第323話 VS黒雪の妖精 戦闘3/5
「ん。よしよし」
子供らしく純粋に、黒雪の妖精を撫でるニコラチェカ。
すると吹雪が弱まり、涙ツララの表面が溶けはじめ――
――《耳を貸すな》
頭蓋骨の中に埋め込まれた『軍師』の呪符が、余計な命令を出した。
「逃げろ、ニコラチェカッ! 『炎』!」
頭の上半分が消し飛んだままの和成は、それでも行動に移すが流石に間に合わない。即興魔法は吹雪にかき消され、届く前に霧散した。
元からニコラチェカの目前に迫っていた頭骨は更に近づけられ、がぱりと。そのまま大きく開かれた骨の口が、天使の子を頭から咥えこんだ。
「んむむぅ――――ッッ!!」
トナカイの口の中で暴れるニコラチェカ。しかし黒雪の妖精が上を向いたことで、その体はどんどん喉奥へと飲み込まれていく。
そして天使の子が丸呑みされた時、暴発的な冷気が急激に開放。絶対零度による完全な停止が和成を氷像に変え、直後に冷気と共に衝撃波が拡散。一瞬で和成という氷像を四散させた。
「――つらい、かなしい、くるしい……」
6枚羽から生みだす黒い吹雪すらも、凍結させ吹き飛ばす『アンデッド・フェアリー』の力。それにより結果としてブラックアウトは一時的に消失し、辺りは真っ白い空間へと変わった。
それこそが、ニコラチェカが取り込まれたことで起きた最初の出来事だった。
次に怪物は、先程までなかった身体を有していた。肉も内蔵も奪われた、骨だけの体しか有していなかった『アンデッド・フェアリー』はもういない。失われた足を獲得し、積雪に足跡をつけながら和成へ近づいている。
しかしこれは憑依ではない。取り込んだニコラチェカの体に、『アンデッド・フェアリー』が取り憑いているのではない。もしそうであるなら、体を得たその肉体が薄氷のように透き通る大人の体であることの説明がつかない。
だからそれは、存在の半分が自然現象である妖精族の体を吸収し、冷気と妖精の魔力を奪い肉付けに転用したもの。すなわち『受肉』と言うべきものだった。
そして肉体を持った彼女に対し、世界法則『ステータス』は名をつける。電子音のような世界の音が、その場にいた者たちに告げられる。
【命名。暗き吹雪の翼を持つ者、堕ちた天使の成れの果て】
【――『亡霊天使・黒雪夜叉』】
その声を聞いた、砕かれた和成の氷像から『邪悪』属性のエネルギーが奔流。ブラディクスの呪いで無理やり結合し、砕氷が寄り集まったブロック塊の姿で『アンデッド・グラキエス』へ手を伸ばした。
「帰、してもらうぞ、ニコラチェカを! そいつは、帰さなきゃいけないんだ。帰せるんだッ!!」
「――『粉、々、凍』」
受肉によって発音が明瞭になった、黒き吹雪の女王の拳。
雪男族と鉱人族の遺体が組み合わされた、怪力と剛力が合わさる殴打。
その凍結の一撃は当たり前のように、和成の凍結体を凍らせ直した上で打ち砕いた。
ダイヤモンド・ダストに変えられた肉体は、吹雪にあおられ宙を舞い……そのまま修復のため一箇所に集まろうと動きだす。
だが、この氷点下では血液が凍ってしまう。
体は凍ったまま、砕氷は砕氷のまま。
よって液体時より上手く修復することはできず、無理やり蘇る和成は人肉色の砕氷を寄せ集めた、全体的にいびつな形をしていた。
「そ、こ、か」
だからすぐに接近を許し、そのままもう一度砕かれてしまう。幽霊らしい神出鬼没さで、和成の背後に現れた直後、人肉で出来た砕氷が再び吹雪の中を舞った。
(『血斬』はダメ、血液が凍って操作できない。刃を作ったところで氷の刃だから脆く鈍い。液体金属も低温過ぎて動かせない。だから『邪斬』を使うしかない)
声など出るはずもないほどに粉々だが、彼の意識は失われていない。『思考』のスキルとブラディクスの呪いが、『哲学者』に考えるという機能を失わせない。
(爪に、力をまとわせて、『邪斬』!)
