第47話 龍の紋章
そして数時間後、時刻は昼過ぎになった。その間に和成は、いくつか貴重な情報を得た有意義な時間を過ごすことができた。相手のハクもまた、和成の引き出しの多さと喋りのうまさもあって楽しい時間を過ごせたようである。
特に即興でドラゴンの折り紙を折り、渡したパフォーマンスはとても受けがよかった。代わりにとても高級感に溢れる扇子を貰えたほどに受けた。そしてこんな貴重なものをタダで受け取る訳にはいかないと突き返そうとすると、有無を言わさない迫力を出されたので受け取るしかなかった。
「しかし何故そこまで」
「・・・・はぁ。わかった、アンタがこれの価値をよう分かっとらんようやから教えたる。ウチの国はドラゴンを信仰しとってな、富裕層から下級層まで龍やドラゴンを模した工芸品はいつの時代も人気の品や」
この世界において龍とドラゴンの間に明確な区別はない。龍と呼べば龍になり、ドラゴンを自称すればドラゴンになる。あとはステータス画面になんと書かれているかでしかない。
「ほなけんどそれが何百年もずっと続いとるから、同じようなやつしかのぅてみーんな飽きてしもうとる。今まで誰も使ったことのない素材や、やったことのない制法で作られた作品にどれだけ金をかけれるかが富の証し・・・・みたいな風潮まである」
「それなら、誰かしら折り紙を思いつく人がいるのでは?」
「ドラゴンを信仰しとる言うたやろ。龍の持つ強さをウチらは崇拝しとるんや。紙みたいな弱いもんを材料にしてどないするん。希少で頑丈な加工のしづらい素材を、立派な作品に仕上げられる職人に加工させて作るんが当たり前。簡単には壊れんもんを作るんが当たり前。せやさかい、紙を使って龍を表現するんは、みんながそれに飽きてきた最近になってからや。それかて、紙の弱さを塗りつぶすぐらいのもんやないと受け入れられん」
「―――それが、俺の折り紙ですか」
「そうや。立体の切り絵みたいな革新的なやつとか、何百万枚も重ねて切り取って作った紙の像とかならある。絵とかやったら昔からあった。けど、こんな手乗りサイズの、一枚の紙をただ折って一切ほかの加工をせん作り方はなかった。これは、売り方によったら天下がとれるやろなぁ」
「・・・・成る程、そこまでですか」
場所が変われば、価値も変わる。
どうやら想像以上に想像以上を重ねて尚、和成の折り紙には想像以上の価値があるようだ。
それは普通に嬉しかった。説明書を読まずに一から折れるようになるまで、和成は相当数練習したのだから。
彼は一度好きになったものをずっと好きでい続けるタイプだ。幼児期に折り紙が好きになり、そのまま十年以上好きでい続けた。
同時に、お手玉も最大8個まで回せる。
けん玉もあやとりも高難易度な技を習得している。
(そんなに高値がつくのなら、世界会議の後のパーティーで何とか有力な商人と手を組みたいところだ。社会人経験どころかアルバイトの経験すらないし、カモにされないか不安はあるけど、そのあたりは虎の威を全力で借りよう。可能な限り自分の力で何とかしたいけど、最悪の場合は『魔導師』や『姫騎士』経由で王国にチクれば何とかなるだろう。友達の権力を使うとか、あまりやりたくない手段だけど・・・・)
問題は、これが取らぬ狸の皮算用になりかねない点である。
ただ和成はやってみる価値はあると判断した。最悪失敗しても、友達の権力を頼ればリカバリーは可能であるからだ。挑戦できるうちに、果敢に挑戦しておくべきだろう。
不安は常に付きまとうが。
「貴重なご意見、誠にありがとうございました。しかしもうこんな時間。そろそろお暇を・・・・」
時刻は既に昼を過ぎている。昼食を『料理人』久留米さんが用意してくれていることを考えると、そろそろ限界だ。
というか寧ろ、限界を少し超えている。
メルがそろそろ自分を探し始めているかもしれない。
―――早く帰ろう。でないと怒られる。
もう手遅れかもしれないが。
「まぁええやんか。なんなら昼食かて、こちらで用意しますえ」
そして相手がなかなかそれを許してくれなかった。
少なくとも、そう引き止められるぐらいには気に入られたようだ。
3回ほど「いえいえ、そんな図々しい真似は・・・」「いやいや、うっとこはそれぐらい大したことでは・・・」というやり取りを繰り返したが、それでも解放されない。
その人間とは若干異なる、龍や爬虫類の要素を持つ顔が扇子によって半分隠されていたこともあり、『観察』のスキルでも彼女が何を思っているのかはわからない。うまく切り抜けるのは難しかった。なにせ比較対象がない。先に他の竜人族と接したことがあれば、話はまた違っただろう。
