プロローグ 問い二「権力と人命、どちらを尊重すべきか」
姫宮未来は一人夕陽が差し込む王城の廊下を歩き、ある場所を目指していた。
カツカツカツカツ足音が鳴り数分後、目的地の前に辿り着く。
そこへと続く扉を開け、嗅ぎ覚えのある独特な臭いを感じながら、目的地に居るはずの目的を探し歩く。
その目的はすぐに見つかった。
そのまま姫宮は二つに分かれる本の山の前に立つ。
左に十冊。右に十冊。
その全てが例外なく、本をそこまで読むタイプの人間ではない姫宮からすれば辞書としか思えない分厚さで、触れることさえ憚られる重厚な革の表紙で装飾されていた。
その本を目的は机に置き、真剣に見つめ読んでいる。その姿はまるで、本を読まない、本が似合わない自分とは大違いだと突きつけられたようだ。
本当によく似合っている。
召喚された時から着ていた、歓迎パーティーの時も着ていた、意外な一面を知って友達になった時も着ていた、革の鎧なんかとは比べ物にならないぐらいによく似合う学生服が本当によく似合っている。
醸し出す空気が、古書が持つ独特な臭いや夕陽が差し込むその席から、高く積まれた本の山に加えてパラリとページをめくる音まで、本当によく似合っている。
ここだけ日本の図書室を持ってきたかのような光景だ。
自然な手つきでめくられる本。インクのにおいと古紙の香り。本棚の森と学生服。
正直、物凄く声をかけ辛い。食い入るように本を読んでいるからだ。
いや、ひょっとすると本当に食べているのかもしれない。知識を、文字を、喰らっているのかもしれない。
全身から読書を楽しんでいるのが伝わってくる。
「ヤッホー、きーたーよー」
そんなことを考えながら、気安く友達に話しかけるように姫宮は本の山に話しかける。
なるべく軽い調子で話しかけなければ、話しかけられなかったからだ。
当然のことだが、姫宮が話しかけているのは本ではない。
姫宮の友達は本ではないし、姫宮にとって本は友達ではない。
本が友達なのは別の人物だ。
「和成くん」
「ん、ああ」
ちゃんと声が聞こえたのかなと一抹の不安を姫宮は覚える。
それほどの集中を傍見せていたからだ。しかし和成は一言で反応した。
あと二、三回は話しかけなければならないかも、とも考えていたので少し意外に感じる。
顔を上げた平賀屋は姫宮のことを認識して直ぐ、スッと重厚な紙の間に栞を挟み、流れる動作でパタンと小気味の良い音と共に本を閉じ、姫宮から見て右の山に本を置いた。
まるで息を吸って吐く姿を見ているようだ。
手馴れている様子ってのは、こんな感じなのかな。
率直にそう思った。
「どうした?昨日より帰りが早いけど・・・・。いや、早く終わったから来た、のか」
「そんな所かな。まぁ昨日が帰るのが遅かったってのもあるんだけどね。で、また何か面白い話でも聞かせてもらおうと思って」
椅子を引き座りながら簡単な説明をする。座る席は和成の真ん前だ。特に理由はない。
「久留米ちゃんは?」
「キッチン。この国の料理に琴線に触れるものがあったみたいでね。今まさに料理の真っ最中だよ。ちなみに味見をさせてもらえる約束だ」
「・・・・そう」
もっと気の利いたことを言えばよかったと、姫宮はすでに言ってしまってから思う。
「・・・体の具合は、どう?」
その後も喉にひっかかるような感覚が言葉を発した後も残って、すごく妙な感じだった。
自分らしくないと自分でも思う。
「・・・特にこれといった不調はない」
一昨日は大変だった。
まさかあんなことになるなんて・・・・
守ると言っておきながら、全く約束をまもれてない。
「・・・ごめんね。約束したのに、早速破っちゃってごめん」
情けない。
「いや、ハッキリ言って今回の件は俺たちの不注意と油断が招いたものだ。そんなに申し訳なさそうな顔をされると罪悪感で胸が痛い。完全に油断していた俺が悪いんだ」
「・・・けどそれは、私が傍にいたからじゃない?私のことを信頼してくれてたから・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・ごめん。聞きづらいこと聞いちゃった」
半時間後。
沈黙の後。
落ち着いた姫宮は改めて和成と向き合った。
「なんかごめんね。迷惑かけちゃって」
「さっきのは迷惑とは言わない」
そう言う和成くんの口はへの字型だった。
「えっと・・・平賀屋くんは、ずっとここで本を読んでたの?」
「いや、それだけじゃない。ステータス画面に表示される能力を厳密に調査していた。今の俺に何が出来るのかの確認を、並行してやっていたた」
「へぇー・・・じゃあ、何か分かったことはあるの?」
