第367話 サファイアと親切友成
「どうやら、ヒラは既に立ち去ったようですね」
夕陽が沈みかけた頃、消沈するサファイアに話しかけたのは部屋を訪れた親切だった。
「ダンジョンの入口の端の方に、五色米がばら撒かれてましたよ。どうせ漫画の内容でも思い出して真似したんでしょう。わざわざオモチャを作ってばら撒いた辺り、案外余裕なようでなによりです」
和成について語るその軽口は、異界の勇者の誰とも一致しない独特のものだった。心配はしているのだろう。だが気遣う様子がない。
彼はきっと、声色と裏腹に真剣に心配している。だが、『聖女』や『姫騎士』と比べれば深刻ではなかった。
だからサファイアは聞きたくなった。他の誰でもない、和成と最も付き合いの長い彼に、和成について。
「……よかったのか、和成氏と会わなくて。会おうと必死にならなくて」
「男の涙からは目をそらしてやるのがマナーですから。女子陣がどうかは知りませんが、僕は師匠に向けて男泣きする奴の邪魔はしたくない。その場に立ち会って、恥をかかせたくはない」
「もう会えない可能性だってあるのだよ」
「それはないでしょう。どうあれアイツの目的が元の世界への帰還である以上、最低でも必ず一度、僕たちに帰るかどうかの確認をしに来るはずですから」
親切の口ぶりを聞いて、これが男同士の友情なのかとサファイアは思う。女同士の友情すらよく分かっていない彼女にとって、それは理解がおよぶものではない。
だが、そこに信頼があることだけは分かる。
彼は友を信じている。ヒラがそうそう死ぬはずないと。
だからこそ、きっと怒っているのだろう。しかし慈や姫宮と違って、その怒りは一線を超えていない。一歩引いた所から、ずっと冷静な対応を見せている。
「『最上位魔導師』殿。君は心配ではないのかね」
失礼なことに、サファイアは親切の名前をまったく覚えていなかった。
そのことを察しながら、親切は答えた。
「心配ですよ。しかしアイツはあれで自立してるし、自己完結してる。メンタルケアぐらい自分でできるし、自分の機嫌は自分で取れる。だからきっと、そのうち1人で勝手に立ち直るでしょう。
そもそもが浮世離れした世捨て人気質ですからね。元の世界でも平然としてそうなのに、引きずり込まれたコチラの世界で追放されたところで“そういうこともあるだろう”で終わりでしょう」
追放。人族連合という社会(世界)からの除外。
それを目の前の少年は――和成にとっては些事と言い切った。それはサファイアにとって、次の問いを引き出すには十分だった。
「和成氏は人族から排除されたことにダメージは受けてないと?」
「いえ、ダメージは受けてるでしょう。しかしあくまで自分は自分、他人は他人でしかない。ヒラは己の快不快と、人族が女神に支えれてきた歴史をごっちゃにするほど幼くありませんよ。
人の社会と個人の世界の狭間を好き勝手に行き来するのがアイツです。人族が女神に逆らえないことにムカつきはしても、だからといって理解も納得もせずに暴れたりなんてしませんよ」
「なるほど、それは確かに幼稚でない。つまり我々は、未だ配慮を頂いているという訳だ。――恥ずかしさと申し訳なさで、頭がおかしくなりそうなのだよ。
……何度謝っても足りないし、どんな謝罪の言葉を述べても説得力などないだろう。しかし誠に申し訳ないことに、人族連合は和成氏に対し『賞金首制度』を適用してしまった。
つまりは、国家が個人に対し行う人権の剥奪なのだよ。彼の首を獲れば、巨万の富を得られるようになった。我々が、そうなり下がらせた」
現在、和成の首にかけられた額は魔王軍七大将に匹敵し、所有していた財産も受け取る予定だった残りの討伐報酬も没収されてしまっている。
「和成氏は今、国賊であり、神敵であり、人族全体にとっての悪である。もはや邪神に匹敵する最優先討伐対象なのだよ。その意味が分からない君たちではあるまい。
なのに何故、和成氏はじい様のために涙を流してくれる? 我輩とも未だ言葉を交わしてくれる? 配慮してくれる? 我々の社会から受ける不当な扱いに――何故怒らない」
「いや、そんなことはないでしょう。ヒラは普通に激怒してますよ。アイツは確かに、自分が引いた一線を超えないギリギリまで様子を見ます。
それは一見、寛容に見えるかもしれませんが、少なくともアイツは絶対に温厚ではない。当たり前にムカついてますし、むしろその多感さを思えば、ため込んでいる感情は人一倍でしょう。ただ単に許容量が大きく、それが行動に現れないだけです」
「そう……なのか」
漏れ出たサファイアの乾いた笑みは、自分ではとても読み解けないことに対する自嘲だった。
彼女は人の心の機微を読み解くことに関し、昔からずっと不得手である。少しでも隠されるともう分からない。
