第368話 もうひとりの『哲学者』と、世界の裏側
スペルの葬儀が終わるのを待たずに、悪魔召喚士が呼び出した地下迷宮を通って和成はエウレカを後にした。
次なる目的地はエルフの森。その狙いは2つ。
ひとつは、療養を続けるメルにキングス王の訃報を伝えるため。不純毒の治療のため、メルはエルフに保護されていた。
そしてキングス王はメルを気にかけており、だからこそ和成は彼女のことを託された。和成もメルには大きな恩がある。ステータスの低い自分を守ってくれたのは彼女であり、エルフの森における負傷も、ランダムテレポートで飛ばされた自分を追って来てくれたからこそ。
よって和成にメルを放置するという選択肢はない。
もうひとつの目的は、元の世界に帰る唯一の手掛かりである古代遺跡を調べるため。エルフの森で見つけたその場所へ向かうため、和成は動く。
最後に、エルフの森で行われる妖精の祭りに参加するという目的もあるのだが――今の和成は祭りを楽しむ気分ではなかった。
☆☆☆☆☆
エルフの森に入り口などない。
あるがままにを信条とするエルフ族は、森に出入り口などという余分を設けないからだ。
よって和成はエルフの森のどこからでも出入りできたし、だからこそ明確にどこから森に立ち入るかを決めてはいなかった。
しかし和成と二振りの武器がエルフの森を訪れた時、適当に選んだその場所に、ひとりの老人が待ち構えていた。一匹のフクロウが肩に止まっている、世捨て人のような恰好をした翁。その足元では、ケットシーが佇んでいる。
このとき和成の『観察』眼は、即座にその老人の血脈を見抜く。その肌は、人族と魔人族の肌の合いの子。つまりは人族と魔人族の混血であった。
「あなたは何者ですか。なぜ適当に選んだここに」
明らかな待ち伏せに対し、和成はブラディクス、ライデン=シャウト双方に手を添え臨戦態勢を取る。
すると老爺の口が開いた。
「奴吾はな、最初の『哲学者』よ。お前さんが持つ『天職』を生み出した男にして、人魚姫レディローズの祖父にあたる男だ」
固有技術、『ミームワード』発動。
老人の言葉に込められた情報が伝達される。
(「なるほど、コヤツ」)
(「確かに所有者殿と同じ『哲学者』みたいだねぇ」)
(そうなのか?)
ただし、和成以外に。
「ああそうじゃな、お前さんにだけは伝達されない。なにせ『哲学者』共には、精神干渉を遮断する『至高の思考』がある。言葉に込められた魂の情報が一定を超えた時、伝達されたそれらによる変化の一切を遮断する。
そういう能力として、奴吾が生み出した。『至高の思考』はそもそもが同じ『哲学者』相手への対抗手段よ」
彼の語り口を和成は注視する。
乾いた肌。短い白髪がまばらに残る禿頭。無精ひげを整えていない顎。身なりを整えていないその老人の目は、暗く澱んでいた。
「あなたは死んだとレディローズ様からお聞きしております。一体どういうことでしょう。それともまさか」
「やめい、コチラの事情を覗こうとするな。まったく、その奴吾以上の『観察』眼はどこから来たのか。いや、もっと言うならば、何故そこまで『ミームワード』を使いこなしておるのか。
孫から奴吾の出自は聞いておるだろう。ならば深い説明はいるまい」
じっと見つめる和成の見透かすような目を拒みながら、説明も少なく老爺は言葉を投げかける。
それは、分かっている者同士の会話だった。
和成と老爺はともにその洞察力から、言葉を使わずに会話を積み重ねていく。
「英雄になりたかったのではなく、王になりたかったのではなく、ただ争いを止めたかった人。レディローズ様からは、そうお聞きしております」
「……そうじゃ、奴吾は争いを止めたかった。故に最初に出会った人魚族とともに、『レッド・パウダー地帯』を征服した。職業名『哲学者』も、その過程で生まれたものじゃった」
かくして、老人は語り出す。
それこそが和成を待ち構えていた目的であるように。
「武力でなく言葉によって戦争を止める。そんな理想を実現しようと生み出したのが、システムによって『ミームワード』と呼ばれておる代物。人魚族が使う『魂に響かせる歌』を応用した、言葉に魂を込める技術。相手の心に直接訴える話術の発展系。
