第319話 天使族の家出
全員で寝静まる夜のこと。和成は並べられた布団の上で、クラスメイトの男衆とイグルー地下で雑魚寝していた。
囲炉裏の熱が残る氷雪杉の板間には、床暖房と遜色のないぬくもりがある。そんな彼の上下する胸の上に、二コラチェカが腰を下ろした。
「ん。」
周りの誰をも起こさぬように、無口なまま天使の子は和成にちょっかいをかける。
鼻の頭を押し上げてぶたの鼻にしたり。
まぶたをこじ開けて白目なのを確認したり。
ほっぺを挟み込んであっちょんぶりけ。
そのまま引き下げてブルドック。
横に引っ張ってびろんびろん。
呼吸のたびに広がる鼻の穴をじっと観察したりしながら、二コラチェカは和成の顔をおもちゃにする。
無言で鼻が触れるほどに顔を近づけたりもした。
ん、と呟きながら頬ずりもした。
頭をつかんで、おでことオデコを合わせたりもした。
上くちびると下くちびると引っ張って、ピヨピヨひよこを作ったりもした。両端に突っこんでイーの形を作ったりもした。そのうちにくちびる同士でチューでもしようかなと考えて、しかし結局しなかった。
そして一通り遊んで満足した後、二コラチェカが布団越しに和成の胸板に寝そべった時。
「何やってんだイタズラ小僧」
「!」
おもむろに持ち上がった和成の手が、その小さな頭をむんずとつかんだ。
「……ん、起きてたんだ。いつから?」
「お前が俺の顔で遊び始めた時から」
つまり最初からじゃんと思いつつ、ばれたのならしょうがないとばかりに天使の子は開き直った。頬ずりするかのように、柔らかいほっぺたを彼の胸に押し当てる。足も手も使って抱き着いて、引き離されないぞというアピールだ。
「ん~(離れないもんねー)」
「まったく。久留米さんと法華院さんに挟まれて、川の字で抱き枕にされながら寝てただろうに。甘えさせてくれるあの2人は不満だったか?」
「ん。あれはあれでいいもの。けどボクは、お兄ちゃんの方が好き」
「……そうかそうか、しょうがないなぁ~」
こんな感じのことを言えば、何だかんだで許してくれると二コラチェカは学んでいた。和成はだいぶ子ども好きだ。小さな子は甘やかしたいし、甘えて来て欲しい。
なので口では何だかんだ言いつつも、二コラチェカを布団の中に招き入れ頭を撫で始める。初めてベッドにもぐりこんだ時と同じ、いつものパターンだ。
「ん。ぬくい」
冷たいはだしを温かい太ももで挟んでくれる。冷えた指先を二の腕で挟んでくれる。すぐに冷める凍りの体を、嫌な顔ひとつせず抱き締めてくれる。綿と布に一緒にくるまり、互いに密着し温め合う。
これがニコラチェカは大好きだった。
「眠れないのか。それとも何か、話したいことがあるのか」
「……ううん。」
「そうか、なら子守歌でも歌うかねぇ」
布団の中に招き入れ、温かく受け入れてくれる。この温かいものにずっと包まれていたいと思いつつ―――
次の日の昼、「さがさないでください」の置手紙を残して二コラチェカは家出した。
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もぬけのからである竜車の一室、二コラチェカの部屋。
全開にされた窓からは雪と一緒に冷たい風が入り込んでおり、机の上で飛ばないよう重しと共に置かれたおり紙がひとつ目に入る。
和成に折り方を教えてもらった、涙の跡が残るよれよれのプテラノドン。それを解体し紙に戻すと、一文だけ記されてあった。
“さがさないでください”
「なんで、どうして……」
集まる矢田や雄山たちに雪男族。
彼らは一様に戸惑っていたが、和成はそうでなかった。
そして山井・久留米・四谷の三人も同様に慌てていない。
まるでこうなる予感が初めからしていたかのように。
そんな四人の態度を不審に思った矢田が真っ先に尋ねた。
「その感じ貴方たちは原因を知ってるのね。特に平賀屋!」
「まぁ、薄々原因は思いついてるよ」
そう言って、和成は矢田をただ見つめた。それだけで、察しのいい彼女は裏に込められたものを感じ取った。
「……もしかして、私たちが原因?」
あまりに唐突過ぎる二コラチェカの家出。その原因として最も考えられるのは、昨日と今日における最大の相違点だろう。
つまりは雪男族との遭遇か、小人族の村と交流を持ったことか、それとも自分たちかのどれかである。