「まぁ、色々とな。例えばそうだな、『意思疎通』の技能がどういう風に作用するのか、とかだな」
そう言って和成は本の山から一冊取り出してページを開き、姫宮に突きつけた。
「このページ、どう見える?」
「あーーー・・・なるほど」
そのページの内容を、姫宮は認識出来なかった。
ステータス画面がページに貼りついていて、そもそも異世界の文字が隠れているからだ。
革で作られた表紙で装飾された本。その中身である、劣化して変色した古紙。
その古紙の文字が書かれているだろう部分全てを覆う、パソコンの液晶画面のようなステータス画面。
そして、そのステータス画面に文章が書かれている。勿論日本語でだ。
「ちなみにこのステータス画面は、こちらの世界の人たちには認識出来ない。何の変哲もない普通のページに見えるそうだ。そしてさらに、この文章を読んでみてくれ」
そう言って、和成はある文章を指差した。
「えっと、《まったくもって、馬鹿馬鹿しいことこの上ない》って書かれてるね」
「そうか、実は俺にはこの文章《臍で茶を沸かすとはこのことだ》と書いてあるように見えるんだ」
「え、読む人によって表示される文章が変わるの?」
「おそらくな。気になった表示を他の人たちに確認して貰ったところ、読んだ奴が理解できる形で、或いは読んだ奴が好む形で、より作者の意図や文意を反映した形で訳されているみたいなんだ。そしてそれは、こっちの世界から俺たちに向けてだけではなく、俺たちからこっちの世界の人たちに向けても同じだ」
「つまり?」
「例えばこれだ」
そう言って和成は私に対してOKサインをしてきた。
「・・・それがどうしたの?」
「日本ではこれは了承を示すサインだが、国によっては侮辱を示すサインなんだよ。そこで試してみた。了承の感情を込めてこれをした場合と、侮辱の感情を込めてこれをした場合どうなるのか」
「・・・どうなったの?」
「了承の感情を込めた場合は了承のサインとして伝わり、侮辱の感情を込めた場合は侮辱のサインとして伝わった」
「・・・ほへーーー」
「ちなみに、これが適用されるのは身振り手振りとかだけ。言葉には反映されない。確認済みだ。ボディランゲージはボディランゲージが持つ意味ーー使用者の本来の意図ーーを伝える。言葉の場合は、言葉を翻訳して伝える。それは日本人から異世界人だけでなく、その逆も同じ。それが『意思疎通』のスキルなんじゃないかと考えている」
「・・・何か、凄いね」
「まったくだ、意思疎通のために意図を伝える原理のわからん『スキル』。実に興味深い」
その表情はまるで、いたずら小僧のような笑顔であった。
(凄いってのは、平賀屋くんのことを言ったんだけどなぁ)
言葉の意図が伝わらなかったことが、妙に可笑しかった。
「他には?他には何か分からなかったの?」
「『収納』の技能で分かったことも幾つかある。例えば、紙を収納した後で水を限界容量まで入れてから紙を取り出すと・・・どうなったと思う?」
「え、紙が濡れるんじゃないの?」
「濡れるんじゃないんだよ。試してみたが、紙は一切濡れなかった」
「ほへーーー・・・それはつまり?」
「『収納』の技能の空間は、おそらく箱のようなものとは違うもっと効率の良いかたちをしてるんだと思う。箱の様な空間なら、物によっては隙間ができる。収納可能な体積に限界がある以上、それは無駄になる。多分、収納したものは、それぞれ個別の小さいピッタリの空間に無駄なく収納されるんだと思う。そしてそれに限界値があるのではないかと考えている」
「わかるようなわからないような・・・」
「ううん、言葉では説明しづらいな。あとはそうだな・・・限界容量に達した収納に無理矢理詰めることは不可能で危険ってことだな」
「?」
「実際に軽く体験して貰った方が早いな。『収納』発動」
和成が目の前の空間を指差しそう唱えると、その空間に三十センチほどの穴が開いた。
穴は姫宮の方を向き、その周囲は魔法陣の縁のようになっている。
しかし裏からみればそこに穴は無く、ただ魔法陣が描かれているだけだ。
『収納』のスキルを発動するときに開く入り口である。しかし姫宮のものはもっと大きい。
「『収納』の容量が満タンの状態で何かを無理矢理入れようとすると、何倍もの力で跳ね返される。軽く、本当に軽ーく、何か入れてみな」
「えっとじゃあ、この髪留めを・・・」
そう言われたので穴に向けて差し込む。
グニニニニニ・・・
固いゴムに押し付けているかの様に、まったく先に進まない。
「こんのぉ・・・」
グニニニニニ・・・
「姫宮さん!それはちょっと力強過ぎ!」
「え?」
バイーーーーーン!!!
