第355話 VS邪神③ 幾度、死が目前に迫ろうと
世界に開いた穴から噴き出した邪神の腕は、天を貫く柱のように巨大だった。
ハピネスという少女は、迫りくる邪神の腕からすれば豆粒でしかない。
彼女はその小さな体で、住み慣れた王城以上の巨大な腕を迎え撃つ。
(――かわせない。だったら!)
邪神を魔界に押し返そうと、渾身の力で『スペシャル技』を発動し続けていた今のハピネスに、『瞬間移動』を使う余裕はなかった。
そのため少女は、咄嗟に自慢の技を細剣にまとわせる。
空間を裂く絶対の剣。硬度も『防御力』も無視してあらゆるものを切断する、『次元斬り』という得意技。
それを発動した愛用の細剣を構え、ハピネスは邪神の腕を迎え撃つ。
――ギ、ギャギャギャギャ、と火花が散った。
少女の細剣と、邪神の貫手の人差し指。
断絶された空間と邪神の爪がこすれあい、矛盾の矛と盾が激突したかのような音が鳴る。
(……、重い!! これが、邪神の腕一本から来る力!!)
空間を断絶させることで、何もかもを裂く剣。それが『次元斬り』。
つまりは空間の断絶をまとうがため、どんな攻撃もそもそも刃に届かない。
故に不壊。折れず曲がらず、絶対に壊れない。
例え、少女と邪神に圧倒的な質量差があろうとも、細剣は左腕の貫手と激突する中でも形を保っていた。
よって、今にも弾き飛ばされそうな勢いで押されるハピネスは、これを受け流そうと体を傾ける。
不壊の細剣の断絶を利用し、邪神との激突をいなそうと動いた。
人差し指の指先を転がるように乗り切り、邪神の薬指へ。
そしてその薬指すらも乗り切り、小指へ。
これで終わり。最後の一本。邪神の指の数は、人と同じ5本だった。
「――――ッッ!」
そしてそのまま、邪神の小指から弾けるようにハピネスが離れた時。
落ち行く少女を通り過ぎ、邪神の腕が女神の元まで届かんと天へと伸びて行った時。
ハピネスの上半身と下半身が宙を舞った。
小指を乗り切った後、細剣と貫手が離れた時。
高速で上昇する邪神の貫手が、ハピネスの腹部と擦れた。
圧倒的なまでの質量と速度を併せ持つ接触は、少女の腹をえぐり、その勢いのまま千切り取る十分な威力を有していた。
邪神からしてみれば、手のひらの側面で粒がひとつこすれただけのこと。
わずかに何かが、かすっただけのこと。
そのだけで、ハピネスの体が両断された。
ズタズタの断面が宙を舞う。
「ハピネスちゃん!?」
「行けーッ姫宮さん!!」
「……うんッ!」
動揺し硬直した姫宮を、和成の声が突き動かす。『ミームワード』の後押しを受けながら、『姫騎士』は泣きそうな顔で救出へと駆けだした。
(ダメ、ダメッ! こんなの絶対にダメ!)
このような現実は許容できない。年下の女の子が、戦いの末にあんな風に亡くなるなんてあってはならない。
その一心で姫宮は駆け出すが、一歩踏み出すごとに彼女の胸ではもどかしさが広がっていった。
(許せないのに、助けたいのに――届かない!)
邪神の腕がコチラ側に現れたことで、世界に開いた穴の影響は拡大。
周囲の空間は歪み、同じ一歩でも距離が違った。
おまけにその上で、進むたびに重力の方向と強弱が変化し続ける。
横殴りの重力から抜け出そうと力強く一歩を踏み出せば、下からの重力による釣り合いが無重力を産み、強すぎる自分の力に振り回された結果天高く吹き飛ばされそうになる。
というのがほんの一例にしかならないほどに、辺りの重力は無軌道だった。
(思い通りに進めない! 無理に進もうとすれば明後日の方に吹き飛んじゃう! なのに、慎重に進んだら絶対間に合わない!)
ハピネスの上半身と下半身が、邪神の腕が巻き起こす暴風に煽られながら離れ離れになっていく。
どちらかを回収するだけでは助けられない。
高レベル相応にステータスの高いハピネスは、毒や呪いが効かない分だけ薬や回復魔法も効かないのだ。
新しく片方を生やすほどの回復は現実的でない。
確実に助けるには、上半身と下半身を回収し断面をくっつける必要がある。
それも、なるべく早急に。
(間に合え、間に合え、間に合えっ!!)
だから、姫宮だけでなく和成も必死に動いた。
純化の影響で、体の半分以上が透明な液体に変わっている。
残る姿は胸から上の、さらに右半分だけ。
そんな状態でも魔力を操作し、命を削る覚悟で行動に移す。
(まずは穴を閉じる! 閉じて空間の歪みをを消す! それができなくとも、せめて重力の乱れを少しでも和らげる!)
