第321話 VS黒雪の妖精 戦闘1/5
シリアスバトル、開幕。
「これ、好き」
「これ? ああ、おんぶか」
「ん、おんぶ。ぼく、これ好き」
「成程、そうか。天使族は輪っかの電磁で色々浮かせられる。手を使わずに物を持てる。その上で背中に雲毛があるんだ、そりゃあ、おんぶの文化は天使族には生まれないか」
「ん。だから、これ好き」
ギュッと胸に回している手に力を込め、背負われているニコラチェカは和成に密着する。結局の所、ニコラチェカはポーカーフェイスと言うだけで感情の起伏は分かりやすく、その境遇もあって年齢以上に甘えん坊だ。
冷え性なので人肌のぬくもりを求めたがり、体温が低い自分を受け入れてくれる相手にスキンシップを多く求める。そして電磁の輪っかを持たないために、自らの手を使うしかないからこそ、抱きつくという行為はニコラチェカにとって特別な意味を持つ。
「一旦帰ろう、ニコラチェカ。改めて誰が頂上に送るか相談してから行こう」
「ん」
「即興魔法発動、『板』」
そんな天使の子を背負ったまま、和成は短いスキー板を足裏に作り出した。これを用いて、一気に雪山の斜面を滑り降りる。
ブラディクスの肉体操作と身体能力の活用だ。
――しかし、唐突に雲行きが怪しくなってきた。
時刻は昼間だと言うのに、分厚い雲に覆われ日光が完全に遮られる。元々雪は降っていたが、辺りはそれ以上に暗さを増し、夜の帳が下りたかのようだった。
これまたブラディクスの呪いで暗視が可能でなければ、雪山を滑り降りる行為は危険極まりないものだろう。
「何だこれは。天使族のダンジョン、『白雲の迷宮』。
今まさにそれが上空に来て、分厚い雲が光を遮っている訳ではなさそうだ」
「ん。『ホワイトピア』の雲は、たしかにこの世で一番ぶ厚いけど、すごくキレイな真っ白。あんな真っ黒じゃない」
見上げれば空にあるのは黒く濁った雲。黒い油に似たてかりが点在する、青空を暗く塗りつぶす汚れた色の雲だ。
更にその雲から雪の結晶が落ちてきた。黒い吹雪が降り始めた。横殴りの冷たい風が、不純物混じりの雪で二人を汚していく。
「なぁニコラチェカ、この世界にはこんな自然現象があったのか!?」
「ううん。ぼく、あんな黒雪見たことない、聞いたこともない。誰からもあんなのがあるって、教えてもらってない!」
「なら加速するぞ」
「ん?」
即断即決、ニコラチェカを背負うままに和成は一方的に加速した。ブラディクスと白鞘から、メルトメタルの流鉄を噴出。棒状に固めて使うことで、スキーのストックのように雪の斜面を駆け下りる。
黒い『邪悪』属性のエネルギーは積雪を削り、雪山に傷のような跡を残しながらなお加速。加速。加速。ニコラチェカが目を開けられないほどの全速力を目指す。
しかしそんな跡の上に黒雪の吹雪はつもり出し、痕跡を塗りつぶし始めていた。
「おにいちゃん、なん」
「気象操作に長けた天使族が、全く知らない未知の現象が起きている! ならここですべきはまず避難、とにかくリスクを減らすべきだ。1人で何とかしようとせず、下にいるみんなと合流を目指す!」
即興魔法で作製したスキー板は粗末なもの。短く壊れやすい、ブラディクスの呪いが前提の安物以下だ。使い捨てが前提の、自壊したなら滑る最中に新しいものを作るだけのスキー板。
今履いているそれが壊れる瞬間が近いと自覚した和成は、一旦雪の斜面の盛り上がっている部分を使い跳躍。空中で即興魔法を発動し、新しいものに履き替える。
そのまま黒雪がつもり着る前に、小人族の村まで滑り降り合流……
「!?」
ようとする前に、すれ違ってしまった。
和成が通過した、岩肌が露出した崖の上。
そこに人型の怪異がいた。
「おば、け……?」
『板』の履き替えのため減速していたこともあり、視覚が悪い中ニコラチェカもまたそれを目撃、観測してしまう。
そこにいた存在の背では、汚れた黒いマントがはためいていた。更にその後ろで6枚羽根の黒翼が広がられている。
すると黒い吹雪の勢いが増す中、唐突に道が開けたかのように吹雪が減衰。視界が開け、怪異をハッキリ視界に収められた。
この時、眼と眼があってしまったことで、ニコラチェカのポーカーフェイスが崩れた。
「ヒッ!?」
その怪物のグロテスクさに、天使の子は恐怖を抱く。
黒い吹雪の中でたたずむソレは、内臓も筋肉も削ぎ落とされた骨だけの怪異であり、妖精の体を醜悪な施術でツギハギした怪物だった。
綺麗な部分など何処にもない、合成ではなくそれぞれの骨をパーツとして無理矢理もいで繋げた、パッチワークのような姿。
そこには人造の怪物を思わせる歪な様相だけがあった。
(なに、アレ……?)
