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人生の転機

至らない点や矛盾などありまくるかと思いますが、ご容赦ください。

書きたい気持ちだけで出来上がりました。オチは未定です。

更新は不定期です。


 私の人生が目に見えて好転し始めたのは、私が人間関係を苦に仕事を辞めた翌週の事だった。


 珍しく父に呼び出された私は、いつも父がいる場所……奥座敷を目指して枯山水に面した廊下を歩む。

 庭仕事をしていた派手で厳ついシャツを着た男達が、私に気づくと慌てて太股に両手を置き、中腰の姿勢をとった。


「おはようございやす、お嬢!」


「おはようございやす!」


 額に傷のある小柄な男……原田が声を張ると、他の強面集団も声を揃えて朝の挨拶を唱和する。


「おはよう、皆。今日は熱中症に気を付けてね」


「へえ! ありがとうございます!」


 怖い顔をくしゃくしゃにして笑う彼らに笑顔を返し、私は尚も廊下を進む。

 広い家は不便で仕方ない。漫画のような未来道具があれば、こんな廊下「急ごう」と思うだけでススイのスイなのに。


 下らないことを考えながら角を曲がると、拭き掃除をしていた茶髪ツーブロックの青年……丸井が私に気付くなりさっと道を開け、床に拳をつく前屈みの姿勢をとった。


「お嬢、おはようございやす」


「おはよう、丸井。最近屋敷の中がきれいね。気持ちが良いわ」


 私がそう褒めると丸井は嬉しそうに口を結び、床に頭突きをしそうな勢いで頭を下げる。


「ありがとうございやす……!」


 丸井が私の父を庇ってお腹に刺し傷を受けたのは記憶に新しい。

 ここ二、三日丸井があちこち掃除をしている姿を見かけていたけれど、お腹の傷はもう平気なのだろうか。


「そういえば、お腹の傷はもういいの?」


 私から尋ねられることを予想していなかったのか、丸井は愕然とした様子で顔を上げる。


「え、ええ。まだ糸は残ってますが、医者の話じゃ超人並の回復力だそうで……」


 丸井は話ながら顔を赤くし、ばつが悪そうに視線を泳がせた。

 格下相手に傷を作るのは恥! みたいな風潮があるらしいから、彼が恥ずかしそうにしているのはそのせいかもしれない。


「そう。私は名誉の負傷だと思っているけど、早く治ると良いわね」


「へ、へぃ!」


 父を庇ってもらった私としては、ありがたさと申し訳なさが同等くらいの複雑な気持ちだ。

 病院から彼が目覚めたと連絡があった日に父や幹部と一緒にお見舞いに行って、父を庇ってくれたお礼はきっちりと伝えたけど、あの時は「無茶しないでね」なんて立場上言えなかった。

