第290話 エピローグ 機械の心、機械の命
キメラを討伐した和成は、壊れたメルトメタルを抱き起した。彼女には既に、自立する力は残されていない。
だからこそ最後の会話を交わすため、彼は彼女の手をとった。そこに加わる力は、自然と強いものになっていく。
「――――、」
「肯定。いいんだ、哲学者。これでいいんだ。当機は自分の人生を貫いた。己の魂に従った。だからこれでいいんだ。……そんな顔をしないでくれ、友よ」
黒龍装甲を装備したままの、仮面をかぶったままでいる彼に対し、彼女は疑いなくそう言った。
「感慨。同じ戦場を駆け、共に戦い、命をかけ、運命を共有して戦った相手とは……身分を超えた感情を抱くと聞いたことがある。機械となる前は終ぞ出会うことなく、鉄の心を持ってからは知ることなどないと思っていたが――なるほど、これがそうなのか」
「……俺はアナタに、生きて欲しかった。それは今も変わりません。……それに俺は、命をかけてはいません」
「否定。確かに君は死なないだろうが――それは決して、命をかけてないことにはならない。命を得たばかりの赤子のような魂だが、それだけは分かる。君は確かに矜持や誇りと呼ばれる、己の芯をかけて戦い抜いたのだ。
――それは命を、魂をかけたことと何も違わない」
「そのように言っていただける功績を成せたのでしょうか。死なない体、何でもありの即興魔法、そしてキメラを殺せる魔剣。これだけ条件が整えば、誰であっても何かしらの活躍はできる」
「否定、はしない。君の言う通りかもしれない。だが当機は今、この瞬間、最後の瞬間、君が隣にいてくれて嬉しい。当機が切り拓いた嵐の跡を、当然のようについてきてくれたことが嬉しい。
部下を失ったこと、仲間を失ったこと。これらはとても悲しく、決して許容したくないものだった。――だが同時に、君と戦えてよかったとも思っている。これは矛盾だ。明らかな齟齬だ。戦いの結果を嫌いながら、同時に好んでもいる。
……この葛藤こそが、本当の心が生まれたことの証明なのだろう。ならば当機は当機という存在を肯定したい。当機という命を、祝福したい。そしてそう思わせてくれたのは、他ならぬ君だ。君がハッピーバースデーと言ってくれたから、当機は短くとも生き抜くと決めた。己の生を全うすると決めた」
「………」
「全肯定。君がただ存在していること。君がただ生きていること。それが何より尊く、素晴らしいのだ。――生きろ。君は間違っていない。君の人生は肯定されるべきものだ。他の数多の命と同じように、祝福されるべきものだ。
たとえ魔剣に呪われようとも、たとえ命を落とさなくとも、君は間違いなく生きている。輝く命を胸に抱き、美しく生きているのだから」
「そうか。そうか――、……そうですか。……俺は、美しいんですね」
「無論。少なくとも当機はそう思っている。信頼、敬愛、友情。そういったものを、ボクは真っすぐに君へ向けている。――嗚呼、命とはかくも情熱的なものなのだな! まったく人生というものが、これほどまでに楽しいものだったとは!」
「……アイアン皇太子殿」
「謝罪、すまない。どうやら、聴覚がそろそろ限界なようだ。君の声が聞き取り辛い。
だから最後に、メルトメタルと。そう名前で呼んで欲しい」
「……メルトメタルさん」
「面はゆい。だが悪くない、悪くないぞ。だからこれが最期だ。――君の名前の、意味を教えて欲しい」
「意味……ですか」
「知識。君の世界では、ソード帝国以外の国では、子どもの名に意味を持たせると聞いた。だからそれを、それを――教えて欲しい」
「……平賀屋、和成。親から受け継いだ名字と合わせて、“平和を尊ぶ者と成れ”。そういう願いを込められて、名付けられました」
「賞賛、いい名前。君にぴったりの、いい名前だ」
「メルトメタルさん、それはあなたの名前も同じですよ。俺は――あなたに会えてよかった」
「……どうやら本格的に故障し始めたようだ。認識において深刻な不具合が生じ始めている。視覚は壊れた。もう何も見えない。聴覚は壊れた。もう何も聞こえない。
そしてだからこそだろう。――当機は、どうやら君のことを体の一部だと認識してしまっている。唯一残った触覚回路も、手のひらを残滓が巡っているだけのようだ。
だからだろう。
当機にはもう、君が半身であるように感じてならない。もしも今、この手を離されたらと思うと、四肢をもがれるような不安が胸に満ちてしまう。想像するだけで涙があふれるほどの苦痛が、頭の中を占拠してしまう」
