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第333話 禊の空間、純水温泉③


 分かってるさ。

 そんな『哲学者』の一言が、『姫巫女』を落ち着かせた。


「俺は女神のことは嫌いだが、その加護がどれだけの命を救って来たか否定するつもりはない。その功績は認めざるを得ないものだ。『豊穣の加護』、『安産の加護』、『浄化の加護』。そして人族以外のステータスを半減する『大結界』。ステータス関連の『大結界』はあってもしょうがないが、他3つの加護なら地球(こちら)にも欲しいぐらいだ」


 和成のあえてゆっくり発声される言葉に、ルルルの動悸が収まり出す。その表情には柔和な笑みが浮かべられ、視線は真っすぐと少女の顔だけを見つめていた。

 彼はルルルに信頼を寄せている。そして、語り合いの場として純水温泉を選んだルルルの心意気も信じている。例えそれが隠しておきたいことでも、晒けだす覚悟で彼女がここにいると理解している。

 それら和成の内心が、情報として『ミームワード』で伝えられた。


「そうです、その通りなんです。女神様の『結界』が、『豊穣の加護』が、『安産の加護』が、『浄化の加護』が、一体どれだけの命を救ってきたことか」


 だから、ルルルが次に続けた言葉は、先ほどとは大違いに流れるように溢れ出た。


「今まで幾度となく戦争は繰り返されましたが、魔人族が人族領の中心部に攻め入れたことは一度としてありません。それほどまでに女神様がもたらす『結界』は大きな壁として人族を守ってきました。そしてその『結界』内ではたらく3つの加護、豊穣・安産・浄化。……どれも我々の社会を根幹から支えて来た加護ばかりです」


「だろうな。浄化の加護は言わずもがな、何の因果か産婆として出産に立ち会ったからこそ強く思う。『安産の加護』、アレはデカすぎる。母子ともに健康な出産を確約するというのは、安心感が段違い過ぎる。『安産の加護』があれば、あの時あそこまで神経をすり減らすことはなかっただろうさ」


「数奇な体験をなさったのですね」


「なんせ、雪の妖精を孕んだ小人族の出産だからな。――だからこそ、思う。本来の出産はもっと肉々しくて、グロテスクなんだろうなと。アレは命を孕んでいるというより、自然現象を胎内に宿しているのに近かったと思う。だからきっと、本来の出産はもっと、死と血と痛みが前面に押し出されてるんじゃないかと……そんな気がしてならない」


 和成の『ミームワード』混じりの言葉に、ルルルは神妙な趣きで耳を傾ける。ここは純水温泉。互いの腹の内を開示する、純粋な話し合いの場。

 コミュニケーションを尊ぶ者同士が向き合う場所だから。


「子が生まれる親の立場からすれば、『安産の加護』ひとつだけで女神に忠誠を誓うに十分だろうさ。たとえ赤の他人でも、だいたいの人は子どもが無事に生まれれば強く祝福するんだから」


「では和成様が最も重視するのは、『安産の加護』になるのでしょうか」


「いや、強いて俺が選ぶとするなら、最も重視するのは『豊穣の加護』だ。だってそうだろう、食えない奴が子どもをこさえても悲劇を生むだけだ。自分ひとり助けられない奴が他人を救おうとすべきでないように、自分が食えていないのに子どもを作るべきではない。安産はまず満足に食える食卓ありき。

 ――それに俺は、“飢えて死ぬ戦争を取り除いた”という功績を、評価せずにはいられないからな」


「確かに、私の一族は統治者として、英雄たちをせめて飢えでは死なすまいと動いてきました。――だってあんまりじゃないですか。戦えない者たちのために死ねと戦場に送り出しているのに、戦いとは関係なしに死ぬなんて。そんなの、何のためにレベルを上げて、ステータスを伸ばして来たのか分からない」


「明日は我が身。いつ死ぬか分からないこそ、せめて死に場所は選びたい。後に続く者たちのために、英雄として華々しく死ねるのならそれでいい。それがいい……か。ずいぶんと厳しい死生観だ」


「ですが、一般的な考え方です。ここは災害で満ちる剣と魔法の世界。命を捨てたいわけでも、軽く見ている訳でもありませんが、命を投げ出す覚悟があって初めて成せることがあると経験則で皆知っています。生を渇望しながらも、死中に飛び込まねば掴めないものがあると歴史が叫んでいます。命をとして抗うしかない災害が、頻発するのがこの世界の厳しさなのですから」