 しかし今は私と丸井だけだから、少しくらい個人的な意見も許されるだろう……と、思う。


「丸井、私ね……皆にはあんまり怪我をしてほしくないと思ってるの。父を庇ってくれた事はいくら感謝してもたりないくらいだけど、貴方のお腹の傷を思うと胸が痛むのよ」


「お嬢……!」


「家業が家業だし、あんまり大きな声では言えないんだけどね」


 これは丸井に限った話ではない。

 顔見知りが怪我をしたと聞くと、毎回心が痛む。

 私がこうやって釘を指すことで、少しでも怪我をする舎弟さんたちが減ればいいけど、焼け石に水だろうな。


「ところで、父は奥にいるの? それとも書斎?」


「奥だと伺ってます」


「ありがとう。お大事にね」


「ありがとうございます、お嬢!」


 丸井が再び勢いよく頭を下げたことに苦笑いをし、私は父が待っているであろう奥座敷へ歩を進める。

 少し気になったので、角を曲がる前に一度振り返って「あんまり大きい声を出すと傷に響くわよ」と注意しておいた。


 そういえば、うちの舎弟さん達はみんな声が大きい気がする。

 家があんまり広いから、大きい声を出さないと聞こえないのかもしれない。

 門から玄関までもやけに離れているし、本当に、家が広いと不便だなぁ。



 ようやくたどり着いた奥座敷の前には、父の補佐である右山(みぎやま)さんと、舎弟頭の伊佐(いさ)さんがいつものようにスーツ姿で正座していた。

 私の姿を確認するなり、洗練された所作で私に頭を下げてくれる。


「会長、お嬢がお見えです」


「……通せ」


 右山さんの声に、数秒の間が空いて返事が返ってきた。


 我が父ながら、仕事モードの声は威厳があって怖そうだ。

 私と二人きりの時からは想像もできないその声は、私以外の人間にとって普通の声なのだろう。

 伊佐さんがふすまを開けてくれたので、私は「失礼します」とお上品な声をつくって敷居を跨いだ。


 歩み入った奥座敷では、父が大量の書類を従えるように胡座をかいている。

 もしかして、あの書類は私が呼ばれた理由に関係があるものだろうか。

 お見合いの話ならば、全力でお断りしよう。


「右山は、玄関で小柳先生と木村先生が来るのを待って、到着次第応接室にお通ししろ。伊佐は茶の準備を頼む。茶菓子は家政婦に見繕ってもらえ。四人分だからな」


「はい」


「承知いたしました」


 『小柳先生』『木村先生』『お茶の準備』『四人分』という単語に、私は首をかしげた。

 小柳先生はお抱えの弁護士の一人で、土地や財産の管理を任せている方だ。

 一方、木村先生はお世話になっている税理士さんである。

 四人分のお茶ということは、今から父と私、先生方を交えて話をすると思って間違いはないだろう。


 ついでに、お茶の準備や先生の出迎えを家政婦や若衆に頼まなかったということは、右山さんや伊佐さんを部屋から遠ざける意味もある。

 父は私に、他人に聞かれたくない話をするつもりのようだ。


 右山さんと伊佐さんの姿が見えなくなったところで、私は入ってきた襖を閉じた。


「挨拶が遅れたな。おはよう、茉莉(まり)


「おはよう、お父さん。話ってなんなの?」


 用意してあった座布団の一つに座りながら問いかけると、父は一つ咳払いをしてから、私に書類の束を差し出してきた。

 ぱっと見た限り、何やら小難しい漢字が並んでいる。


「なぁに、これ……」


 私は最初こそずしりとした重さに辟易していたが、書かれている文章の意味を理解した瞬間に言葉を失った。

 昔から私に特別甘かった父だが、今手渡してきたのは我が家が所有している島と、それに付随する権利書の束だったのだ。

 誤解の無いよう言っておくが、シマではなく『島』だ。


「……えっ、お父さんこれ……」


 私から顔を背けた父の耳は赤い。なぜ照れるのかは、聞かなくても分かる。

 生まれてからずっと父の娘として生きてきて、過去何度も同じような場面に遭遇している。


 父は、普段厳格な大親分として振る舞っている為、娘に甘い顔をするのが恥ずかしいらしい。


 今回は今までにないほどの親バカっぷりを発揮しているも同然だから恥ずかしさも一入(ひとしお)だろう。

 この間仕事をやめた娘に島の権利書って……ちょっと普通ではあり得ないと思う。


「その、なんだ……この間死にかけたことでいろいろ考えてな。――まぁ、実際死にかけたのは丸井だが。生前贈与ってことでお前に島をやることにした。ある程度不自由なく住めるようにしておいたが、売るなり不動産経営に使うなり、好きに使うといい」


 照れながらも威厳を保とうとするその姿は完全に娘に甘い親バカそのもので、どう頑張っても任侠系極道の大親分を務める怖くて偉い人には見えない。

 しかし間違いなく私の父は、警察すら手を出しあぐねる巨大組織の大親分であった。


「けど、尚武(しょうぶ)兄さんに悪いわ」


「その心配はいらん。尚武にはお前に譲るもの以外の全てをいずれ継がせる。それに、尚武もあれでお前のことは可愛く思っているらしい」


「兄さんが?」


「島だけでなく、資産も幾らか分けてやれと言われたよ」


 あまりの事に呆然としていた私だが、島という単語にある場所を思い出してハッとした。

 私には、お気に入りの別荘があるのだ。

 本土から少し離れた個人所有の島の、山の中にある静かな別荘。


 父から受け取った書類の束に改めて目を通してみると、昔から私が愛してやまない別荘と島の名前が書いてある。

 えっ、うそ、船まで貰えるの!?

