第364話 決別の時 後編
武器を持ち集団で囲む。
望む望まないに関わらず、和成を討伐せよと女神から託宣が下った以上、兵士たちはそうしなければならない。戦わなければならない。
「何故に女神は、俺を元の世界に返さない?」
だから、発動した『ミームワード』により場の空気が一変した時、兵士たちの体が硬直する。それは和成の言葉が痛い所をついたものだったからだ。
しかし、続く言葉を武力行使で止めることは出来ない。それをするということは、和成の言葉が都合が悪いと認めるようなもの。そして『ミームワード』がある和成の言葉は、武力では止められない。
最終的には戦わなければならないのなら、せめて自分たちに正当性があると、正しい戦いに身を投じているのだと、使命と共に刃を向けたい。
それが、平和な世界の少年が相手なら尚のこと。
「女神との関係が決裂するとしたら、このタイミングになるだろうと思っていた。何せずっと、魔王を倒したら元の世界のあの朝に帰してくれると、そういう約束だったからな。
つまり俺たちを元の世界に帰すのに、邪神まで倒す必要はないということだ。そして魔王を倒し、不完全とは言え邪神をも封印した今、何時でも女神は俺たちを元の世界に帰せるはずだ」
人族連合の兵士たちは、人族の未来のため魔王城にも抗う者たちである。
彼らは軍人であり、英雄であり、――何より公務員だ。
秩序と平和を是とする、善なる人々である。
そんな彼らの、自分たちこそ正当と思いながら戦いたいという考えは、和成が女神の言うような邪悪でいて欲しいという弱い願いは、和成の言葉が打ち砕いた。
「ならば何故それをしない? 元の時間軸、元居た場所である必要はない。邪神の間者であるこの俺を、裏切者として元の世界に雑に送り返せばいい。どこか知らない遠い場所の、遥かな過去や未来に俺が漂流しようと構わないはずだ。
それをしないということは、そもそも約束を守る気がなかったのか――始めから守れない約束をしていたのか。つまり女神はこう言われるのが嫌だった。……魔王を倒した以上、約束は果たした。俺たちを元の世界に返してくれ――と」
何故、魔王の討伐をきっかけに、和成が賞金首になったのか。
端的にそう説かれてしまっては、反論ができない。
一方、『ミームワード』によって何もかもが伝達される中、女王アンドレは宣言する。周囲に待機する兵士たちに向け、王としての絶対命令を。
そして何より、2人の少女に向けて――残酷な一言を。
「ハピネス・クイン・エルドランド! ルルル・ホーリー・ヴェルベット!
人族連合代表、エルドランド王国女王として命ず! “平賀屋和成を討伐せよ”! 出来ないと言うのであれば――貴方達2人も討伐対象と見なす!」
だが、明らかに命令を受けての動きが鈍かった。
ハピネスとルルルは勿論、アンドレ女王が引き連れて来た連合の大隊も戸惑っている。和成の『ミームワード』で伝えられた論理と、それに対する反論がないことに明らかな迷いが生まれていた。
『ミームワード』の弱点は、伝えた情報を切り捨てられ無視されると意味がないこと。だから和成は、とても無視できないような情報ばかり伝達する。
そして、誰もがアンドレ女王のように、都合の悪い事実を切り捨て押し通せるわけではない。
「……そうですか。でしたら――『裁』!」
だから、アンドレ女王は切り替えた。
手を天に掲げ、『女神の結界』からその力を一部掌握。
浄化の輝きを放つ光の柱として、和成に投擲した。
これを和成は軽く回避。
だが、そもそもこれは倒すための行動ではない。
間違っても味方に当たらぬよう、範囲を絞った小規模攻撃だった。
「二度は言いません。女王として命じます」
浄化の消滅により砂煙すら立ち上らない着弾点から、澄み切った空気が広がる。波動のように『神聖』属性が拡散される。
それはまるで冷や水を浴びせかけたように、兵士たちを現実に引き戻した。
「女神様はおっしゃられました。――“邪神に与する『哲学者』を討伐せよ”!」
どうあれ女神が戦えと指示した以上、その加護のもと生きる人族に戦う以外の道はない。アンドレの言葉は、集められた兵士と英雄にそう分からせた。
「あ、う、ああ……?」
「――そんな、そんなことって……」
そしてその渦中で、ハピネスとルルルは泣いていた。
ハピネスは現実を受け入れられない迷いの中で。
ルルルは現実を受け入れたくない現実逃避の中で。
それぞれ、呆然と泣いていた。
そんな2人に対し、和成は即興魔法を発動する。
「『戦』」
そして2人は、和成に攻撃を開始した。