よって和成は『攻撃』による打ち合いを試みるが、しかしそれは無理やり形にしただけの『邪斬』。廉価品でしかないそれは、凍結と粉砕の拳と激突した直後、指と爪にまとわせたエネルギーごと再び砕かれた。
「『粉、々、凍』!!」
(ダメだ、ブラディクスが手元にないと威力が低すぎる)
黒い吹雪の女王は、砕かれ和成の破片をさらに踏み潰す。
何度再生しようと、その度にわざわざ壊しに行く。
そしてまた、その破片を踏み潰す。
そうも執拗な行動を繰り返すのは、魂にこびりつかされた復讐心によるものだった。
☆☆☆☆☆
ずっと、助けを待っていた。いつか天から、仲間が来ることを期待していた。
女神と邪神が戦った神代の時代に、地上に落ちてしまった天使族。彼らにして彼女らは魔人族領に落ちて、魔界の瘴気で天使の輪を汚染され、濁った雲毛しか作れなくなり飛行能力を失った。
堕天使エルザは、そんな天使族が魔人族領で過ごす内に生まれた末裔だ。
魔界の瘴気で魔人族領は満ちている。それは邪神の体から漏れ出る『邪悪』属性の魔力とも呼ばれるもの。その性質は『不純化』であり、あらゆるものに不純物を発生させる。
それは肉体のみならず、魂であっても例外ではない。魂の記憶、遺伝子情報であっても不純物を発生させてしまう。
だから魔人族領は死の大地だ。生きていけるのは偶々環境に適応できた一部のみ。
空も水も汚染され作物は満足に育たない。繁栄したのは、偶然『邪悪』属性の魔力を食糧にできた種族のみ。
その限られた種族も、『邪悪』属性の魔力以外に食事の選択肢がない。魔界の瘴気を餌に育った生物など、食べられたものではないのだから。
――だから、人族に攻め入るのだ。
獣人族の大地を侵略するのだ。
竜人族だろうと喧嘩を売るのだ。
恵みが欲しかった。美味いが欲しかった。綺麗な水が、空が、大地が欲しかった。
そのために邪神に言われるまま戦うことを選んだ。
堕天使エルザの親世代が。
であれば、長の子として生まれそれ以上の才を受け継いだ『六翼のエルザ・エルザ・エルザ』に拒否権などあるはずもなく。
やりたいことがあった。成し遂げたいことがあった。死ぬわけにはいかなかった。
戦いたくはなかったけど、戦わねばならなかった。
奪いたくはなかったけど、奪わねば手に入らなかった。
なのに、死なざるを得なかった。
それも戦いの中ではなく、味方に裏切られ、道具として使われるためだけに。
――憎い、憎い、憎い。……殺す!
頭骨内に埋め込まれた呪符が、魂を歪めエルザの憎しみを増幅する。だからこそ、『アンデッド・グラキエス』は止まらない。
「あ” 、 あ” 、 あ” !!