(かろうじて人の形をしているだけじゃねぇか!)
その死体の尊厳を弄んだ容姿を、評する和成の言葉に怒りが込めらる。
手を使って歩けるほどに長く、白長い体毛がわずかに残るものに取って代わられた両腕。『邪悪』なる黒糸で肩から縫い合されていたそれは、『雪男族』のものものだった。
しかしその先の手のひらは違う。手首から先は土の成分を多く含む、赤土色のドワーフの骨。雪男の腕の先に『鉱人』の手が同じく黒糸で縫合されていた。
その頭の代わりに鎮座するモノは、人の頭ではなく眼窩から氷柱を生やしたトナカイの頭蓋骨。醜悪にもトナカイの角の根本では、『森人』の耳が蒼い螺子で固定されている。
格好からして、おそらく彼女と呼ぶべきなのだろう。破れたドレスの、はだけた胸元には一切の肉身が残っておらず、骨だけが露出していた。檻の形に矯正された肋骨の胸腔内で人魚族の心臓が青い光りを灯す。
そして濁った氷山が生えた、黒い氷雪を生み出す天使族の羽。日蝕の6枚羽根。曇天よりも更に暗い、よどみきった背中の雲毛が、彼女が天使族の派生、『堕天使族』であることを示していた。
最後に、その体は下半身すらも奪われていた。
骨盤の上、みぞおちの下、その中間地点。
へそのラインで腰椎をへし折られ、骸骨の上半身だけが吹雪の中で浮かんでいた。
(スノーマンの怪力、ドワーフの握力、エルフの聴覚、マーメイドの心臓の『水』のマナ。そして堕天使族の翼。
アレが、黒吹雪を生み出している)
雪山を覆い隠す黒い吹雪が、とうとう本格的に視界を塞ぐ中。
何故か輪郭まで明確に見えるその怪異は、雰囲気だけは消え入りそうに佇んでいる。
その様はまるで、儚い女幽霊のようであった。
「もしかして、『アンデッド・フェアリー』? まれに条件が揃ったとき、妖精は大自然の力と融合した強力な悪霊になるってパパが……」
「しがみつけ!」
と、次の瞬間、唐突に戦闘が開始した。
「――サムイ」
ささやくような不気味な声の直後、氷山と金属がぶつかり合うような音がした。
すると和成ごと、しがみついていたニコラチェカは吹っ飛んでいた。衝撃を受け流そうと、コマのように回る和成が積雪を巻き上げる。
突如として背後に出現した、『アンデッド・フェアリー』の怪力から放たれる殴打。その一撃を、振り向くことなく和成がブラディクスで迎撃したからだ。
そのことにニコラチェカが気づく頃には、戦闘が激化していた。
「力を抜くな! 明日筋肉痛で動けない覚悟で」
「――ツライ」
「しがみつき続けてろ!」
ドス黒い吹雪が強まる中、和成の指示が『ミームワード』で伝達。強制的に伝えられた言葉に反応し、逃げろと言われとっさにその場から動くかのように、反射的にニコラチェカは抱きついた。
「――カナシイ」
そしてこの時、ニコラチェカは顔を上げられなかった。しがみつく和成の背に顔を押し付け、固く目をつむっていた。
黒雪の堕天使、『アンデッド・フェアリー』の姿が恐ろしかったのもある。吹雪に飛ばされないよう縮こまり、密着度をあげることでより離れないようしがみつくためというのもある。
だがそれ以上に。少しでも動けば。
顔を、耳を、手、足を出せば。
そこが消し飛んでいるという確信が頭にあった。
耳の側で鳴る戦闘音が明らかに近い。肌が激突の衝撃を感じられる。ブラディクスの金属の冷気や、黒雪の堕天使の空を切る拳の冷たさを感じ取れてしまう。
戦闘がほんの、数ミリ先の世界で起こっていた。
しかも、その数がおかしい。背中頭右耳左足右の腰後頭部首筋脇腹腿頸指先左の尻たぶ肩甲骨右肘向こう脛後頭部右尻脇腹頭腰肩肘手。
体のどこかで刃か拳がかすめているのが分かるたび、同時に別のどこかでも戦闘の事実を把握している。ヒュッとした冷たさを肌で感じるたび、別の箇所が同じ冷たさを感じている。
攻防が激しすぎて、非戦闘員のニコラチェカでは追いつかない。その戦いを把握しきれない。
斬撃と打撃の激突が絶えない攻防の嵐。その轟音は、黒雪の猛吹雪以上にニコラチェカの耳に残った。
戦いの中、ニコラチェカは震えることすら出来ず、ただただ渾身の力をもって、しがみつくしかなかった。
「――クルシイ」
「ッ!?」
しかしその耳に、悪霊のささやきが滑り込む。その声は吹雪すらかき消す戦闘音の中でも、何故か明確に聞き取れた。
ニコラチェカからしてみれば、まるで氷の手を背中に突っ込まれたがごとし。和成に抱きつく力が自然と増していく。
「『邪斬』!」
だからこそ時折聞こえる和成の声だけが、今のニコラチェカにとっては希望だった。
☆☆☆☆☆
一方、とらえどころのない怪力の氷拳をさばく内に和成は気づく。
(まずいな。想像以上に戦いにくい!)
