彼女達の事情
半ば強制的に話に一段落つけた私達は、裏山から屋敷へと向かって歩いていた。
フェルシアちゃんは鳶田に対して警戒心をむき出しにしているものの、口先以外は大人しくしている。
鳶田はというと、「怪しい真似をしたら容赦しない」と言ったきり無言を貫いている。
私に心を開いて色々話してくれるのはミーシャちゃんだけだ。
私に対して、フェルシアちゃんが私より年下だと教えてくれたのも、ミーシャちゃん。
フェルシアちゃんに対して、私がどうミーシャちゃんを助けたのか力説したのもミーシャちゃん。
「それは聞き捨てなりませんな。お嬢、まさかそのために傘を?」
猪からミーシャちゃんを助けた話に、案の定鳶田が反応を示した。
もっと強く怒られることを覚悟していた私としては、この程度の言われ方で済んだことに内心ホッとしている。
態度に表したら何を言われるか分かったもんじゃないから悟られないようにちょっとだけ気を使うけど。
「そんなわけないじゃない。けど、用心のために傘を持っていて正解だったわ」
「お嬢……」
咎めるような視線を寄越す鳶田に気付かないふりをして、私はミーシャちゃんの手を取る。
慣れていない人間には岩場は歩きづらいだろうと思っての行動だったのだけど、ミーシャちゃんは照れ臭そうに頬を染めて私にお礼を言ってくれた。
同じようにフェルシアちゃんにも手を差し出したのだけれど、彼女の手は戸惑うように宙をさ迷い、ぱっと離れてしまう。
「私に情けは無用ですっ」
「フェルシアさんっ?」
突っ慳貪な物言いを毎回ミーシャちゃんが叱るので、鳶田もフェルシアちゃんに対して鋭い視線を向けることはなくなった。
「もう少しで私の屋敷に着くわ」
「見ず知らずの人間をいきなり家に招くなんて、貴女は本当に底抜けのお人好しですね」
「もうっ、フェルシアさんったら! いい加減にしないと流石の私も怒りますよ!」
腰に拳を当てて頬を膨らませたミーシャちゃんは少しも怖くなかったけれど、フェルシアちゃんには堪えたらしい。
俯く直前に涙を堪えて真っ青な唇を噛んだのを、私は見逃さなかった。
「良いのよミーシャちゃん。警戒心を持つのは大切なことだわ」
「マリー様……でも、」
「ふん。またそうやって綺麗事を並べて……私達を油断させてどうするつもりですか? 大方何処かに売り飛ばすつもりなんでしょうっ」
吐き捨てられたフェルシアちゃんの言葉は、少し震えていた。
泣くのを堪えているからか、怒りに震えているからか、単純に寒いのか、私には判断がつかない。
「フェルシアさんッ!!」
とうとう本気で怒気のこもった声をあげたミーシャちゃんを、私は片手で制す。
ミーシャちゃんが代わりに怒ってくれているからか、私は何を言われてもフェルシアちゃんに腹をたてることが出来なかった。
少しだけ聞いたミーシャちゃんの言葉をまるっと信じるなら、彼女達は母国から見ず知らずの場所へ何の準備もなく飛ばされてきた事になる。
右も左もわからない土地で見ず知らずの人間に優しくされて、それを頭から信じろと言うのは酷な話だわ。
客観的に見てもミーシャちゃんと私が人を疑わなさすぎるだけで、鳶田とフェルシアちゃんの反応がずっと自然だもの。
「いいのよミーシャちゃん。好きなだけ疑って、なんなら試してもらっても構わないわ」
「でもっ、」
「私がミーシャちゃんを猪から助けなくても、ミーシャちゃんは私を信じた?」
「それは……」
言い淀むミーシャちゃんに、私は苦笑いを浮かべる。
「私もまだ二人の事を全て信じた訳じゃないの。話を全部聞いてから色々考えたいけど、ここじゃ落ち着いて話も出来ないでしょ? だから家に招かざるを得ないのよ。同じ女として、体を冷やしたままなのを見過ごすわけにもいかないし……」
俯いたままのフェルシアちゃんが身を固くしたのを察して、私は言葉を切った。
ご飯を食べて体を暖めれば、きっと気持ちも落ち着く筈。
そしたら、フェルシアちゃんのこの頑なな態度も少しは軟化するでしょ。
幸いカップ麺の類いも幾つか持ってきている。
ミーシャちゃんから詳しい話を早く聞きたいけど、フェルシアちゃんの唇の色が良くないのが気になっているのよね。
なんて考えている間に、屋敷を囲んでいる柵が見えてきた。
「見えてきたわ、あそこが私の家よ」
