第362話 その死を悼む
戦いが終わった後、和成は剣藤と共に中間領域にいた。ただし『邪神の結界』が消失したことで、中間領域という言葉はその意味自体が大きく変わっている。
今までの中間領域は、女神と邪神の結界が拮抗することで生まれた帯状の領域を指していた。
相反する『神聖』と『邪悪』の属性がぶつかり合う中間領域は、エネルギーが打ち消され合う虚無の世界。生存する上で必要なエネルギーに欠ける、荒れ地ばかりが広がる不毛の地だった。
しかし今は違う。『邪神の結界』は消え、広がる『女神の結界』はかつての中間領域を飲みこんだ。相反するエネルギーの打ち消し合いがなくなったことで、不毛の地にはわずかながら生命が根付く余地が生まれ初めている。
早くもすでに、小さな雑草は芽を出し始めていた。
そのため和成がいる新たな中間領域とは、『女神の結界』が魔人族領の瘴気の侵入を拒む最新の領域を指していた。
その結界を挟んで清浄な空気と瘴気で分けられる地点において、剣藤は『女神の結界』内の澄んだ空気の中に、和成は魔人族領の瘴気の中にいた。
「平賀屋、本当に大丈夫なのか? それは浴びていいものではないと思うのだ」
剣藤は心配するが、これに対し和成は冷静に返答した。
「今一番優先すべきことは、魔剣の呪いを弱めている『神聖』属性のエネルギーを打ち消すことだ。そして『邪悪』属性を最も効率的に消滅できるのが『神聖』属性であるように、『神聖』属性を最も効率的に消費できるのもまた、『邪悪』属性になる」
「だから魔人族領の邪神の瘴気を吸収すれば、それだけ早くブラディクスの呪いが復活する。解呪による完全な死に怯えなくて済む。……それは分かっている。分かっているのだが……」
和成の説明は理解している。理屈にも筋が通っている。
しかし、どうしても剣藤には不満があった。
それは、和成が『女神の結界』に拒まれているという点。彼がコチラ側に踏み入れば、その時点で『女神の結界』による、ステータスの半減が発動することについてだ。
和成が人族側の扱いをされていないことが、剣藤には大いに不満だった。
まるで邪神の瘴気を吸収しなければ浄化されてしまうなど、その時点で人族にあらずと言われているかのよう。汚れた大気、魔界の瘴気に満ちた向こう側に和成を追いやって、人族の味方にあらずと突き放しているよう。
だが当の和成は――
「――何も分からなかった。何も見えなかった」
そちらについてではなく、キングス王と邪神の端末の戦いに際し、何もできなかったことに対し憤っていた。
「また、あの戦いの話か」
「ああ、空間操作で戦場から引き離された時、最後に少しだけ王と端末の戦いが見えた。だが、何も見えなかった。まったく分からなかった。――多分、あの戦いは光速を超えていた。
あれはひとつ上の次元の戦いだった。あの戦いで俺に出来ることは……何もなかった。『ミームワード』も『観察』眼も、光より速い戦いでは役には立たない」
「……あまり気に病むな。それは頭を砕けば人は死ぬことが弱点と言っているようなものだ。光速を超えた戦闘で出来ることがないなどと、そんな当たり前のことで自分を責めるな。どうあれ戦いはひとつの決着を見せた。ならこっちに来い、まずは食事でもとろう」
「……そうだな、剣藤さんの言う通りだ。何にせよ、アレコレ悩むのはまず腹を満たしてから――だ」
瘴気に満ちたアチラ側から、清浄な空気のコチラ側に戻る和成。
一歩踏み越えた途端、そのステータスは拒絶されているかの如く半減する。
剣藤を上回るまでに成長させたステータスも、コチラ側では貧弱に逆戻りだ。
その事実に小骨が引っかかるような不快感を覚えながら、濡れたタオルで剣藤は和成の顔を拭いた。
「別にいいよ剣藤さん、それぐらい自分でやれるよ」
「いいから、黙ってされるがままにしてろ」
魔界の瘴気による『不純化』で、和成の顔には煤のような汚れがこびりついている。汚れは特に、和成の目から頬にかけて走る二筋の線――涙の跡に特に引っ付いていた。
キングス王の特攻が流させた涙だ。
和成は今、傷つき落ち込んでいる。
キングス王が死んで欲しいなどと――願うはずがない。
彼が彼なりに国を思い、覚悟を決めて召喚に踏み切ったことは理解している。
そして、その罪と責任を負いながら筋を通し、命をもって覚悟を示した。
だからこそ、剣藤もまた思う。
王はもっと生きるべきであったと。生きて欲しかったと。
(……ほとんど面識のない私でもそうなのだ。キングス王とも言葉を交わしたであろう和成なら、その悲しみは深いはずだ)
“ハピネスと、メルと……アンドレを。娘たちを、どうかよろしく頼む”
(しかしまったく、遺言とは言えとんでもない言葉を残したものだ)
剣藤はその行いには敬意を持つ。
しかしそれでも、最期にそう言い残したキングス王を和成ほどは悼めない。
彼は確かに筋を通した。罪と責任を負ったまま生涯を終えた。自分に出来ることを精いっぱい尽くしたと言えよう。
だが、それと正誤は別の話。キングス王は立派だったが――正しくはない。
同級生の10代の少年に、大国の王女を2人も任せる決断が正しいものであるはずがない。そんなもの、背負わせていいものではない。