「……だからこそ、これに挑む英雄たちには官民一体となった支援・賞賛が、惜しみなく届けられるわけだ。それもまた、この世界の側面。――厳しさとは別に確かに存在する、優しさと呼べるもの」


「そう言っていただけると、厳しいこの世界をそれでも懸命に生きていることを肯定されているようで……頑張った甲斐があるというものです。しかし意外でした、和成様はてっきり『豊穣の加護』より『安産の加護』を選ぶかと」


「それだけ飢えて死ぬ戦争は恐ろしいということさ。経験としてではなく、あくまで知識としてだがな。

 まず腹が減ると、人間は何でも食べようとする。どんな生き物も食べなきゃ死ぬから、空腹には敵わない。そうなると、本来なら食べるはずのない、食べてはいけないものまで食べてしまう」


「それはつまり、共食い……とかでしょうか」


「いいや、ある意味もっと酷いものさ。倫理観を除いて考えれば、人肉だって普通にタンパク質だ。熱を通せば消化できる、消化できるなら栄養になる。そして極限状態における食べるための殺人は、さほど重要じゃない。

 本来なら食べてはいけないもの。つまりは生肉、腐った肉、汚い肉。あるいは本来食べられるはずのない雑草、虫、ひどい場合には泥の粥。今回言ってる食べてはいけないものとは、人体に害のある端的な毒物のことだ。そんなものだろうと食べてしまうのが、空腹というものの恐ろしさだ」


「うう、そう言われるとだんだん……」


 ルルルは肩まで温泉につかり出す。

 和成の例えを聞いて震える体を暖めようと、限界ギリギリまで湯につかりだす。いつしか、口元から鼻の下の、顔の半分まで湯につかっていた。


「害あるものを食べると、当然だが腹を下す。俺の世界には浄化魔法も回復薬もないから、戦場とはそのまま不衛生な環境のことだ。まともなトイレがあるはずもなく、キレイな水がそもそもない。そんな環境で腹を下す。つまりは死の一歩手前だ。下痢による脱水症状だけでもダメージは大きく、体力を消耗し別の病気にかかり、そのまま亡くなる者が発生し出す。

 こうなると始まるのが次の地獄だ。

 不衛生な環境に糞便は垂れ流され、死体は放置される。悪化が続く衛生状況の中、更なる病気が広まり感染は拡大。栄養状態の悪い兵士たちに病気に抗う力はなく、汚らしい病気によって死者は増える。そうして生まれた新たな死体が環境を汚染し、病気は更に広がっていく」


「――想像できません。私には、浄化魔法がないという前提がまず受けつけない。和成様の世界に浄化魔法がないという前提を頭では分かっているのに、お話を聞いていると“そうなる前に浄化魔法を使えばいいのに”としか思えない。情景が浮かばないばかりか、そこから先に思考が進まない……」


「しょうがないさ。俺だって、死を前提とした達観に満ちた、この世界の英雄概念に共感しきれていない。前提が違う以上、想像しきれないものはどうしたってある。だからこう例えよう。飢えて死ぬ戦争を知りたいのなら、小さな空の部屋に『ネズミの魔獣(キキ・ラット)』の群れを閉じ込めればいい。そのまま回復薬も浄化魔法もなしで放置すれば――次に扉を開けた時、そこに地獄が広がっている」


「それは、つまり」


 その光景を想像するだけで、ルルルの胸から吐き気がこみあげて来た。

 温泉に肩まで使ったまま、少女の表情が青ざめる。


 空部屋のネズミ。餌のない世界で繁殖し、みっちりと詰め込まれる生ものたち。

 餌がないなら共食いが始まるだろう。死体を片付けるものはおらず、食べ残しが放置され、腐る。糞便は処理されず残り続け、穢れが広がっていく。

 これに手出しできない。

 浄化魔法で汚れを一掃することも、回復魔法で生き残りを救助することもできない。


 飢えて死ぬ戦争では、これが戦場で、兵士たちで起こる。


「うぇ゛っ……」


 思わず温泉の中で、ルルルはえづいてしまう。


「浪費と消耗と破壊を積み重ねるのが戦争だ。戦線を拡大しすぎて物資の供給が滞った時、食料が足りずそういう地獄が生まれてしまう。かつて七十年前の戦争で、俺の国で起きたこと……らしい」