「多分そうだ。二コラチェカが隠していた秘密に矢田さん達が気づいてしまったから、天使の子は雪女みたいに雪山に行ってしまったんだろう。そのコンプレックスとは――あの子は天使の輪っかを失くしたわけではないことだ」
しわくちゃのおり紙を握る和成が、クラスメイトらと雪男たちを相手に静かに語る。その言葉を受けて、矢田と法華院は朝のやり取りを思い返した。
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朝食の後、リーダー格の紳士的な雪男に矢田と法華院は口説かれていた。
当然、二人に彼の子を孕むつもりはまったくなかったのだが、柔らかい語り口である彼との会話は不快ではなく、むしろ気遣いを多分に含んでいることが感じられたので悪い気はしなかった。
特に矢田の場合、デリカシーという点における周りの男子との違いが新鮮だったのも大きい。アイツらは平気で自分たちのことを「恋愛対象じゃない」と言ってくる。
法華院は良くも悪くも鈍感なのでその辺を気にしないが、リーダーとして面倒をかけさせられている矢田としては、多少おざなりな扱いには不満がある。そのため、ちやほやされるのはいい気分だった。
あとはせっかく異世界に来たのだから、妖精について妖精と話したかったというのもある。打ち解けていないニコラチェカとは話が続かないが、大人で紳士的な雪男との談笑はよく広がった。知らなかったことを知るだけでなく、知っていたことをより深く掘り下げることも出来た。
だからこそ3人の雑談は、やがて天使族とニコラチェカについての話題となり――和成が言う天使の子がなくした輪っかの話になった。
雪男族の紳士、デガースが語り出す。
「……実はずっとおかしいと思っていたんですよね。天使の輪っかは体の一部などではなく固有魔法の産物。天使族ひとりひとりが自らの力で生み出せるもの。ですから、なくなったのならもう一度新しいものを作ればいいと言うか、本来なくすようなものではないのです」
「え? あくまで魔法で生み出されたものだから、いつでも消せるし自由に出し入れできるってことですか? だから新しく作り直せる?」
「ねぇ由美子ちゃん。確かニコラチェカちゃんの羽、雲毛だったかな。あれも体の一部じゃなくて、『凍』属性のマナが形を持ったものらしいんだよね?」
「では天使の輪っかも本当はそれと同じで、ニコラチェカくんはいつでも雲の上に帰れたのに自分から帰らなかった?」
「いえ、それは違うでしょう。かくあるべしを理とするのが俺たち妖精族、子供であってもそれは変わらない。にもかかわらず天使の子が嘘をついたということは、そこにはあの子にとって大いなる理由があると考えるべきでしょう。
そして思い出しましたよ。これはかつて俺が個人的に聞いた話ですが、白雲村の村長の子ニコニコラと、その配偶者グラチェカ。2人の間に産まれた子は、天使族ならば誰もが持つ『雷』の力に欠けた雪ん子であったと」
「由美子ちゃん、ニコラチェカちゃんのご両親のお名前は何だったっけ」
「た、確か山井と話してる時に聞いたのをメモしておいたから、ちょっと見させてもらうわね。
ええ、間違いない。ニコラチェカくんのご両親はニコニコラさんとグラチェカさん!」
「それってつまり、ニコラチェカくんこそデガースさんが言ってる天使の輪っかを持たない雪ん子ってこと?」
☆☆☆☆☆
「おそらく、その会話をニコラチェカに聞かれたことが原因なんだろうな。自分が天使の輪っかを始めから持ってなかったことに気づかれたから、あの子は衝動的に家出したんだ。
それを俺たち四人に知られたくないがために、雪男族含め何をどこまで知っているかわからない『ヒーロー』の一党と距離をとっていた。しかし結局は隠していたコンプレックスに触れられてしまった。その恥があの子を駆り立てた」
「じゃあやっぱり平賀屋は知ってたのね、天使の輪っかはなくすようなものじゃないって」
「天使族とは自身の『雷』の力を結集させて頭に輪っかを作り、それを用いて浮いたり天気を操るとエルフ族から聞いていたからな。だから最初にニコラチェカから話を聞いた時おかしいと思ったし、話してる最中にこの子は嘘をついているんだなと思った」