ここは雪山、現在進行形で黒雪が降り積もる場所。
積雪に足を取られ、体の表面から『熱』の即興魔法がなければ凍り出し、背中には二コラチェカが居て守りながら戦わねばならない。
よって防戦一方となのだが、和成が戦いづらいと評したのはそれだけではなかった。
(なぁブラディクス、お前いつもより弱くないか?)
(「言うな! 所有者殿にそう言われては、認めたくないが認めざるをえん!!」)
長い雪男の腕は怪力無双。ドワーフの手と合わせて一撃で大地を砕く威力がある。『防御』しようものなら粉砕は必至、こちらの『攻撃』で相殺するか受け流すしかない。
そんな一撃必殺が、アンデッド特有の掴みどころのなさから繰り出される。黒雪の吹雪の、ホワイトアウトならぬブラックアウトに紛れながら、幽鬼の如く神出鬼没に全方位から攻撃が向かってくる。
その上で、まだそれだけではない。霊体だろうと構わず切り裂く魔剣を持ってしても、決定打にかけるのはそれが理由ではない。
明らかにブラディクスが実力を発揮できていないのだ。
(何が起きている?)
このままではジリ貧、勝てないと判断している和成は、即に複数の視点から『並行思考』を用いて同時『観察』。不可解な現象を見極めようと行動した結果、ようやく見つけた。
(魂の知覚でハッキリしたが、まさかコイツ、ブラディクスと魂のパスを一方的につなげているのか! 俺の『装備』からパワーを吸い取っている)
黒雪の妖精は和成が握るブラディクスから力を奪い、その分、力を増していた。
(相手の『装備』から力を掠め取り、自分自身に加算する特殊『技能』。あらゆる『装備』に対し圧倒的優位性を持つ、敵が武装しているだけで自分は強く、相手は弱くを両立できる力……!)
これでは、黒竜装甲『ユートピア・ビギニング』は使えない。使うだけで『アンデッド・フェアリー』を有利にしてしまう。
そして攻撃の大半をブラディクスに依存している和成にとって、黒雪の妖精がもつその性質は厄介極まりないものだった。彼の『攻撃力』のステータスは、ブラディクスの強化が大前提であるのだから。
(まさかコイツ、姫宮さんが倒した魔王軍七大将が1人!
堕天使族のエルザ・エルザ・エルザか!)
(「たしか乱入したという、あの吸血真祖に裏切られた奴じゃよな。じゃとしたら一番いいのは、『武器』を捨てて戦うことか!」)
(だがそれをした俺ではダメージを与えられない。即興魔法を組み合わせたところで、魔剣のない俺の『攻撃力』はたかが知れている。血刃や流鉄を要に戦術を構築しようにも、極寒の環境では凍りついてしまう)
和成含むクラスメイトたちは『収納』や『道具袋』に『武器』をしまい込める。そうなれば魂のパスは繋げられず、力を奪われることはない。
しかしかと言って和成の拳が黒雪の妖精に通じるはずはなく、『死霊伯爵のペンダント』の『神出鬼没』で空間を跳ぼうにも、現時刻はまだ昼である。
死霊伯爵の力は夜でないと使えない。
これでは逃げられない。ニコラチェカを――守れない。