髪留めが弾き飛ばされ、髪留めを握っていた手も弾き飛ばされ、当然その手の持ち主である姫宮も弾き飛ばされた。
「ワーーーーーッ!!」
バタン!!
図書館では立ててはいけない音量の騒音を上げて、椅子と共に盛大に後ろからコケて転がった。
和成が転ばないよう手を伸ばしてくれたのが視界の端に映ったが、スピードが全然間に合ってないことに倒れながらすぐ気づいた。
まるでスローモーションのようで、彼と自分のステータスの差を突き付けられたみたいで、姫宮は何故か少し疎外感を感じた。
「だから何倍もの力で跳ね返されるって言ったのに」
椅子から立ち手を差し出してくる和成と、こちらを神経質そうに見てくる司書の人。
それと、見ないでくれているメイドのメル。
その三人を見て、
(・・・・顔から火が出てるみたい)
と柄にもない小説の一文のような慣用句を使ったのは、和成と目があっているのが原因だ。
「ーーーいや、言ってなかったでしょ!」
☆☆☆☆☆
「で、他にはないの?」
椅子を立て直し、不機嫌な視線を向けた図書館司書に頭を下げてから座り直した後。
姫宮は真っ直ぐな視線で和成に尋ねた。
(度量が深いな・・・)
弾き飛ばされて痛い目に合ったにも関わらず継続して目を輝かせながら話を聞こうとする姫宮に、和成は感心する。
だから、コケた時に埃が服についていることも髪が少し乱れていることも、頬がちょっとだけ赤くなっていて気まずそうな顔をしていることも、話題を変えようと食い気味に前のめりになっていることも、言及せずにスルーしようと思った。
「期待している所悪いが、これ以上の収穫はいまいちだな。『観察』も『思考』も、現段階では何とも言えんしょっぱいスキルだ。強力ではあるんだが一般の範疇を超えていないし、貧弱すぎるステータスを補うほどのものではない。使い続ければランクが上がって何とかなるかもしれないから、今はそのランクを上げてる途中だ。『至高の思考』も、精神に作用するような状態異常が効かないって程度だよ。完全に受け身な能力だ。」
開示された情報に、特別目新しいものはない。
「ふーん、なるほど・・・じゃあ、もう一個の天職ボーナスはどうなの?えっと、確か名前が・・・」
「『ミームワード』。伝達の能力。ーーーよく分からん能力だよ」
「誰も知らない能力なんだよね」
「モンスターがはびこるこの世界で、わざわざ戦闘能力を持たない『職業』を選ぶ奴は少数派だ。だから、書かれている以上の効果が分からない。『意思疎通』の効果で訳されている以上、ミームワードという言葉から今、能力を逆算しようと試みている」
「ワードはともかく、ミームの方は言葉の意味からして分からないけど・・・・和成くんは知ってるか。だって和成くんだし」
自分は物知らずだ。姫宮はそう考えている。
勉学と部活に追われ、教科書に書かれている内容も深く覚えていない。
練習の甲斐あって全国大会で優秀な成績を残せたし、勉強だって全体の上位に入っている。
けど、和成のように色々なことを知っている訳ではない。
彼と話していると、自分の世界の狭さを突き付けられている気分になる。
「meme、日本語で訳せば「模倣子」。遺伝子と模倣を組み合わせた言葉であり、その意味は「伝達によって自己を複製し環境によって変化する概念」だ。例えば言葉や文字や物語、お金に文化に技術とかだな。遺伝子は自己を複製し環境によって変化するものだ。それが果たして遺伝子だけなのかと問われれば、それは違う。模倣子もまた、同じ性質を持つ。
ここまでで分からないことはあるか?」
「えっと、言葉や文字や物語が伝達によって自己を複製して環境によって変化する・・・あたりからよく分かりません」