「いやです和成さま、やめてください! こんな、こんなのってないです!」
「私たちはアナタと戦いたくない!」
「だが戦わなければ、お前たちの立場が悪くなるだけだ」
『最上位魔導騎士』ハピネスの細剣と、『姫巫女』ルルルの舞踊拳法が繰り出された。この2つを、『吸血奇剣』と『麒麟の槍』が己の意志でそれぞれ受け止める。
「こんな……こんな終わりは認めません! たとえ最後には離れ離れになるとしても、出会えてよかったと言い合えるような! そんなお別れをしたかった!! こんな、笑顔で別れるどころか、和成さまを裏切って傷つけるような……そんなお別れ、納得できない!」
それは、とても即興魔法で操られているとは思えないほどの激闘だった。
戦闘の残像が、三人の移動の軌跡が、立体的かつ幾何学的な模様として空間を埋め尽くす。二対一の激闘は、荒れ地の地形を縦横無尽に破壊し続ける。
ハピネスとルルルは、共に成長していた。邪神の封印時に活躍を見せたハピネスは言わずもがな、ルルルもまたレベルの上昇に伴い『姫巫女』としての力を覚醒させていた。
ライデン=シャウトは魂のパスをつなげる『装備』現象の応用として、大自然との合一を果たし外界・肉体・魂の境を取っ払った。その結果彼女は雷の体を手に入れたが、ルルルはそれを特定の個人と行う。
信頼する者、心を通わせた者。そんな仲間と魂をつなげ、武器を『装備』するのと同じように両者のステータスを引き上げる。
すなわち、味方への支援と同調。ハピネスのステータスを引き上げた上で、自分のステータスもそれに並ぶよう引き上げる力。
これによりハピネスとルルルの連携は、他の英雄たちやそれに並ぶ兵士たちを容易に立ち入らせない領域に突入していた。特にハピネスの細剣の殺傷能力を誰もが知っている以上、不用意に近づける者はいない。
そんな2人の猛攻を、『戦』の即興魔法で誘導しているとは言え、2人が攻撃に躊躇しているとは言え、和成はさばききっていた。
上昇したステータスにともない、効力の増した即興魔法。それを戦闘の達人であるブラディクスとライデン=シャウトに組み合わせることで、彼はここまでの実力を発揮できるまでになっていた。
泣きながら戦わせられる2人に、和成が語り掛ける。
「人族の歴史は、女神の存在を前提としたもの。女神なくして現在の人族はない。豊穣の加護、安産の加護、浄化の加護。そして大結界。全ては女神の恵みであり、人族が女神に反逆できる道理などない。――そうだろ、ルルル。だから泣くな、気に病むな。お前らは何も悪くない」
「……確かにッ、そのつもりでした。女神様が和成様と敵対した時――私は女神様につくだろうと言いました。ですが、ですがッ! 今こうしてこんなことになって改めて思います。――こんなことになるのなら、あんなこと、言わなければよかった!」
良過ぎる目を覆うルルルの黒革越しに、彼女の涙があふれ出ていた。
取り乱す彼女の心が反映されたかのように、少女の銀髪が乱雑に振り乱された。その口からは、悲痛な後悔の念が叫ばれた。
「女神様がどれだけの命を救おうと、やはりそれが貴方様を裏切っていい理由にはなり得ない! たとえ、どれだけの恩があろうとも、通すべき義理があったとしても! それは間違っていると、我々は主張すべきだった! 即興魔法を止めてください! 私はアナタと戦いたくない! これ以上アナタを――傷つけたくない!」
「だがなルルル、お前は法皇の孫だ。為政者として費やされた税金によって生きて来た。つまりは誕生の時を待つ胎児たちに、出産を覚悟する妊婦さんたちに、新たな命を祝福する家族たちに、変わらず『安産の加護』を提供しなければならない。
命のインフラとでも言うべきその力を、みんなから取り上げてはならない。無事に子供が生まれるという幸福を、ただ出産日が昨日と明日で違うというだけで失う誰かが居るべきではない」
和成の表情は、静かで、淡々としていた。
だが決して無表情ではなかった。
彼のまなざしは慈愛に満ちたものであり――
それとは別に、とても悲しげだった。
「俺はな、ルルル。産婦人科医の息子だ。妊婦さんやお腹の子どもを危険にさらしてまで通したい我なんてない。命までは捨ててやれないが、俺が引っ込むことで『安産の加護』が途切れないなら――そうするさ。どうして他人から、子どもが無事に生まれるという確定を奪えようか」
だから、戦いの中でルルルは黒革の眼帯を外した。
分厚い黒革越しにでも周囲の様子が見えるほど、彼女の目は良過ぎる。あまりに良過ぎて、通常なら見えないものまで見えてしまう。
