8話 パン屋にて
「待たせちゃってごめんね〜。掃除がなかなか終わらなくって。」
店に入ってきたスミちゃんは両手を合わせて謝った。
「そ、そうなんだ〜。全然気にしてないから大丈夫だよ。」
実際には、スミちゃんが入って来る前に扉の向こうで「お〜、よしよし。」とか「お手。」という声が聞こえていたので、明らかにネイバーと遊んでいたと思われるのだが、スミちゃんにそんなことは言えない。
どうせ開店準備は終わっているのだし、それよりもゴートさんとの気まずい空間が崩れたことにほっとする。
「あれ?お父さんも売場にいるの珍しいね。」
スミちゃんが少し不思議そうな顔をしてゴートさんに向かって言う。それに対してゴートさんは一言だけ「ああ。」と返事をした。
たしかにスミちゃんの言うとおりで、ゴートさんが売場にいるのは珍しい。
普段は店が始まる前に俺と挨拶程度はしても、その後すぐに店の奥に戻っていくことが多いのだ。
今日のように俺と挨拶をしてからずっとここにいるのは珍しい。何かあるのだろうか?
と思っていると、ゴートさんは体を翻して、無言のまま静かに店の奥に戻っていった。
思わずスミちゃんと顔を合わせて、一緒に頭を捻る。
「何かあったのかな。」
「さぁ。」
「もしかすると、ライト君とお話したかったのかもね。」
「はは、そうかなぁ。」
ゴートさんと2人でいたときの無言の時間を考えると、絶対に違うと思うのだが。
「とりあえず私も一回、部屋に行ってくるね。ライト君は準備よさそうだったらお店開けちゃって。」
「うん、わかった。」
スミちゃんが店の奥に消えていく。
さて、ゴートさんの事を気にしても仕方ない。スミちゃんから話もあったし、店を開こう。
会計棚の引き出しから小さな鍵を1つ取り出し、さらに店内に置いてある、腰の高さほどの看板を持って外に出る。そして、店外の入り口の側に看板を設置する。
看板には「open」と書かれており、これで店の開店を知らせているのだ。
ついでに入り口近くで待機しているネイバーの様子を見てみると、ネイバーは伏せた状態でうつむき加減になっており、少し疲れているように見えた。
「おい、大丈夫かネイバー。」
「・・・・・・ワン。」
ネイバーに呼びかけると、ネイバーは顔を上げて何かを訴えかけるような目でこちらを見つめてくる。
先ほどまで元気に振られていた尻尾が今は弱々しく垂れているし、スミちゃんによるかわいがりで大分疲れているようだ。
「昼になったら何か食べ物持ってくるから。」
何かしら食べれば多少元気になるだろう。
ネイバーに話かけるとネイバーは体を少し上げて鼻先を上下に動かして返事をした。
まぁ、スミちゃん以外にそこまでネイバーに注目する人もいないだろうし、このまま番犬としていてもらおう。
ネイバーを尻目に店の入り口側の壁に目を向ける。
店の壁にはまるでカーテンのように、縦に長い長方形の木板が何十枚も横に並べられていて、壁一面を覆っている。
そして、1番端にある木板にだけは取っ手と鍵穴が付けられている。
俺はその1番端にある木板に近づいて、店から持ってきた小さな鍵を木板の鍵穴に差し込み、木板の施錠を解いた。
そして取っ手を掴み壁に沿って引っ張る。すると、横に並べられた木板がカーテンのように蛇腹折りになり折りたたまれていく。そのまま壁の端まで取っ手を引っ張っていくと、すっかり木板が端に寄せられた状態になった。
すると、先ほどまで木板に覆われていた壁の奥から透明なガラス張りの壁が現れた。ガラスの壁を通して店内の壁側に並べられたパンが見える。
早い話、ショーケースに被せられた蓋を取ったのである。
開店作業はこれで終わりだ。
店の中に戻ろう。
店に戻る前にネイバーを見ると、伏せの状態からお座りの姿勢になっており、耳を立てて正面を向いていた。先ほど俯いていたときよりは元気になったらしい。
少し安心して店の中に戻る。
後はお客さんが来たら対応するだけだ。
しばらく待機していると、店の奥から手荷物を持ったスミちゃんが出てきた。
「今日も店番よろしくねライト君。私はそろそろ出るから。」
「うん。行ってらっしゃい。」
俺がホワイトブレッドで店番の仕事をする日は、スミちゃんは大抵お店から離れて外に行く。
お店がほぼ毎日営業しているため、俺が店番をする日がスミちゃんにとって唯一の休日になっているのだ。たまの休日くらい羽を伸ばしたいだろう。
本当はスミちゃんと一緒に店番をしたいのだが。
「それとこれ。よかったら食べて。」
そう言ってスミちゃんが俺に手渡したのは紙に包まれた10枚ほどのクッキーだった。
「えっ、もらっていいの!?ありがとうスミちゃん。」
かわいいだけじゃなくて気くばりもできるなんて、なんていい子なんだスミちゃん。
「うん。食べて食べて。おいしかったらいいんだけど。」
スミちゃんが少し上目づかいになる。かわいい。
「絶対美味しいよ。お店でも出してくれたら絶対買っちゃう。」
「本当?ありがとう、後で感想きかせてね。」
「うん。いや〜、うれしいな〜。」
自分でもわかるくらい今の俺はにやけ顔になっている。今日はいい日になりそうだ。
「よかったらネイバー君にもわけてあげてね。」
「う、うん。」
くっ、なぜスミちゃんの貴重なクッキーをネイバーにもあげないといけないのか。ずるい。
「それじゃあバイバイ。」
「うん。いってらっしゃい。」
スミちゃんはこちらに手を振りながら店から出ていった。
1人になり、せっかくなので1枚クッキーを食べてみる。パキッという少し硬めの食感だが、甘くておいしい。さすがスミちゃんだ。
しかし、ネイバーにもあげないといけないのは残念だ。犬の状態で甘さとかわかるのだろうか。もったいないし、1枚だけあげればいいだろう。
そんなことを考えていると扉の向こうから、
「うおー。よしよしよしよし。ブラシ持ってきたからブラッシングしてあげるね。」
というスミちゃんの声とともに、「キャイン。」というネイバーの小さな悲鳴が聞こえてきた。
・・・・・・クッキーを2枚あげてもいいかもしれない。
お読みいただきありがとうございます!
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文章を書くまで気にしたこともなかったですが、日常の動作を文章にするのって難しいですね。