第330話 魔獣に食われた『姫巫女』 後編
怖かった。
少女の素直な告白が、ただ一言和成の胸を刺す。
目を開けることの出来ない状況。
光の無い真っ暗闇、漂う異臭、生暖かい空気。
聞こえる音は、魔獣の心臓と胃が鼓動する音と――何かが溶ける音だけ。
13歳の少女が、そんな状況でたった一人。
「ごめんな」
だから和成の言葉には、心の底からの詫びが込められていた。
「……謝らないでください。和成様が来てくれたから、私がしたことは間違っていなかったと実感しているのです」
抱きしめる胸の向こうから響く、和成の心臓の鼓動。
ルルルはそこに頭を強く密着させながら、心音を感じていた。
「巨体の割に俊敏で、柔軟な体を活かし密林の隙間に潜む『カクレ・オオ・オオサンショウウオ』。隠密性に優れるこのモンスターなら、追いかけるよりも体内から攻撃する方が早い。――捕食の舌がか弱き少女に向けられた時、咄嗟にそう考えて間に入りました」
「同感だな。噛み砕かれるわけでもなし、腹を突き破れる自信さえあれば、コイツに丸呑みされるのはひとつの択だ」
「ですがこのモンスターの胃液は、体より先に魔力を溶かす特殊性。そのせいで私はこのような状態に……」
「それでも食われかけていた少女を助けるという最大の目的は達成できている。――胸を張れ、ルルル。お前はきちんと成すべきことを成したんだ」
「しかし和成様、これからどうするのでしょうか……。魔法を使えないのは和成様もご一緒では……」
「だからこうする。衝撃に備えろ、ルルル!」
その直後、和成は赤く輝くブラディクスを上に向けて投擲。胃の天井へ深く突き刺した。ぐらぁ、と魔剣に刺さされた痛みに『カクレ・オオ・オオサンショウウオ』が反応する。胃の内部が大きく鳴動し、とっさにルルルは、更に強く和成にしがみつく。
「キャア!!」
「おっと、」
こうなると予想がついていた和成は、そのままルルルを受け止め支える。
そして胃の鳴動とは別に、辺りには脈動のように、ブラディクスの吸血音が響きわたった。ドクンドクンと、『カクレ・オオ・オオサンショウウオ』の血液が魔剣の刃に呑み込まれていく。
(「不味いのぅ」)
(不味いのか)
(あとで口直しにウヌの血を要求する)
(――分かった、許可しよう)
やがて、『吸血の呪い』が発動し続けるままに、傷口からブラディクスが落ちてきた。刺傷からの出血は赤い縄のように刃とつながっている。血液と呪いが接続された今、流れ落ちる魔獣の血はブラディクスの支配下にあった。
「よしルルル、準備は整った。この攻撃でコイツは激しく暴れるだろう。身構えといてくれ」
「はい!」
「行くぞ、『血斬』!!」
吸い続ける赤い縄のような血液から生まれた、真っ赤な血の刃。
魔剣の凶悪なる技『血斬』が、鞭のように大きく胃壁を切り裂いた。
大量の血が胃を満たし始め、先ほどの鳴動とは段違いの揺れが和成達を襲う。
「ッ! 和成様、これはつまり――」
「効いてるってことだ。かなり痛がってると見える。そして、ブラディクスの刃が血液に触れた。――よって『吸血の呪い』、追加発動」
傷口から滝のようにあふれ出る、胃を満たす勢いの『カクレ・オオ・オオサンショウウオ』の出血。それら全てが、魔剣の刃の材料にされた。
「『血斬』」
胃の中の空間全てを満たせるほどに、長く伸びた赤い刃。
弧を描く血の刃は鞭のように、空中を漂っている。
和成が手の内の魔剣を振れば、数秒の内に魔獣の胃はなます斬りにされた。嵐のように斬撃が飛び交い、赤い線が無数に胃壁に刻まれる。
その度に、波打つ大地に立つかのように胃の鳴動が大きくなる。
きっと、胃液がこれ以上真っ赤に染まることはなかった。
「――これで終わりだ、『胴斬』」
最終的に、魔獣の血を取り込み続けた『血斬』は臨界を突破。その赤い刃は『カクレ・オオ・オオサンショウウオ』の肉体強度を上回り、体内から一刀両断した。
その後は引き裂かれた腹の傷から、ルルルを引きずり出すようにして和成は脱出。
胃液と、ドロドロに溶けた内容物と、モンスターの臓物。頭からそれらを被る2人からは、言い表せないほどの生臭さが放たれている。
「おう平賀屋、無事に解決か?」
これに話しかけた『狩人』永井は、鼻をつまみながらとは言えかなり親切だっただろう。『フィルター』の影響がここにも現れている。
その優しさとは別に存在する歪みを知りながらも、まず和成は返答した。それと同時に、彼に1つ頼みごとをした。
「ああ、聖騎士団に連絡を頼む。その時に、ついでに風呂の用意もお願いしてくれ。――まずはルルルを温めてやりたい」
