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第46話 白と黒の和

 

「・・・・どうやってこの先へ進むか。それが問題だ」

 梅の芳香が流れてくる方向を見つけた和成の先には、自分の背丈をゆうに超える高木で作られた垣根があった。向こう側にある城の二階までが隠れるまで鬱蒼と生い茂り、向こう側に何があるのか伺えない。

 もっとも、そうでなければ垣根の意味がないだろうが。

 スンスン。

 鼻を鳴らして息を吸い、確かに垣根の向こうから梅の香りが漂うことを確認する。

騎士団員たちの配置。そして地理的な要因から、和成はそこがお偉いさん方の宿泊スペースではないだろうと予想する。その場所は和成たちの居住域からは少し離れた位置にあった。

 しかし生垣があり遮られているということは、同時にここが何かしらの重要な場所である可能性が高い。果たして勝手に侵入していいものか。良いわけがない。常識的に考えて駄目である、と和成は思う。


 しかしそう結論を出したものの、和成は梅干しを諦められない。


 いつか必ず絶対に、故郷の味が必要となる日が来ると確信しているからだ。

 だから何とか中の様子が伺えないものか――伺った結果問題が無さそうであれば侵入出来ないかどうか――と、そのまま小1時間ほど周囲をウロウロと歩き回りながら観察してみる。

 その結果、侵入経路はおろか一階部分を観察できる抜け穴すら見つけられずにいたが、それでも諦めきれずにウロウロと歩き続けていた。

 あと残ってるのは、垣根の下の空間ぐらいだ。和成の視線は足元へ向かう。

 木々により作られた垣根の下方には、ガードレールの下部分のような隙間が空いているのだ。地面に這い蹲り頭を突っ込めば、一応は中の様子を簡単に伺えるだろう。


 ただ問題は、それをやるとどう考えても不審者になるということだ。

 小1時間も同じ場所を歩き続けている時点で相当に不審であることを棚に上げて、和成は懸念を何の違和感も覚えずに抱いていた。というか普通に見落としていた。

 結局、人間の思考に穴がないなんてことはあり得ないのだ。


 そしてシュルリ。


 覗き込むべきか否か。

 和成が悩みながら取り敢えず膝をついてみた時だった。

 下へ移していた視界の中。高木でできた垣根の下から、黒いたてがみを生やした白い大蛇の尾が這い出てきたのだ。その太さは、まるでジャングルのアナコンダのようで。


 (――――――え?)

 咄嗟に立ち上がるも、和成が立ち上がる速度より、白い尾が足に絡みつく速度の方が速い。

「あうっ」

 受け身をとることはできたが、凄い力で垣根の下へ引きずりこまれる。

 下半身が植木の下を通り抜けたあたりで、和成は抗うことを諦めた。

 蛇は獲物に絡みつき、全身が筋肉であるその肉体で締め付け、骨を砕き、食べやすくしてから丸呑みにする。そのためジャングルのアナコンダの締め付けは1トンをゆうに超える。

 勝てる道理はない。


 ズルズルズルズル


 何時もの学生服が土と芝生の汁で汚れることを予感しながら、両手を挙げた状態で和成の全身が通り抜けた。

 つまりはバンザイの体勢であったということで、まるで小学校低学年のようだ。実に滑稽である。

 そしてそんな和成を浮遊感が襲う。

 足首に感じる拘束感から、巻きついた蛇の尾によってクレーンのように持ち上げられているのだろうと考える。結果、和成は空中で逆さ吊りされることとなった。

 その全身を縄のように蛇の体が這い回り、巻きついて、手足を含む首から下全体が身動き取れない状態になってようやく、上下が反転し元に戻った。

 ベチいと尾の先端が顔の側面に張り付いて、無理矢理特定の方向を向かされる。


(・・・・着物?何故だ。ここは異世界だろう?)


 視線の先にいたのは、口もとを高級そうな扇子で隠した、白を基調とした簡素な着物を着込んだ妙齢の女性である。その簡素さはーー勿論形状はよく見ればまったく異なることが分かるのだがーーまるで滝行の際に着用する白装束に見えるほどだ。

 帯も着物も、一切の模様装飾のない完全な白の無地。

 それらがしっかりと腹で止められ、一切の弛みがない。服装のすぐ上、皮一枚分の空間に滝壺の空気を漂わせている。


 しかしそれ以上に目につくのは、やはり着物の裾から見える白蛇の腹であり尾であろう。そしてそれは、和成に巻きつけ持ち上げる尾と同一のものである。


 一瞬、蛇娘ラミアかと判断しかけるが途中で思い直す。


 それ以上に髪のすき間から見えるツノが目についたからだ。腰まで届く長髪を後ろで鞭のように束ね、紅葉のようにあしらわれた黒い前髪の隙間から天を突く、鼈甲色の鹿のツノ。


