第27話 『哲学者』嫌いの『医者(ドクター)』
頭が重い。体がダルい。
沼の底の泥の中から無理やり引き上げられて起き上がるような、そんな不快であるとも気持ちいいとも言えない独特な感覚。
「うぅん・・・」
身に覚えのある感覚と共に目覚めた和成の視界にまず飛び込んできたのは、保健室の天井のような天井だった。その端に心配そうな顔をした親切が映る。
「・・・ハァ、またか・・・」
徐々に取り戻していく感覚から和成は、毛布と布団がかけられ、ベッドの上に寝かされていることを自覚した。
忌々しげに瞼を閉じ、そのまま開かない。
閉じている方が楽だからだ。頭が重く未だ脳の動きが低下しているため熟考できない上に、体に力が入らないので瞼を開けているだけでしんどい。
「また、なんだよ。ヒラ」
「あぁそうか・・・すまん、油断していた。まさか軽く噛まれただけで意識を失うとは・・・」
申し訳なさそうに天を仰ぐ(元々寝ているから上を向いているが)和成に、親切は何も言えない。
「ちなみに姫宮さんたちは此処にはいない。国の人たちから頼まれてな、パーティーに参加している」
「パーティー・・・?」
「救いの勇者たちが撃退したとは言えモンスターに倒された事実は、エルドランド王国のみならず人族領全域の士気に大きく関わるそうだ。だから、既に回復した奴らには昨日の段階で勇者たちの健在をアピールするパーティーへの参加を頼まれていた。急遽決定したものらしいから、あまり関係がないと判断されて、お前とメルさんには聞かされてなかったみたいだがな」
「んー・・・」
親切の説明を受ける和成の反応は、まるで豆腐に釘を打ち付けるように芳しくない。脳の働きが未だに回復していないからだ。入ってくる情報を上手く処理できず、まどろみの中から抜け出せない。親切の言葉も、耳で滑って頭に入ってこない。
そこに口を挟んでくる、『医者』が一人。
「『瀕死』状態からの回復には時間をかけるしかない。今の平賀屋が回復するまでには、まだ暫くはかかるでしょう。おそらく最低でもパーティーが終わるまでは。そう『診察』結果が出ている」
「・・・そうか、分かった」
「パーティーに出るよう求められたのは貴方もでしょう。ここは私が見ておくから、言っておいた方がいいんじゃない?その内あの護衛のメイドも帰ってくるでしょうしね」
つっけんどんな態度と丁寧にこちらを気遣う物言いがアンバラスな少女。
白衣に眼鏡とあまり手入れのされていないぼさぼさの長髪。そしてその眼の下のクマ。
医者の不養生という言葉を体現していているように見える少女だ。
そのまま淡々と事実をただ告げる。
「少なくとも、ここに貴方が居たところで平賀屋の回復は早まらないし、それ以外にやるべき事が貴方にはあるんじゃないの?」
「・・・分かったよ、山井さん。じゃあ、あとはお願いする」
そんな『魔導師』と『医者』の会話を、既に眠りに落ちて居た和成は認識できなかった。
☆☆☆☆☆
「ひ、平賀屋君の様子はどうだった・・・?親切君・・・」
王宮のパーティー会場の一角。召喚初日のと勝るとも劣らない絢爛豪華な食事に囲まれた立食パーティーの中で、不安げな表情の熊谷と親切が対面していた。
熊谷の側には姫宮・乗山・伊豆鳥・森山の仲良し四人が、親切の周りには彼女の化野と慈が、それぞれ側にいる。
「山井さん曰く、心配はいらないそうだ。寝ていればこのパーティーが終わる頃・・・つまりは、明日の朝にはピンピンしてるだろうってさ。だからまぁ、熊谷さんも・・・気にするなとは言わないけど、気に病む必要はない」
「うぅ・・・けど、モンスターの不始末は、モンスターテイマーの不始末だから・・・私がちゃんと警戒していれば・・・」
「それは私も同じだよ。平賀屋くんがハクちゃんに手を出していたのを気づいてたのに、スルーしちゃってた」
「噛まれただけで、致命傷でもなんでもないのに死にかけるーーなんてのを予想出来なかったのはしょうがないさ。このゲーム世界におけるステータス差という現象を、僕たちが甘く見過ぎていた。
今回の事故に、突出した落ち度がある奴はいない。姫宮さんがスルーしてしまったのは分からなくないし、それは熊谷さんも同じだ。強いて言うなら護衛のメイドが油断していたのはどうかと思うが、ヒラ並みのステータスの者が赤ん坊以外にいない以上、致命傷でもない傷を受けて『瀕死』状態になることは、この世界の人たちも予想できなかったんだ。
