第336話 クラスメイトへ、『哲学者』から贈り物
ルルルからの逃走中、ちょうどいい曲がり角を直角に曲がった直後のこと。そこに置かれるように差し出された魔杖に、和成は足をひっかけられた。
うまくバランスを取ったため転びはしない。そもそも杖の位置が浅く、少々つまずいただけとも言える。そして和成には、こんなことをして来る奴に心当たりがあった。
振り返ると案の定、その場にいたのは想定通りの人物。『哲学者』は路地裏に潜んでいた『魔導士』に気づく。
「親切、やっぱりお前か……」
「まぁね。ここに逃げ込む気がしてたから。という訳で『過重降下』」
そして直後、気心の知れた仲だからこその容赦なき重力魔法が展開される。これにより『魔導士』の周囲の空間は重力が過剰となり、そのまま和成は地面に貼り付けにされた。
「ぐえっ。そうか、俺を式典に出させる『捕縛の依頼』が出てたのか……」
「大正解。超『賢者』スペル氏直々に、どうせ嫌がるだろうから捕まえて無理やりにでも出してくれと頼まれた。お前の性格も行動も、あの人には読まれている」
「流石はスペル先生――」
「確保ーッ!!」
潰れたカエルのように、平べったく重力魔法で貼りつけにされた和成。そんな地べたに拘束された彼の背に、追いついたルルルが飛びつくように乗っかった。
少女の体重が布団のように和成にのしかかる。おしとやかとはとても言えない、子どもがじゃれつくような捕まえ方だった。
「……僕は何も言わんぞ。ノーコメントだ」
「なぁルルル、もっと他に捕まえ方があったんじゃないか?」
和成と一緒に超重力で圧迫され、その背に密着するルルル。しかしというか、だからこそと言うべきか、そのスキンシップに彼女は満足げであった。
馬に蹴られたくはないとばかりに、親切はルルルをスルーして話の続きを始める。和成に対し、伝えるべき内容を淡々と伝え出した。
「取り敢えず言っておくぞ。現在、この拠点を中心にクラスメイト達が集結しつつある。理由はここが、大規模攻勢に有効な場所と判断されたからだ」
「それはつまり……」
「決戦が近いということだ。魔王軍七大将のうち、6人の討伐が確認された。これによる戦況の変化から、人族連合は“人材に欠ける魔王軍に、これ以上の高ステータス者は少ない”と判断したらしい」
「それには俺も同感だな。『アンデッド・フェアリー』……何やかんやで裏切られた魔王軍の堕天使から話を聞けたが、それによるとだいぶ魔人族領の環境は劣悪らしい」
スキル名、『ミームワード』発動。親切にいくつかの情報が伝達される。
・魔人族領では、邪神の瘴気にあらゆるものが蝕まれている。人族を育てる気がある女神と違い、邪神は魔人族を虐げているらしい。
・邪神の瘴気によって過剰な突然変異が起こるため、突出した個という点では魔王軍が上と考えられる。しかし層の厚さと安定感では人族が上。
・このことから、改造モンスターの使役、アンデッドの悪用、スタンピード、ダンジョン、ハザード。魔王軍がこういった手段をとるのは、元々の戦力の少なさを補うためと推測する。
・これを裏付けるかのように、魔王軍は多大な被害を出しながら後退を続けており、戦況を逆転できるような高ステータス者は表れない。
・以上のことから、魔王軍に所属する一騎当千の英雄は残り数名以下と結論付ける。
「……人族連合の上層部として、スペル氏もお前と同じ結論を出してたよ」
「だったら安心だな。あの人が言うことなら、その裏には俺をはるかに超えた根拠がある。素人の推測とは比べ物にならない精度だろうさ」
「だったらこれも伝えておこう。スペル氏曰く、この世界における戦争とは、魔人族とそれ以外の戦争がほとんどであると」