つらい 、 かなしい 、 くるしい……」
何故、あの子は助けてもらえるのだろう。守ってくれる誰かがいるのだろう。庇ってくれる誰かがいるのだろう。
羨ましい。だからこそ、恨めしい。
――あの子になりたい。
――あの子になったら、私も守ってくれるはず。
だから堕天使エルザの成れの果ては、呪符に歪められたままニコラチェカを飲み込んだ。
☆☆☆☆☆
その結果。
「返せ。お前が取り込んだ天使の子を返せ! 死者が、生者の道行きを邪魔するなっ!!」
「――なんで、どうして、なんで……」
守ってくれる、はずもなく。
砕氷が組み上がっただけの人肉人形は、忌々しい『邪悪』属性を撒き散らしながら責め立てる。
その凍りついた喉から発せられる言葉は、ガラついた敵意に満ちたものだった。
生者は生者、死者は死者。今を生きる者の道行きを、亡霊が邪魔してはならない。そう考える和成にとって、『アンデッド・グラキエス』の所業は許せるものではない。
そして今の、脳まで砕氷にされている和成は体の芯まで冷えている。脳の奥底まで凍っている。黒い吹雪を全身に浴び続け、凍る体と共にその侵食を受けている。その汚染の悪影響を受けている。
そんな状況でも『思考』を行えるのが、ブラディクスの不死性と『哲学者』の在り方スキルの合せ技なのだが。
「返してもらうぞ、天使の子!」
(例え、ぶっ殺してでも)
「――つらい、かなしい、くるしい……」
脳が無事でない状態でマトモな思考ができるはずもない。暴発する『ミームワード』が状況をより険悪に変える。
肉体は精神と、精神は魂と、魂は肉体と、相互に影響を与えあっているもの。アイアン皇太子ことメルトメタルが、鉄の体であるがゆえに心までも鉄に近づいていたように。
心は脳という器官が正常であって初めて真価を発揮する。
だからこそ、芯まで凍る和成の脳はまともに動かない。一見、まともに動いているように見えても、実際のところはそうでもない。その精度は落ち、思考の方向性を変えることは難儀となり、視野狭窄に陥る。
すなわち精神と肉体を汚染する黒い吹雪は、『哲学者』の肉体全てを侵食。雪の女王の鏡のように、どす黒い凍結が和成の頭をカチコチに凍らせていた。
そしてこれこそが見落とした理由。気づけなかった理由。
その思考から柔軟性が失われていた理由であった。
山のふもとの“国境なき医師団”の、暖かい竜車のコタツの部屋ならば、問題なく気づけていたはずの見落としだった。
ーー《吹雪の檻で包み込み、氷山の中に幽閉せよ》
「……オ、ォォォ、ォォォ!」
全身を分厚い氷塊に閉じ込められれば、身動きなどとれるはずがない。
「 『 アイス ・ クリスタル ・ プリズン』 !!」
そして、冷たい暴風のような絶叫が轟いたとき。
黒い吹雪の翼がブラディクスをそうしたように、和成の全身を包み込んだ。
濁りきった凍空の雲毛は収束し凍結、そのまま圧縮された吹雪の雲が氷山と化した。これにより和成の全身は、黒水晶のような巨大氷塊に閉じ込められる。
(――動け、な……い――!)
不死身の体の意思すら凍り、邪悪な黒雪が侵食を開始する呪いの氷の檻。そのまま呪符は油断することなく、アンデッド化したエルザの魂に命令を出し続ける。
《そうだ、そのまま――》
「 『スノゥ ・ メイク ・ クレバス』 」
これに従い、『黒雪の魔女』は雪山に降り積もる雪を操作。谷のように2つに裂き、底が見えないほどの深いクレバスを創造する。
一般的にクレバスというものは、部位によっては底まで何キロもあるもの。彼女が作り出したそれも変わらない。そして『アンデッド・フェアリー』は雪男族の怪力で氷塊ごと和成を持ち上げ……
「―― つらい 、 かなしい 、 くるしい……
お前は 、 ずっと 、 そこに居ろ……!
閉 、 じ 、 よ ! 」
そのままクレバスの谷底へ放り込んだ。彼女が合掌するように両手を組めば、その動きに合わせクレバスは鳴動。谷底の和成を挟むようにふさがり、あとは裂け目の跡を黒吹雪が覆い隠すのみである。
「―― むなしい 、 かなしい 、 なにもない……」
うわ言のように呟かれる言葉とは裏腹に、呪符に出される命令のままエルザは動いてしまう。彼女は悪霊、生者の成れの果て。もうその思考は、幽かなものしか残っていない。
《事実上の封印、完了》
その頭蓋骨の中で稼働する呪符の声が、吹雪の中で淡々と告げられた。




