないのでは、と」
「うふふ、勘が良いのですね。同時に素晴らしい『観察』眼です。さすがは、『哲学者』の天職を得ただけのことはあります。対象を観察し、問い掛ける存在。なかなか強力そうなスキルだとは思いませんか」
「どうだかね。観察という行為そのものが観察対象に影響を与えることもあるし、そもそも人の認識の埒外に存在する現象は山とある。観察のしようがないものも、観察という行為に意味がないものも、海より深くあるだろうし」
「なるほど・・・・。例えばどのようなものがありますか?」
「家族、がそうだろうな。家族の中では当たり前な暗黙の了解が、他の家族からしてみれば当たり前でも何でもない、というのはよくあること。しかしそのことを自覚し観察してしまえば、自覚していなかった自分を正確に観察し直すことは不可能だ。自覚してない状態で自分の異常さを観察することは不可能で、自覚して観察しようとした時には当たり前は既に当たり前ではなくなっている。観察によって観察対象は変化する。観測しようと考えている時点でもう駄目。知ることで変質してしまっている」
「・・・・そうですか」
『哲学者』らしい態度を望んでいたようなのでそれっぽいことを答えると軽く引かれてしまった。まくし立てるような喋り方が悪かったのかもしれない、と推測する。
ただ彼女の場合、実際に引いているのか話を戻す為に敢えてその行動をとっているのか、区別がつかない。
「ーー要するに、人間の認識なんてあまり当てにはならないということ。目が良過ぎる貴女のように、感覚には個人差も大きい訳で」
「ーーなるほど」
しかしその直後、和成が続けた言葉にルルルは強い興味を抱いたようであった。軽く引いていた態度から一転、対照的に食い気味に見える。
それもまた、主観であるので参考程度にしかならないと和成は考えているが。
「和成様は面白いことをおっしゃいます。『哲学者』、だからでしょうか」
「何をもって哲学者とするかにもよるだろうね。『職業』としての『哲学者』と、職業としての哲学者は違います。まぁ『職業』は仕事よりも役割や称号の意味合いの方が強いみたいだから、概念に思いを馳せないことが出来ない俺は、哲学者なのかもしれない。
哲学者とは職業ではなく、考えることをやめられない病気の一種と称した哲学者を知っている。まぁ、哲学者も『哲学者』も、この世界には少ないようだが」
「哲学で食べていけるとは思えませんからね。それに生き残るには厳しいこの世界で、一切の戦闘能力を持たない『職業』を選ぶ方は極めて少数ですもの。適性があり、得られるとしても、選択するかどうかは別の話」
「俺だってそうだ。他の『職業』を選ぶことが出来たのならそうしていた。自分の身を自分で守れる程度の能力がある『職業』を選んだと思う。ーーーそれでその、俺の着眼点を借りたいというのは、その認識についてのことでいいのか?」
ようやく、本題に入れる。
そしてそれこそがハピネスと共に大聖堂を訪れた理由だ。
幅広い知恵から、ルルルの特異体質について意見を述べて欲しい。
異界の着眼点で、自分のことを『観察』して欲しい。
ハピネスとの文通により興味を抱いたルルルが、そのような要望をプライベートに和成へ頼んできた。それが前日の夜のことであり、そのことを知らされたのかつい今朝のことであるが、特に断るに足る理由がないのでこれを了承。
結果、今の状況に至っている。
また、不気味なほどに金払いが良かったのも理由だ。下手に断ると、何かが起きそうな気がした。
「まずはやはり、見ていただくのが早いと思いますので・・・・」
そう言っておもむろに、ルルルは目を覆う黒革の眼帯を取り外した。瞳が開かれ、その眼と和成の眼があった。
虹彩を持たないその眼と。
「ーーーーー?」
いや訂正する。厳密に言えば、あるにはあるのだ。
金属的な光沢を放つ白い虹彩だが。
有機的な白目の白とは違う、無機物的な光を反射する白。
そしてその虹彩に包まれた瞳孔は、まるで白内障患者のように白く濁っていた。
「その眼で見えている?」
「・・・・・・・・・」
和成の問いに対してルルルからの返答はない。見開いた眼で虚空をただ見つめている。
「トランス状態か?」
不躾に目の前で手のひらをヒラヒラと振ってみても、ルルルは何の反応も示さない。そもそも視界に入っていないようだ。
「ルルルさまは人と直接目を合わせる度にそうなるのです。その理由を和成さまに解明してもらおうと・・・・」
「しかしなハピネス。解明と言われても、ルルルの立場を思えば出来ることはやってるんだろう。国が動いてできなかったことが、俺にできるとは思えないんだが」
「えーっと・・・・より厳密に言うと、解明そのものではなく、解明に至るまでのとっかかりが欲しいのです」
「とっかかり?ーーああ成る程、つまりどういうアプローチをすればいいのかすら分からないから、起爆剤みたいなきっかけが欲しいってことか」
「そうらしいです。ルルルさまが体験する現象は、女神様によるものではありません。女神様から直々にそう伝えられたそうです。もちろんステータス画面にも何も記されてません。技の使用で消費されるSPも消費されませし、魔法の使用で消費するMPも消費されませんでした。魔力も感知されなかったので魔法では絶対にありえないそうです」