「それは知っている。ステータス現象、魔獣の大量発生、突然変異、ダンジョン化現象、災禍獣現象。世界全体が日本以上の災害大国だから、他国に戦争を仕掛けられるほど余裕のある国なんてない。だからよっぽど追い込まれた国でないと戦争を吹っかけないし、そういった余裕のない国は基本勝てないし長くない。だからすでに淘汰されて、もう残ってない。そうだろ? ルルル」
「はい。私が生まれるはるか前に、魔人族以外との戦争は無くなったと聞きます。そうして残った国々は、あまたの災害に対抗するため連合という形で距離を保ちながらも団結。層を厚く保つ政策を心がけて来ました。女神様の結界に守られる我々を、魔王軍は攻めきれないまま何度も撤退を積み重ね、周期的な侵略を繰り返してきました。それ以外の戦争を私は知りません」
「『女神の結界』は“人族以外の種族のステータスを半減する”。だから人族領にいる他種族は、リスク覚悟でステータス半減を受け入れてるような、何かしらの事情持ちばかりだ。この都合上、竜人族・妖精族・獣人族が人族領に攻め入ることも、万に1つあるかないかぐらいだろう」
「ですが同時に、『邪神の結界』は“魔人族のステータスを倍増する”。更には魔人族領に満ちる瘴気や、未知の病も恐ろしい。そして不毛の大地と予測される魔人族領では補給もままならない。以上の理由から、人族もまた『邪神の結界』に覆われた魔人族領に攻め込めませんでした。人族と魔人族の戦争は、こうしてずっと決着が付かないまま。……人族連合が異世界召喚の儀を執り行ったのは、この繰り返される戦争を終わらせいという願望もまた、大きな理由となっています」
魔杖を構えた『魔導士』に貼りつけにされる、親友の『哲学者』とその上に乗っかる少女。そんな2人が行う互いに事実を確認し合うような会話は、独特なシュールさがあった。
しかしその内容は真剣そのもの。
「――“だからこそ人族連合は、その繰り返しを今回で終わらせる”。スペル氏はそうおっしゃられた」
それが、『魔導士』親切が割り込ませたある言葉が、これまでの会話にクライマックスをもたらした理由だった。彼の言葉を聞いた2人の眼光が鋭くなる。
人族連合上層部、『超賢者』スペル。彼が言う“今回で戦争を終わらせる”という台詞の意味を、重さを、誰もが理解していたからだ。
「そうか、ついに戦力を集結させて」
「ああ、魔王軍七大将最後の1人がやられ次第、各国の英雄とクラスメイトらにて複合部隊を結成。これを魔王城に対し投入し、そのまま戦争を終わらせるとのことだ」
現時点でこの拠点に集結しているのは、まず和成。
次に『国境なき医師団』の三人と、『ヒーロー』の一党。親切がここにいるということは、『魔導士』の一党もそろっているだろう。
よって和成は尋ねる。
「俺たち以外で既にここにいるのは?」
「天城を筆頭にした『勇者』の一党に、『剣神』御剣と『神槍』銀林のコンビ。あとは姫宮さんの一党とも直に合流できるだろう。他の面々も、そう遠くないうちにやってくるだろう。……その顔、何かするつもりか?」
「ああ、決戦前にどうしても――みんなに対してやっておかなくちゃいけないことがある」
☆☆☆☆☆
土魔法で作られた、即席の執務室とでも言うべき空間。
そこに王女アンドレは居た。
部屋の中央に立つ彼女の前には椅子があり、そこに『勇者』天城が腰かけている。意志を感じない無気力な表情をした、『勇者』天城。死んだ目の彼は、きっと何も考えていない。
何も考えられない。
そして、そんな異様な雰囲気の少年を目前に、彼以上の無表情でアンドレは考える。
――調整は順調。
今の彼は、アンドレの命令に反応し動く機械のようなもの。つまるところ王女が行っている行為は、非人道以外の何物でもないのだが……その瞳に宿る感情は、虚無であった。