(俺のお喋りを気に入ってくれてのか、それとも異界の勇者たちの情報をべらべら喋ったから重宝されたのか―――)
女神の加護を受けた異界の勇者の存在はこの世界において極めて重大だ。
そのプライベートな情報であれば、欲しい者なら大金を払ってでも得ようとするだろう。
もしも金で情報を売ろうものなら信頼関係は壊れるだろうから、和成には金銭をやり取りするつもりはないが。彼はあくまで雑談という体で、本人たちにとっては隠し立てするようなことではないことを教えただけである。
「―――しかし、やはり口惜しいですがこれ以上の長居は・・・・」
「・・・そうでっか・・・なぁ、和成はん」
「・・・なんでしょうか」
このタイミングでの名前呼びは、少し嫌な予感がする。
「嫌やわぁ。そんな風に身構えんといておくれやす」
扇子の向こうから覗く口元に、やはり黒い笑顔が浮かんでいた。
「単に折り紙の御礼に、もう一つこれも貰ってもらいまひょと思うただけです」
そう言ってハクが袂から取り出したのは、緻密かつ複雑な紋様が刻まれた一枚の円盤だ。どうやら、とぐろを巻いた龍を上から描いたものである様子。
ただ和成にとって重要なのは、何が描かれているかよりも、それが何を意味するのかという点。
『意思疎通』のスキルによって伝わった意味こそが重要である。
そして伝わった意味は、「権威」。
(―――どうやら、この人がただの外交官であると予想した俺の考えは間違っていたようだ)
背筋と腹筋が同時に縮み上がるプレッシャーを感じながら、それを相手に悟られないように細心の注意を払う。
手の平を返してへりくだれば相手に不快な思いをさせてしまうだろう。
そして同時に、本来ならそうしなければならないだけの立ち位置にあると、紋様の意味が否応無く伝わって来る。更におそろしいのは、伝わる意味が「権威」という立場によって受け取られ方が変化するものであるため、立ち入り禁止の看板と違い伝わる「意味」が抽象的であるのが一層おそろしい。
具体的に相手がどれほど偉いのかという情報が伝わらず、なんとなく偉いという事実をただ突きつけられるだけ。
それが一層おそろしい。
骨身まで冷え、脇から冷や汗がにじみ出る。
和成は顔からはあまり冷や汗をかかない自分の体質に感謝した。
「―――別に大したことやありまへん。ただ和成はんが商人と伝手を持ちたいやろなと思って、ウチなりに手助けさせてもらおうと思っただけです」
「それが・・・・このなんか凄そうなやつですか・・・・」
この世界のお偉いさんに使うには不適切な物言いだという自覚はあるが、先程までこの口調で会話を続けていたのを露骨に変えれば却って失礼になる。少なくとも和成の視点から見たハクは、自分との会話を楽しんでくれているように見えた。
「そうや。これを土竜人族の『モウカリマッカ商会』に持っていって、代表に見せなはれ。ウチも懇意にさせてもろとる商会や。あとは煮るなり焼くなり、アンタの好きにしたらええ」
「・・・・・ありがとうございます」
扇子に隠された口元が黒い笑みを浮かべていたことは察せられたが、何を考えているかまでは和成の『観察』のスキルをもってしても分からなかった。
☆☆☆☆☆
「――で、それが折角作った私の料理を冷ました理由な訳だー」
「・・・・誠に申し訳ございません」
結局、和成は久留米に叱られることとなった。
「アホだな」
それを見つめる山井の目も冷たい。
今現在、和成は食堂の床に正座している。誰に強制されるでもく、自発的にそう行動した。
その場には残留組のうち城造を除いた和成・山井・久留米の三人とメル、そして彼ら彼女らの身の回りの世話や手続きをする執事二人以外に誰もいないとはいえ、だ。
「料理はまだ残ってるけどさー、一体どうするつもりー?」
「久留米さんがいいと言ってくれるなら、たとえ冷めていようが食べさせていただきたいと思ってます」
「都合のいいこと言うねー。わざわざ私は温めなおしたりなんかしないよー」
「かまわない。そもそも俺のせいだし、責任をもって俺が全てたいらげる。捨てるなんてもったいない」
「冷めて味も落ちてるし、舌触りとか噛み応えも悪くなってるし、肉料理は表面の脂が固まっちゃ照るけどねー」
「かまわない。それでも食べる。それに久留米さんの料理なら、食べるのが遅れて味が落ちても、きっと美味しいと思うし」
「・・・・・もー、嬉しいこと言っちゃってー。そんなこと言っても機嫌よくしたりなんてしないからねー」