「だったらなんで最初に言ってくれなかったの。そうしたらこんなこと、事前に防げたかもしれないのに!」
「そうだよ何で隠してたのよー!」
自責の念にかられながらも、2人は大事な情報を開示しなかった和成の非を指摘する。それがなければ、自分たちなりに二コラチェカのことを知ろうとした結果起きたこれは起きなかったはずだという主張だ。
まっとうな指摘、当然の主張だと受け止めつつ和成は理由を説明した。
「わざわざコンプレックスを周りに広めたところで状況は改善しないからだよ。ニコラチェカの天使の輪っかが落として無くされたものにせよ、自分で新たに作れないものにせよ、どのみちあの子が自力で空に戻れない現実は変わらない。
そんな状況で二コラチェカが隠しているコンプレックスを広めるのは、空から落ちて心細いニコラチェカを更に追い詰めるだけではないかと考えた。だから情報を共有すべき国境なき医師団(仮称)のみんなを除き、なるべく言わない方針にした。伝えるのは空に帰るまでのいつか、ニコラチェカの心に余裕ができた時でいいと思っていた。こんなところで他の妖精族と遭うのが、そもそも想定外だったんだ」
ニコラチェカのコンプレックスについて、妖精族だろうとクラスメイトだろうと、ニコラチェカ自身が交流を拒んでいる。
ならば伝えるべきではないのでは。出会って初日の段階で、踏み込んで教えるべきではないのでは。
そう悩んでいる内に、一日も経たずに事件が発生。天使の子は予想外にも家出してしまった、という顛末だった。
「ニコラチェカから、天使の輪っかがない天使族だっていうコンプレックスを伝えられるような余裕は――」
「ついぞ生まれなかったよ。少なくとも俺は、その瞬間を見つけられなかった。昨日のおにぎりパーティーでも距離は縮まらなかったし、むしろ余計に頑なにさせてしまった気すらする。俺の布団にもぐりこんできたのも、甘えに来たってことなんだろうしな」
和成の淡々とした喋りが、昨日の食事会を思い返させる。
小人族の子を膝に抱き一緒に遊んでいる時、ニコラチェカと目があった。まざりたいのかと思い手招きしたが、にべもなく目をそらされただけで終わった。
その理由が、今ようやくわかった。
「私たちと平賀屋たちとで態度が違いすぎるあの子が、距離を取りながらも付かず離れずだった理由がそれか。何を考えてるか分からなったけど、それはあの子が私たちに隠したいことがあって、だから悟られないようにしてたのね」
「俺もそれとなく悩みを聞いてみたが話してくれなかった。それだけ根深い、出逢って半月の人間には言えないことなんだろう。当然のことだ、悪いことだとは全く思わない。それでいいと思ってた。
だから最後まで伝えず送り終えてから、後で実はこうだったと伝えておく程度でいいだろうと。何ならそうするまでのことでもないと思っていた。みんなと会ってからも、このままあの子の劣等感に触れずに別れられるならそれでいいかもと思っていた」
表情は変わらない。
声色も、彼自身が意図的に変えていない。
なのに不思議と和成の語り口が、どんどん悲しげなものに思えてならなかった。
だからこそ雪男族の紳士的なリーダーは謝罪した。
「申し訳ない、どうやら俺が余計なことをしてしまったらしい。あなた方が俺たちに天使の子を預けなかったのは、それが理由だったのですか」
「はい。言うべきか言わざるべきか悩み、状況の推移をもう少しだけ見守ろうと考えておりました。しかし伝えてなかった以上、こうなるのは仕方のないこと。俺に責める資格などありません。
きっと予め伝えていたとしても、悟られたことを二コラチェカが知った時点で、どちらにせよ同じことが起きたでしょう。――とにかくまず言葉ありき。全てはニコラチェカと話さないことには、何も解決しない」
この事件は起こるべくして起こった出来事。伝える、伝えない。どちらを選択しようと同じことが起きていただろう。
そう和成は判断し、切り替え、天使の子の心と向き合うことを決める。
「これは俺がまいた種、その責任は取りましょう。
けどなぁ、ニコラチェカ。探さないわけないだろうが」
そして、しわくちゃのおり紙をポケットにしまい込み、家出した天使の子を連れ返すため『哲学者』は窓から飛び出した。