 私が何年もかけて船関連の免許を取らされてたのって、もしかしてこのため?

 私は久しぶりに父の娘に生まれて良かった、と心底感激した。


「お父さん、これ……本当にいいの?」


「ああ、男に二言はない。先生方が見えたら、一緒に名義変更の手続きをしよう。税金についても話さんとな。お前が数年……いや、出来れば一生働かなくても困らないようにしてやりたいと思っているから、大船に乗ったつもりでいなさい」


 ぎこちなく笑う父の顔が、大親分としてのそれではないことを知っている。

 私は堪らなく嬉しくなって、年甲斐もなく抱きついてしまった。


「ありがとうお父さんっ! 大好き!」


 なんたる幸運! なんたる棚ぼた!

 天国のお母さん、今まで家業のことでたくさん苦労もしてきたけれど、私はお父さんとお母さんの娘に生まれて本当に良かったです……!








 ……と、大はしゃぎしたのがつい先月のこと。

 私は今、使用人である鳶田(とびた)を連れて船を飛ばしていた。


「お嬢、本当に私だけでよろしかったのですか? 若衆を二、三人連れてきた方が使いなど便利だったのでは……」


「くどいわよ鳶田、本当は私一人で行きたいくらいなんだからね。これでも譲歩した方なの。心配する皆を安心させるために仕方なく貴方を連れてきたんだから」


 老紳士然とした使用人の鳶田は、真っ白なポニーテールを潮風に靡かせながら尚も渋い表情を崩さない。


 彼は全線引退後に屋敷の使用人へジョブチェンジした元会長補佐……要は右山さんの先代だ。

 渋い顔にはシワと傷がいくつも刻まれており、実年齢のわりに鍛え上げられた肉体を持っていることが服の上からでも分かる。


 丸井や原田も島への移住に志願してくれたけど、丸井は抜糸もまだな怪我人だし、原田は庭師のまとめ役なので丁重にお断りした。


 日常生活の力仕事くらいなら鳶田一人で十分こなせるし、彼はありとあらゆる資格や免許を保持している。

 それに何より、彼は私の父と兄、右山さんや伊佐さんを含めた大半の人間から厚い信頼を寄せられている。


 一人で行きたがっていた私でさえ、最低一人はボディーガードも兼ねて連れて行けと言われたときにぱっと頭に浮かんだのが鳶田で、その後も散々悩んでみたものの、鳶田以上の適任は思い浮かばなかったくらいだ。


