第103話 スライムパニック後編
「………」
場所は王城のとある中庭。
和成に魔道具を用いて連絡を行い、慈たちと和成が無事に合流したことを確認した後、スライムに対抗するため自然と集まった親切たちは緊迫した表情を浮かべていた。
周りにいる化野と裁、偶々近くにいて合流した姫宮のパーティメンバーたちも同じ表情を浮かべている。
「…どうしようか、どうするべきか」
問題は、今すぐ和成たちと合流するという選択肢をとれないという点である。
何処からともなく急に湧いてきた、スライムだけではない多種多様なモンスターの群れに、彼ら彼女らは取り囲まれている。少なくとも奴らを一掃しなければ、救出に向かうなど夢のまた夢だ。
時間とともに増えていくモンスターと相対しながら、親切は嫌な予感を抱えたまま魔法を放つ。
その視線の先では、薙ぎ払われたのちに開いたスペースへ向けて、複数の魔法陣からモンスターの数々が湧き出ていた。
「――やっぱり、これは人為的なものだ!」
そもそも、この魔導結界で守られた学術都市エウレカに、突然スライムが現れること自体がおかしい。
誰かが悪意を持って行動しない限り、こんな事態は起こらない。
魔王軍の三文字が、彼の脳内には自然と浮かんでいた。
☆☆☆☆☆
状態異常を回復させる『聖女』の治療技の光が、和成をぼんやりと包み込む。
先ほどまでの酷い平衡感覚の狂いと、それに伴う吐き気がみるみるうちに改善されていった。今なら目を開けても目が回ることはないだろう。
その場にいる女子達が半裸であることは察しているため、和成に目を開ける気はないが。
頑なに目を固く瞑り、それを手のひらで隠そうとしない。指の隙間から覗いたりしてません、ちゃんと瞑り続けています、ということをアピールするためである。
堅牢なる『聖女』のバリアーの中、急ごしらえの安全地帯で一行は状況を整えていた。一応、全身にまみれていた粘液――つまりは汚れもまた、彼女の『洗浄技』で綺麗に洗い流してある。
それでも半裸は半裸であるが。それもびしょ濡れのままで。
スライムの粘液は浄化されたが、それは単に真水になっただけであった。
気温は未だ残暑が残り、また空調設備が整っている研究棟の中なので風邪は引かないだろうが、寒々しい姿であることに変わりはない。
いっその事ここで着替えてしまうことも選択肢のひとつではあるのだが、ここから脱出しその過程でスライムに覆いつくされた通路を通ることを考えると、二度手間になるのではという懸念もあって抵抗があった。
剣藤に至っては最も性能のいい『装備』を破壊されてしまっているのだ。もしも予備まで溶かされたらと考えるとたまらない。
更に男子の和成がいる。その側で着替えるために一度全裸になり、濡れた体をふいて、服を着る。男子の隣で。
あくまで突発的な事故で半裸な状態――しかも相手は自分の姿を見ていない――のなら許容できる……と言えなくもない。そう剣藤は自分を納得させるために無理やり答えを出した。
しかしその状態から着替えだすことには…納得できる答えが出せなかった。
彼が頑なに目を瞑り続けている紳士であるため、半裸であっても然程問題はないと言えなくもない。しかし着替えようとすれば、ここから更に恥ずかしい生まれたままの姿に一度ならなければならない。
どうにもそれに抵抗があった。
溶けかけの服をまとった半裸の状態の方が、すっぽんぽんで開けっぴろげな全裸よりも、単純ないやらしさで言えば大きいという発想は剣藤道花という少女の中にはない。真面目な彼女はシンプルに、スケベ度を肌の露出具合でしか判断できない。
チラリズムという概念は、彼女の辞書には載っていないのだ。
「ねぇ和成君、本当に何もないの?もう取り敢えずでも思いつきでもいいから、現状を変える何かが欲しいんだけど…」
「そうは言われてもな…うーん…スライムに有効な攻撃…そうだな、スライムといえば何だろうか……?」
慈の問いかけに目を閉じたまま和成は思案するが、何時もの体感時間を加速させる『思考』のスキルが発動するほどの集中が出来ない。何故なら、背後からすすり泣く姫宮の弱弱しい声が聞こえているからだ。
自分を助けに来てくれた友達が、失敗して初めて聞く泣き声を上げている。
罪悪感がべったりと積み重なっていった。イマイチ集中できない。
しかし現状を放置するわけにもいかないので、申し訳ないが彼女のことは一旦脇に置き何とか集中する。
「――そういや当たり前のことだけど、スライムはスライムなんだよな」
「つまりどういうこと?」