だがそれを言い訳にするのは、大人として恥ずかしいことだという自覚はあった。
「報復などを行わない理由のひとつとしては、あくまでヒラの軸足が元の世界へ帰ることに寄っているからでしょう。いざ帰った時、家族に合わせる顔が無いようなことをアイツはしない」
「ちなみに『最上位魔導師』殿は――」
「そりゃ僕だって怒ってますよ。怒ってますが、しかしヒラの怒りはヒラのもの。アイツが行動に移していない以上、僕が先んじて怒るのは筋が通らない。もしも僕が怒るとしたら、それは怒るヒラが行動に移した後だ」
「……もしも彼が本気で怒るとしたら、人族を敵とみなし攻撃するとしたら。――それはどんな時だろうか。もしも和成氏が本気でブチ切れたら……想像するに恐ろしいが、いったいどうなる?」
「絶対極端から極端に走るでしょうね。アイツは真面目で、芯の部分がピュアだ。そういう奴に限って露悪的なことをやろうと質の悪いことをやらかす。ヒラはアイツが引いた一線を超えてない奴には、それがどれほど一線に肉薄しようと見定める態度を変えませんがね、一線超えた瞬間に豹変し、穏健に様子を見ていたとは思えない苛烈な行動を見せるでしょう。
なので人族に対して、思いつく限りのあらゆる非人道的手段を取るんじゃないでしょうか。それまでのこだわりを投げ捨てて、何もかもをひっくり返すような極端な行動に出る。要はテロ行為だ。それができてしまう極端さがアイツにはある」
「ならばせめて、せめてそれだけは……絶対に回避しなければならないな」
人族連合は和成と敵対したくない。彼のステータスが高いからでも、魔王軍七大将を倒した強者だからでもない。
即興魔法を持つ和成は何でもできるからだ。あらゆる非人道的な手段を、どうとでも仕掛けられる。そうなれば泥沼だ。
感情のまま突っ走る落としどころのない戦争に、悲劇以外の結末は存在しない。待ち構えているのは無為で悲惨な消耗戦だけだ。
サファイアはそんなことを和成にさせたくない。させてはいけないと強く思う。自分たちが裏切ったことが原因で――彼という英雄にそのような行いをさせてはならない。
それは彼女にとって超えてはならない一線であり、最後に残った譲れない決意だった。
「ヒラはあえて言うなら気位が高い。自分の行動に対する結果も、それに付いてくる意味合いも、全て自分だけが背負うもの。だからこそ自分だけが決められる。
賞賛だろうと罵倒だろうと、誰にも文句は言わせない。言われたところで気にしない。今後に活かせそうなトコだけつまみ食いして、後は斬り捨てる」
「……だから討伐報酬を、なかなか受け取ってくれなかったと聞いているのだよ。命を奪うという行為に対し、報酬という形で他人から評価されたくなかったのだと、じい様が語っていた」
「最終的には、人族の社会を尊重して受け取りましたがね。だからこそ、それが後出しで取り上げられたところで0が0に戻っただけ。地位や財産が奪われたことに関して、ヒラが怒ることはないでしょう。アイツはそこにはこだわらない。
なのでヒラが人族を敵に認定するには、アナタ方が僕らを皆殺しにするぐらいのことがないとありえないでしょう。しかし、アナタ方は別にそんなことはしない。皆さま――賢いですから」
同じ行動でも意思や感情によって結果が変動する。それがステータス現象だ。
そんなものが存在するこの世界では、感情に任せ暴れる生命体は文明を発展させられない。安定した社会を築けない。
子孫を残す上で大きな不利が付き、そのまま子孫が残らないので、結果として感情を制御できる個体ばかりが繁栄していく。
これこそがこの世界で起きる進化の道筋。種として環境に適応する過程で、人族は理性と計算で感情を押さえ込む生態を獲得した。技術ではなく習性として、理性と共に生きる生き方が遺伝子に刻まれている。
だから、ステータスの高い異界の勇者たちに危害など加えない。ダンジョンやハザードに対する戦力である彼らを手放すような真似はしない。
もしも彼らが敵に回ったらという恐怖はあるが――その恐怖を晴らすために自分たちから危害を加え、異界の勇者たちとの全面戦争に突入するなどという道は選ばない。選べない。
親切が言う賢いとは、単純な知能指数のことを指しているのではない。
教育を受けられないような社会の末端層であっても、ガッチガチに思考が凝り固まった社会の上層部であっても、誰もが同じように行動する人類にはない冷静さ。聞き分けの良さ。
それこそが、ステータスという暴力を誰もが所有しうる社会において、人族の犯罪率が極端に低いこの世界の基盤にあるものだった。
「それもヒラが人族に配慮してる理由はですよ。確かに『賞金首制度』によってヒラの人権は剥奪された。ですがそれで首を獲りに行くバカは、人族にほんの一部いるかいないかだ。