少女の場合、それは森だった。他者と目を合わせると、まるでその人物の人となりや人生が反映されたかのような、壮大な森を幻視する。
これを和成は共感覚の一種と考察した。
良過ぎる目がくみ取る膨大な情報を、脳が理解できる映像へと処理した結果生まれるものではないかと。
この特殊な目を用いて、和成の心を覗こうとルルルは試みる。
その結果――
「ッッッ!!」
少女は大地に突っ伏し、うめき声を上げるように激しく嗚咽した。
張り裂けそうになる胸、止まらぬ涙、乱れる呼吸。
そのままルルルの意識は、和成から読み取った情報に耐えられなかったかのように気絶した。
「――ルルルさま!!」
倒れたルルルに気を使いながらも、ハピネスの細剣は止まらない。
和成が発動した『戦』の効果は、未だ続いている。
「お願いします、和成さま! 戦いを止めてください! 私はアナタと戦いたくない! ルルルさまも、あのままではあんまりです! あの方は――和成さまに恋焦がれてました! 二度命を救ってくれた貴方に、その視界は異常なものではないと言ってくれた貴方に、運命を感じておられました! どうかどうか、私のことはどうでもいいですから、ルルルさまにはせめて――」
「……ハピネス、そもそも俺の即興魔法にお前らレベルの高ステータス者を自在に操る力はない」
和成のステータスは、女神の結界により現在半減されている。
即興魔法や『装備』を組み合わせて、その低下分を何とか補っている状態だ。
ハピネスやルルルクラスのステータスがあれば、抵抗による打ち消しは決して不可能ではない。
それができないということは――
「お前が俺と戦いたくないのは本音だろう。そこは俺も疑わない。だが同時に、女神を敵に回せないのも純然たる事実。社会的な立場、自分の居場所、これからの将来、生命維持。そして、アイデンティティ。
俺の味方をするということは、これら全てを失うということ。そしてそれはハピネスだけでなく、プチョヘンザ護衛騎士やケルル護衛騎士にも及ぶだろう」
ハピネスは、迷っていた。
「お前がそれを受け入れられないのは当然のこと。俺だってお前に何もかも失って欲しくはない。だから――これでいいんだ。これでいいんだよ。だってこんなことは、始めから分かっていたことだから」
迷うハピネスを、和成の『ミームワード』が襲う。
和成が抑えきれなかった感情が、言葉に込められハピネスに伝達される。
それを聞いて、少女は何故和成がこんなにも淡々と冷静なのかを、ようやく理解できた。
(ああ、そういうことなんですね。和成さまは――始めから全部諦めてたんだ。始めからいつかこうなると分かっていて、とっくに受け入れてたんだ。私たちは和成さまに――最初から何も期待されてなかったんだ)
和成は優しくて、利他的で。
それはそれとして、ゾッとするほどにシビアでドライだった。
彼は自己満足で人を救う。
だから極論、助けた奴に裏切られようとどうでもいい。
自分が助けたいからそうしただけで、そこに他者が割り込む余地はない。
彼の人助けは、どこまでも彼の中で完結している。助けられた本人とさえ、繋がっていない。例え繋がっていたとしても――それは彼にとって、簡単に断ち切れる程度のつながりでしかなかった。
(いつか決裂の時が来ると分かっていても、それまでは仲良くできる。仲良くしたいと思う。――それが和成さまの優しさ。私が憧れた、和成さまの素晴らしい所。そしていざその時が来た瞬間、今までの仲良くできた全てを、こうなると分かっていたからと切り捨てられる。それが和成さまの厳しさ)
彼のことを理解している気でいて、その実何も分かっていたのだと思い知らされて、ハピネスは言葉が出なかった。
だから、最後に和成が言い残す言葉に対しても、何も言い返せなかった。
ただ話されるままに、言葉を浴びるだけだった。
「初めからこうすべきだったんだ。いつかどこかで来るこのタイミングを、ずるずると伸ばし続けてしまった」
嫌だ、聞きたくない。
そう思いながらも耳を塞げない。
金縛りのように、和成の声を聞くだけだった。
「ハピネス、ルルルにはお前から伝えておいてくれ」
言わないで。
そこから先の言葉を告げないで。
ハピネスのそんな思いは、残酷にも敵わなかった。
「俺はお前たちと縁を切る。もう二度と、会うことはない」
そして、膝から崩れ落ちたハピネスもまた、ルルルと同じようにその意識を手放した。和成の言葉から伝わる情報に、耐えられないかのように。
 