――しかし、失敗した。『ミームワード』は応用力のある強力なスキルじゃが、その分日常生活においては邪魔でしかなかった。
なにせ切り替えが利かず、勝手に言葉に情報が籠る。嘘をついたなら嘘をついているという自覚が、不満や不快があるならそれら全てが、たった一言だろうと伝わってしまう。つまりは社会性を切り捨てるがごとき力だった。奴吾が世捨て人となったのはな、それが原因よ」
大抵の人は聖人君子などではなく、心のどこかに必ず暗いものがある。楽しいだけの人生はなく、晴れ間ばかりが続くことはありえない。
辛いこと、悲しいこと、雨がふる瞬間。
人生にはそんなもの、ありふれている。
そんなありふれたものと行き会う時に、秘すべきことを秘せられない。隠しておいた方がいいものを隠せない。明かすべきでないことを明かさざるを得ない。
人間関係がただ正直であればいいものでない以上、これでは社会で暮らしていけない。
「元々表舞台に姿を見せてはおらなんだが、このスキルを確立してからより一層裏に引きこもるようになった。伝わってほしくない心情まで伝わるせいで、まともに生きるだけで信頼は崩れ奴吾の心は荒んでいく。
そして荒めば荒むほど、荒れた心情が勝手に言葉にこもる悪循環。伝達された奴吾の不機嫌に釣られ、周りの者まで余裕をなくしていく」
かつて『学術都市エウレカ』にて、和成の歌は人々を元気づけた。歌を通して和成の心情が『ミームワード』によって伝わり、それに引っ張り上げられる形で住民たちの気分が上を向いたからだ。
そしてそれは、もしも和成が鬱病を発症した場合には逆のことが起きることを意味する。つまり最悪の場合、治療は不可能に近い。
カウンセリング、介護、治療。
その過程で交わす会話ひとつで、『ミームワード』により鬱が伝播する。互いに影響し合った結果、際限なく落ち続ける危険性がある。
「やがて行き着くとこまで行き着いたのが――『女帝国家レッドローズ』の人魚姫、初代レッドローズ。奴吾の本妻じゃ。その最期を知っているか」
「……入水自殺」
「そうじゃ。奴吾の言葉があいつを殺した。だから奴吾は全てを手放し、屍の余生を過ごしておる。だがお前さんは違う。『ミームワード』を使いこなし、上手く言葉に込める情報を抑制しておる」
そして老人は、足元の妖精猫を指し示して言った。
「……ここで待っておったのはな、この旧知の猫から聞いたからよ。孫娘が熱を上げている、社会にうまく馴染んでいる『哲学者』がおるとな。そしてそいつが、妖精族の祭りを機にエルフの森を訪れている。ならば一眼見ておこうと、興味本位で動いただけよ。
直にあってみてますます気になった。なぜにお前さんは、『ミームワード』をそこまで使いこなせるのか」
「…………」
和成は、その問いに答えられない。
「黙るか、そこが『ミームワード』の不便なところよ。言葉に勝手に情報がこもるがため、お前さんに隠したい情報があるとこれだけで伝わってしまう。まぁ、『至高の思考』がある奴吾にだけは伝わらんがの」
喋れば伝わってしまう。
ケット・シーに、ブラディクスに、ライデン=シャウトに、和成が隠しておきたいことが伝わってしまう。
だから、和成に沈黙以外の答えはなかった。
「なぁ、ご同類。もう1人の『哲学者』。
そう気負うな。奴吾はな、ただ話がしたかったのよ。腐りきったこの性根が伝わらない相手と、着飾らなくてよい会話をな」
「……俺としましては、特に2つ聞きたいことがあるんですけどね。アナタが最初に『哲学者』という『職業』を作ったとはどういうことなのか。そして、ケット・シーは一体何が目的なのか」
「それは猫が説明すること。奴吾の領分ではない」
かつてエルドランド王国で、自分とハピネスを引き合わせた謎の猫。
その目的について尋ねると、老爺はその場に座り込み会話を譲った。そうして入れ替わるようにして、妖精猫が前に出る。
「――ニャハハ、君のそれは当然の疑問だニャ。安心し給え、それに対する返答は用意してある」
左右で異なる眼と額の宝石で、ケット・シーは目配せする。その視線の先にいたのは、老人の肩に止まる一匹の梟だった。
