プロローグ 問十九「江月照松風吹、永夜清宵何為所」
女神と敵対した平賀屋和成が、エルドランド王国軍を叩きのめした上で失踪した。ただし、死者はゼロ。
その数字はむしろ和成と王国軍の戦力差を浮き彫りにし、人族連合に衝撃を走らせた。
しかし、そんな一大事件も『学術都市エウレカ』においては後回し。超『賢者』スペルの死以上に優先することなど、学術都市にありはしなかった。
仮に明日世界が滅ぶとしても、エウレカは今この瞬間だけは、スペルの葬儀を優先する。エウレカという都市において、スペル・デル・ワードマンはそれほどまでに偉大だった。
「和成氏……」
ただそれでも、彼女だけは。超『賢者』の孫娘サファイアだけは、和成のことを思い続けていた。
彼女が現在いる場所は葬儀会場。親族としての務めを果たす彼女の傍らには、棺に納められた安らかなスペルの遺体がある。
準備を概ね済ませたサファイアは、椅子に座り偉大な祖父の寝顔を見つめながら、兄の言葉を思い返す。
「サファイア。お前は和成君の味方をしてあげろ」
喪主を務める兄、ナイン・デル・ワードマンは、現在膨大な参列者の整理から手を離せない。そんな多忙を極めた中でも、彼は無理やり時間を作り妹に告げていた。
サファイア・デル・ワードマン。
彼女のかつての名は、サファイア・ワードマン。
学術都市エウレカにおいて、ミドルネームは称号の役割を果たす。よって突出したを意味するデルの称号を名乗れる者は、華々しい功績を残した者のみ。
祖父であるスペルは言うまでもなく、兄であるナインは自力でデルの名を勝ち取った。
しかし研究の成果が実を結ばなかった彼女は、デルを名乗るに足る功績をあげられなかった。
だが今は違う。
和成を基準にステータスの概算式を完成させ、『ステータス計測ゴーレム』の実用性を証明した。その精度も以前と比べ向上し、量産化の目途が立った。
これにより、敵のステータスのおおよそを今まで以上に正確に、少ない被害で導き出せる技術が確立された。
また、戦時中という世情にあっていた、というのも要因だろう。特に魔王軍が使役する魔界の悪魔たちは、この世界の外側の存在ゆえに、ステータスという現象に縛られない。
よって、和成を基準に疑似的なステータスを算出する彼女の発明は、悪魔の強みをひとつ潰した。
サファイアの発明品は各地の戦場へ急速に普及し、敵戦力の正確な分析によって大いに勝利に貢献することとなる。
以上の功績をもって、サファイアは無事、デルの称号を名乗るに値すると認められた。サファイアは祖父と兄に並び立つ者として、ようやく故郷に錦を飾ることができた。
今の自分があるのは和成のおかげだと、彼女はそう考えている。だからこそ、胸が痛い。
棺にて眠る祖父の顔を覗き込むが、ざわつく心が落ち着くことはなかった。
「……安らかな、寝顔ですね」
そんな彼女に、不意にどこからともなく現れた和成が話しかける。
「ああ、朝日と共に眠るように亡くなっていたのだよ」
驚きはない。例えそれが、唐突に後ろから話しかけられたものであっても、驚くはずがない。
彼が師の最期に立ち会わないなど、あるはずがないのだから。
だからこそサファイアは、故人の生前について親族と語り合うかのように会話を続けた。
「死因は寿命。最強の魔法使いは、戦場ではなくベッドで終わりを迎えた。これを幸福と言わずして何と言う」
そこから紡がれるやり取りは、とても静かで、おごそかなものだった。遺族と弟子。残された側はただ、彼の生前に思いをはせその死を悼む。
和成がお尋ね者とは思えないほどに、2人がいる空間は柔らかだった。それはきっと、死者への敬意と残された者としての悲しみを共有しているから。
「じい様はエウレカの最高司令官として、長く続いた戦争にひとつの区切りをつけた。やるべきことをやり切ったと評価していい。――魔人族との戦争は、終わったのだよ」
邪神の結界が消滅し、魔王軍七大将が全滅した以上、もはや魔人族は人族連合の敵ではない。『女神の結界』に守られた人族領に、今の魔人族では攻め込めやしないのだから。