自然と握り返す力が強くなっているような、そんな気がした。
おそらくは気のせいだ。彼女の機体はもう限界が近いのだから。
そして新たに付け加えられていたのだろう。
この時、涙を流すという機能によって、彼女は泣いていた。
「壊れかけのプログラムが、君を我が半身であると誤って認識してしまっている。……だから、お願いだ。機能を停止するその時まで、どうかこのまま抱きかかえていて欲しい」
「……分かりました」
だからこそ和成は、『ミームワード』があってよかったと思う。たとえ耳が聞こえなくとも通じ合える。
魂に直接、メッセージを送れる。魂同士で話せる。
それが、和成が召喚によって得たものだから。
「最後。君にはこれを送ろう」
すると突然、鋼で出来た彼女の体が溶けだした。液体金属はそのまま、彼女を抱きかかえる和成の、友から受け取った『黒龍装甲』へと移動する。
「これは最後のスペシャル技、『ペル・アスペラ・アド・アストラ』によって当機が発明した、キメラの万能細胞を模した液体金属。――あのマナの嵐の中、最後の方はこれしか使わなかった程度には有用」
鎧の一部になるかのように、彼女の機体が、液体金属がまとわりつく。和成の刺青と同じのように刻まれた、鎧の赤い筋を埋めるように銀色の金属がうごめいていく。
その結果、メルトメタルの体は既存の機能を阻害しない形で、黒龍装甲と完全に同化した。
「パワーアップ。……そして同時に、君のことを半身のように思っていることの証明。当機が君の助けになるのであれば、それはとても喜ばしい。もしもこれから先、当機がボクも一緒に連れて行ってくれるのなら――ああ、それは、とても嬉しい」
「……ありがとう、ございます」
「あとはそうだな、もしも父上に、ソード帝国皇帝閣下に戦況を報告する際は――胸の演算宝珠を提出してくれ。そこに全てが記録されている。可能であるならその時に――“あの時メルトメタルは死んでいた”、と。“先立っていた不孝をお許しください”と。そう伝えてくれ」
「分かりました」
「…………、―――」
その後、言葉はもう帰ってこない。発音の機能が停止したからだろう。
だからこそ和成は、言葉をつむいだ。歌を歌った。
人魚の国で覚えた、死者の旅路を祈る歌を歌った。
~~♬ ~~♪ ~~♩
そして彼の言葉に包まれたまま、個体名『メルトメタル』という機体は活動を停止した。
☆☆☆☆☆
その後、和成は損壊したアイアン皇太子の肉体を抱えて帰還。この時、可能な限りキメラにやられた機械化歩兵のパーツを、遺品として持ち帰った。
そのまま帝国上層部と最低限度の言葉を交わし、全てソード帝国へと提出。あとは結論が出るまで保留となった。思い悩む和成としては、少し時間をくれるのであればその方がありがたい。
欠けることのないこの世界の満月の下、うなだれる和成の隣にサファイアが座る。
「…………」
「――――」
彼女は何も言わなかった。和成ならこういう時、何も言わずに側にいてくれるだけだろうし、自分ならそれだけで満足だと考えたから。何か心の底から、魂から湧き上がる言葉があるのなら――それは自然と溢れるだろうと、そう考えていたから。
「あれで良かったんでしょうか。……俺は、人生の本懐とは他者を喜ばせることにあると思っています。自分を含めた誰かを笑顔にしてこその人生。
ですが、俺が泣かせた人魚姫は明日も明後日も生きるでしょう。しかし共に戦ったアイアン皇太子は、笑顔のまま亡くなった。……あれで、本当によかったんでしょうか」
「吾輩は、悪い最期ではないように思うのだよ。やりたい事と、出来る事と、やるべき事が一致したまま、成すべきことを成し遂げて逝けた。これを本懐遂げられたと言わずして何という。――おそらくだが、吾輩の両親もそういう最期だったはずだ。
みんな帰って来てくれなかったが、結果として『飛竜蜻蛉』のスタンピードは阻止された。父と、母と、他の母たちの功績は、吾輩とって誇らしいものである。であるのだが……それでも吾輩は、みんなに帰って来てほしかった。だからこそ必ず生きて帰ってくる和成氏を好ましいと思っているし、和成氏がご家族のもとに無事に帰って欲しいと願っている」
「…………」