「そうか・・・・。話を聞いてまず思いついたのは、神に仕えし聖人が起こす奇跡というヤツだったんだがなぁ。俺たちの世界では神に仕える者が通常では起こせない現象を起こすことがある。それがトリックなのかそうでないのかは議論が尽きないけど、まぁそれはおいといて。そしてその、ステータス画面に現れないってのが一番厄介な点なんだろうな」
だからこそ問題解決のためのとっかかりがなく、考える前に思考が止まり中々先に進めない。現象や種族差を、「ステータスにそう書かれているから」で証明の根拠にできるこの世界特有の弱点だ。
ステータスに記されていない謎の現象は果たしてあるのか、それともないのか。ルルルが見ている景色は、存在するものなのかそうでないものなのか。ステータスに記されていようがいまいが、あるものはある。しかしステータスに記されていないのだから、ないのではないか。
ルルルが欲しているのは、その答えだ。
「・・・・そしてその存在を認識しているのは、ルルルしかいない。ーーーだからこそ、そんなものは存在しない、お前はありもしないものを見ているのだ、という奴もいるよな」
「実際、そう言われましたことがあると言っていました。お前の頭がおかしいのだと言う者もいた、と。『高位神官』さまの治癒によって治ることもないので、『状態異常』ではありません。高名なお『医者』さまの『診察』でも原因は分かりませんでしたから、病気ではありません。先天的な疾患であるなら『治癒』が効かないことはありますが、それなら『医者』の『診察』で分かった筈なんです。すでに思いつくことは全てしたそうなのですが、それでもよく分からず・・・・・・」
「成る程」
その会話を丁度終えたタイミングで、ルルルの様子が変わった。呆けていた先程とは違う。
「あ、戻った」
「ーーーーーーーー!」
その頬はほんのり上気し、どこか興奮している様子だ。胸の、心臓のあたりに手を添えている。
「ーーーーこれは・・・・」
その顔は驚愕の表情に彩られ、額には汗が噴き出していた。
「一体、何を見たんだ?」
「ーーーー森、です」
☆☆☆☆☆
ーーーー私は、何故か人と直接目を合わせると、森の景色を幻視してしまいます。その森の姿は人によって全く違うもので、さらに奇妙なことに、私はその森の空気を感じ、歩くことすら可能なんです。まるで夢の中を自由に動くかのように、実際に幻視した光景を体験出来るのです。おそらく白昼夢というものでしょう。
ーーーー例えば、ハピネス様と目を合わせた時に見た森は鮮やかな森でした。木々の葉は鮮やかに青々と生気がみなぎり、実る木の実や咲く花々も実に多様で、多くの色に溢れた森です。
ーーーーただ、木々が密集していて、どこか窮屈でした。歩いてみるととても狭く、端に行くほどに暗くなっていって。
ーーーーやがて全てが見えなくなった中で壁を発見して、これ以上は行けないと分かった瞬間に、現実に引き戻されていました。
ーーーーそう、うまく説明できませんが、何も見えない暗闇の中にいるはずなのに壁を発見したんです。手でも触れて、五感の全てでそこに壁があることを理解したような感覚でした。
ーーーー色々な人の、色々な森を見ました。森の景色の様子を口にすると、皆が驚きました。どうやらその森の景色に心当たりがあるらしいのです。
ーーーー森の中で影に襲われる瞬間を見た相手は、良からぬことを考える私たちと対立関係にあった貴族でした。森の中で会った男性の特徴を伝えると、それはその方の初恋の相手でした。森は私にいつも、示唆的な情報を伝えてきました。
ーーーーただ、その森が何故現れるのか誰にも分からないのです。エウレカの『賢者』様にも聞いてみましたが、初めてのことなので断言できない、と。最高権力者である超賢者様とも直接お会いする機会に恵まれましたが、あの人も何も教えてはくれませんでした。
ーーーーそうして悩むこと数年。未だに答えは見つかっていません。
☆☆☆☆☆
「森・・・・あの、木々が生い茂るあの森でいいのか?直接人と目と目を合わせると、森の景色が見えてしまう。その間は森の空気だとか匂いだとかも感じられて、しばらくたって現実に戻るとほんの一瞬しかたっていない」
「はい。・・・・私は何か、おかしいのでしょうか」
しゅんと肩を落とすルルルの姿は、その瞳を覆い尽くしていた黒革がなくなったことで年相応な少女の姿に見えた。先ほどはどこかミステリアスで底が無さそうにも見えたが、今はそうでもない。
神秘は隠秘に宿る。隠れたものが見えてしまえば、なんということはない。
「何をもっておかしいとするのか、による。おかしいと思えばおかしいのかもしれない。俺はおかしいとは思わんがな」
「ーーーーそう言うということは、和成さまにはルルルさまの森の正体が分かったということですか?超賢者さまにも分からなかったのに!」
「超賢者とかいうパワーワードは今は関係ないから置いておくとして、そういう言い方をされると語弊がある。分かった訳じゃない。ただ似たような症状に心当たりがあるだけだ。科学ではなく、隠秘学の部類だけどな。原因があって、過程があって、結果がある。その全てが分かっている訳ではない。結果に対して理屈を付与して意味付けと説明ができるってだけで、原因も過程も証明はできない。
俺の仮説が正しい。そう証明する手段がない」
「ーーーー構いません。私はこの眼に、答えが欲しい」
眼帯を巻き直したルルルは、真っ直ぐに和成を見つめていた。
「ーーーーなら、説明してみようか」
 