ブラディクスに呪われ『邪悪』属性を使うようになったアイツを、人族に利する行為を続けていたとはいえ共に戦えると見なしてたのが人族連合だ。女神がヒラを敵認定さえしなければ、誰も排除なんてしないことは僕たちだって分かっている。――そう思えるぐらいには、この世界で過ごして来た。
ヒラだってそうだ。だから、一線は超えたが完全な決裂には至っていない。アイツがこの世界に怒っていても、憎むことまではしないのは、それでもこの世界にいい思い出があるから。そうに決まっているでしょう」
女神が和成を敵と認めなければ、人族にとって和成は味方のままだった。そのことを和成も親切たちも理解し、また疑っていない。
だからこそ彼らの関係は、全面戦争にまでは発展することなくある種の馴れ合いのような膠着が続いていた。
「……それだけに女神から神託を下されたとはいえ、アンドレ女王が異常に見える訳ですが。ヒラがエルドランド王国の騎士団を不殺で叩きのめせたのは、そもそもエルドランド側が嫌々戦っていたのが大きいでしょう。
だから僕たちはこんなにも自由に動けているし、人族連合をまだ完全な敵とはみなしていない。歩み寄りの余地はわずかながらも残されている」
「そう思ってくれているなら、ありがたい話なのだよ。だが、あいにく我輩にはエルドランドの姫君が何を考えているか想像もつかない。……すまないが、最後ににひとつ聞かせて欲しい。君は和成氏に追いついた後、どうするつもりだ」
「さて、別にどうもしませんよ。個人的には、ヒラは少しそっとしてやるだけで十分だと思ってます。他のがどうかは知りませんが、少なくとも僕がヒラを追っているのは、単に目が届く範囲にいて欲しいというだけ。あくまで安否の確認と、だいたいどの辺りにいるのかを把握しておきたいだけですから。
――あとは仮に人族連合とおっぱじめることになるなら、戦力がいるでしょうからそのための協力ぐらいでしょうか」
「……情はあるが、ドライだな。――和成氏の親友らしい。君らは似た者同士か」
「距離感が似てるだけですよ。それに、優先順位を間違えてはヒラに説教くらわされますから」
「どんな説教だね」
「“お前は恋人を守れ。友達なんて後回しにしろ。愛する女を守る邪魔をしないのが、男の友情というものだ”ですって。あいつがこの世界に来る前、僕が化野と付き合うことになった日に言い放ちました。重いでしょう?」
「だが、和成氏らしい」
「ええ、アイツは幼稚園の頃からずっとそんな感じだ。いつだって真剣で、良くも悪くも自己完結している。
だからきっとそのうち勝手に立ち直ってますよ。こっちが追いついた時には、どうせケロッと自分なりの答えを出しているに決まっている。アイツは実に助け甲斐がない」
「だがそれは――助けなくていい理由にはならないのではないかね」
「それをするのは僕であるべきではない。もしもヒラを救うのであれば、それは僕以外の誰かであるべきだ。他の誰もヒラを救えないのなら、最後の最後にようやく僕が出る。――それぐらいが、きっと一番ちょうどいい」
親友を助けないと言い切る親切の態度は、まるでサファイアにこう問いかけているかのようだった。
助けたいのであれば、アナタが助けるべきだ。
助けがいのないアイツを助けるために、わざわざ自分から助けに行くべきだ。あなたは――助けがいのないアイツを助けられますか?
これを受けて、サファイアは思う。
その思考は、意図せず口から漏れ出ていた。
「我輩は彼に――何か返せるだろうか」
「ハピネス王女も似たようなことを言ってましたが、僕には分かりません。アイツは気位が高い性格だと言ったでしょう。不当に得た利益はいらないし、不利益や不公平には無頓着。地位も名誉も財産も、もちろん女もいらないと斬り捨てられるのがあの男。
元の世界へ帰りたがっているアイツに、人族が帰って来てもらうために差し出せるものなんてない。あの面倒くさい奴相手にできることと言えば、見返りを求めずにこれは自己満足と割り切って、何かを“返す”ではなく“あげる”ぐらいのことです」
失敗を前提に、何かを返してもらえるなどと期待せず相手が必要としているものを差し出す。
それが和成に対して行える、唯一の誠意だと彼の親友は語る。その通りだと、サファイア自身そう思う。
そして、サファイアの意識は自分の頬についた涙の跡へ向く。あの時、和成を引き留められなかった時、自分が流した涙は何の涙だ?
自己憐憫の涙か?
可哀想な自分に陶酔して流れた涙か?
違う。そんなはずはない。あの涙は、悔しさと情けなさから流れたものだ。
自分を恥じ入るからこそ流れた涙だ。
だったら。だったら――。
すでに答えは出ている。
「『最上位魔導師』殿」
サファイアは彼女らしく宣誓した。
「厚顔な選択は百も承知! 無茶も無謀も覚悟の上! 我輩をエルフの森へ連れてってくれ!」