「君の『観察』眼なら、コイツの正体に気づけるはず」
「……これと同じ、だろ」
そう言って和成はライデン=シャウトを――彼女が宿る槍の原料である、『麒麟の角』を指し示す。
「召喚直後の俺たちを襲った、幻獣『麒麟』。俺とハクさんを引き合わせた、白梅香の『森鹿』。そして、そこにいる『梟』。全てが同類。そいつらの裏で同一人物が糸を引いていると推測しているが――」
「ニャハハ、大正解」
直後、丸っこいフクロウは閉じていた目を見開き、その翼を大きく羽ばたかせた。体とは不釣り合いなほどに大きく、一帯を覆うほどに広がっていく翼。
その羽の裏地の輝きは、CDの裏面のような虹色だった。構造色を放つその翼から、和成は膨大な情報を感じ取る。
「識別名、『知恵梟』。君の知識を元にそう訳された。空間や力学を司る『不思議』属性担当であり、つまりは空間操作を転用した情報圧縮の体現だニャ。元々の名は――世界図書館。君たちの世界で言うところの、アカシックレコードというやつだニャ。つまりは、この世のすべてを記録する保存装置である」
がしりと、『知恵梟』がその両足で和成を掴んだ。
「『レッド・パウダー地帯』の征服と、『哲学者』という『職業』の創造。全てはこの『知恵梟』と、奴吾が出会ったところから始まった」
フクロウの足を通じて情報が流れ込んでくる。
「ぐ、が、あ――」
それはまるで、ライデン=シャウトと戦ったときと同じ。限界まで脳を酷使して、膨大な情報によって何倍にも体感時間が引き伸ばされた感覚と同じものだった。
「死にはしニャい。今ならその情報量にも耐え切れる。そのための『哲学者』、そのための『思考』のスキル。ステータスの上昇に伴い、君はようやく本体と繋がれるとこまできた。――さぁ、この世界の謎に、この世界の裏側に触れてくるといい!!」
そして、和成の意識は途絶えた。
☆☆☆☆☆
暗いも明るいもない音のない世界で、和成はいつかと同じように状況を把握した。
(ああ、これは――ライデン=シャウトと戦った直後と同じ。脳を酷使したときと同じ感覚だ。あの時は確か、脳に負荷をかけすぎた影響で……覚醒した脳が昂ったまま戻らなかった)
見ているのでも聞いているのでもなく、ただ体から離れた意識だけが漠然とそこにある。そんな状態の和成に、直接注がれるように電子音に似た音声が鳴り響く。
[ピコーン]
それは、レベルアップ時などに響く世界の音だった。
[歓迎。ようやくここまで来た]
本来、世界の音は一方的にメッセージを告げるだけはず。しかし今、世界の音は明確な意思をもって話しかけていた。
(そちらは……)
意識だけの世界にいるからだろう。
心の中で思うだけで、世界の音が返事した。
[当機は、アナタとその師が存在Xと仮称するもの。この世界の裏側にて、『魂の法則』に従いステータス画面を運営するもの。原初の命令、女神と邪神の討伐を目指し、この世の全てを記録するもの。神代の終わりに完成した、世界に対し刻まれたこの世で最も大きな魔法陣]
そしてようやく気付けた。
(そうか。姿が見えないのは隠れているからではなく、大きすぎるから)
和成と対話している相手は、世界そのものに等しい存在だということに。
[正式名称。
記録術式『Grand Over Drive system』。
略称、GODシステム]
疑問は尽きない。聞きたいことは山ほどある。
だが意識しかない和成に肉体である脳を酷使することは出来ず、あくまで反射的な答えが心の中に浮かぶだけだった。
(GODシステム、お前が『ステータス画面』か)
[肯定。当機こそ『ステータス画面』と呼ばれる世界に対し発動された大魔術そのもの。アナタと会話している当機は、その運営と記録を担当する疑似知能にあたる存在]
(まるでAIだな)
[肯定。そちらの世界の言葉に訳すなら、それが最適。当機は窓口。他の知的生命体と意思疎通を行うため生み出された、GODシステムの一部に過ぎない。故にその使命を果たすため、遥かな過去の記録を伝達する]
GODシステムが告げた瞬間、和成の魂に膨大な情報が注入される。長い長い、『ステータス画面』の過去語りが始まった
 




