第45話 (間話)慈愛美と姫宮未来の語らい
慈愛美は王城の廊下を歩んでいる。目的地は図書館。つまりは和成のところへ向かう途中だった。時刻は夕暮れ。窓の向こうからチロチロと茜色がちらつき、廊下内をトンネルのように何処か物寂しく彩る時間帯。
彼女はそういった雰囲気の空気が好きだ。
周りに誰もいない1人な状況。そこでただ、自分の頭の中だけに思いをはせる瞬間が好きだ。
世界が自分一人だけで構成されていて、自分が世界の中心にいるような錯覚を覚える。
むろん錯覚でしかないのだが、悪くない気分だ。
そしてその、はせる思いの中心にいるのは常時だって彼だ。
☆☆☆☆☆
図書館や図書室という場所は、高い本棚が整列している。それは詰められた本の所為か、規則正しく並んでいるはずなのに、本棚と本棚の間を歩いて行くと何故か迷宮の中にいるように思える。そしてその中で本を読む和成君はまるで、ラビリンスの番人であるように思える。
少なくとも図書委員と文学部部長を兼任していた彼は、学校の図書室の「何処」に「どんな」本があるかを殆ど把握していた。ついでに、学校付近にある本屋と古本屋と図書館の常連でもあった。きっと自宅付近のそれらの場所の常連でもあり、おそらくその全ての本の配置をある程度、熟知していただろう。
「ーーーーふふっ」
もしも店が模様替えをしたとしても、足しげく通う彼ならすぐにその変化を把握するだろうと予想すると、自然と笑みがこぼれた。
「なんで笑ってるの?」
「うわっひゃぁ!」
だからか、背後から声をかけられても気づけなかった。
「あははは、愛美ちゃん驚き過ぎ」
「姫宮さんか・・・・・・・」
「未来ちゃんって呼んでよ。友達じゃん」
すごい、グイグイ来る。
端的にそう思った。
重ねて言えば、彼女は自分の周りには今までいなかったタイプの女の子だ。文学部の女の子たちは大人しい人しかいない。そして自分もあまり人と積極的に関わるタイプではないし、クラスで最も会話を交わす化野学ちゃんは捻くれ者だ。照れて好意をあまり表に出さない。
ある意味、素直で分かりやすいとも言うけど。
「・・・・・・み、未来ちゃん」
「なーに?愛美ちゃん!」
「・・・・・・・・・」
ここでそういう返しをされても。
どう返答すれば正解なのか、彼女のような人と言葉を交わすと偶に分からなくなる。特に、イケイケでマイペースな『踊り子』の伊豆鳥 舞さんの場合が顕著だ。彼女もまた、次からは名前+ちゃん付けで呼ぶ必要があるのだろう。
直前にエイやと気合いを入れておく必要がありそうだ。
「えっと、なんで笑ってるのって聞いたでしょ・・・・・」
「うん、聞いたね」
「それはーーーちょっと思い出し笑いを」
「ああ。なるほど」
適切とは言えない釈明だと思う。誤解を招く表現をしている自覚はある。だけど、和成君のことを思いながら笑いをこぼしていたことを知られるのは恥ずかしい。
ただ、今の私の会話を知られたら苦言を呈されてしまうかもしれない。
“誤解させていることを知りながら訂正しないのは嘘をついているのと同じだ”ぐらいのことは言いそうだ。
「どんな内容を思い出したの?」
・・・どうやら早速、嘘を吐いたバチが当たってしまったようだ。こういうことが割とよくあるから、姫宮さ・・・未来ちゃんタイプの人は苦手だ。決して嫌いではないけども。
思い出し笑いの内容が共感できなくて場の空気が白けてしまうことを、彼女たちはまるで恐れていない。私なら思い出し笑いの内容までは突っこまなかった。どう誤魔化そうか。
「・・・・笑点のネタを少々」
「へー。私は司会のお爺ちゃんが好きなんだよね」
まさかこの話題でも深いところまで掘り下げて行くなんて。
「なんで目を逸らしてるの?」
「いや、なんでもないよ?ちなみに和成君はその人と、腹黒い人と座布団運びの人がお気に入りらしいよ」
「ふーん。ああそういえばさ、話が変わるんだけど」
またまたビックリした。やっぱり話題の回転が早い。
ついて行くだけでいっぱいいっぱいになる。
話題を熟考して、適切かどうかを判断してから口にする私とは相性が悪いのではなかろうか。次の次ぐらいのまで用意しておいた返答パターンが全部無駄になってしまった。
そしてこういうことを思い悩んでいるうちに話がどんどん先に進んでいるのだ。