運良く裏門の近くに出ることが出来たみたいでほっと息をつく。
正門と裏門の他に二ヶ所門が設けられているけど、歩かなくて済むに越したことはないもの。
キーケースから門の鍵を選び取ったところで、そういえば施錠していなかったと思い至る。自分で思っていた以上に冷静さを欠いていたのね、私……。そろそろ良い年齢なんだし落ち着かなくちゃ。
心の中で反省しながら扉を開けて振り返ると、何故かミーシャちゃんとフェルシアちゃんが口を開けて棒立ちしていた。
「どうしたの?」
「あの、もしかしてマリー様は……良家の御息女様で……?」
分かりやすくおろおろし始めたミーシャちゃんになんと説明しようか迷っていると、ずっと黙っていた鳶田が白々しい態度で口を開いた。
「言わなかったか?」
質の悪いことに、鳶田が言ったのはそれだけ。
どんな風にも誤解できる、そして言い訳の利く言葉だ。
もはやお家芸ね、と遠い目をしている私の前に、二つの影がしゃがみこんだ。
「か、か……数々の無礼を、どうかお許しください……!」
「申し訳ありません! 私なんかを庇ったばかりに、マリー様の大切なお身体に……き、傷を……っ」
急に私の前に跪いたフェルシアちゃんとミーシャちゃんに、どんな反応をすれば良いか分からず狼狽える。
舎弟相手にはいくらでも大きな顔ができるけど、フェミニストの私としては女の子に大きな顔をするのは気が引ける。
しかも、二人とも年下の可憐な女の子だ。
これまで可愛がる対象と位置付けてきた年下の女の子から崇拝に近いような態度をとられると、反応に困る。
物凄く。
「二人とも、とりあえず立って、中に――」
「ど、どうか……どうか償わせてください」
「私はどうなっても構いません、何でもします! ですが、どうかミーシャだけは……!」
顔面蒼白の二人とは反対に満足げな鳶田を見て、眩暈がしそうだった。
こういう場面に遭遇するのは、残念ながら初めてではない。
何度か、男性に命乞いされた経験がある。
その経験から一番波風の立たない対処法を知っているけれど、困ったことに、相手の言い分を受け入れて『許す代わりに~~しろ。それでチャラだ』的なことを言わなければお話もまともに出来ないのが通例なのよね。
「……それじゃあ、フェルシアちゃん。許す代わりに私の言う通りに動いてもらえる?」
「は、はい! なんなりと……!」
顔を上げたフェルシアちゃんの唇は、やっぱり真っ青で、良く見なくても小刻みに震えているのが分かる。
せっかく何でも言うことを聞いてくれるって言ってくれてるんだもの、シャワーで温まってから新しい服に着替えてもらおうかしら。
ついでにご飯も食べてもらうわよ。
▽▽▽▼
「少しは落ち着いた?」
リビングのソファーに腰掛けて放心している二人に改めて声をかけると、彼女達は赤べこ人形のように首を振りはじめた。
まだ落ち着くには至らないらしい。
……鎮静作用のあるハーブティーを淹れてきたほうが良さそうね。
「ちょっと待ってて、今お茶をいれるわ」
「そんな、お構い無く……!」
見事にハモった二人をスルーして、温めていたハーブティー用のティーポットにドライカモミールを入れ、お湯を注ぐ。
勿論ティーカップにお湯を注いで温めるのも忘れない。
家に入ってすぐ、ずぶ濡れだったフェルシアちゃんにはシャワーを貸して、私の服に着替えてもらった。
フェルシアちゃんはあれだけ私と鳶田に突っ慳貪な態度をとっていたのに、別人のように大人しくなってしまっている。
物の使い方を知らなかった彼女に手取り足取り優しく教えたつもりだったんだけど、それがかえって良くなかったのかもしれない。
私の「許す」発言から少し持ち直していたのに、シャワーからこっち、完全に恐縮してしまった。
ミーシャちゃんに至っては、家に入るなり大きな目を見開いて固まっていたのをどうにか宥めすかして今に至る。
フェルシアちゃんにシャワーの使い方や服の着方、ドライヤーの使い方を教えていた間もずっと同じ場所で固まっていたのだから驚きだ。
ミーシャちゃんが何に対してそんなに衝撃を受けたのかは分からないけど、とにかく二人とも何か大きな衝撃を受けたようなのは間違いない。
鳶田は少し前に、もう一度周辺をパトロールしてくると言って出て行った。
