第373話 妖精のお祭り
グリーンに促されるままに、メルはいつものメイド服――彼女にとっての正装に着替え、和成と病室を後にした。メルは体の節々からエルフ族の緑の包帯を覗かせながらも、自身の脚でよろめくことなく歩きだす。
「支えは要りませんか」
「はい、これも復帰に向けた訓練ですので」
和成は一応手を差し伸べるも、リハビリの一環という理由でメルは遠慮した。先ほどのメルを連れては帰れないという問答もあってか、どこか心の距離を感じる反応だった。
「ん、おんぶー」
「はいはい」
そんな空気を読み取れるほど大人ではない二コラチェカが、合流した和成におんぶをせがむ。久しぶりの再会であり、妖精のお祭りへのお出かけということで甘えているのだろう。
断る理由のない和成は、そのまま凍て雲の妖精を背中に乗せる。
「要求、左腕」
「……あいよ」
同時に、その流れに乗る形で、メルトメタルも強引に腕を組みに来た。
しがみつく形で、和成の左腕を占領する。
(これが友人の距離感か? 人族では普通なのだろうか)
グリーンは過剰に近い距離感に疑問を抱くが、そういった機微に詳しくないため口は挟まなかった。
(……メイドとして、一歩引いて様子を見るべきでしょうか?)
対してメルは、メルトメタルがどうして和成に懐いているか分からず戸惑っている。一応、グリーン経由で彼女がアイアン王国の元皇太子であることは聞いている。しかし、グリーン自身もメルトメタルの詳細を把握している訳ではないため、詳しい事情までは知られていなかった。
メルは自らをメイドと定義しているからこそ、主の男女関係に深入りすべきでないと考える。一方で主にすり寄る女は選別せねばとも考え、その心は駆り立てられていた。
そのために、よろめいたふりをして空いている和成の右腕にしがみつく。
直後、自身の初歩的な失敗に気づいた。
(……これでは近すぎるのでは? もう少し後方から見定めるつもりでしたのに。これではまるで、和成様の右側を我先に確保したようです)
メルは結局、和成のすぐそばを選んだ。この位置からでは、逆側にいるメルトメタルは和成に隠れほとんど見えない。
しかし何故だろう。メルはそこから動く気にはならなかった。
「……お加減がよろしくないのでしょう。やはり今日は支えさせてください」
「そうさせていただきます、和成様」
和成の『観察』眼は、メルから嫉妬の感情を読み取った。嫉妬そのものは仄かな匂わす程度の物だが、そこに含まれる湿り気がやけに強い。
しかしそれを暴露するべきでないと判断し、和成は口にまでは出さなかった。
そして、三人の淑女に捕まった和成を見てグリーンが笑う。
「はははっ、良いではないか。そうやって拘束されていた方が、逃げられずに祭りを見てもらえるというものだ」
☆☆☆☆☆
広大なエルフの森の、塔のように高い巨木の枝は、山間をつなぐ鉄橋のように空中で通路を作っていた。枝を歩きながら眼下を見下ろすと、6種6属性の妖精たちが各々の区画を好きに行き来している。
区画はそびえたつ樹々も利用した、平面のみならず立体的にも分けられているもの。6つの区画が6つの層と混在しつつ、いくつもの祭りの出店がならんでいた。
森の森人族。山の鉱人族。海の人魚族。
天空の天使族に、雪原の雪男族。そして、火口の火精族。
妖精たちはそれぞれ準備していたものを持ち寄り、主に物々交換で取引する。仕事の手伝いなど労働の提供も取引は成立するが、逆に金銭では基本的に取引には応じてくれない。
その後しばらく祭りを散策し、食べ物を交換で手に入れた一行は祭り会場から少し外れた枝にて、妖精の料理に舌鼓を打つ。
和成の膝にはニコラチェカが座り、右と左はメルとメルトメタルが占領。残った背中側にグリーンが寄りかかり、食事のBGM代わりに、和成がGODシステムから伝えられた世界の裏側の話が語られる。
それを裏付けるように、グリーンの口から六大妖精の来歴について語られた。
「かつての神魔大戦の末期には、既に妖精の大半は妖精界に避難していたと聞く。最後に妖精王オーヴェイロン様が女神と邪神に相打った時には、ほとんどの妖精はこの世界から去っていたそうだ。しかしこの世界になじみ過ぎて、この世界でなければ生きられないほどに定着してしまった妖精たちもいた。それが六大妖精。妖精王がこの世界に最初に訪れた際、一緒に着いて来ていた者達らしい」
「あくまで伝聞なんですね」
「なにせ創世の時代の話なのでな。正真正銘、この世界が誕生したばかりの頃の話だ。ハイ・エルフの長老すら生まれていない」
妖精族に伝わる壮大な歴史は、GODシステムから聞いた『世界核』から始まる世界誕生秘話に勝るとも劣らない。
意識のみが存在する魂の世界で和成が知った知識と合わせて、それはまるで世界の裏側を知り尽くした気分になるような、壮大すぎる世界の話だった。