剣藤はそう考えていた。
「……これからどうする、和成」
顔を拭き、汚れを取った和成に非常食を差し出しながら、剣藤は尋ねる。
「しばらく待機して、状況の推移を見守ってから動きたいかな。可能な限り、俺は『女神の結界』の外でいたい」
「――分かった。では、私もそれに付き合うとしよう」
☆☆☆☆☆
「なぁルルル。慈さんと、姫宮さんと、雄山と、法華院さん。あとは天城もか。邪神の左腕に吹き飛ばされた5人はどうなった」
「皆さまご無事でございます。エルドランド王国王都で発見された姫宮様のように、遠く離れた人族の各地でご無事を確認できました」
数日後、和成と剣藤を迎えに来たのは、人族連合の兵士たちを連れたハピネスとルルルだった。
邪神を封印する際に、和成が大きな損傷を受けた。
その報告を聞いて即座に行動に移したルルルは、しかし意外にも和成の無事を確認した直後、最低限の報告だけを行いハピネスと和成を2人きりにした。
傷心の2人の間に、自分がいては邪魔になると気を使ったからだ。
「……和成さま」
「――ハピネス、キングス王のことについては……」
「全てが終わり、目覚めた後に聞かされました。――立派な最期であったと」
「……そうか」
「ありがとうございます。和成さまに悼んでもらえて――父も喜んでいることでしょう。……それでは、これで」
ハピネスはそう言ってほほ笑んで、無理に会話を終わろうとしている。
明らかな強がりだ。
目元は暗く、笑顔は拙く、小さな肩は悲しみに震えている。
「ハピネス、耐えるな。無理をするな」
そんな万全とは程遠い、次の瞬間にでもこぼれ落ちそうな彼女を、和成は引き止める。きびすを返していたハピネスの肩をつかみ、自分の方を向くように引き寄せ、顔と顔を突き合わせ目と目を合わせた。
この時、和成は泣いていた。
「俺はこういう時――涙を我慢しないと決めている。悲しい時は泣くもの、思いっきり泣いていいもの。そう思っている。……だからハピネス、一緒に泣いてくれ」
震える肩にそっと手を置いて、和成は湿っぽくも穏やかな言葉を紡ぐ。
やがて、その言葉と表情につられ、ハピネスの瞳からも涙がこぼれ始める。
それはすぐに決壊した。
「う、ああ、うあぁ……お父さまが、お父さまが……。お別れ、わたし、お別れ、何もできなくて、何も言えてなくて――」
「そうだな」
寄り添いながら言葉に耳を傾け、和成は少女の背に優しく触れる。かがんで隣に並び、落ち着かせるように、その高い体温をなだめるように、静かにさすっていた。
「もっと、もっと、言いたいこと。伝えなくちゃいけないこと、いっぱい、あって。……わたし、何もできてない。お父さまに、何も――返せてない!」
「そっか、それだけ大事にされてたんだな」
「……はいっ」
ハピネスはすがりつくように、和成に抱きついた。
その姿はどこか祈る様にも似ていた。
大粒の涙を流しながら、和成の抱擁を悲嘆の支えとしている。
「もっと、もっとがんばってたら。わたしが強かったら。邪神を倒せてたら、お父さまは――」
そして和成は、少女の言葉のその先を言わせなかった。
「いいやハピネス、それは違う。俺たちは全力を尽くした。死力を尽くした。全部出し切った。――アレが俺たちの限界だった。それは悔いることかもしれない。反省し、次に生かすべきかもしれない。けれど絶対に、恥じることではない。自分を責めることでもない」
もっと頑張っていたら、死ななかったかもしれない。
そんな考えを和成は許さない。
「どんなに頑張っても、人間には絶対に限界がある。俺たちは所詮有限の存在、何もかもはできない。配られた手札で戦うしかないし、どうあがいても勝てない手札が配られる時だってある。
――だが有限だからこそ、全ての可能性を網羅することは出来ない。俺たちは何も知らなくて、勝てないと思ってた手札で案外勝てたかもしれない。だから後悔のないよう頑張る。模索する。全力を尽くす。ハピネス、俺たちはそうしたじゃないか。俺は、頑張ってないように見えたか?」
父を悼み、涙を流してくれる兄貴分の言葉に、ハピネスは戦場での和成の姿を思い返す。
浄化によって肉体が消滅する中、邪神を封印し続けたその様を。
四分の一になってなお、闘志を燃やし続けたその姿を思い返す。
「……いいえ」
「俺にとってはハピネスもそうだ。邪神を向こう側に押し返し続け、両断されて尚両断し返した。俺たちにそれ以上の頑張りを求めるのなら、それは求めてる奴が間違ってる。――あれが俺たちの全力だった。あれが俺たちの限界だった。自責も開き直りも必要ない。まずはその事実を、ただ受け止めるのみだ」
「……はい」
「限りある中で全てを出し尽くし、それでもダメなんだったら。それはもう、それでよしとすべきだ」
胸にうずめられるハピネスの頭を、まるごと包むように和成は抱き締める。
和成の両目から変わらず流れ続ける涙は、まだ止まる気配を見せなかった。
「だから泣くのさ、どうしようもなく。泣いて、泣いて、泣き続けて。そして泣き止んでから――色々考えるのさ」
 