そしてステータスを半減される『女神の結界内』において、人族連合を相手取れるのは魔王軍七大将でも数人のみ。ならばあとは人族領で守りに入りながら、万全の準備を整えた上で改めて魔人族領に攻め込めばいい。
すなわち、人族と魔人族の戦争に残っているものは事後処理のみ。後は消化試合のようなもの。『邪神の結界』が消滅した以上、戦争は事実上終結していた。
「じい様は本当によくもった。戦争が終わるまで、確かに生き抜いたのだよ」
「享年は……見た目だけなら80歳。しかし実際は――」
「132歳なのだよ。寿命を伸ばすことはできないが、肉体を若返らせることで限界ギリギリまで活動できる秘薬をじい様は開発していた」
「何度か子供の姿になっていたことを覚えています」
「自の体で調整しながら服用していたのだよ。結局はこの姿で落ち着いたらしいがね。じい様の場合、この状態が全盛期なのだよ」
「つまり、知力と戦闘力のバランスが最も取れていた時期が80代ということ。老境に達して魔法は熟練、知略のも経験も最高潮。前線に立ち果敢に戦う。
……元気すぎますね、頑張り過ぎにもほどがある」
「ああ、だからこの終わりは綺麗だろうよ。あれだけ頑張ったんだ。ここで終わっても誰にも文句なんか言わないし、言えないし、言わせないのだよ」
「誰がそんなこと言うんです、この大英雄に向かって。スペル先生の功績を超えられる人なんて、邪神を討伐したキングス王が届くかどうかぐらいのもの。それだって先生の協力ありきであり、各国代表の団結ありきの結果です。魔王軍七大将を全員倒した俺でも――先生が積み重ねた功績には敵わない」
「ふはは、ちなみにそんな大英雄だが、生前に“自分の葬儀は家族葬で十分。決して大事にしないよう――”と言い残していたりする」
「守られるはずがないでしょう、そんな遺言」
「なのだよ。すでに各国大使のみならず、子供から年配者、浮浪者に至るまでが押し寄せている。悪魔襲撃事件による復興が、未だ途中のエウレカに。……こうなることがイマイチ分かってない辺り、本当に自己評価だけは的外れなのだよ。じい様は自分の人気に無頓着すぎる」
孫娘サファイアから見た超『賢者』の異常性は、その普通さにこそあった。
万能の天才。1000年歴史に名を残す偉人。何でもできる、何でもなれる。
それが彼女から見たスペルという男。
そして万能だからこそ、祖父は後進の育成においても抜群の才能を発揮した。
人知を超えた英知を所有しながら、その能力と釣り合わないほどに人の心がわかる。それがスペル・デル・ワードマンという教育者だった。
それゆえに、あまりに多くの人々から慕われた。そしてそのことに、祖父だけが無自覚だった。
「その騒ぎに人手を取られて、サファイアさんしかこの場にいない。だから、警備も緩かった」
「……そういうことなのだよ。誰もかれもが参列したがり大騒ぎだ。兄上殿が忙しくしているのも、参列したがる連中が多すぎるからなのだよ。本来であれば我輩も手伝うのが筋なのだが――」
サファイアは、胸元から一通の手紙を取り出した。
「君に、これを渡さねばならぬのでね」
「それは」
「じい様が関係者ひとりひとりに向けて書いた、最期の手紙なのだよ。これは和成氏に送られたもの。君だけに向けた、じい様の別れの言葉が書かれてある。
――読みたまえ。君にじい様の手紙を届けることは、エウレカという都市が超『賢者』より託された最期の依頼なのだから」
かつて起きた悪魔襲撃事件の収束に貢献し、その後の復興においても、ダンジョンコアのオークションと音楽祭により支援を行ってくれた彼。
平賀屋和成という『哲学者』。
その行いに対する恩を、学術都市は忘れていない。
たとえ、スペルに何も言われていないとしても。たとえ、エルドランド王国との関係が悪化しようとも。
同じ偉人を師として仰ぎ、共に一つの都市を愛した同胞として――この手紙だけは最低限託さなければならない。それが、スペルの死を見送る者たちの矜持だった。
「では、失礼して」
そうして和成は、手紙の封を開いた。
 