「和成くんって部活の時はどういう感じなの?」
「ーーーーそうだね・・・・・・」
ああ、それなら考えなくても、口が勝手に動いてくれる。
☆☆☆☆☆
基本的に和成君は、図書館で本を読む際に決まった場所で読む。特等席を変えない。
理由を聞いてみると、偶々最初に座って本を読んだ場所がそこだからだそうだ。
「俺は一度好きになって入れ込んだものは基本ずっと好きでいるタイプだから」とも言っていた。だからどんどん好きなことが増えて、やりたいことも増えて困っていると、嬉しそうに笑いながら話していた。
それはきっと、悪いことではないと思う。
ちなみに、文芸部に男子は1人しかいない。部長を務める和成君を除けば全員が女の子だ。それは少なくとも私の入学時点から同じだった。
だから一年前、部活動の入部届けを提出しに言った時のことはよく覚えている。「女子ばかりの部だけど、いいの?」と尋ねる当時の先輩方の忠告に対して、和成君はそれの何が問題なのか分からないといった態度を貫いていたから。
そしてその態度は入部後も変わらなかった。
例えば吹奏楽部のように、女子が男子よりも圧倒的に多い部活では、男子は女子のパシリにされてしまうことが多い。いいように顎でこき使われて反論できない。
ただ和成君の場合、文学部の大半が何時も教室の隅で本を読んでいそうな大人しい子ばかりで、全員を数えても10人もいないから吹奏楽部ほど男女比が極端な訳ではないと言え、そういうことは一切なかった。
私たちはあくまで対等だった。男女間で格差は無かった。
それは多分、和成君が男女の間に線引きをしてないからだと思う。
改めて考えてみると、本の整理などの力仕事は率先してやってくれていたし仕事量は若干多かったかもしれないけど、和成君はそれを「力と体力がある奴が肉体労働をすればいい」と考えていただけだったように思う。もしも自分より力と体力が勝る女子がいたら、その子に手伝わせただろう。逆に病弱な男子がいれば、状態にもよるだろうけど、肉体労働はさせないように思う。
男女差というものを意図的に無視しているのだ。少々無頓着なのもあるのだとおもうが、それ以上に人間を男か女かではなく、個人的な個性で判別するように気をつけている。もっとも、当たり前だけど全ての男女差を無視している訳ではない。肉体的な性差の区別はちゃんと付いている。彼の母親は産婦人科医だ。
ただそれ以外の性差、特に精神的な性差に対する認識が雑だ。先ほどの吹奏楽部の例を挙げると、ある日の雑談でそれに対して和成君は、「多数派が少数派に対して多少横暴な行いをはたらくのは、男だろうが女だろうが変わらない」と答えた。男女差による性格差というものを軽視しているフシがある。彼にとって性格差は、あくまで歩んできた人生の違いでしかない。
ーーだから時に、同級生女子の髪を平気で触ったり、女同士の会話にしれっと口を挟んでくるんだろうけど。女子が女子の髪を触ることと、男子が女子の髪を触ることの違いをよく分かっていない。
それだけではない。特にたわいもない雑談から不意に唇を触られたときは驚いた。
事故でうっかりお尻ーーというか腰付近に手の甲が触れてしまったときは、痴漢冤罪でもおそれているのかと思うぐらいに平謝りと弁明を重ねていたのにだ。彼にとって唇という部位は性的なニュアンスをあまり含んでいなかったのだろう。肩に触れる程度の気安さで触って来た。だからあの時は一瞬なにをされたのか分からなかった。幼稚園児みたいと言うか、妙なところでズレている。
ただ、人によっては男子に髪を触れられても気にしない女子も、男女問わず触られることを嫌う女子もいるだろうから、ーー流石に唇については弁明できないと思うけどーー「そんなのは人によるだろう」という和成君の主張が間違っているとは言い切れないというのが、またややこしい。
デリカシーに欠けていると言うか何と言うか。
やっぱり、ズレていると思う。
まぁ、欠けている自覚があるからこそ、彼は意外と男女の関係や距離感について気を張っている。
無意識のうちに男女を混合する時があるのを自覚しているから、余計なトラブルを招かないように注意している。妙なところでズレているのを周りの反応から理解しているから、気を付けている。