 和成がそう補足した内容に、ルルルは激しい恐怖と忌避感を抱いた。

 いつ死ぬか分からないこの世界では、分からないからこそ誰もが死に場所を選びたいと思っている。少しでもマシな死に様で逝きたいと思っている。だからこそ、苦痛と共に尊厳が地に堕ちる死は――英雄として戦場に立たねばならない少女にとって、絶対に許容できるものではなかった。


「きついですね。そのような死に方、私は受け入れられません」


「俺たちの世界でも、そんな死を受け入れて亡くなった方はいねーだろうよ」


 和成の返答を聞きながら、涙目のままルルルは湯にもぐった。頭のてっぺんまで純水温泉につけ、脳内の想像図を、おぞましい穢れを洗い流す気分で湯にもぐる。

 温かく、清浄な温泉の湯を全身で味わいに行く。

 それだけのことをしなければ乗り切れないほどに、和成の話は少女にとって強い不快感があった。


 ざぱりと顔を出したルルルは、そのまま一息ついて湯をすくい、顔を洗う。

 純水温泉の澄んだ水面に波紋が立ち、彼女からしたたる水滴がきらめく。


「飢えて死ぬ戦争とは、人の尊厳を汚し尽くす地獄ですね」


「その通りだ。だから俺は女神のことは嫌いでも、それを取り除いたという功績を評価しないことは出来ない」


 女神は嫌いだが、その行いには確かに肯定できる側面もある。

 そう言い切る和成の誠意に応え、ルルルもまた正直に述べる。

 居住まいをただし、温泉内にて正座。真正面から和成の目を見て、明言する。


「……実のところ、初代が国の頂点に立ってから幾年月。女神様の本質が利己主義者エゴイストであることに、我々は皆勘づいております。ホーリー神国上層部のみならず、女神様と深く接するエルドランド王国の王族もまた、あの御方の本質が究極の利己主義者であることに気づいているはずです。そしておそらく、口に出さないだけで、一般の方々も薄々感づいておられるでしょう」


 女神は善神などではないことを。

 人族は官民問わずそれを察している上で、事実上放置しているということを。

 ルルルは誠意として、和成に正直に打ち明けた。


「女神様は、どこまでも自分のことしか考えていない。人族を生かそうとしているのは、我々の人口が女神様のお力につながるから。ただ我々から力を吸い上げるために、あの御方は人族を繫栄させようとしている」


「そうか」


 そんなルルルの告白は、和成にとって予想の内ではあった。

 だがそれでも、こうして彼女から断言されたは明確な違いだった。推測でしかなかった予想は、この時点をもって裏付けされたのだから。


 そして、ルルルは言った。


「ですがそれでも、例え我々が裏の意図のもと利用されているだけであっても、私は女神様から受けた恩を無碍に出来ません。女神様が我々人族に与えて下さった加護は、無視してはいけないものがあまりにも多過ぎる」


 続く言葉で少女は宣言する。『姫巫女』として、『神聖』なる力を武器とする少女は、自分の矛盾した心を、ようやく言語化できた。


“女神様を優先するしかないが、それは和成様の優先順位が低いからではない”。このことについて自らの言葉で説明する方法を、ルルルは『哲学者』との語らいの中で見つけられた。


「好きです、和成様。お慕い申しております。私にとって和成様は、とても魅力的な英雄。尊敬できる、安心できる、頼れるお兄様です。だから私は、受けた恩を無碍にするような恥知らずな自分を、尊敬するあなたに好きになって欲しくない。

 大恩を切り捨て己の恋愛を優先するような自分本位が、和成様に愛されるにふさわしいとどうして言えましょうか。貴方様のことは好きです。大好きです。だからこそ、恥ずかしい自分を愛されたくない。愛させたくない。わたくしは、わたくしは――」


 為政者として、女神様のお力は絶対に必要。

 そして人の道でも、受けた恩を忘れることなど出来ない。

 忘れてしまうような自分は、愛する人に愛されるに相応しくない。


 だがそれは、他のものを愛する人より優先することにつながる。

 そんな二律背反が、ルルルの矛盾の正体だった。


 これに対し、和成はこう返答する。

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