……少し嫌な予感がするわ、何事もなければ良いのだけれど。
そんなことを考えている間に、ティーポットの中の液体は鮮やかなレモン色に染まっている。
試しに自分のティーカップで少し飲んでみると、ちょうど良い風味が感じられる濃さだった。
一番好きなハーブティーだってこともあるけれど、やっぱりこの香りには癒されるわね。
二人用のティーカップのお湯を捨て、トレーに並べてテーブルに運ぶ。
「どうぞ、熱いうちに飲んで」
「おそれいりますっ」
「お気を使わせてしまい申し訳ありません」
お茶を淹れただけなのに、可哀想なくらい萎縮させてしまった。
女の子にこんな態度をとられるのは初めてのことで、私もちょっとどうすれば良いかわからなくて戸惑ってしまう。
とりあえずフォローだけはしておこうと、明るい声色で話すことを意識した。
「こちらこそ。好きでやっているだけだから、気にしないで」
いつになれば話が聞けるのかしら、と少し気疲れしたけれど、そんな様子を見せたら二人とも今以上にあわあわするのが目に見えている。
「それを飲んで落ち着いたら、話を聞かせてね」
二人に引っ張られて私まで気疲れしてちゃ世話ないわ。
私も自分のペースを取り戻すために、自分用に淹れたカモミールティーを口に含んだ。
鼻腔を擽った優しい香りに、スッと心が落ち着くのを感じる。
さっきも味見したけど、やっぱりハーブティーは良いわね。
一通り香りと味を楽しんでカップを置くと、ミーシャちゃんとフェルシアちゃんも穏やかな表情でカップに口をつけていた。
「おいしい……」
「本当、不思議と心が落ち着きます」
「そう、良かった」
ようやく落ち着いてくれたみたいで、私も一安心だわ。
これでやっと話の続きが聞けるのね。
私の期待を察知したのか、フェルシアちゃんがカップを置き、静かに口を開いた。
「その……何処からお話しすればいいのか……」
言い淀んだフェルシアちゃんの目は伏せられていて、長いまつげが青い瞳に影を落とす。
軽々しく話せることじゃないのはなんとなく予測していた事だけど、たぶん大体の荒事は父に相談すれば何とかしてもらえるだろうと思っているからか、聞くことにあまり恐怖は感じていない。
二人にとっては一大事だろうから無理に聞き出すつもりもないし、話せる部分だけ話してもらえれば充分なんだけど、ランドルスとかいう国が何処にあるのかはちょっと気になるかな。
端末でググっても出てこなかったのよね。
「あの、信じてもらえるかは分からないのですが……お話を聞いていただけますか?」
フェルシアちゃんが作った沈黙を破ったのは、ミーシャちゃん。
大きな琥珀色の瞳には、強い意志が宿って見えた。
「大丈夫よ。私、嘘を見抜くのは得意だって言ったでしょう」
ミーシャちゃんの決意に微笑みで応えると、ミーシャちゃんは膝の上で祈るように指を組んだ。
「私は……いえ、私達は、おそらく別の星か、別の世界からここへ飛ばされてきました」
冗談が上手いのね、と笑い飛ばせたならどんなに良かっただろう。
私は嘘を見抜くのに長けているばかりに、それが出来なかった。
発言者であるミーシャちゃんからも、隣で深刻な顔をしているフェルシアちゃんからも、嘘をついている様子が見てとれなかったからだ。
「……根拠はあるの?」
努めて冷静に聞き返した私の反応が意外だったのか、フェルシアちゃんは驚いたように私を見ると泣きそうに顔を歪めた。
「私達の故郷とはあまりにも違いすぎるのです……植物も、生き物も、生活水準も……」
「そんなの、国や環境によって生態系や生活水準が変わったって不思議じゃないわよ」
私のフォローに、フェルシアちゃんは体を震わせて俯き、ミーシャちゃんは力なく首を横に振った。
「不躾な質問ですが、マリー様……ここはなんと呼ばれる星でしょうか」
「? 地球よ。英語ではアースって言ったかしら」
「私達が暮らしていた星は、グルノアという惑星でした」
私は今度こそ言葉を失った。
ミーシャちゃんにも、フェルシアちゃんにも、嘘をついている様な様子がかけらも見つけられないのだ。
「ノクトルと呼ばれる恒星と、ワーシェ、ゴラと呼ばれる二つの衛星によって奇跡的にバランスを保っている、水と自然豊かな星……その中でも最も大きいと言われているエボルシア大陸南西の、ランドルス王国ギュレー公爵領が私達の故郷です。私達はギュレー公爵邸のお屋敷で下働きをしていました」
