ショートショート習作1 「自然」「レストラン」「クレープ」
私の目の前のクレープは、すでに残すところあとわずかであった。
長い冬が明けた暖かい春先の今日、この森の中のレストランでは、大食い大会が行われていた。
ルールはいたってシンプル。森で採れた果物をふんだんに使った、山のような超特盛クレープを、一番早く食べ終わった者が優勝というものだ。
参加者は私を含め10名。うち5人は半分も食べ終わらないうちに音を上げ、3人は3分の1ほどを残してやはりリタイアした。残ったのは私ともう一人だけで、互いに9割がた食べ終わったところだった。
最初はバランスボールほどもあったクレープだが、いまや握り拳程度を残し皿の上に鎮座している。ここで私はいったん手を止め、顔に流れる滝のような汗を軽く拭うと、ぱつんぱつんに張った腹をなんとかよじって周囲を見回した。
周りにはたくさんの観客がおり、勝負の行方を固唾をのんで見守っている。やや間を空けて隣の席に座っている対戦相手は、同じく握り拳程度になったクレープを相手に悪戦苦闘していた。ナイフで一口大にクレープを切り取り、スプーンで口まで運ぶが、口を開けては閉じてを繰り返している。食べようとはしているが、既に限界を迎えてしまっているようだ。ベルトを緩めはちきれんばかりに突き出た腹と、脂汗の流れる青白い顔もそれを証明している。
私は彼を見て勝利を確信した。私とて限界は近い。しかし目の前のクレープを片付ければ勝利が手に入るのだ!たとえ限界が近かろうと、そんなことは関係がなかった。私は覚悟を決めた。
わずかに水を口に含んでゆっくりと飲み下すと、ナイフとフォークを手に取り、残ったクレープを細かく切り分けていく。そしてクレープを切り終えると、一口ずつ口へ運び始めた。
ゆっくりとだが、確実に姿を消していくクレープ。クレープが消えるごとに、歓声を上げる観客。その歓声に後押しされるように、またクレープを口に運び咀嚼していく。
徐々に減っていく私のクレープを見て、長らく手が止まっていた対戦相手が、震える手でクレープを口に運ぶのが見えた。なんとか口に収め飲み込んだようだが・・・対戦相手は突然胸をドンドンと叩くと、そのまま白目をむいて倒れこんでしまった。どうやら喉に詰まらせたらしい。彼は担架に乗せられ運び出されていった。この時点で競技者は私一人となったが、手と口は休めない。勝利を手にするのはあくまでクレープを食べ終わった者なのだ。
ゆっくり、ゆっくりとクレープを腹の中に収めていく。嗚呼、甘酸っぱいイチゴ、ねっとりとしたバナナ、弾けるようなサクランボ、瑞々しい梨、それらを優しく包む卵の生地・・・。周囲に香りを振りまくクレープを、私は、ついに、完食した。
観客から祝福交じりの歓声が聞こえる。私は片手を上げてその完成に応えるが、もはやそのぐらいの動きしかできない。達成感と満腹感に包まれ、身動きをほとんどしないまま歓声に応え続けた。
しかし、ふと妙なことに気付く。明らかに観客の様子がおかしいのだ。最初は喜色を顔に浮かべていた観客達だが、私の後ろに目を向けると、引きつったような表情となり、何事か叫びながら、一目散に走り去っていく。それも一人や二人ではない。次から次に走り去っていくのだ。一体私の後ろに何があるというのだろう。
最後の観客が走り去る中、身動きのできない私がなんとか後ろを振り向こうとした、その瞬間。
強い衝撃に頭を襲われ、激痛とともに、私の意識は遠のいていった・・・。
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××新聞朝刊
昨日の午後過ぎ、森のレストランにクマが現れ、男性が襲われる事件が起こった。男性は救助され病院に運ばれるも、まもなく死亡が確認された。
警察によると、当時レストランでは大食い大会が開催されており、男性はその大会の優勝者とのことだった。春になって冬眠から目覚めたクマがクレープの匂いにつられてレストランに現れ、観客等ほとんどの人々は逃げ出したものの、満腹で動けなかった優勝者の男性だけが逃げ遅れたとみられている。