女っていうのは
エマ、と名乗った女は少年の識別番号を正しく認識しなかった。
ナンバー99324、それこそが少年を表すものではあるが、「ナインくん」と呼ばれても、それについてとやかくは言わない。戦線を離脱している兵士の呼称など、そうたいした問題ではないのだ。ゆえに、当面少年は『ナイン』という名称を受け入れることとした。
少年、ナインはごく短時間の会話のあと、エマに続いて現在地である建造物から出るにいたった。
彼女がどういった意図なのかは図りかねるが、兵団本部のような場所へ連れて行ってもらえるのならばそれは歓迎すべき事態である。
と、その前に彼女はなんらかの任務を帯びているとのことであるため、それにも同行する。
「な、なんだここは……!?」
さきほどから、ナインはこうした反応を隠しきれてはいなかった。そのくらい、外の世界はナインの知るものとはかけ離れていたのだ。
上方に広がる果てしない空間は青みを帯び、目線を下ろせば水が豊富に流れる溝がある、斜面を登って見下ろせば、植物が生い茂るエリアが広がっている。
もちろん、高い知性に結び付く遺伝子を持ち、連合の教育を受けたナインは知識としては知っている。あれは、空であり、川であり、そして森だ。無論、実物をみたことなど無い。
「ナインくん? 〇〇▽×か? そんなに××♡?」
前方を行くエマがこちらを振り返っては首を傾げ質問をしてくる。まだ完全に意味がわかるわけではないが、驚愕しているこちらの反応について不思議に思っているのだろうということが見て取れた。
「イッヌ、周辺空間の広さを測定できるか?」
〈可能です。ニュートリノによる観測からの推定では……〉
高性能AIからの回答を確認し、もはやナインの推定は確信へと変わった。
「ここは……どこかの惑星のようだな。それも、銀河獣による被害をまだ受けていない。生物が、人間が生存可能な環境を有している」
〈同意します。なお、さきほどから連合共通の信号を発していますが、惑星上のいかなる拠点からも返答はなし。この惑星は、連合とは無関係のものだと推測されます〉
「わっ、またその犬、〇〇××った!!」
このエマの反応、イッヌの活動にいちいち驚いているところからもわかる。この星はおそらく連合が開拓したものではない。つまりエマはこの星に誕生し進化した原生生物である。だが極めて人類に近い、というかほぼ同一の存在にみえる。
「しかしそんなことがありえるのか?」
宇宙は広い。ならば人類が進化誕生した惑星があってもおかしくはない。次元爆のエラーによっていずこかにワープアウトすることも理論的にありえる。しかし二つが重なり合うことなど、偶然で片付けられることだろうか? どれほど低い確率になるのか、想像もつかない。
「ナインくん、あそこ、見え▼××? 迂回して〇〇♡◇ー」
ナインの思考をさえぎり、エマが眼下を指さした。現在地からみえると高度が低いそこには、こことは少し違う植生が広がっている。なるほど、ここは『丘』という地形であり、目の前にあるものは『崖』とみえる。エマの目的地は崖らしい。
「ウ、カ、イ?」
「迂回。回り道ってことです。ま、わ、り、み、ち」
ゆっくり説明してくれるのはありがたいが、別に単語の意味がわからなかったわけではない。ここに歩いてくる途中、彼女は様々なことを話してくれた。多くは彼女自身のことを話した独り言のようであったが、それでも言語解析には大いに有用であったのだ。
「ナゼ、迂回、スル? コノママ降リレバ」
「わわ、ダメですよ死んじゃいますって!」
「……リョウカイ」
崖、せいぜい数十メートル程度の落差だ。斜面角度も70度程度。この程度のなら崖を下ったほうがよほど早いのではないだろうか。そう思ったナインだったがエマに従うことにした。なにしろここは未知の惑星なのだ。
そしてさらにしばらく続く歩行。
「それでですねー。私は故郷から×▽◇◇◇」
「冒険者、あ、冒険者って知ってます? ギルドで依頼を☆××▼ですよー」
「それにしてもそのワンちゃん? っていったいなんなんですか?」
「あ、見てくださいナインくん、〇×♡草が生えてます!」
「ナインくんはいったい××ら、来たんで▽☆☆?」
なにやら弾んだ様子で歩きつつ、散発的な情報開示や質問を繰り返してくるエマ。ナインは、ほとんどただ頷くだけの反応をしている。
言語解析に使える情報が増えるのは結構なことだ。だが……
「お喋りなんだな。女っていうのは……」
そう思ったのも、また事実である。