そんな、和成も姫宮も諦めない中で、更にもう1人諦めない者がいた。
誰あろう。当事者である、ハピネス本人だった。
☆☆☆☆☆
少女は走馬灯を見る。
奇妙な猫をきっかけに和成たちと出会い、様々な話をしたことを思い返す。
そうしている内に体が落下していく。
そんな中、うつろな白目で、それでも確かにハピネスは和成を見た。
崩れ行く廃魔王城の床で這いつくばる、動けないその姿。
体の半分の更に半分のみが残る、他が純化によって溶け落ちたその有様。
これを見て、少女は強く思う。
(異界の勇者さまに。この世界の外側から来た人にあそこまでさせておいて――この世界の者が何もしない。そんなのは、きっと――だめだ)
そんな世界でいいのか。
這いつくばり、懸命に邪神に抗う和成。
世界に開いた穴の歪みも恐れず、コチラに助けに向かう姫宮。
そんな彼ら彼女らの頑張りに対し、少女はひとつの感情を抱く。
(わたくしたちは、その献身に応えなければならない。姫宮さまが、和成さまがあそこまでするに足る、すばらしい世界であると――ここがそうであると示さなければならない!)
少女は落ち行く中で白目をむきながら、しかし確かに強く細剣を握りしめた。
(……が、ぁァァァァァッッッ!!)
柄ごと自身の指も手も握り砕こうとする勢いで、強すぎる握力が込められる。
生死の境をさまよう中で、明らかに何らかのリミッターが外れていた。
生物としての限界を超えた剛力の発生。すなわち、火事場の馬鹿力。
ゴぽりと血が内臓からせりあがり、喉からこぼれ出す。
しかし、それを今気にする彼女ではない。
心の中で叫ばれていた気合は、いつしか咆哮となって轟いていた。
「ガああああああああああッッ!!!!」
渾身の力をしぼり切った後に出る、限界を超えて絞り出した力。
その全てを込めて、ハピネスは細剣を振った。
振り切った。
放たれるは自慢の技。磨きに磨いた必殺剣。空間を断絶させることにより、あらゆるものを物理的に破壊する、絶対の斬撃。
名を『次元斬り』、その進化系。
「『次元斬り・改―――波及剣』!!」
少女の斬撃が、邪神の腕を両断し返した。
大木が幹からへし折れるかのように、邪神の左腕が中央で上下に別たれる。
更にその直後、その両断が邪神の腕を伝い本体にまで波及していった。まるで地震が大地を伝達するかのように、空間を斬る斬撃が邪神の左腕を下へと駆け巡る。
つまりは、世界に開いた穴の底から上がってくる、邪神の体までもが斬り刻まれた。
(――邪神の体がバラバラにされた)
その様を、和成は邪神を縛り付ける自分の魔力を通して把握する。
これを受け、彼は叫ぶ。
「いまならァァァァ!!!」
邪神を封印できる。
分厚いステーキ肉ならば、中まで火を通すことは難しい。
それと同じで、邪神の巨体に対し芯まで封印の魔力を注ぐことは不可能に近かった。
だが今は違う。ステーキ肉は無理でも、ミンチなら。
巨体では無理でも、斬り刻まれた肉塊単位なら。
たとえどれほど多くとも、その全てに封印をかけることは、ライデン=シャウト相手に無数の魔法陣を展開した和成ならばできる。
(あと少し、あと少しだけでいい! 何かあれば、それだけで――)
故に目を見開き、届かないあと一歩を埋める何かはないかと和成は探す。
現在和成が所有する魔力量では、『スペシャル技』の使用権では、邪神の肉塊全てに封印をかけるにはわずかに足りなかった。
その視界の端の端で、わずかに魔王の遺体が見える。
力を吸い尽くされたかの如き、崩れ落ちた石膏像のような姿。
洞のように砕かれた顔。
そのあちらを向いていたはずの無貌が、コチラを向いていた。
何故か、視界の端の端で、目と目が合った気がした。
「――なぁ、魔王よ。お前はどこまで英雄なんだ?」
そしてそれは気のせいでないと、和成に巻きついた『魔王のマント』が証明する。
生命の意思とその意地を感じながら、呆然と和成は口にした。
「本当に俺と同じ世界の出身なのか? ――とてもそうは思えない」
それは、ひとつの命の煌めきに対する、この世で最も素直な賞賛だった。
最期に魔王が託した魂の力を、和成は開放する。
「……いくぞ、これが最後の『スペシャル技』! とっておきの、四重発動だぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
 