「それにしても風が気持ちいいわね! 天気も良いし、島についたら少し泳ごうかしら」


「島の近海で鮫の目撃情報が出ておりますので、海水浴はお控えください」


「あら、残念」


 船の上には私と鳶田、それと二人分の荷物に数日分の水と食料が乗っている。

 今後は食料が尽きる前に最寄りの市場まで船を飛ばすか、島で自給自足をするかの二択だ。

 正直自給自足には興味がありまくるので、荷物の中には野菜の種や苗もある。


「ねぇ鳶田、確認なんだけど……国から漁をする許可も貰ってるのよね?」


「ええ、山でも川でも海でも一通りの許可は降りてますし、私も一通りの資格や免許を持っております」


「それで荷物に猟銃があるのね。そういえば鮫って食べられないの? フカヒレとか、キャビアとか」


「お嬢、美味しいキャビアが取れる鮫にも種類がありますし、捕獲にも手間がかかります。缶詰の方が手頃でしょう」


「……それもそうね」


 鳶田の発言に納得して、私は船の速度を落とした。

 水平線上に青々とした島が見えてきたからだ。


「本土から意外と近いのね。子供の頃はもっと遠くに感じたものだけど」


「そうですねぇ。あの頃はまだお嬢も小学生でしたから」


 島の港に近づくにつれて速度を落としていき、最後はエンジンを切る。

 泊地に船を寄せてアンカーを下ろし、ロープをビットに括り付けたら、荷物を下ろして別荘に向かうだけだ。

 勿論、船にカバーをかけた後で。


「お嬢、足元お気をつけて」


 差し出された鳶田の手はこれまた傷だらけで、見慣れていても少し胸が痛んだ。

 だけど安心して体重を任せられる、信頼できる大きな手だ。


「ありがとう」


 鳶田にお礼を言うと、返事の代わりに頭を下げられた。


 それにしても、揺れていた船上から陸に上がったときの違和感が楽しくて仕方ないなんて、私はまだまだ子供ね。


 体をほぐしながら島を見渡してみると、車止め付近に黒くて大きなビニールが二つ鎮座している。

 鳶田と一緒に近づいてカバーを外してみると、それはぴっかぴかに磨きあげられたパステルピンクの軽トラとパステルイエローの普通車だった。


 車は中古だと聞かされていたけれど、塗装し直してあるうえに窓やシートもメンテナンスが行き届いていて、新品のようにしか見えない。

 私の好きな色に塗り替えてあるのも嬉しいけれど、二台とも電気自動車なのが地味にありがたい。


 「業者にある程度の事はやらせておいた」とは今朝の父の言葉である。おそらく別荘に車の充電ができる場所が設けられているはずだ。


 鍵はどこかしらと私が呟いたら、鳶田が懐から高級そうなケースを取り出して私に向けて開いた。


 中古の軽トラと普通車の鍵をこんな高級そうなケースに収納するなんて、お父さんはちょっと親御心の方向性を見失ってはいないだろうか。

 心遣いはすごくありがたいんだけど。


 ともかく、私と鳶田は大量の荷物を軽トラの荷台に乗せ、デリケートな食料系を普通車のトランクに積み込む。

 車が二台あって本当に助かった。

 お父さんに後で感謝の気持ちをメールしておこう。


 昔人が住んでいた名残で島のあちこちに舗装された道があり、別荘までは車で移動できる。

 ただ、別荘までの道を私は覚えていなかった。


「私が軽トラで後ろから付いていくわ。鳶田が先導してちょうだい」


「承知いたしました」


 お互いに言い終わると同時に運転席に乗り込み、エンジンをかける。


 何故私が軽トラを選んだかですって?