「『天職』とは、古代文明が生み出した特殊な『装備品』。編み出したり習得した技術を効率的に伝え、適性に合わせて後世の者たちの戦力を補強するもの。それらをステータス画面と共に管理・運営するため、世界を対象として発動された魔術。それがGODシステム……ですか」
メルは暴かれた事実の大きさについていけていない。彼女の言葉が、溜め息のように漏れ出た。
「俺の『天職』こと『哲学者』も、レディ・ローズさんのお祖父様をきっかけに生み出されたとのことです。『ミームワード』はマーメイドの魂に響く歌を応用した、言葉に情報を込め伝達する技術。『至高の思考』なども、似たような経緯で生まれたものなのでしょう」
「前々からですが、子供でもステータスさえ高ければ理論上はドラゴンを倒せる。そのことにずっと疑問を持っておりました。どうして世界はそのような無法を許しているのか。ですが和成様のお話を聞いてようやく分かりました。世界の大きさと比べれば、子供もドラゴンも誤差の範囲でしかないから、なのですね」
「おそらくは。『世界核』と比べれば、大陸全土すら塵より小さい。仮にレベル那由多が大陸を消し飛ばしたところで、それは『世界核』にとってないも同然。それが『ステータス現象』だったのでしょう」
悶々としたメルの戸惑いは、和成に返答されても払拭されなかった。
「……和成様は、絶望なさらないのですか? 私は正直、人の生の矮小さを突き付けられたかのような気分がして仕方ないのですが。まるで命が無意味かのような……」
「意味に意味なし、価値に価値なし。宇宙から見た己が塵芥以下など当たり前で、だからこそそれを前提とし、周囲数メートルの世界で今日も明日も生きて行く。生に何を見出すかは、後は好みの問題でしかない。――それだけですよ」
「うむ。いいか、メル。命が生きる理由は“生きているから”で十分だ。それ以外は全て余分であり、ただ生きるだけでいい。エルフだろうと、ドラゴンだろうと、人族だろうと、死ねば平等に自然へ帰る。その魂は皆、世界をめぐり、和成の言う『世界核』へ還っていく。残酷ながらも美しい話ではないか。我々は始めからこの世界の一部であり、それ以上でも以下でもないのだ」
和成とグリーンは良くも悪くも視野が広い。そもそもが達観でもしているかのような思考であるため、冷静な態度が崩れない。レベルアップ現象は食物連鎖と同じもの。魂か肉体かの違いがあるだけで、どちらも世界の一部として循環を繰り返すに過ぎない。
自分たちはどうしようもなく矮小な存在で、その意思や感情とは無関係に世界は巡る。悠久の時の中では、人生の全てに意味も価値もない。そんなことは和成とグリーンにとっては前提でしかなかった。
だからこそ改めて知ったところで、その事実が生きていく上で障害になることはない。暴かれた真実がどれだけ重大だろうと、2人の価値観は揺るがない。そういった意味では、2人にとってGODシステムの話は、取るに足らない話でしかなかった。
「ニコラチェカ……さん。アナタはどう思われますか?」
「世界が何でも、ご飯は美味しくてお布団はふかふか。特に今日はお祭りで、おにーちゃんと一緒で特に楽しい。だから、それでいいと思う」
メルは天使の子ニコラチェカにも尋ねてみるが、帰ってきた返答は二人と大きく変わらない。やはり子供とはいえニコラチェカもまた、悠久の時を生きる妖精族だった。
「妖精であっても生き物である以上、世の中、思い通りにはいかない。我々は一般に人族の平均よりステータスは高く、使える魔法も多様。しかしそれでも、できないことはできない。幸運なだけの人生などあり得ず、どこかで不幸と行き会う。
人よ、忘れるな。我々は妖精だ。ひとつの国が生まれて滅び、また生まれて滅びてなお生きる種である。それだけ長く生きれば、どこかで必ず理不尽に出会う。不慮の事故、唐突な戦争。生も死も平和も滅びも、生きていく以上、避けては通れない。向こうからやって来る。何を選ぼうと、長く続くというだけで何かは犠牲になる。
ならば、どうあれ立ち向かうしかない。世界が残酷であることを前提に、思い通りにならなくともそれはそれとして日々楽しむ。滅びだけでなく、そこから這い上がる奮起も含めてな。――それが人族より遥かに長く生きる妖精の生き方だ」
これまでも、これからも、遥かな年月を重ねていく、グリーンの年長者としての言葉。妖精のお祭りを眺めながら、妖精の食べ物を食べながら聞かされる会話は、とても含蓄にあふれているように感じられた。
「所詮この世は塵芥、原子分子の集合体に過ぎない。だからこそ世界は広く、人生は長い。だったら気負い過ぎてもしょうがないですよ。自分のペースで歩くだけです」
妖精の死生観を受け止め、独自の価値観を述べる『哲学者』。
そんな彼に新たな話題を振ったのは、既に生ものとは言えない機械の体のメルトメタルであった。彼女は命であろう。だが果たして、生き物と呼べるか否か。