まるで、子どもが面倒くさがりながら明日の宿題をするかのように、プリント1枚を明日までに終わらせるか程度のモチベーションによって、人ひとりを人形に変えようとしている。
激情がない。怒りがない。動機が薄い。彼女の行為にも目的にも、一切の熱というものがなかった。それと同時に、彼女は冷淡でも冷酷でもなかった。アンドレ王女には冷たいと言えるほどの要素すらなく、稚拙なままに『勇者』を傀儡にしていた。
そこには程度の低い、振れ幅の小さい感情が僅かにあるばかり。彼女は良くも悪くも全てに思い入れがなかった。その所業の非人道性に反して、自分の行動にも目の前の『勇者』にも、大した興味がない。
淡々としたその行動は、決して動じていないのではなく、単に思考停止で動いていただけと言うべきだった。
……ジリジリリリリ‼‼‼
「――どなたかしら」
だからか、来訪を告げる構内機器の魔笛を聞いた直後、スイッチを切り替えるように王女は外面を整える。
「『勇者』様、お手数ですが対応をお願いできますでしょうか」
「…………」
傀儡のごとき『勇者』天城に拒否という選択はない。
言われるがままに彼は扉を開け――ると、そこに和成がいた。両手が寿司桶でふさがれており、ふざけているのかご丁寧に寿司屋の店員の格好までしている。
直後、『勇者』天城は速攻で扉を閉めた。
アンドレから命令が出る前に、である。
そして、そのことにアンドレ自身が気づき違和感を持つ前に、ノックとチャイムの連打が響き出した。
「ちわーッ、三河屋でーす!! 天城君いますかーッ!」
ここに天城を呼ぶ声が、『ミームワード』と共に放り込まれる。『哲学者』和成の奇行に、思わず眉をひそめたアンドレが動く前に、天城が動いた。
「平賀屋、嫌がらせのつもりなら帰れ!」
「まぁ確かに嫌がらせではあるが、お前を対象としたものではないよ。(何のことか分からないなァ。俺はクラスメイトに幸せのおすそ分けをしに来ただけだぜぇ)」
いけしゃあしゃあとほざく和成に、思わずアンドレの額に一瞬だけだが青筋が浮かぶ。しかし、直後にはそのような怒りはどこへやら。豹変した態度と共に、務めて冷静に王女は『哲学者』に応対する。
「――お久しぶりですわ、『哲学者』様。数多の功績を積み重ね、英雄として名声を高めていると風のうわさで聞き及んで。ますますのご活躍を、切に祈っておりますとも。して、突然のご来訪、なんの御用でしょうか」
“警備はどうなってんだ。”
“どうやってここまで来た。”
そういった憤りを暗に含んだ台詞に対し、和成が答える。
「こちらの世界では材料が手に入らないため、1年以上食べられなかった国民食。それを訳あって作れるようになったため、同郷のクラスメイトにおすそ分けとして持ってきました。寿司と言います、2人分ありますのでどうぞ」
「……それはご丁寧に、わざわざありがとうございます。……ですが私と『勇者』様方が頂く料理は、全て毒見をしてからではないと食せませんので」
「ハハハ、ご謙遜を。2人の高ステータスを貫通する毒などそうあるはずがないでしょうに。社会的なしがらみのある王女様は兎も角――今まで食べられなかった寿司を日本人が食うことを禁ずる? その命令は聞けませんな。はいアーン」
言うが早いか、和成は天城の口に1貫の寿司を放り込んだ。
「アーン」
天城自身、これに反抗することなく素直に口を開けて受け入れる。
それは、反射的な行動だった。
そして舌に叩き込まれる、人魚姫が贈った上質な魚介と、『料理人』久留米が全スキルを用いて握った寿司の味。その暴力的な旨味は、天城の望郷の思いを強く刺激し――
「うまい、懐かしい……」
その認識矯正に、少しだけヒビを入れた。