 だって、乗せられないでしょう。

 渋いおじさま系の鳶田を、パステルピンクの車になんかに。







 港から離れ、雑木林を抜け、小さな小川の石橋を渡り、山道を少し上った先に私の別荘はある。


 猪などの獣が入り込まないように頑丈な鉄柵で囲まれたそれは、お伽噺好きの女の子ならば間違いなくテンションが暴上がりするほど可愛らしいお屋敷だ。

 例に漏れず、私も見るたびに「きゃあー!」と心の中で感激している。


 原田達が半月かかって整えたと言う庭は美しく、知っている植物も知らない植物も皆適材適所で個性を爆発させていた。


 私がボーッとしている間に門の解錠を終わらせた鳶田が、再び車に乗り込み小道を進んでいく。

 私もそのあとに続き、門を潜りきったところで一旦車を降りて施錠し直した。


 施錠は大事だ。

 もし野生の猪や兎なんかが庭に入り込もうものなら、この可愛い花壇が台無しにされてしまうから。


 あの柵の幅なら体の細いイタチでも侵入できないだろうけど、こどものイタチや子猫は入れるかもしれない。

 ハクビシンなんかは登ってこれそうね。


 野菜作りを始める前に番犬を飼おうと心に誓い、私はパステルピンクの軽トラに乗り直して鳶田の車を追いかけた。


 やっぱり鳶田をピンクの軽トラに乗せなくて良かった。

 私の腹筋と横隔膜が無事じゃすまないところだったわ。



 敷地内の軽く舗装された小道を進むと、別荘……もとい、家の裏手に出た。


 家にくっつくように建てられたガレージの前には、車が悠々とすれ違えるスペースが確保されている。


 私の記憶だと、昔はここにブランコや秘密基地があったと思ったんだけど、取り壊して増築したのかしら。

 ガレージも、ガレージに重なる家部分も記憶にない。


 ガレージ前の拓けたスペースを使って手際よくバック駐車した鳶田にならって、私も軽トラを停める。

 港で予想した通り、ガレージには充電設備が新設されていた。


「わ、凄い! ガレージから家に入れるの? 便利ね!」


「……そうですね」


 軽トラから降りるなり目をキラキラさせた私が面白かったのか、普段ポーカーフェイスを崩さない鳶田が小さく笑う。

 小さい頃から一緒にいるのに、私は鳶田が笑うのを初めて見たかもしれない。

 ちょっと……いや、かなり驚いてしまった。


「珍しいわね、どうしたの?」


「お嬢は、本当に姐御によく似ておられますな」


「あら、それは褒めてるのかしら」


 私の母は父と結婚する前、持ち前の器量と話術で高級クラブ街の女王に君臨した程の美人だったと聞いている。

 国の偉い人や有名企業の偉い人も、母には骨抜きだったとか。


 父が私に対して特別甘いのも、私が母の若い頃にそっくりだからだと聞いたことがある。

 私が大学を卒業する前に病気で亡くなってしまった母は、死の間際まで「困ったわ、美人薄命が本当だったなんて……」等と笑うに笑えない冗談を話すような豪胆さを発揮する凄い人だった。


 因みに母の最後の言葉はそれである。


 おかげで、皆泣くに泣けなかった。

 もし私たちが泣けないことが母の計算だったなら本当に凄いし、天然だったならそれはそれで凄い。

 とにかく、私の母は才色兼備の物凄い人だ。


「勿論褒めていますよ。私もいろんな修羅場を潜ってきましたが、ついぞあの人には敵いませんでした」


「私も母の半分くらい器が大きければね」


「ご冗談を。お嬢は十分大物ですよ」


「そうかしら。……まぁ、いいわ」


 なんとなく腑に落ちなかったけれど、いつまでも立ち話をしている暇はないなと考え直した。

 大きい家具なんかは先に運び込んでもらっているけれど、軽トラ一台分くらいは荷物が残っているのだ。

 主に私の服や日用品、食料や消耗品のストックなんだけど。

 とにかく、早くこれを運び込んでしまわないとお昼ご飯を食いっぱぐれてしまう。


「さ、重いものから先に運んじゃいましょうか」


「お嬢」


 腕捲りをして意気込む私の出鼻を挫くように鳶田がストップのジェスチャーをした。


「なによ」


「すみませんが、お嬢は食材の整理と昼食の用意を頼みます。荷物は私一人で運べますんで」


「どうして?」


「その方が効率的ですから」


 私は、こういう場面にこそ鳶田は笑うべきだと心底思った。




▽▼




 鳶田が一人でガレージと家を行き来している間に、私はキッチンで食材と向き合っていた。

 実は私、生まれてこのかた一人で料理をしたことがない。

 学校の調理実習や家庭科部は同級生数名と一緒だったし、家では必ず家政婦が付いていた。


 だから、ずっと憧れだったのだ。

 最初から最後まですべての行程を一人でやる事が。


 とりあえずお昼には簡単なのを作ろうと思う。

 色々と作りたいものはあるけど、足の早い食材から計画的に使わなくてはいけない。

 何せ、近所にコンビニはおろかスーパーも市場もないのだ。


 それなのにどうして、私はこの不便さに堪らなくワクワクしているのだろう。

 ついさっき鳶田に「姐御に似ておられますな」と言われたけれど、こういう変な所はまさしく母譲りだなと自分でも笑ってしまった。


「ねぇ鳶田、好き嫌いやアレルギーはない?」


 大量のティッシュ箱を抱えた鳶田に声をかけると、一言「ありません」と返ってきた。

 リクエストがないか尋ねてみたけど、答えは同じ。

 ……困ったわ。私も今は特に食べたいものがないのよね。


 よし、先に野菜を長く保存するための下処理をしよう!