「ニマニマしながら言っても説得力ないわね。十分ちょろい」
山井の言及は、久留米に対しても冷徹だった。
和成がやたらと格好つけた、きりっとした顔をしているのにイラっときたからである。
「うーん、しょうがないなー。温めなおしてあげるよ。ちゃんと反省してるみたいだし、せっかく作ったんだ。美味しく食べてもらいたいし、ひと手間加えて美味しくなるのをしなかったら料理に対して申し訳ないしねー」
「ありがとうございます」
「量は多めに作っておいたから、きちんと全部食べること」
「もちろんです」
うやうやしく頭を垂れる和成の真摯な態度もあって、お小言は最小限で済んだ。
(――あの子なら、平賀屋がよっぽどのことをしない限り、同じことをしたでしょうけどね)
そして同時に、内心で山井はそう思った。
☆☆☆☆☆
そして現在。
満腹な腹を抱えた和成が取り出した、意匠の刻まれた白磁色の円盤を囲むようにして、和成・久留米・山井らの視線がそれに注がれる。そしてそれを遠巻きから見つめるメルと執事。
「あー、なるほど。確かに何かすごそうってことだけは伝わってくるね」
「けど、具体的にどう凄いのか、どう偉いのか、どういう位を示しているのか、までは伝わらないのね」
「『ここから先に進むな!進入禁止‼』だけ伝わればいい意味するものが明確な看板とかと違って、『権威』なんてのは時代や地域、身分によってまるで違ってくるからな。特に俺たちは異世界からの召喚者。この世界の外側から来た存在。この世界におけるどの歴史も共有しておらず、地域にも身分にも属していない。ある意味、一種の特権階級にいるわけだし。そもそもこの権威が誰にとっての権威か、でも『意思疎通』のスキルが伝えるものは変わってくる。かと言ってそれらを全て伝えようとしては、脳がこんがらがって訳が分からなくなりそうだ」
「確かに、竜人族の人たちにとってこの円盤が持つ意味と、人族の人たちにとっての意味。さらにさらに、身分とか地域の違いによる意味の違いが伝わっても、どうしろってんだって感じだねー」
「かと言って、歴史を共有していない文化圏の異なる私たちが完全にこれが持つ権力を理解するのは無理よね。アメリカ大統領やイギリス王家がどれだけ偉いのかなんて、知識をいくら集めたところでその国の人たちと完全に共有するのは不可能でしょう」
「あくまで『意思疎通』のスキルは翻訳のスキル。翻訳である以上は意訳も誤訳もあるだろうし、誤訳とはいかないまでも正確に訳しているとはいいがたい、微妙なニュアンスの違いなんてのも言語にはあるしな。あとは文化が違えば、そもそもどれだけ言葉を尽くしても共有できない概念なんてのもあるしね」
「そんなのあるの?」
「あるよ。世界は広いんだ。おまけに言葉で表せる世界は結構狭いときた」
「へーえ」
自分より圧倒的な量の本を読む和成の言う言葉だ。久留米はすぐに納得した。
「で、メルさんたちはどうですか?この紋章に何か心当たりは?」
「・・・・特に心当たりはございません」
「右に同じく」
「申し訳ありませんが僕にもありません」
和成が掲げて見せた円盤に対する反応は、結局のところ同じであった。
ちなみに、二番目に答えたクールで厳格な雰囲気を放つ老紳士が久留米の、最後に答えた童顔で柔和な笑みを浮かべた青年が山井の専属執事である。
「そうですか・・・・」
「ただ、それはあくまで私たちにとってはということ。それが竜人族領の、それも限られた者だけが知りうる特別なものである可能性はあります。『モウカリマッカ商会』が竜人族において、有数の巨大商会であることは間違いありませんし」
「セバスチャンはどう思うー?」
「メル・ルーラー殿と同じ意見ですな。すべて言われてしまいました。そして久留米様、私の名前はセバスチャンではなくティム・セバス・ティータイムです」
「クルト・プローフェット、貴方も何か意見を言いなさい」
「よくわかりませーん」
「・・・・・・・・」
和成たちと従者たちの関係性、性格、共に多種多様。
「ふぅむ・・・・・ならやっぱり、取り敢えずその『モウカリマッカ商会』に行ってみるしかないようですね。折角いただいた以上、使わないというのも失礼な話だし・・・・・。よし、メルさん」
「かしこまりました」
「城造にも声をかけてから行きましょう。久留米さん、山井さん。二人ともついてきてくれる?」
「なんで?別にいいけどさ。ひょっとして一人で行くのが怖いの?」
「まったくそうでないとは言わんが、どちらかと言えば交渉を有利にするための小細工だな。持てるだけの手札がある状態で挑みたい」