「ほとんど自分語りになって済まない。しかし、親友が『飛竜蜻蛉』のスタンピードで1人の被害者も出さなかったこと。その上で、帰って来てくれたこと。これは我輩の人生にとって、間違いなく大きな節目となっている。そのことに、強い感謝を抱いているのだよ」
「…………」
「この世界は優しい、けれど厳しい。しかしだからこそ、それでも優しい世界なんだと吾輩は思いたい。和成氏に、そう思ってもらえたまま故郷へ帰って欲しい。無事、ご家族の元へ帰って欲しい。
そして君は吾輩の隣へ帰って来てくれたが、その心は傷ついている。不死身であろうとその体は、間違いなく戦いの中で傷ついていた。ならばせめて傲慢かもしれないけれど、吾輩は君のことを癒したい。――吾輩の手で、君を笑顔にしたい」
「…………」
「まだ人魚姫の海産物は残っているのだろう? 一緒に食べよう。皆で食べよう。ドワーフたちなら、一緒に宴会に付き合ってくれるだろうさ。君の故郷では生ぐさものは避けるべきかもしれんが、コチラの世界では問題ない。――スタンピードでうまれた死者の魂は、スタンピードで狩った獲物の宴会で送り出すものさ」
「――分かりました。では、それでは……」
一晩、お付き合い願います。
最後にそう言って、和成とサファイアは拠点外れの夜の闇から、ソード帝国の不夜城街へと還っていく。
この時、手を繋ぐことはなかったが、2人は確かに歩幅を合わせて歩いていた。
☆☆☆☆☆
そして、何処かにあって何処にもない場所。機械の中に存在する電脳世界にて、2人の機械人形が話をしていた。
厳密には電子で情報を行き来させているだけの、音波を伴わない会話というには寂しいものであるのだが――これはこれで、一種の魂同士での会話と言えるのではなかろうか。
そんなことを、情報をやり取りする一方は考えていた。
『父上、以上のことからヒラガヤカズナリの献身は多大であると判断。どうかこの身が失われたこと、処罰することなく寛大な褒賞を差し上げていただきたい』
『却下。帝国の皇太子を力及ばず失くした者に対し、貴様が無断で譲渡した液体金属以上の褒章は与えられない』
『否定、アレは当機が自力で開発・発明したもの。よって個人間の物品譲渡。帝国とは無関係』
『否定、その言い分は通じず。貴様の意図が何であろうと、実態を知らぬ者から見た場合アレは帝国の技術に見える。かと言って『黒龍装甲』を取り上げることが出来ない以上、アレの所持を認めている時点で褒賞としては九割九分。あとは給金に多少色を付けることしか出来ず』
厳密にはこの程度では済まない情報が交わされていたのだが、それらは本題でないため機械に記録されることはない。
『嘆願。当機の演算宝珠、全ての記憶が記録された情報媒体は、古代の名を冠するドワーフたちに預けて欲しい』
『理由を述べよ』
『生きるため。エルダードワーフであれば、古代文明の機体を再現できるかもしれない。――そうすれば復活の可能性がうまれる』
『……貴様の指示により部下は亡くなった。にもかかわらず、貴様は生きたいとぬかすか。生き恥をさらしたいとぬかすか。帝国国民に厚顔をさらすというか』
『肯定。生きたいと願い、生き抜ける手段があり、その上で空気を読んで生きることを選ばないというのは――生きるという行為への冒涜である。そう、結論を出した。例え恥となろうとも、罪を背負おうとも、国民遺族に合わせる顔がなかろうとも、当機は別の機体を得てでも生き抜こうと思う。――仮に再び、鉄の体に魂が定着しなくとも』
『…………』
『――――』
『……許可する」
『!!』
『ただし、条件が一つ。ソード帝国皇太子、アイアン・ソードはスタンピードにて死んだ。この事実は覆らない。よって機体を新調するとき、次に生まれ変わる時、アイアン・ソードの名を名乗ることを許さん。顔を模することも、声紋を模することも許さん』
『……理解。つまりは全くの別人として、全く別の人生を送れ、と』
『それだけでなく、ヒラガヤカズナリなる男にも――奴から気づかれぬ限り、自ら正体を明かすことを禁ず』
『承諾。最後の我儘、許可いただき感謝。――ありがとう、父上』
『……疑問。迷いは、ないのか』
『ない。彼ならきっと当機と気付いてくれると、そう確信しているから』
『――了解、ならば好きにせよ。―――好きに、生きよ』
『……■■■■■、■■』
彼女の最後の言葉を、父は記録しなかった。
第十四章『赤い女と鉄の女偏』はこれにて終了。
次回、第十五章『吸血真祖編』へ続きます。