 そのうち食べたいものも決まるでしょ。


 そうと決まれば、大きめの鍋に水を入れて火にかける。

 火にかけるといっても、ガスの補給が不要なIHなのでボタン一つだ。

 忘れずに換気扇のスイッチも押しておく。

 ブロッコリーとキヌサヤは絶対に買っておいてとお願いしたので、そのために。


 さて、お湯が沸くまでの間に島の外から持ち込んだ野菜から物色しようと、試しに一つ段ボールを開けてみる。

 お、ジャガイモ。……なんか、スーパー並みに量が豊富なんですけど。


 次の段ボールを開くと、これまた大量の玉ねぎ。

 まさか段ボール一箱につき一つの野菜じゃないでしょうね? と不安になったので次々と開けていく。

 この箱はニンジン、こっちはキャベツ、こっちはトマト……ですって?


 頭が痛くなってきたので、とりあえずジャガイモは段ボールのまま、玉ねぎは100均で大量に買い叩いた収納グッズのネットバッグに移し替えて食糧庫行き。


 ニンジンやトマトは後で考えるとして、二箱片付いたので次を開けてみると、新聞紙の包み、サツマイモ、里芋がごろっと入っていた。

 新聞紙に包まれているのは泥つきのゴボウらしい。


 良かった、一箱につき一種類じゃなくて。


 ゴボウはそのまま食糧庫へ。里芋とサツマイモも、ゴボウと同じように新聞紙で包んでから食糧庫へ送り出す。

 次に目をつけた段ボールは、他と比べて大きくて丈夫そうだ。

 何が入っているんだろうと開けてみたらカボチャ、カボチャ、カボチャ。


「……え、全部カボチャなの……」


 なんと丸のままのカボチャがゴロゴロ入っていた。

 丸のままだし一ヶ月は持つだろうけど、この量はない。

 ……いや、カボチャ餡とかカボチャパイにすれば意外と……うん、この子達もまとめて食糧庫行きね。

 段ボールから出して棚に並べてもらおう。


 勿論、ジャガイモからカボチャまで全て、運ぶのは鳶田の役目だ。


 次に開けた段ボールから出てきたのは、なんとほうれん草と小松菜とミズナ……。

 ほうれん草は茹でて冷凍保存すればある程度持つし、小松菜も冷凍保存できるけど、ミズナは……。


 うん、今日のお昼と夕飯にサラダとして出そう。

 余ったら煮浸しにする。決定。


 それからも、長ネギ、小ネギ、大根、ブロッコリー、レタス、ピーマン、インゲン、キヌサヤと出てきた。


 ほうれん草、ブロッコリー、インゲンは適度に茹でて氷水で冷やし、食べやすい大きさに切ってジップロックのフリーザーバッグに入れ、空気を抜いて冷凍庫へ。

 キヌサヤはヘタとスジを取り除いてからサッと塩茹でし、冷凍保存。


 トマトは赤いものをいくつか水洗いして、丸のままフリーザーバッグに入れ冷凍庫へ。

 残りは今日のサラダに使う分を残してチルド室へ。

 まだ青いものは、涼しい食糧庫で二、三日置いてからチルド室に入れよう。


 その他の野菜も、そして野菜以外も、家庭科部で得た知識を遺憾なく発揮して片付けていく。


 ここにきてようやく鳶田の「効率的です」の意味を理解した。

 確かに先に荷物を運んで~なんてやってたら、とてもお昼にはたどり着けないわね。


 次に開けた段ボールの中には、乾物類がぎっしりつまっていた。


「あっ」


 その中に見つけたのは、今日という日に一番ふさわしいもの。

 そう、蕎麦の乾麺。


 今日のお昼はお蕎麦にしよう。

 引越し蕎麦、憧れてたのよね。

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