それでも極稀に同じような失敗をしているけど。少なくとも私は二回、男女の距離感における彼の奇行を目の当たりにしている。
しかしそういうことが極稀にあっても個人的には嫌いじゃないし、文学部のみんなも何だかんだ戸惑いながらも険悪な中ではなかった。男子に対して苦手意識を持っている子も、和成君とはあまり会話を交わすことは無いとは言え、普通に接していた。
ひとつは悪意がないから。単なる天然な失敗でーー自身が天然であることを本人は頑なに認めたがらないけどーーすぐに非を認めて謝っているから。
もうひとつは、個人差を重視しているが故に良い意味で人によって態度を変えているからだ。怒鳴られることが苦手な後輩は怒鳴らないし、読書し終えた本の内容について議論を深めたい先輩とは声を荒げて問答をしていた。
彼は相手によって使う言葉を変える。相手に届く言葉しか言わないし、届く言葉を持っていないときは口を開きたがらない。
かつて科学と宗教に関する論争で化野ちゃんを論破してみせた際、「何故そんなに人を言い負かせられるの?」と聞いてみたところ、「言い負かせられる時しか勝負を挑まないから」と答えられた。
そう言われると確かに和成君は、特にこだわりがなければ割とあっさり折れることが多い。
小説の内容の考察に関する議論などでは言い負かされることもあるけど、それは議論を通じて自分を客観視しようとしているフシがあるから、これは例外に数えた方がいいように思う。
と言うか、彼は個性を重視しているために個々人の考えを尊重しようとする傾向が強い。自分と異なる考えを持つ人がいることを好み、安易に和成君の考えに賛同すると難色を示されるぐらいだ。
だからこそ、他人に自分の考えを否定されても「そういう考え方もあるよねー」で終わってしまうこともある。時にそれが、考えを変えない頑固さにつながっている。
そのことを自覚しているから、自分を客観視することを常に心がけている。
自分の意見が他人にどう受け取られるかを結構気にしている。
「完全な客観視は存在しない。人間の認識である以上、必ず主観が入る。主観を排して人が何かを判断することは出来ない」
「客観視する時は、完全な客観は存在しないことを忘れてはいけない。客観視しようとする自分を客観視することを常に意識しておく必要がある。それだけやっても万全ではないんだ」
そう考える自分の認識に手厳しい彼にとって、自己を顧みることのできる他者の視点はとても重要なものなのだろう。
他人の目を気にしていないように見えて、案外そうでもない。
☆☆☆☆☆
「まー確かに何と言うか、和成くんは潤滑油みたいなところがあるよね。部活の様子を聞いてもっとそう思った」
廊下を目的地へ向かって歩きながら、未来ちゃんは感想を述べた。
図書館までもうあまり距離はない。
「公平公正や他人の価値観の許容を是とする人だからね。揉めている人たちの仲裁に入る時、どっちかに肩入れすることがまずない。双方の意見を淡々と聞き出した上で両方が納得できそうな妥協案を提案するタイプ。一方的な物の見方で誰かを批判したがらない、そういう人。だから似たタイプの裁君と、話したことがあまりないらしいのに何だかんだで仲が良いんだろうね」
「で、仲裁できなさそうな時は関わらないのか」
「仲裁できそうな人を呼んできて、その人に任せるとかならしそうだけどね」
「つまり丸投げ」
「そうとも言う。和成君は基本的に、自分が出来なさそうーー出来るかどうか断言できないーーことはそれが出来そうな人に任せるから。他に誰もやれる人がいない時は、渋々自分でするけどね。だから積極性が周りにいる人で変わる。近くにひめ・・・・未来ちゃんみたいな積極的な人がいれば大人しくなるし、文学部のみんなみたいに大人しい人ばかりのところだと積極的になる。他にリーダーになってくれそうな人がいないって状況限定で、リーダーシップを発揮するタイプなんだよ」
「あー、そう言われてみれば和成くん、文化祭とか体育祭とかでも、テンションが周りの人によって変わってたような気がする」
「テンションがアゲアゲな中だと一緒にアゲアゲになるし、そうでないと冷静なまま。騒がしいのも静かなのも、どっちも好きって言ってたね」