「―――龍」


 呟く和成の口元が、パチンと閉じた扇子で指差される。


「正解や」


 そのイントネーションは、今まで聞いたこの国の言葉と異なるものだ。関西圏の口調である。それらの次から次に浮かぶ疑問符から、和成は女性が何者であるかを推理する。

(「龍」が正解ってことは、この人は多分、『竜人族』。初日にキングス王が言ってたやつだ。イントネーションの違い、方言から察するには・・・・おそらくこの人は外国人。そして本で読んだ知識によれば、竜人族が住む場所は一国だけ。複数の国が集まって最近できた東方の島国、『天龍連合王国』。俺がやすやすとこの場所へ近づけたことと護衛の少なさを見るに、この人は多分あまり高い地位にいない外交官・・・・かな?着てる服もかなり質素だし)

「何を黙っとるん。アンタ、いったい何処の誰さんや」

 予想のため押し黙る和成に、白龍の女性は開きなおした扇子で口元を隠しながら尋ねる。

 なお、結果的にこの和成の予想は外れることになる。彼の推測は必中ではない。偶に外れる。


「あ、えぇと・・・・私は召喚された異界の勇者の一人、『哲学者』の平賀屋和成と申します」

「―――ふうん」

 その答えに女性は意味深な声を上げ、値踏みするように和成を見つめた。

 言葉の虚実をその目で確かめようとしているのだろう。

「ほうか、あんたがなぁ・・・・で、その『哲学者』はんがなんでこんな所におりはるんや」

「・・・・故郷を思い起こす梅の花の香りに誘われて」

 物は言いよう。円満に解放してもらうために、最大限に好意的解釈を用いて表現する。

 心象を少しでも良くしなければ。

「はぁ、それはそれは風流なことで、よろしぃおすなぁ」

 にっこりとほほ笑むその表情を見て、自分が褒められていないことを確信した。おそらく自分の小賢しい表現のマジックも見抜かれてると思うには、十分な迫力のある笑みである。口元を隠す扇子で顔の半分が隠れているにもかかわらずそう確信させられたことで、目は口程に物を言うという諺の意味を和成は再認識した。そうでなくとも、その白い肌とは対照的な黒い笑みを見れば、それが好意的な解釈でないことは察せられる。


「――つまり、うちがつけとるこの香りに誘われたってことかいな」

「え」

 そう言われて鼻で息をすると、確かに梅の花の香りは彼女から漂っている。

「梅の花で作った香水か・・・・」

 ガックリと、和成は肩を落とした。

「厳密に言うなら、香水やなくて香り袋やけどな」

 そう言って白龍の淑女は、着物の袂から小豆色の小さな巾着袋を取り出し見せつける。

 梅の花の香りが、一層強くなった。

「・・・・あぁ」

「・・・・ほんなに梅の花が無かったんが残念なん?花でも欲しかったんか?」

 ズーンという効果音が背後に浮かんでそうな表現の和成を見て、竜人族の彼女はどこか気の毒そうに尋ねる。先ほど和成が笑みで威圧されていた状態の、ちょうど真逆の形だ。見るからに和成は、思わず気を使ってしまうほどに落ち込んでいた。

 召喚初日の、異世界に無理やり引きずり込まれたとき以上に落ち込んでいるかもしれない。


「どちらかと言えば、欲しかったのは花より実の方ですが・・・・」

「―――まぁええわ。あんた、ここは人族以外の種族の重鎮が集まっとる居住区や。下手に動けば国際問題になるで」

「・・・・では、問題が起きないうちに退散しましょうか」

 言外に「帰してほしいなー」と言ってみるが、それに対する龍人の反応はニッコリとした微笑みだけだった。

「実を言うと、うちは今ちょうど暇しとってな。ちょーっとでええけん、話し相手になってくれへんで。嫌なら別にええんやけど」

(・・・・選ばせているようでその実、選択の余地はないよなコレ)

 国際問題を示唆した上での要求だ。和成に非がある以上、断りづらいものがある。


 ただし、それはそれとしてその要求には、和成にメリットがない訳ではない。

 この状況で話し相手をして欲しいというのが、本当に単なる話し相手になって欲しいという意味だと臆面通り受け取るのは無理がある。つまり彼女が欲しがっているのはおそらく情報。巻き込まれて特典は何もないとはいえ、和成が異界の勇者たちと同郷の者であることは間違いない。そして、異界の勇者たちの情報は、現在のこの世界の国際情勢においてかなり重要度の高い情報なはず。