「いや、俺はずっとスライムを、地球における物質としてのスライムとは別ものと考えていた。自立して跳んだり跳ねたり、粘液出したり服を溶かしたり生物だったりするからな。だが、もしも地球のスライムと――子供の遊び道具としてのスライムと、この世界のスライムのミクロな構造が同じだったら? 或いは、同じとは言わないまでも類似の性質を持っていたら? その場合は、遊び終わったスライムを処理するのと同じやり方が効くんじゃないか?」
和成の脳裏に、文化祭での科学部の実験でホウ砂と水のりから作ったスライムが、塩を揉みこまれることで水分が抜けてボロボロになる姿が浮かび上がった。
「ナメクジに塩をかかると溶けるのと同じように、スライムにも塩が効果的なのではないか――?慈さんは俺と一緒に科学部の実験で体験したから知ってるだろ?」
「ああ! 確かに、そうだった!」
「だが平賀屋、塩なんてどこにあるんだ?」
「ここにある。『収納』!」
そう言って和成は手探りで、『収納』の技能から亜空間より塩が詰まった小さめの革袋を取り出した。
「何で持ってるんだ!」
「何かしらあってサバイバルしなきゃならない状況に追い込まれた場合、塩の有無は命に関わる。それにいざという時は売ることも出来るかもしれない。だから、大分前に久留米さんに『調味料を創造する技能』で創って貰ってた! まぁ実際のところ、塩は大した値段じゃなかったけど」
『料理人』のスキル『メイキング・シーソニング』のみならず、塩を創造できるスキルは意外と存在する。『鉱物』属性と『毒物』属性のマナから塩を生成する魔法もあるのだ。
この世界に於いて、和成が思っていたほど調味料の価値は高くない。
ただし、かといって全くない訳ではないのだ。今の状況のように。
そして塩は腐らない。『収納』の中であれば湿気もない。
保存する分には何の問題もない。
「いつの間にそんなことを…」
だから和成は、いつか使うかもしれないと考え、手札の1つとして各種調味料を久留米から受け取り保管していた。
「更に足りない分は――」
和成は集中し、魔力を操作して魔法陣を描く。
そしてその手のひらに、『塩』の文字が刻まれていた。
和成がここ学術都市エウレカで習得した新能力、オールマイティな手札、即興魔法である。
「俺が作る」
「本当にズルいぐらい便利な能力だな」
「作り出せる量は魔力の分だけ、な弱点もあるんだけどね」
釈明を挟みつつも和成は、便利であることは否定しない。便利かつ多様な効果が期待できるという点において、この能力はもはや完成の域にある。その場の思い付きで新たに作った魔法陣でも、魔法を発動させられるからこそ、和成はこの力を即興魔法と名付けたのだから。
「あと俺の攻撃力だと、折角塩を振りかけても効いてくれない可能性がある。他の誰かにこれをまき散らして欲しいんだが――」
ただしステータスという法則の中では、攻撃力が低い和成は相手に干渉する能力が低い。『攻撃判定』の外にある攻撃か、間接的な形でなければ、ダメージを与えることは出来ないのだ。
一応、バランスはとれていると言えるだろう。
「なら私がやろう。平賀屋はちゃんと目を閉じていてくれ」
「よし、なら私が目を塞いでおこう」
慈が両手を背後から回して、完全に和成の眼を塞いだ。指にも隙間は一切開いていない。
片手で塩の詰まった革袋を抱えたことで、とうとうさらしが解けてまろび出てしまった剣藤の片乳も、和成の視界に入ることは決してない。
その真っ赤な顔も含めて、だ。
早く終わらせよう。
その決意と共に剣藤は塩の詰まった革袋を放り投げ、風の斬撃を浴びせた。
「『秘剣・大風車』!」
柄を起点にして高速で刀を風車のように回し、扇風機のごとく風と斬撃を飛ばす技である。
更にその刀の風切り音に、和成の即興魔法の詠唱が重なった。
「『塩』!」
バリアーの向こう側。
透明の壁を透過し越えて、吹雪の中の粉雪のような大量の塩が、蠢く緑のスライムたちへ振りかけられた。ゼリーのような体に細かい斬撃まで入れられ、更にそこにも塩の粒が入り込んでいく。
そして和成の予想は的中した。
塩によって緑の体液が抜けていくスライムたちが、壁や天井から落下していったのだ。その体は微かに痙攣し、端からボロボロと自重で崩れていった。明らかにその動きはおかしくなっている。
つまり、効いているのだ。
その結果、剣藤の『大風車』が終わった時には壁と天井に道が出来ていた。床に累積したスライムの残骸も、メルが試しに踏んでみたが泥の中に沈んでいくような感触にはならない。弾力はあるが、粉々にしたゴムの寄せ集めでしかない。