「ーーどっちでも楽しめる、か。ある意味、最強なんじゃない?」
「嫌いなものが極端に少ないからね、和成君。というか、多少嫌いでもちょっと嫌だなー程度なら受け入れちゃうから。受け入れられないのは大嫌いなものだけ。そして和成君が受け入れられないようなものはそうそうない」
「それが、"どっちも好き"に繋がってるのかー」
そこまで口にして、何を思ったのか急に押し黙り、首をひねって黙り込んでしまった。
「どうしたの?」
「・・・・・・ふと思ったんだけど、和成くんって好きな人いるのかな?恋愛的な意味で」
「えーーー」
まさか。
「未来ちゃん、和成君のこと―――」
「いや違うよ!?和成くんはあくまで愉快な友達!そういうのじゃないし!」
「―――そう」
必死になっているようにも見えて、怪しく感じるのだけど―――いや、やめておこう。和成君に言われたことだ。これこそ主観でしか判断できない。
「ただ、和成君が誰かに恋してるトコって想像できないなーって思っただけだから」
流石は姫宮さんだ。人心を察するのに長けている。するどい。
「"友愛、親愛、自己愛。異性愛、無性愛、同性愛。性愛、隣人愛、家族愛、神の愛。色んな愛の形を色んなコンテンツから収集したけど、結局「恋愛」についてはよく分からなかった"って言ってたね。”人を恋愛的な意味で好きになったことはない”ってさ。
――まぁ彼の場合、少し特殊な事情もあるのだけど」
「特殊な事情?」
「尤も、それはまだ言えないけどね。姫宮さん」
「・・・・・・・・・・」
彼女は無言になった。
敢えてここで姫宮さんと呼んだ意味は、どうやら伝わってくれたようだ。
「和成君は今、未来ちゃんたちにそのことを伝えるかどうかで悩んでるんだと思う。かなりデリケートでプライベートな問題で、誤解を招きやすいから」
そこで会話を断つように、私は図書館の扉を開けた。
歩きながら話していて、既に目的地には辿り着いていたのだ。
そして姫宮さんは私のその態度から、聞いても話してくれないことを理解して諦めてくれたようだ。
だってこの話は、和成君自身がしなければ無意味なことだから。
「予断を持つのは注意だよ。一歩間違えれば、レッテル貼りとか偏見に繋がるからね」
ぎぃぃぃ・・・・・・と、重たい音と同時に木の扉が開く。
その先では高い本棚が整列している。規則正しく並ぶ詰められた本の圧迫感が、私は嫌いでない。
そしてその迷宮の中で備え付けのテーブルに向かい、両脇に何冊も本を重ねて、彼は本を読むのだ。
何度見ても、まるでラビリンスの番人であるように思える。
「―――そろそろ来そうだと思ってたけど珍しいな。今日は二人か」
「まぁね・・・・・」
「じー・・・・」
早速、未来ちゃんは和成君の顔を見つめている。さっきの会話があるから秘密について尋ねるようなことはしてないが・・・・・少々不審である。
それに対し訝しむような目線を向ける彼の表情は、困惑の混じった無表情。
察しのいい和成君は、その態度の違いの理由を既に見抜いているのかもしれない。
それとも、ただ怪しんでいるだけかもしれない。
どちらにせよ、私には彼の心の中は覗けない。
「ちょっと態度が気にならなくもないが・・・・まぁいいや。姫宮さん、今日は中々に興味深い話を仕入れた。聞くか?」
「聞く!」
次の瞬間には、彼女はもう席に座っていた。和成君と対面する席である。
・・・・・・むぅ、また先を越されてしまった。
「―――ああ、あと慈さん」
「なぁに?」
「これ、慈さんが好きそうな本。また見つけたから。あとで感想聞かせて」
未来ちゃんの隣に座ろうとする私に、彼は革表紙の厚い本を差し出してきた。受け取り目次を見てみると、確かに私好みの内容が書いていそうである。
―――彼はそういう人物なのだ。自分の情報収集の合間に、姫宮さんが好みそうな話や、私が好みそうな本を一緒に探してくれる。そしてそのことについて、深く語り合おうと言ってくれる。
だから私は彼が好きなのだ。
「―――えへへ、ありがと」
彼が私のために自分の時間を消費してくれること。その事実を一瞬考えるだけで、胸がいっぱいになる。
願わくば、こんな日々が末永く続きますように。
繋がる人の縁と縁。
次回より『世界会議編』突入。