「ふーん、交渉は全部、平賀屋くんがするんだよねー」
「そのつもりだ」
「この中で口が一番うまいのは貴方だものね。私はそこまで口が回らないし、頭の回転も速くないわ。少なくとも初日に貴方がやっていた丁々発止の弁説を、現役の商人相手に対してやる気にはなれない」
「山井ちゃんの言う通り言う通り。私トロい方だし、交渉とか苦手。出来る気がしない。ただついてくだけなら、今は特にやること無くて暇だし、別にいいよー。厨房は今、関係者以外立ち入り禁止なんだよねー」
「・・・・私もかまわない。商人との伝手はあって損はない気がするし、失敗しても特にリスクがある訳じゃない。むしろ平賀屋が持ってきたその紋章のおかげで、かなり勝算も高そうだしね。乗らせてもらうわ」
「よし、きまりだな」
☆☆☆☆☆
「おい城造、ちょっと顔を貸せ。手伝ってもらいたいことがある」
「・・・・フン、なんだ」
「お前、この前ほしい素材があるとか言ってたよな。竜の鱗がどーたらって」
「・・・・だからなんだ」
「なんやかんやで竜人族の商人と交渉のテーブルにつけそうになった。上手くやれば手に入るぞ」
「だからなんだ。俺は交渉の役になんぞ立たんだろう。口下手だし、相手を不快にさせるだけだ」
「まず一つ。交渉は俺がするからお前が口下手かどうかは関係ない。次に二つめ。そもそも『天職』が『職人』なやつは基本的に気難しい奴が多いそうだし、俺たちは被召喚者。多少の無礼を力技で押し通せる立場にいる。ただ失礼な態度のお前を俺の言葉でたしなめさせる――つまり手綱を握っているように印象付けられれば、逆に俺の株が上がるように持っていける。だから問題ない」
「そんなに上手くいくのか」
「あまり多用していいやり方だとは思わない。しかし俺がやりたいのは、あくまで自分の手札に凄腕の『職人』がいることと、その『職人』は気難しくて、しかしその『職人』相手に俺は信頼関係を築き便宜を図ってもらえるという事実を伝えて、交渉を有利にしたいだけだからな。自分たちはこんなことが出来ますよーって伝える、プレゼンテーションの一種だよ。もっとも、今回はそんなことをしなくても有利に進められる可能性はあるけどね」
「――いいだろう。俺の性格を上手く使えるんなら好きにしろ。ただ、嫌になったらすぐに下りさせてもらう」
「それでかまわない」
☆☆☆☆☆
そんなこんなで訪れたのは、メルに来賓名簿からを教えてもらった、『モウカリマッカ商会』の滞在場所。通常は軽々しく開示できるものではないが、今回は異界の勇者ならば従者に頼めば自由に教えてもらえることになっている。情報を制限するなど関係の構築を邪魔していると思われるような行動をとれば、勇者たちを王国が囲い込もうとしていると顰蹙を買うためだ。
「えっと、これを見せれば通してもらえると聞いたのですが・・・・・」
紋章を入り口の扉に立つ竜人族の門番に提示すると無言で進路を開け通された。先行する彼に導かれるまま中へと入り、内側に設置された二枚めの扉の前に立つ。
その鎧の龍鱗がメタリックな銀色だったこともあり、機械的な印象を強く受ける門番だった。
カンカンと呼び鈴代わりの金属輪を鳴らす動作も一定なままだ。
「ジェニー様、白龍天帝の紋章を持つ者が現れもうした!!」
その大声からも感情をあまり感じない。
ギ、ギィィ・・・・
そして扉が開き、否応でも和成達四人の緊張が高まる。
流れ出る不思議な香りと煙。そこから覗く手は、人間のものではない鋭い爪と鱗を持つドラゴンの手。
「うぅん・・・?なんや今回は早いなぁ。なんぞ嫌なことでもあったんか・・・」
そして気だるげな表情。こすられる眠り眼。ぼさぼさの髪。
つまり明らかな寝起きだ。
ただそれ以上の明らかな問題は彼女の服装にある。
遊女が着るような艶やかな寝巻の着物の胸元が、乳房がまろび出そうなほどに開いているのである。
つまりは構造上、腰の辺りまで開けっぴろげになっているということ。
帯がかろうじて締まり、隠れていなければ危なかった。
しかし、ギリギリ引っかかっていて大事なところは見えていないが、見えていないというだけである。
「・・・・・あぇ?」
「帰っていいか」
相手が眠気から覚醒し状況を把握したタイミングと、顔を全力で背けた城造の声が冷たく響いたタイミングは、ほぼ同時であったように思う。
(―――初っ端から普通に失敗してしまったようだ)
平賀屋和成。17歳。高校二年生。アルバイト経験なし。
アポイントメントの重要性を、あまり分かっていなかった。
そしてこの時、嫌というほど理解した。