唯一『ステータス差から、噛まれたら即死するかも』と予想出来たのは、当の本人であるヒラぐらいのもんだろう。あの臆病者が予想してないはずがない」
「けど、それなら何で、平賀屋くんは不用意に触れようとしたの・・・?」
「あのアホはテンションが上がると大切なことが割とあっさりすっぽ抜けるんだよ。油断しちまうんだな。だから多分、不用意に何も考えずに手を出したんだろう」
「子供ってことだ、要するに」
姫宮の疑問に、カップルコンビが答えた。二人のやれやれと首を振るタイミングが同じなのは、やはり四六時中近くにいるからだろう。
「つまりは今回の事件、言ってしまえばヒラの自業自得だ。一番責任を負うべきなのはやっぱりヒラだよ。尤も、側にいた三人が事前に止められていれば起きなかった事故なのは間違いないけどね。
だから、非と言うなら皆んなに多少の非がある訳だ。だから気に病むなよ熊谷さん。モンスターテイマーがモンスターを制御できなくなるのは問題だから、今回のことを肝に銘じることはするべきだとは思うけど」
「・・・分かった」
結局それが今回の事故の落とし所となった。
「ーーーただまぁ言えるのは、とっとと日本に帰る為にも、早いとこLvを上げて魔王を倒す必要がある。そして今回のことでヒラの脆弱さは露呈した。守るには、もっともっとLvを上げる必要がある」
その宣言に、隣の慈が強く頷いていた。
☆☆☆☆☆
ガラリガラガラ。
乱暴に開けられた扉の音によって和成は目覚めた。ただし未だ頭に霞がかかった状態で、覚醒したとは言い難い。水溶き片栗粉の中に浸かった頭は不明瞭なままだ。
「んー・・・」
目を開け先には、見覚えのある天井がある。
前回起きた時と変わらない天井。
音のした方に顔を向けるが、保健室や病室でベッドの周りを囲んでいるカーテンに遮られて、向こう側は見えない。
ーーおい、山井。お前、俺らのパーティに入らないか?
しかし幸いなことに、聞こえてきた声に心当たりがあった。
道島武。
空手道研究会所属。『職業』は『拳闘士』。
男子の中では最も小柄な、丸刈り頭の少年。
同時に彼とよくつるんでいる男子二人の姿も想起され、情報が脳内を電気信号が血液と共に駆け巡った。
金谷強。
帰宅部所属。『職業』は『傭兵』。
ガタイのいい、アウトローを気取る思春期真っ只中の少年。
ただし髪を染めてはいない。
伊賀高雅。
囲碁・将棋クラブ所属。『職業』は『忍者』。
小柄な掴み所のないひょうきん者。「知り合いの誰かに似てるんだけど、誰だろう」とよく言われる地味な容姿の少年。
その結果、神経を頭痛が走る。
ーーパーティの回復役がいなくてよぉ〜。なぁ、いいだろ?お前にとって、悪い話じゃないと思うんだが。
ーー嫌よ。私は誰ともパーティを組むつもりはないの。
軽い調子の道島の勧誘を、つれなく少女は袖にする。
和成は何故そこに彼女がいるのか疑問に思ったが、『医者』として自分の容体を確認しているのだろうと判断した。しかしその答えに対して学校での彼女の態度から違和感を覚えたが、その思考を進める前に話が先に進んでいた。
和成の現在の働いていない頭では、その思考能力が格段に落ちている。
山井涼子。
帰宅部所属。『職業』は『医者』。
休み時間も常に勉強し続けている、ガリ勉少女。
目の下のクマと、ぼさぼさの髪とメガネの奥に覗く険のある目が印象的。
ーーゲースゲスゲス。しっかし、山井殿よ。このままボッチのままで何をするつもりですかな?それでは可哀想なので、コンチたちが勧誘して差し上げるという訳で。
そんな山井の堅い態度に対して、軟派でふざけているとしか言えない口調で言葉が返る。
見た目が地味な方の少年、伊賀のものだ。彼は冗談のような喋り方で常にふざけているように見える。
その為、クラスメイトの間でも教師の間でも特に評価が分かれていた。和成は別に、誰がどのような言葉遣いをしようと個人の自由で自己責任と考えているため、特に不快も何もない。
ーーうっさい。先ずはそのふざけた口を閉じなさい。不愉快。
ーーおおっと、失礼。ゲースゲスゲス。これはこれは、お高くとまっていらっしゃる。