「そうだな・・・言葉、文字、物語を知識という単語で置き換えて例えれば分かり易い。さっきまで姫宮は「ミームという単語」の意味を、つまりは「知識」を持ってなかった。しかしさっきとは違い、今は俺の話を聞いたことで知っている。
さて、ここで質問だ。
知識は俺から姫宮さんに移ったのだろうか?今の俺はミームという知識を持っていないのだろうか?」
「?持ってるでしょ。ちゃんとミームって言葉使ってるし、知識を人に教えたからって教えた人の頭から知識が消えたりするわけないじゃん」
「その通り、当たり前のことだ。つまり、俺の中と姫宮さんの中にミームという知識が存在する。俺の中にしかなかったものが、俺の中と姫宮さんの中にある。
つまり、「ミームという知識」が二倍になったということだ」
「え・・・あ!」
「これが、伝達によって自己を複製するということ。そしてこの知識には、言葉、文字、物語、お金、文化、技術という単語でも置き換えられる。俺が愛する妖怪もまた、一つの模倣子と言える。存在としての妖怪や妖怪の存在を否定している訳ではないが、俺がより強い興味を持つの模倣子としての、現象としての、概念としての「妖怪」だ。
まぁこの話は長くなるからまた別の機会にするとして、模倣子は環境によって、時代や状況によってその姿が変化する。遺伝子のように環境へ適応するよう変化し、より発展しようとする。手を変え品を変え生き残ろうと発展する、ファッションブーム、伝統文化、不幸の手紙などが例だな」
「あーーー・・・!!何となく分かった!」
姫宮は激しく頭を上下させて納得する。
「じゃ、じゃあ、『ミーム・ワード』の意味も分かるんじゃないの!!」
「一旦落ち着け。声が大きい。司書さんがこっちを睨んでる」
深呼吸。
「じゃ、じゃあ、『ミーム・ワード』の意味も分かるんじゃないの?」
「いや、分からない。wordが「言葉」「話」「単語」「口論」「セリフ」とかの、「人間同士が意思疎通を行うために使う媒体」って意味だからなぁ。模倣子という言葉の範囲内に、言葉も含まれている」
「あーーー・・・確かに、そう言われてみれば私にもわかんないね」
「そういうことだ。伝達と複製が鍵なんじゃないかとは思うんだが、それ以上はよく分からん。実際に使ってみるしかないんだが――そもそも使い方が分からん」
「・・・・・・」
「どうした?」
和成を見つめながら押し黙る姫宮に、首を傾げながら和成は尋ねる。
「・・・えっとね、意外と出来ることも有るんだなって、思ったんだ。和成くんはステータスが低いけど、そんなことはあんまり関係ないんだなって・・・」
「そりゃそうだろ、俺はステータスが低いってだけで体も心も健康そのものなんだ。出来ることの一つや二つ、あるに決まってる。出来ることがあるのなら、それをするべきだろ。負んぶに抱っこで、何もかも人任せなのは座りが悪い」
「・・・ふふっ、立派だね〜」
そんな風に、揶揄うように、楽しそうに、姫宮は微笑んで褒める。
「当たり前のことを当たり前のことのように話しているだけだ。自分で出来ることは自分ですべきで、自分の身はやっぱり自分で守るべきだ」
眉を顰めながら、首を傾げながら、何が立派なのか分からないといった様子で和成は答える。
なんだかそれが妙に微笑ましくて、同時に、頼られてないようで少し寂しかった。
――和成のように、色々なことを知りたい。そのことについて、和成のように自分の言葉で人に教えられるようになりたい。彼のように、広い世界を持ちたい。
「・・・また、話を聞きに来ても良い?」
「当然」
おずおずと発せられた姫宮の言葉に、和成はこの上なくシンプルな肯定の言葉を返した。
「――――そう言うと思ってた」
もっと強くなろう。もっとレベルを上げよう。彼に出来ないことを出来るように。
姫宮は改めてそう思った。