 同時に、和成にとっても人族以外の国の情報や、他の種族が人族と魔人族の戦争をどう捉えているかは知っておきたい情報であった。

『思考』のスキルによって1秒にも満たない時間でそこまで考え、和成は答えを返す。


「――なら折角の機会ですし、お呼ばれしましょうか」


 そう返答した和成をずりずりと巻きつけた尾で持ち上げたまま、器用に白龍の淑女は立てられたパラソルの下へ移動する。二階のバルコニーのちょうど下には、アフタヌーンティーにでも使われそうな白い外机と陽の光を遮る白い日傘が備え付けられているのだ。

 着物を着込む彼女とはミスマッチなようにも思えるが、着物も肌も同じく白いことと彼女の佇まいが優美なこともあって、その景観と竜人族の彼女は非常に調和していた。


「ほなどうぞ」

 彼女が同じく備え付けられていた白い外椅子を引き、着席を促した際にようやく和成は尾の縛りから解放された。和成は流れに従い、促されるままに着席する。

 続いて彼女は、水をゼラチンで固めたかのような重厚感を持つ、まんじゅう型のバランスボールのような何かを、対面の位置へ尻尾で掴み置いた。

「あの、それは?」

「これはスライムで作った椅子や。うちは足が二本ありまへんからなぁ。あんたが座っとるような椅子は使い勝手が悪い。せやからこれを使うんや」

 そう言って、彼女はそのまんじゅう型の椅子に尻尾を緩く巻きつけてから腰を下ろした。

 すると椅子がブルンと沈み、ラミア型の体にフィットした形に変化する。

 低反発マットレスのような柔らかい沈み方と、バランスボールの反発感が同時に伺える、実に興味深い代物だ。


(・・・・座ってみたい)

「ほな、今からお茶を淹れますさかい」

「あ、はい」


 彼女が使用した急須?もまた、実に興味深い形状をしていた。ヤカンと急須の中間ほどの大きさのそれは、どちらかと言えばヤカンに近い形状をしており、球形にとぐろを巻いた龍がジョウロの先のように鎌首を持ち上げ、その牙にいたるまで精巧に作られた口から熱いお茶が注がれるのだ。

(鱗からヒゲまでびっちり作り込まれてる。こんなのどうやれば陶器で作れるんだ?それとも、これは陶器に見えるだけで実は全然違う物資でできてるのか?)

 疑問は尽きない。興味も尽きない。

 尚、ティーカップは王城の至る所に置いてある何の変哲も無いヨーロッパ的な形のティーカップである。全ての客室に備え付けられているのを使用しているのだろう。

 和成的には何もおもしろくない。


「龍仙薬茶っちゅう質のええお茶や。どうぞ、味わって飲みぃ」

「あ、はい、いただきます―――ウッッマッ」

 麦茶を飲んだ後に鼻に残る香ばしさと、お茶特有の微かな茶葉の甘みと薬膳のような渋み。それに鯉こくやアラ汁のようなアミノ酸系統のうま味が同時に感じられる、地球で味わったことのないお茶の味がした。これ単体で前菜のスープとして出せそうなほどに強い味だが、決して濃くはなく寧ろあっさりしている。

「何ですかこれ?すごっ。こんなお茶初めて飲んだ」

「気に入っていただけたようで、何よりやわぁ」

 扇子を広げて口元を隠しながら、彼女はクスクスと含み笑いをしていた。和成の率直なリアクションがお気に召したのだ。

「あ、すいません。失礼しました。ついうっかり正直に発言を」

「別に構いまへん。あくまでこれはプライベートなお茶会や。肩ぁ張らんといてくれたらそれでええ」

 そして彼女も、龍仙薬茶を一口含んだ。

「ちなみにこれには薬効もあって、飲めば飲むほど健康になれる」

「はぁ・・・・しかしこれ、お高いのでは」

「――ええか和成はん。あんたは今、もてなされる側や。もてなされる側はおとなしくもてなされとったらええ。もてなす側の財布事情なんか、気にしたらあかんのや。それとも、うちの財力がその程度やとでも思っとるん?」

「いえいえ滅相もありません」

 彼女の笑顔はいちいち黒い。


「ならええんや――さて、ほなまぁ色々、雑談でもしまひょか」

「そうですね。――ええと、」

 口籠る和成を見て、彼女は察した。

「ああ、そう言えばまだ名乗ってまへんでしたなぁ。・・・・うちのことは、ハクとでも呼んでいただきましょう」


 彼女が本名を名乗ることを避けたこの時点で、和成は既に嫌な予感がしていた。


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