これなら、その上を踏みしめて走り抜くことも可能だろう。
大量の塩を生み出したことで魔力切れを起こし、、動けない和成を、メルが担いで運び出したのに3人の女子たちも続き、とうとう5人は脱出に成功するのだった。
そしてその途中で姫宮がこけた。
何故なら、和成の機転で彼らは脱出に成功したのだが、その内容は塩をスライムに振りかけるというものだったからだ。
剣藤の大風車の暴風に混じる粉雪の如き塩は、スライム以外の全員に降りかかっていた。バリアの内側でも吹き荒れたそれにより、姫宮だけでなく慈も剣藤も和成も、その日本人特有の黒髪に、ごま塩を逆転させたかのように塩粒が付着していた。当然メルも例外ではない。そのため仕方のないこととは言え、全員が全身塩まみれになる羽目になってしまった。
それが特に姫宮の場合、彼女がスライムに突っ込んでまとわりつかれたために一番粘液まみれだったこと、それを洗い流すための『洗浄技』でびしょ濡れだったこと、下着と肌着を食べられて鎧の下が全裸だったことから、鎧の隙間から入った塩が素肌にくっつきまくってしまったのだ。スライムの粘液で一番かぶれ、普段より敏感になっていた肌に。
つまり、逃亡の際に鎧の下では全裸の素肌にジャリジャリと塩が擦れ、かぶれの所為で敏感になっていたこともあって、全身が何とも言えない痒みに襲われた。当たり前だが、彼女は下半身上半身共にすっ裸で、そのまま上から鎧だけを着て行動したことなど一度もない。
活動のたびに冷たい金属が敏感な部分に触れる感覚を体験したこともない。
だから走る最中に姫宮はずっと変な声が出るのを必死に我慢していた。おまけに、敏感な部分が刺激されるために、体をいやらしくくねらせることも多かった。
そしてその感覚に気を取られた際に、スライムの亡き骸で滑ってこけた。
その結果、別のスライムの亡き骸へ突っ込んだのだ。鎧の下の全裸な素肌に、侵入したスライムの亡き骸が張り付いていく。
おまけにこの粘液、塩で水分が抜けたことで肌にへばりつくようになっており、シールを剥がしたあとに残った白い部分のように剥がし辛いのだ。
この辺りで自然と姫宮の眼からは涙がこぼれ、彼女は声も出さずに泣いた。
「あ、―――」
と声を上げた慈が、その表情を見て眼を逸らしたことで更に涙腺は決壊した。塩辛い水が頬から首筋、鎖骨から乳房をつたって下腹部まで流れていったが、これでスライムが洗い流せればいいのにと考えつつ何のリアクションも取らなかった。
すっ裸なまま素肌に鎧を着ていた自分。そして冷たい金属が脛や尻、へその下や乳房、肩や二の腕に触れる度、全身にぞくぞくする電撃のような悪寒が駆け巡る。そのまま何度か変な声を上げてしまった。
そんな変態じみた自分に対する嫌悪感と、助けに来たのに何もできず、寧ろみんなに迷惑をかけたことに対する情けなさ。そして和成を助けに行ったにも関わらず、等の和成の機転によって脱出できたことに対するやるせなさ。
無力感、喪失感、羞恥、虚しさ。
色々なモヤモヤした感情が混じり合って、姫宮は人生最低レベルに落ち込んでいた。
「うぇぇぇぇ……先に着替えとけばよかったぁぁぁ」
剣藤と慈が手を差し伸べてくれなければ、立ち上がる気力すらなかっただろう。2人の少女は、姫宮のその悲惨さから目を合わせられないでいたが。
ちなみに、慈と剣藤も顔を羞恥の赤に染めていた点は同じである。
下着が透けて見え、肩紐や腰ひもの一部が溶けて切れ脱げかけている慈。
さらしがほどけ、まろび出た片乳が完全に露出し、袴に開いた大きな穴から褌がチラチラ見える剣藤。
和成が魔力切れによるエネルギーの枯渇から周囲の状況を把握できる余裕がないこと以外に、救いがないような悲惨な状態であった。
そしてその魔力切れも、和成が空気を読んだ結果にすぎないのである。
故に女子陣は満場一致で、戦線へ復帰する前に一度シャワーを浴びることを決めた。
着替えは恥を忍んで『伝達』の魔道具により助けを求め、パーティメンバーの友人たちに持ってきてもらった。
☆☆☆☆☆
そしてシャワーから上がった後。
「魔王軍ぶっ飛ばしてやる!!!」
ほこほこと上がる湯気と共に、憤怒の表情をもって姫宮はそう宣言した。
彼女は良くも悪くも切り替えが早く、立ち直るのも早い。
「そんな『姫騎士』の宣言は、学術都市エウレカを覆いつくそうとするほどに『召喚』されたモンスター達へ立ち向かうには、確かに心強いものだった」
「和成君、何言ってるの?」
「いや、これぐらい言わないとやってらんない空気だったら……」