「質問。我が友、我が命。生物にとって、始まりとは唯一無二。生まれた場所は基本ひとつしかない。故に元の世界に帰りたいという願いは、理屈など不要なほどに当然の欲求だ。我が命の帰還を邪魔するなど利己的極まりない。それは、生物が持つ普遍の欲求の弾圧である。誰であろうと許される行いではない」
いや、きっと生き物と言えるだろうと、メルもグリーンも和成も思う。
でなければ、彼女が和成に寄りかかるはずがない。
惚れこんだ男を離すまいと抱き着くメルトメタルが、理屈の通らない強烈な執着が、生き物でなくてなんだと言うのか。
「逆説。そう頭で分かっていても、やはり当機は寂しく思う。我が半身がこの世から欠落し、二度と会えなくなる。例えそれが道理だとしても、あるべきものがあるべき場所へと帰る当然の帰結だとしても、悲しいものは悲しい。避けられるのならば、避けたい。
故に、懇願。聞かせて欲しい。和成、君は何故元の世界に帰りたい。君にとって元の世界は――それほどまでに幸福だったのか」
☆☆☆☆☆
「俺が元の世界に帰りたいのは――向こうに家族がいるからです。続きが気になる本、何度でも食べたい料理。それらも勿論、理由になるでしょうが……一番はやはり、家族がいるからに他ならない」
「それだけ幸せだったから、というよりは、それだけ恵まれていたからと言った方が正しい」
「日本という恵まれた国で、医者の両親の元、何不自由なく暮らさせてもらいました。ゲームやお菓子は色々と制限されてましたけど、本だけは言えば何でも買ってもらえた。お小遣いは特になかったけど、必要な分は言えばくれた。別になくたって、お年玉を計画的に使えば問題なく遊べました」
「運動神経に自信はないですが、心身ともに健康。体力筋力共に並は超えてて、顔もそこそこ。イケメンではないですがブサイクでもない。進学校で平均以上をキープできるぐらいには優秀。客観的に見て、俺より頭のいい人は億人単位でいるでしょうが、人類全体で見た場合には上位数割には入れそうな頭の良さです。全て、両親からの遺伝です」
「普通は実は普通じゃない。全部が普通なやつってのは、つまりは普通に優秀なやつです。色んな要素が平均以上な俺は、総合的に見て上等と言えるでしょう」
「それは努力によるものか。違う、たまたま恵まれていただけです」
「だいたい個人ができる努力なんて高が知れてる。実るときは実るし、実らないときは実らない。裏切ったり裏切らなかったりするのが努力というものでしょう。ホームレスが全員怠け者だんて、そんなことある訳ない。世界が広く人生も長い以上、どこかでどうしようもなく理不尽に巡り合う人はいる。それこそが世界の幅。良くも悪くも、可能性に満ちあふれた社会において避けては通れないものでしょう」
「努力の成果が出たなら、それは運がよかっただけ。実力と言い切るのは思い上がりというもの」
「性格も、集中力も、持続力も、遺伝の影響からは逃れられない。環境といった、個人ではどうにもならないものは確かに存在する。努力とは結局のところ、運次第かつ才能次第でしかない」
「例えそれらがなかったとしても、努力から逃れられる訳ではありませんけどね。命という命は、生きてるだけでみんな頑張るしかない。ただ種類が違うというだけで」
「――けれどどれだけ頑張ろうと、死ぬときは死ぬ。悪魔の襲撃、邪竜の横暴、死霊伯爵。犠牲者の方々に何の非もないように、行き止まるときは行き止まる。だから、今まで俺は恵まれている。何度も努力は実を結び、色々な成功を収めてきた。全ては、両親、祖父母に親類。近所の人たちに、友達。元の世界でも、コチラの世界でも、色んな人達のおかげです」
「ならばその恩は返さなければならない。せめて最低限、両親だけでも、もらった分の何かを返さなければ筋が通らない。特に俺は長男です。両親と祖父母の老後は俺が面倒見るべきだ」
「それが俺の、俺なりの矜持です。だから俺は――元の世界に帰りたい」
☆☆☆☆☆
自分の成功は誰かのおかげ。
自分の失敗は自分のせい。或いは、巡り合わせが悪かった。
誇り高く謙虚で、かと言って自罰的ではない。
真面目で誠実だが、それだけではない開き直りも兼ね備えている。
ポジティブでもネガティブでもない、とても和成らしい結論だと――メル・ルーラーは思う。
「元の世界にいる俺の家族は、メルさんにとってのキングス王であり、二コラチェカにとってのパパとママであり。メルトメタルさんにとっての皇帝殿です。断ち難い大事な繋がりです」
それ以上の言葉は不要だった。メルも、メルトメタルも、二コラチェカも、和成の意思を尊重する。別れの覚悟を決めざるを得ない。
そして、その日和成はGODシステムに告げられる。
☆☆☆☆☆
[警告。アナタは元の世界に帰還可能。ですが、帰ることに意味はない]
 