和成の体を杖代わりにすることで、かろうじてルルルは立っていた。消化の恐怖から解放されて、緊張と疲れが一気に襲い掛かって来たのだろう。全身が小刻みに震えているだけでなく、特にひざはガクガクと壊れそうな勢いで揺らいでいた。
「了解。他の犠牲者たちは――」
「ブラディクスの生命探知では生存者はゼロだ。ただし、ブラディクスの生命感知はあくまで命の鼓動――動く心臓と血液の脈動を聞き分けるものだ。肉体が滅んでいても、魂がかろうじて繋がっているならあるいは」
「要は『上級回復魔法』ならワンチャンあるかもってことね。あいよ、そっちの方も手配しとく。取り敢えずお前は『姫巫女』ちゃん連れてとっとと休ませてやれ」
ルルルだけでなく、彼女を助けるために自ら捕食され、臓物まみれになった和成を少年は気づかった。人族連合の拠点支部の方向を指さして、永井は早く帰るよう促した。
その好意に、和成は甘えさせてもらう。
「ありがたく、そうさせていただこう」
☆☆☆☆☆
「それでは御二方、湯浴みの準備が整いました。どうか、ごゆるりと」
そう聖騎士団のひとり、『姫巫女』の従者が促す先には、土魔法によって作られた簡易的な露天風呂があった。当たり前のように、ルルルと和成が一緒に入る前提での準備が整えられている。
具体的には男湯女湯の暖簾分けがなく、岩に囲まれた脱衣場にも浴場にも隔てる壁がない。
「では行きましょうか、和成様」
「悪いが、友達に後処理を押し付けて混浴するふてぶてしさは俺にはない」
「私にはあります!」
「元気だな、さっきまで食われてたのに……」
「だって、和成様が助けてくださいましたから。あなたが助けてくれたから、こんなにも生き生きとしていられるのですよ」
呆れた和成の苦言すらも、モーションをかけるためのカウンターに利用する。そういった強かな側面が強いのが、ルルルという少女だった。
……それでも少女の体はまだ震えていて、彼女の態度は強がりの裏返しでもあったが。
「先程まで絶望の闇の中にいた私を、すくい上げてくれた光。寄り添ってくれた希望。それこそがあなた様です。――特に和成様は、わざわざ私を助けに来てくれたではありませんか。『意思持つ魔剣』であるブラディクスは、和成様の意志で動かせる。その金属塊を魔獣に食わせれば、それだけで同じことはできたはず。和成様が食べられる必要はなかった。にもかかわらず――」
「ブラディクスに任せるのが心配だっただけさ。かつて凶剣であった魔剣が助けに来るより、俺が助けに行った方が安心できるだろ?」
「……ですから、せめてお背中を流させてください。私のせいで汚れたその体、私のために汚してくれたその体。どうか、私の手で洗わせてください」
いまだ血と臓物、胃液とその内容物で汚れたままの和成の手。
それを愛おしげに両手で包み込み、上目遣いで語りかける。
和成は『観察』眼により、黒革の目隠しの奥でルルルの瞳が潤んでいることが分かった。
「だから、さっきまで消化されかけてた病み上がりに、んなことさせられねぇっての。まずはルルルが体を清めて温めろ。俺のことを洗いたいなら、そのあとで付き合うからさ」
「それでは意味がありません! 私は、和成様と、裸のお付き合いがしたいのです!」
「とうとう言い切ったな、はしたない。いや、ホーリー神国的には、別にはしたなくはないんだろうけど」
産めよ増やせよ地に満ちよを、より極端にしたのが『ホーリー神国』の教えだ。子をなすことは大人の義務。男も女も等しく平等に、子供を産むための道具。そうやって新しい可能性を、未来の英雄候補を産み出し続けなければ、社会は存続できないと本気で思っている。
自由恋愛は許そう。相手を選ぶ自由はある。だが、結婚しない自由はない。そして妊娠と出産は夫婦の義務だ。
恋愛がしたいのなら、これと決めた相手は逃がすな。自分から相手を見つけろ。それが当たり前である社会なため、性差を超えて積極的なのが『ホーリー神国』だった。
ルルルはその典型例である。
「では、こう言い換えましょう」
だからルルルは、即座に和成が譲歩しやすくなる提案をした。
「二人っきりになれる場所で、腹を割って離しませんか。――女神様について話しましょう。ホーリー神国の民と、召喚者である和成様とで」
いずれ女神と敵対する可能性を視野に入れいている和成にとって、これを断るという選択肢はなかった。そしてそれは、いつかどこかのタイミングで話さなければならない、決して避けられない話題だった。
和成にとっても、ルルルにとっても。