そして、対照的に山井はかなり否定よりに捉えている。
尤も当の伊賀は自分の評価が分かれていること自体を楽しんでいるフシがあり、辛辣な態度にもどこ吹く風といった調子だ。
だからしょっちゅう先生に叱られるが、まるで態度を改めない。
ーー友達のいないテメェをわざわざ俺たちのパーティに入れてやろうと言ってんだ。何の文句があるんだよ。
(そんなオラオラした交渉で仲間になる奴はいないだろうに)
野卑で粗暴な態度で、肩と肩肘を張る金山。相手をただ貶めているような台詞だ。
考え事をするたびに頭痛の走る頭を押さえながら、和成は金山の態度に呆れ果てた。
和成がクラスで最も苦手としている人間を上げるなら、それは彼になるだろう。
反抗期を経験していない和成からしてみれば、反発心から粗にして野にして卑な態度を取る金井のことは理解できない。
ただ今は、その苦手意識以上に三人の口調の違和感が気になった。
ーー上から目線なのがムカつくのよ。図に乗らないで頂戴。私は誰ともパーティを組まない。
ーーハッハァー、逆だろ逆。お前とパーティを組んでくれるような奴がいないってだけだろ。
ーーお高くとまっていらっしゃる山井殿は、所詮『聖女』様の劣化版でゲス。あらゆる技が、『医者』は『聖女』に劣っている。慈殿に取り入れられない奴らが、打算でスカウトするのがあなたでゲス。
ーープライド高いテメェがそんな立場になるなんて、まったく笑えるぜ。ギャハハ!
ーー・・・ギリッ
下品に笑う三人の嫌な声と、山井が歯をくいしばる音が聞こえた。さらに和成には、拳を握り締める音すらも聞こえた気がした。
(嫌な感じだ。汚れた悪意が滲み出てる。つまり、わざわざコイツらは単に山井さんを揶揄いに来たんだ)
クラスメイトの中で回復役系の職業を得たのは三人。『聖女』の慈、『最上級神官』の祈、そして『医者』の山井。ただその中で死者をも蘇らせれるという『聖女』や、女神様の加護によって実力以上の力を発揮できる『最上級神官』と違い、どうしても『医者』は見劣りする。
平均以上の能力はあるが、他の二人がトップクラスだからだ。
一応平均以上の能力はあるため引く手数多ではあるが、伊賀が言う通り、『聖女』や『最上級神官』に手が出せないor相手にされない者ばかりが打算でスカウトしに来るーー少なくとも山井自身はそう感じているーーために、すっかり臍を曲げてしまっている。
そこまで思い返すのと同時に、和成は彼らの妙に悪意に満ちたハイテンションの理由も分かった。
酔っ払ってるのだ。パーティーで酒を飲み、そのままほろ酔い気分の質の悪いテンションのままわざわざ揶揄いに来たのだ。
この場に裁や剣藤がいれば、そのまま説教が始まりかねない案件だ。
(どうするか・・・ここは「止めろ!」と飛び出すべきか?しかし俺の弱さは先刻突きつけられたばかりだし・・・特に山井さんの場合は、俺がしゃしゃり出れば却って山井さんを怒らせてしまう・・・
あ、ダメだ。頭痛い。まだ完全に回復してない・・・)
脳に響く鈍痛の激痛により、眉に皺が寄せられる。堪らず和成は目をきつく締めた。
ーー帰れこの、酔っぱらいども!!
そして、和成の心配は杞憂に終わった。
ガラスか何かが割れるような音と共にドタドタと、悲鳴を上げて三馬鹿が退散する音が聞こえきたのだ。
ーーったく・・・どうしようもない馬鹿どもが・・・
その後に聞こえた山井の声は、少し水っぽかった。
(このまま寝たふりをして、やり過ごそう。多分山井さんにとって、俺に聞かれてたことは屈辱だろうから・・・)
ーーしょうがない。確か、『瀕死』状態からの回復後の症状は・・・頭痛と倦怠感か。氷嚢でも作ってやるか。
そんな独り言と共に作業音が二人しかいない白い部屋に響き、和成が疑問符を浮かべながらも息を整え寝たふりをした頃に、ジャッ!とカーテンが開く音がした。
瞼の裏に移る感じる影の動きから山井の動きを感じた時、頭に重さと冷たさが乗っかってきた。感触は何かの革のようだが、何の革なのかはわからない。
ただそれが氷嚢であることは分かった。
山井の予想外の優しさに、再び和成の頭に疑問符が浮かぶ。
その時だった。
「ーーねぇ、平賀屋。貴方今、起きているでしょう」