……ちょっといきなり知らない単語がつらつら出てきて混乱したけれど、要するにミーシャちゃんもフェルシアちゃんも宇宙人、もしくは異世界人ってことで良いのかしら。
かなり大雑把な解釈だけど、大筋は間違っていないはず。
それより、ミーシャちゃん達の世界にも同じような貴族制度があったなんてにわかには信じ……。
……いえ、あったんでしょうね。
だから王国って単語が出るわけだし、これだけ人と似ていれば同じような歴史を辿っていてもなんら不思議ではないわ。
「下働きをしてたって……それがどうしてここに来ることになったの?」
要点はそこよね。
ごちゃごちゃした前置きに思考を持っていかれそうになるけど、肝心なのは何故、ここに来たのか。
ミーシャちゃんは森の中で、祖国であるランなんとかからここへ送られてきたと言っていた。
それが何を意味するのか、予測はしているけれど……ちょっと受け止められない。
「それも、話せば長くなるのですが……」
どこから話せば良いのか悩んでいると言っていたのは、この話の事もあるだろうなと思った。
私は女性向けの書籍を読む程度で歴史や政治に明るい方ではないので、ミーシャちゃんの話を上手く噛み砕いて理解できるか、ちょっと怪しい。
星のくだりで既に混乱しかけたから、これ以上ややこしい話は勘弁願いたいのが本音だ。
「……かいつまんで貰えると助かるわ」
オブラートに包む気すらない私の言葉に気を悪くするでもなく、ミーシャちゃんは小さく頷いてくれた。
「ギュレー公爵一家が、国家転覆を目論んでいたという罪で先日、裁判を待たずに処刑されました」
「……えっ?」
「私達使用人は口封じと辻褄合わせのため、流刑と称して強制転移魔法をかけられ、気が付いたときには……あの山に……」
「待って、公爵ってことは王族の親類でしょう? それだけ高貴な人達が、裁判もなく処刑って……」
私の基準で考えているせいなのかもしれないけれど、貴族が処刑っていうのはどう考えてもおかしい。
普通はそもそも、裁判の前には身柄を拘束される程度で済むものなんじゃないの?
目論んでいた罪ってことは、まだ実行にすら至ってなかったわけよね?
それを裁判前に処刑だなんて……どう考えてもおかしすぎる。
それに、貴族が処刑なのに、その使用人達が流刑?
辻褄合わせのためって何?
「濡れ衣……」
私の呟きに、フェルシアちゃんが悲痛な声を漏らして涙をこぼした。
ミーシャちゃんは、信じられないくらい怖い顔で重く頷く。
「当代のギュレー公爵様は、先代国王様の実子であり、現国王の腹違いの弟君であらせられます。先代国王様は年功序列を重んじる方でしたので、ギュレー公爵様が王位を継ぐことはできませんでしたが……人並み外れた治世の才に恵まれておられました」
ミーシャちゃんが、膝の上で拳を握る。
余程悔しかったのだろう。
努めて冷静に語っているけれど、言葉の端々に悔しさと怒りの感情がこもっているのが伝わってくる。
「僅か一代で王都と並ぶほど栄えたギュレー公爵領を、現国王は驚異に思ったのでしょう。あらぬ罪をでっち上げ、公爵一族を処刑。主人の無罪を叫んでいた私達は、揃って強制転移。強制転移をかけられた者は人々の記憶から消えるそうです。信じられませんよね。私達、向こうでは最初から居なかった事になっているんですよ」
自虐的な笑みを浮かべたミーシャちゃんの頬を、一筋の涙が滑る。
フェルシアちゃんは、ミーシャちゃんの隣でずっと声を殺して泣いていた。
私は何と声をかければ良いのか分からなくて、だけど目の前で苦しそうにしている女の子達の心を少しでも軽くしたくて……。
気が付いたら、二人をきつく抱き締めていた。
「ま、マリー様……?」
返事をしようと思ったけれど、胸が苦しくて声にならなかったからやめた。
彼女達の感情に当てられて、私まで泣きそうになっている。
私が鼻をすすったら、フェルシアちゃんが堰を切ったように声を上げて泣き始め、それにつられてミーシャちゃんも泣き出した。
私は、どんな言葉をかけても陳腐な慰めにもならない気がして、無言のまま二人の背中を撫で続けた。